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第三章『不穏』~古より紡がれし負の片鱗~

病床の王宮医師と国王の懸念

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※今回は、ウォルヴァンシア国王、レイフィードの視点で進みます。


――Side レイフィード

『申し訳ありません、レイフィード陛下……。弟が大変なご迷惑をおかけいたしまして』

 寝台の側にあるサイドテーブルに置いた僕の金装飾のブレスレットの上。
 扇状の光の中に、ウォルヴァンシアの地にいる王宮医師の女性、セレスフィーナの姿が映し出されている。
 彼女は僕に向かって頭を垂れ、何度も健気に謝罪を繰り返しているんだけど、そんなに気にしなくても良いのにね。
 寝台に上半身だけを起こし、熱に浮かされながらも少しずつではあるけれど、食事を進めているルイヴェルに視線を移すと、僕は「美味しいかい?」と微笑みながら聞いてみる。

「……はい」

 う~ん、これは、何と言うか……、本当に重症だねぇ。
 熱のせいで薄く赤くなっている頬と、食事をとりながらも時々零れ出る溜息。
 深緑の双眸には、いつもの絶対的な自信が宿っているはずのそれとは真逆の、弱々しい光しか浮かんでいない。
 銀の髪は寝癖で乱れているし、服も昨日と同じまま寝たせいでよれよれ状態。
 本当……、これ、誰だろうねとコメントしたくなるよ。
 双子の姉であるセレスフィーナも、通信用の光の中からルイヴェルの惨状を見たせいで、表情が、僕への申し訳なさと弟への心配でいっぱいになっちゃってるしね。

(でもまさか、倒れたとはね……、最初に聞いた時は流石の僕も吃驚したよ)

 ディアーネスとのガデルディウスの神殿視察の後、やっととれた時間を使って部屋を訪ねてみたら……。
 ガデルフォーン騎士団の長であるサージェスティンから、ルイヴェルが倒れたと聞かされちゃったもんだから、本当に焦ったよ。
 滅多に倒れるような子じゃなかったから、何か病気にでもかかったのかと心配したら……。

(まさかの、ユキちゃんの一言でぶっ倒れるとは……、はぁ)

 サージェスティンから詳しい話を聞いた僕は、本当に呆れ返ったよ。
 いつかやるかと思ってはいたけれど、愛情表現が行き過ぎたせいで、『大嫌い』を喰らって卒倒とはね……。
 いや、僕も泣かせるほどの愛情表現を許す気はなかったからね?
 今後の事も含めて、お説教と一緒に話をしようと思ってたんだけど……。

「……」

『ルイヴェル……、パンが床に落ちたわよ』

「……あぁ」

 千切ったパンを口許に運ぼうとしたルイヴェルの手から、ポロリと床に落ちたパンの欠片。それを指摘したセレスフィーナが、見ていられないとばかりに憂鬱な表情を深めた。
 彼女にはさっき、何故ルイヴェルがこうなってしまったかを説明したけれど、僕もセレスフィーナも、怒る気がどうしても起きなかったんだよねぇ……。

(だって、こんなにも疲弊しきったルイヴェルを見たら……、ちょっとね)

 もう見ているだけでも悲惨というか、哀れすぎてね……。
 これ以上の追撃は、ルイヴェルが死んじゃいそうだからやめたわけなんだよ。

「とりあえず、食事を終えたら、今日は一日ゆっくり休んでいるんだよ?」

「いえ……、食事を終えたら任に戻ります」

『ルイヴェル、陛下の仰る通りにしてちょうだい。今の貴方じゃ、ユキ姫様の護衛も医師としての役目も、何ひとつ果たせないわ』

「……」

『自分の身体や精神状態の事は、自分が一番良くわかっているでしょう?』

 そうだね。今ユキちゃんの所に戻っても、恐らくお互いに気まずいだろうし、ルイヴェルが平静を装う事が出来ても……、ユキちゃんの負担になってしまうだろう。
 そうなると、お互いの為にもならないから、やっぱり一度距離をおいた方が良い。
 ルイヴェルが体調をしっかりと整えて、ユキちゃんに謝る意思を見せたその時こそ、関係の修復は成されるのだろうから……。

「ルイヴェル、父上とセレスフィーナの言う通りにしてくれ。俺もユキの事はしっかりと見ておくから……」

 説得の援護をするように、後ろのテーブルに座っていたレイル君が言葉を重ねる。
 だけど、ルイヴェルは根が頑固だからね……。

『ルイヴェル!!』

 食事の載せられたトレイを避けて、ルイヴェルはよろよろと寝台から下りる。
 まだ熱もあるし、身体もだるいだろうに……。
 頑固でマイペースな双子の片割れは、クローゼットに向かい始めた。
 ウォルヴァンシアから持って来た、自分の着替えと新しい白衣。
 それを手に取ったルイヴェルが、その場で昨日から着ている服を脱ぎ始めてしまった。やれやれ……。
 大切な双子のお姉さんの言葉に逆らうなんて、よっぽどだねぇ……。

「ユキ姫様の護衛に支障のないよう、動きます……」

「また……、『大嫌い』と言われる可能性があってもかい?」

「……」

 意地悪かもしれないけれど、今は行かせるわけにはいかないからね。
 ガデルフォーン国内で起きている異変と、ユキちゃんに接触してきた子供達……。
 これから何が起きるのか予測不可能な状況の中で、いざという時にルイヴェルが力を揮えなくなると、ガデルフォーン側としても、僕としても困る。
 それに、体調の悪い子は良くなるまで、しっかりと休ませないとね。
 
「寝台に戻りなさい。良い子だから……」

 もう成人をしてから長い時が経ってはいるけれど、僕から見れば、ルイヴェルもセレスフィーナも、まだまだ子供同然だ。危なっかしい所は多々ある。
 
「ルイヴェル、国王命令だよ? 戻りなさい」

「……御意」

 今思いきり不本意そうな顔をしてくれちゃったけれど、ルイヴェルは気付いているのかな?
 自分がユキちゃんの言葉に、いや……、向けられた拒絶の意志に、どれだけのダメージを受けているのかを……。
 元々ルイヴェルは、ユキちゃんが小さい頃、よくウォルヴァンシア王宮に帰省してくる彼女を出迎えては、その手を引いて可愛がっていた。
 まぁ、勿論、愛情表現が捻くれている子だからね……。
 ユキちゃんをからかって遊んだり、泣かせる事なんてしょっちゅうだったよ。
 だけど、不思議と……、ルイヴェルの接し方が、自分への愛情表現だと無意識に気付いていたのか、幼かったユキちゃんは、何度泣かされたり意地悪をされても……。

(帰省する度に、ルイヴェルを探し回っては傍に引っ付きに行っていたんだよね)

 思わず、ユキちゃんはいじめられて喜ぶ趣味でもあるのかと心配をしかけた事が何度かあった。
 まぁ、その心配はまったくもっていらないものだったんだけどね。はは……。
 
(そして、ユキちゃんが七歳の歳を迎える年まで……、二人は本当に仲の良い兄妹のようだった)

 けれど、ユーディス兄上の提案により、そんな優しい日々は終わりを迎えた。
 兄上達家族が移住した異世界でユキちゃんが心穏やかに暮らしていけるようにと、エリュセードでの記憶と魔力を全て封印したあの日……。
 ユキちゃんには何も知らせず、フェリデロード家の当主でもあるルイヴェル達の父親を術の主軸とし、その儀式を行った。
 その場には、ルイヴェルとセレスフィーナが立ち合い、全てを見届けたんだけど……。
 ユーディス兄上とナーちゃんに連れられて、僕達と永遠のお別れをしたユキちゃん。その姿を見送ってから数日後……。ルイヴェルは一度、今回のように倒れた事がある。可愛がっていた存在が奪われる辛さ、自分との記憶を忘れてしまったという悪夢のような現実。
 平静を装ってはいても、あの時のルイヴェルが心に負った傷は、相当に深かったのだのだろう。ルイヴェルが元通りになるまで、周りの子達も相当気を遣っていたしね……。

『ルイヴェル、体調を整えたら、ちゃんとユキ姫様に謝りに行くのよ。今回の事は、完全に貴方が悪いんだから。少しは反省しなさい』

「……」

『ルイヴェル? ……ルイヴェル?』

「ふふ、また眠気がきたみたいだね。もう寝ちゃってるよ」

『もう……。この子は本当にマイペースなんだから……。陛下、本当にご迷惑ばかりをおかけしてしまい、申し訳ありません。ユキ姫様にまでご無礼を働いてしまい、姉としてどう謝罪してよいか……』

 僕の言う通りに寝台へと戻ったルイヴェルは、気が付くと毛布の中に潜り込んで瞼を閉じてしまっていた。
少しだけ寝苦しそうに聞こえてくる寝息を聞きながら、僕はセレスフィーナに笑いかける。

「君は気にしなくて良いんだよ。ルイヴェルには、今回の遊学の件で色々と負担をかけているからね。ここでゆっくりと休息を取らせてあげた方が、後々の為にもなる。それに……、ユキちゃんとルイヴェルは、元々仲が良かっただろう? たとえ記憶がなくても、過ごした日々の絆まで消えたわけじゃない。だから、僕達は見守ってあげるぐらいで丁度良いんだよ」

「父上の言う通りだ、セレスフィーナ。今日の朝食の時の事だが、ルイヴェルの体調の事をサージェス殿から聞いたユキが、心配そうにしていたからな……。そのうち、自然と仲直り出来るだろう」

『……そうだと、良いのですが。なにぶん、ウチのルイヴェルは頑固で捻くれていますし、またユキ姫様の御心を傷付けるような意地悪でもしたらと思いますと……』

「大丈夫だよ。いざとなったら、僕がフォローを入れておくから」

『陛下……、有難うございます。……あら? ユーディス殿下』

 その時、セレスフィーナが横を向き、僕の兄上の名を呼んだ。 
 
『おはよう、セレスフィーナ』

『おはようございます。今、レイフィード陛下と通信をしているのですが、ご一緒にいかがですか?』

「ユーディス兄上、おはようございます!!」

 ……通信の光に現れたユーディス兄上は、僕の顔を見るなり、……何故溜息?
 額に指先をあて、葛藤でもしているかのように何度か顔を揺らしている。

「兄上?」

『レイフィード……、ユキに迷惑をかけてはいないだろうね?』

 じろり……、穏やかな物腰の兄上の目に、疑ってかかってくるような気配を感じるよ!! 僕がユキちゃんに抱き着いたり、離れていた間の寂しさを埋める為に纏わり付いていないかを心配しているんだろうね。いやいや、僕は仮にも王様だよ? 他国に来てまでそんな事……。

「大丈夫ですよ、兄上。ユキちゃんとの時間は……、ディアーネスに邪魔されっぱなしですからね」

 はは……。十日程ぶりに再会した可愛い姪御との時間は、今日の朝食時だけで十分だろうとディアーネスに睨まれ、他国の問題事には巻き込まれるわ、神殿の視察には長時間付き合わされるわ、やっと夕方に解放されたかと思ったら、また呼び出し……。

「ほ~んと……、ユキちゃんとゆっくり過ごせるのはいつになる事やら」

 思わず空笑いが出ちゃうね。はは……。
 でもまぁ、そんな事は言っていられない状況でもある。
 ガデルフォーンにこれから何が起ころうとしているのか。
 それは、決してガデルフォーンだけの問題ではないと、僕は感じている。
 なにせ、ルイヴェルと騎士団長のルディーが数年前に遭遇し、死に至らしめた男の存在がこのガデルフォーンに在るかもしれないという話だからね……。
 死んだはずの存在が……、生きているかもしれないという可能性。
 ラスヴェリートで起こした騒動の事といい、良くない前兆を感じるしかない。

『それならば良いのだけどね。あまりユキに構いきりにならないように気をつけるんだよ? 良いかい? くれぐれも、節度を守って、ウォルヴァンシアの国王としての威厳を保つように」

「あはは、大丈夫ですよ。ここ、個性的な臣下達が多すぎですから。僕が羽目を外したって、誰一人気にしないでしょうね~。あ、でも、ディアーネスにはどつかれそうですけど」

『……』

 かる~く安心させるように言ってみたんだけど、うん、兄上の顔に怖い笑みが浮かび始めたよ。
 
「たとえそうであっても……、王としての最低限の振る舞いと威厳は保つんだよ?
 ……わかったかい?」

「……ハイ」

 凄いよねぇ、ウチの兄上は……。通信越しだっていうのに、迫力満点の有無を言わさぬ強制力を僕にぶつけてきたよっ。さすが、ユーディス兄上!!
 本当なら、僕じゃなくて、兄上がウォルヴァンシアの王になるはずだった事を思い出すと、少々残念にも感じるんだよね……。
 兄上が国王になっていれば、弟である僕はそれを日々楽しみながら補佐して……。

(あ、想像してみたら、物凄く幸せで楽しそうな日常が次々と……!!)

 国王である事に不満もわだかまりもないけれど、もしそんな想像通りの未来があったのなら、それはそれでとっても面白そうだ。
 だけど、それは無理な相談だから僕の胸に仕舞っておくけどね。
 一度放棄した王位を兄上に返すなんて提案した日には、ユーディス兄上の魔力で出来た鎖でぐるぐる巻きにされて、例のクシャミ連発の部屋に放り込まれちゃうよ。はは……。
 偉大な王を戴く幸運を逃した民達には悪いけれど、兄上に託された以上、僕は僕に出来る全てで頑張って行かないとね。

 ……と、そうだ。今の内にあの話をしておこうかな。

「ユーディス兄上、少々お願いをしても良いでしょうか?」

『何だい?』

「ウォルヴァンシア国内に、何か異変が起こっていないかどうかを調べてほしいんです。どんな小さな事でも構いません。ついでに、他国の情報にも目を光らせて頂けると、僕としてはとても有難いんですけどね」

『つまり、ウォルヴァンシア以外の国々……、エリュセード全域の情報を集めろという事かい?』

「はい。すぐに僕がそちらに戻れば良い話でもあるんですが、……ちょっとこの国に留まって様子見をしたい事があるもので」

『レイフィード陛下、……ガデルフォーンで何か?』

 僕達が滞在しているガデルフォーンで起きている異変については、まだセレスフィーナには説明していなかったから、僕は「ごめんね?」と一言苦笑混じりの謝罪を向け、現時点でわかっている情報を兄上達に共有し始めた。
 
『ふむ……、過去に死んだはずの男と、ガデルフォーン絡みの少女達、か。『場』についての干渉といい、ユキの事も含めて……、不安要素が多いな』

『ラスヴェリートの方からは、例の陣に関する新たな報告は上がってきてはおりませんが、念の為、あちらにも連絡を取った方が良いでしょうね』

「悪いけどよろしく頼むよ。またあの陣から変な物が現れたりしたら大変だからね」

 かつてラスヴェリートの地を揺るがした魔獣の存在。
 ガデルフォーンの『場』に干渉があるのだとしたら、同じことが起きるかもしれない。……まぁ、当時の魔獣は浄化され保護されているから、出てくるとしたら別物になるんだろうけどね。あちらにも注意を向けておくとして、今一番心配所なのは……、やはり、ガデルフォーンの魔獣の方、かな。
 古の時代に封じられた、恐ろしき強大な力を抱く魔獣。
 もしも、ラスヴェリートの時と同じように復活などされてしまったら……。

「バラバラのピースを目の前にばら撒かれているような心地ですよ、本当に」

 『場』への干渉、『核』を宿した魔物の襲撃、去り際に気配を一瞬だけ現した存在、そして……、ユキちゃんへの『呪い』と『傀儡』。
 
(本当に僅かな気配ではあったけれど、……ひとつは、ごく最近に感じた事があるもの)

 二度目に魔物達から襲撃を受けた際、あの時に感じた気配のひとつ。
 それが、『誰』の者であったのか、姿を見てみなければ確証を持てないけれど、恐らく……。
 
『禁呪事件の時に現れた黒幕……?』

「はい、カインがイリューヴェル皇家に伝わる術を行使した折に姿を現した、仮面と外套姿の存在です……。背格好的には子供のそれでしたけど」

『……その気配が、ガデルフォーンに在る、と?』

「その可能性がある、としか、今は言えませんが……」

『陛下……』

「てっきり報復にでも来るかと思っていたんですが、それらしい報告も、片鱗も、ありませんでした……」

 それなのに、エリュセードの裏側で……、再び不穏の足音を伴って現れた。
 確定ではないけれど、僕やルイヴェル、ガデルフォーンの者達が感じた気配の事を、僕の憶測で当てはめていくと……。
 大人の気配というのが、過去、ラスヴェリートに現れ死んだはずの男。
 ガデルフォーンに悲劇をもたらした金髪の少女。
 そして、ユキちゃんの前に現れた子供二人と、僕達が感じ取る事の出来た三人分の気配……。

『レイフィード?』

「あ、……はは、すみません。ちょっと気になる事がありまして」

 心配げに声をかけてくれたユーディス兄上に笑い返して、それから少しして、通信を終わらせた。

「ふぅ……」

 ルイヴェルの寝台の側を離れ、レイル君が座っている方に足を向けた僕は、揺り椅子の方に腰を下ろし、ひと息吐くように背を預けた。
 
「父上、大丈夫ですか? 顔色が……」

「はは、ごめんね~。ちょっと気になる事があってね」

「気になる事……、ですか?」

 まだ、定かではない事をレイル君達に話すわけにはいかない……。
 席を立ち、傍に来てくれたレイル君の頭を撫でた僕は、瞼を閉じた。
 禁呪事件の時に現れた外套姿の存在……。
 ウォルヴァンシアと皆の周りに平穏が戻り始めてから、『気付いた事』。
 あの黒幕の気配は……、禁呪の件よりも前、今から数十年前にも……、一度、僕は感じた事があったはずだ。
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