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第三章『不穏』~古より紡がれし負の片鱗~

診察と騎士の休息

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 ――Side 幸希

「これで良いだろう。あとは食事でもとって、ゆっくりしていろ」

「はぁ……、サンキュ。まだ朝食も食ってなかったし、そうさせて貰う」

 訓練で負った傷をルイヴェルさんから治療して貰ったカインさんが、右肩を軽く動かしてから立ち上がった。
 
「ユキ、お前はもう食ったのか?」

「あ、はい。レイフィード叔父さんやルイヴェルさん達と一緒に、先に食べてきました」

「ふぅん……。じゃ、付いて来るだけでも良いから、俺の朝飯に付き合えよ」

 傍に来たカインさんが、がしっと私の手首を掴み、外に連れて行こうとする。
 それを追って、レイル君も一緒に部屋を出ようと駆け寄って来たのだけど、後ろからかかった冷静な声音が、私達の歩みを止めた。

「カイン、ユキはここにおいて行け」

「あ? 何でだよ」

 カインさんが訝しげに振り返ると、椅子に腰掛けたままのルイヴェルさんが、眼鏡の中心に触れながら、首を傾げている私の瞳を捉えた。
 何だろう……、いつもの静かで理知的な気配を思わせる深緑の双眸が、少し……、怖い、ような。
 
「ユキの方は、診察がまだ残っている。時間がかかる部類のものだからな。その間にお前が食事を済ませてこい」

「……わーったよ。仕方ねぇな。レイル、朝飯ついでに城下で暫く時間を潰して来ようぜ」

「あ、あぁ。わかった。……ルイヴェル、ユキの事をよろしく頼む」

「あぁ」

 カインさんは少し不服そうにしたものの、納得の溜息と共にそう言って、レイル君と一緒に部屋を出て行ってしまった……。あとに残されたのは、私とルイヴェルさんの二人だけ。
 
「……」

 暫しの静寂に包まれた部屋の中、私の背中にたらりと冷たい汗が伝っていく気がした。カインさんとレイル君がいなくなった事で、室内を支配している空気が非常に気まずくなったというか、獰猛な獣の巣に放り込まれて退路を断たれたような感覚というか……。

(こ、怖い……っ)

 正面から何も言わずに私を射抜いてくるルイヴェルさんの視線が、本当に怖いっ。
 これは間違いなく怒っていると考えて良いだろう。理由は……、何となくわかっているけれど。

(やっぱり、昨夜の単独行動の事……、だよね?)

 カインさんとレイル君に何も告げず、一人で気分転換を兼ねて深夜の皇宮内を歩き回った事。休息所の中で、ラナレディアの町で出会った女の子と、もう一人……。
 見知らぬ不思議な男の子と時を過ごした事……。
 必要な情報かもしれないと思って、城下の食堂でそれを話した時に、ギリギリと握り締められた手の感触……。あそこで終わったと思っていたのだけど、実はまだ何も終わっていなかった、と。
 私は足を一歩後ろに引かせ、どうにかこの部屋から、……ルイヴェルさんの前から逃げ出せないかと頭をフル回転させる。このままここにいたら、一体どんなお説教をされるやら!!

「ルイヴェルさん、あの……」

「ユキ、こっちに来い」

「い、いや、あのっ、で、出来れば、……ほ、他の皆さんがいる時に、して貰えれば……、とっ」

 近付いたら何をされるかわからない!! お説教は決定だとしても、多分、ううん、絶対にそれだけじゃ終わらない事は簡単に想像が付く。
 幸い、ルイヴェルさんとは距離が離れている。今すぐに全速力で部屋を飛び出せば、奇跡的な確率で逃げ切る事が出来るかもしれない。
 人間、希望を捨てたら終わりだもの。諦めずに挑戦し続ける事が新しい道を切り拓く為の絶対的な条件。よし、―― 一か八か、逃げよう!!

「す、すみません、ルイヴェルさん!! お、お説教は、ま、また後で……!!」

 私は精一杯の笑顔を浮かべて、ルイヴェルさんが席を立つ前に扉を大きく開け放ち、廊下へと飛び出した。あぁ、眩しい陽の光が降り注ぐ道が、希望を捨てるなと応援してくれているかのよう。
 
「ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい、ルイヴェルさん!!」
 
 と、逃走劇を始めた直後、

 ――もふ~ん!!

「きゃあ!!」

 急に目の前に現れた大きな存在。ぼふんと温かな感触に倒れ込んでしまった私は、そのもふもふとした何かを掴んで顔を起こすと、……わ、わんちゃん?
 銀色の毛並みを纏った優美な体躯……。
 一瞬アレクさんかと思ったけれど、その狼さんの瞳が抱く知の気配を漂わせる深緑の双眸を見た私は、彼ではない事を悟った。
 ……私を静かにじっと見つめてくるこの眼差しは、……さっきまで対面していたものと同じ。それに、この狼さん……、前にどこかで。

 ――もふもふもふもふもふ……。

 とりあえず、自分の中の混乱を鎮める為に、目の前の狼さんの毛並みを堪能してみる。柔らかくて温かい、気持ちの良い手触り……。
 アレクさんの毛並みも素敵な感触だけど、この狼さんの感触もとても気持ちが良い。――じゃなくて!!

「あ……、あのっ、お……、お名前はっ」

 撫でまわしていた手を下ろし、見知らぬ狼さんに問いかけると、はぁ……、と、呆れ混じりの息を吐き出す音が聞こえた。その口から。
 そして、大きな前足を私の頬にむにゅりと押し付けると、グリグリと頬の肉を揉み始める、深緑の瞳をした狼さん。

『説教をされるという自覚があった事は良いが、何を敵前逃亡よろしく逃げ出しているんだ、お前は……。そういう事をすると、後が辛くなるだけだという予想はつかないのか?』

「す、すみませんっ……ううっ」

 見知らぬ狼さん改め、初めて見るルイヴェルさんの狼さんの姿。
 私はそれを前にしながら、お説教と共にさらにグリグリと頬を温かな肉球で押さえつけられる。い、いひゃいっ。だ、だけど、この肉球もなかなかっ。
 見た目はもふもふの可愛い狼さんなのに、中身はこんなにもSなんて詐欺だとしか思えないっ。

「ルイヴェルさん、本当にごめんなさいっ。謝りますから、肉球攻撃はやめてください!!」

 謝罪と抗議の声を上げると、ルイヴェルさんが前足を地面に下ろした。
 そのふさふさの大きな尻尾で一度私の腕を撫でると、元いたカインさんの部屋の方ではなく、ルイヴェルさんの自室の方へと来るようにと促されてしまう。
 勿論、……もう逃げる道など、残されていなかった。がくっ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 一時間近く、ルイヴェルさんのお部屋の絨毯に正座させられた私はお説教タイムを味わわされていた。
 決して声を荒げられる事はなかったけれど……、淡々と、じわじわと相手を壁際に追い詰めていくかのような声音と言葉の内容。精神は極限まで疲弊させられた。
 でも、ただお説教するわけじゃなくて、私を咎める眼差しの奥に感じた、ルイヴェルさんの心配そうな気配。
 自分がどれだけルイヴェルさんや皆さんに心配をかけたのかを、改めて反省する事になり、どんどん丸く小さくなっていく私。

「本当に……、すみませんでした」

「お前は決して馬鹿ではない。だが……、まさか、あの襲撃の後に一人で皇宮内をうろつくとは、流石に俺も頭痛を覚えたがな?」

 ルイヴェルさんの言う通り……。
 普通の女の子だったら、部屋に閉じこもって外に出るのも怖がりそうなもの。
 だけど、……昨夜の私は、何の考えも抱かずに、ただ気分転換をしてこようという考えだけで部屋を出てしまった、の、だと思う。
 危機感のない不用意なその行動は……、今思い直してみても、迂闊で注意力や警戒力が足りなさすぎる……、と、そう思わざるをえないものだった。
 自分では、皆さんに心配をかけないようにと考えていたはずなのに、どうして、私は何も考えずに外に出てしまったのだろう。
 一度は自分に問いかけた疑問だけど、ラナレディアの町で瘴気の影響を受け倒れたり。皇宮に帰還したら、今度はルイヴェルさんと、同じフェリデロード家のセルフェディークさんの騒ぎが起きたり。
 さらには魔物に襲撃されたりと、……次から次へと起こった騒動のせいで精神的にも身体的にも疲労が溜まっていて、それで……、うっかりしていたのかと思っていた。今でも、そう思う気持ちは変わらないけれど、少しだけ、心の中に違和感が残っている気がする。

(でも、やっぱり私の不注意が招いた事には違いないし……)

「ルイヴェルさん、本当にすみませんでした。私も、昨日は色々ありすぎて、気を付けるという事をきちんと出来ていなかったみたいで……。次からは、皆さんにご迷惑をおかけしないように気を付けます」

 顔を下に向け、項垂れながらもう一度謝罪を口にすると、私が自分自身に感じているほんの少しの違和感を察したかのように、ルイヴェルさんが私の顔を上げさせた。

「ユキ、お前……、何か気になる事があるんじゃないのか?」

「え?」

「自分の行動を反省している事は十分に伝わってくるが、他にも何か、納得出来ないような感情がある、という声色だったぞ」

「……いえ、それは、えっと」

 話しても良いのだろうか。でも、何だか言い訳をするみたいで恥ずかしいというか……。もじもじとルイヴェルさんから視線を逸らしていると、両頬をがしっと手のひらで挟まれて、ルイヴェルさんの顔の前にしっかりと固定されてしまう。
 ……こ、怖い。目が、笑ってないです、ルイヴェルさん!!

「気になる事があるなら、全て余さず俺に話せ」

「で、でも、……あの、私の気のせいかもしれませんし」

「ユキ、それは俺がお前から話を聞いてから判断する。それに、ラナレディアの町での一件と、昨夜の二度に渡る魔物騒動と、……二人組の子供の件もあるからな。どんな些細な情報でも、捨て置けん」

「は、はい……。わかりました」

 私は昨夜の事を振り返りながら、ルイヴェルさんに促されるまま、頭の中をもう一度整理し直すように、自分が単独行動をしてしまった時の事を話した。
 カインさんやレイル君に付いて来て貰う事を考えずに部屋を出てしまった自分。
 後になって生じた自分への違和感……。それは、決して強い感覚ではなく、極僅かな……、ズレ、のようなもので。

「……」

「あの……、ルイヴェル、さん?」

 私の話を黙って聞き終えたルイヴェルさんが、立ち上がり寝台の方に腰かけた。
 深緑の双眸の奥に眠る知の気配を強めて、自分の顎に緩く握り込んだ右手を添え思案に耽り始めてしまう。足を組み、何か独り言を呟いているようなのだけど……、私はどうしたらいいのかな?
 正座をしたままルイヴェルさんをじっと観察していると、静寂はすぐに打ち破られた。

「ユキ、お前の診察をすぐに始める。こっちに来い」

「え、あ、はいっ」

 寝台の方に寝そべるように顎で示され、私は戸惑いながらも言う通りにそこへと向かった。ごろんと仰向けに身体を寝台に預けると、ルイヴェルさんがその横で私の身体の中央に向かって手を翳し、術の詠唱を始める。
 淡い銀緑の光が……、私の身体を包み込んでいく。
 これは、ルイヴェルさんがいつも診察の時に用いている術で、特に痛みも違和感もなく、僅かな時間で、私の体内と封印に異常がないかを調べてくれるものだ。
 けれど……、光に包まれていた私は、途中から、いつもとは何かが違ってきた事に気付いた。

「る、ルイヴェルさん、何か……、変な感じが」

 ピリリと、私の身体が痺れを抱き始め、胸の奥が嫌なざわめきと共に強烈な吐き気が混み上げてくる。な、何っ、これ……!?

「うぅっ……、はぁ、……ぐっ」

 大きな不安が滲む視線をルイヴェルさんに向けると、その手が私の額を撫で「少しだけ我慢していろ」と、動揺の見えない冷静な声音で宥めてくる。
 ルイヴェルさんが何も慌てていないって事は、きっと……、大丈夫、のはず。

「やはりか……。食堂で話を聞いた時から、一度調べが必要だとは思っていたが、危惧した通りだったな」

「んっ……、うぅっ」

 強まる吐き気と、身体中に走る不快感。
 私は今にも四肢を暴れ出したい衝動に支配されているけれど、ルイヴェルさんの術の光と、その手から送り込まれているかのような温かな気配が、どうにか私の中で暴れている衝動を抑え込んでいる。

「辛いだろうが、もう少し辛抱していろ。……」

 追加で唱えられた詠唱が、新たな光を生み出したかと思うと同時に、私の胸の頭上にとんでもない物が出現した。鋭利で威力のありそうな……、巨大な、光のや、槍!? ちょっ、ちょっと待って!! その槍で、今からなにをしようというんですか、ルイヴェルさん!?

「あ、あのっ、こ、これはっ」

「安心しろ……、少し、痛みを感じる程度だ」

 待って、待って待って!! 少しってどのくらいなの!?
 物凄く大きな槍ですけども!! これ、私の胸に突き刺す予定なんですか!?
 痛いって事は、突き刺す時の感触とかもある物質的なものだったりするんですか!? ガクガクと震えながら首を振り、ルイヴェルさんに助けを求めるけれど、私を見つめる深緑の双眸が救いの光を宿す事はなかった。
 やる気だ!! 本気で私にこんな巨大な槍を!! ルイヴェルさんの鬼ぃいいい!!
 
「ルイヴェルさん、そんなに私の事が嫌いなんですか!? 意地悪でドSで腹黒い大魔王な人だって、確かにいつも失礼な事を思ってはいましたけど、こんな酷い仕打ちはいくらなんでも!!」

「……ほぉ」

 もう大混乱に陥っている私は、自分が何を言っているかも理解出来ずに、大声を上げて助けを求めた。私の事が嫌いなら、それでもいいから、せめてこんな血の惨劇が起きそうな仕打ちだけは許してほしい、と!!
 しかし、ルイヴェルさんは、私が混乱の中騒ぎながらぶつけた言葉の中に、機嫌を損ねるものでもあった様子で、ピシリとその気配を不穏なものへと変えてしまった。
 口許は僅かに笑みを刻んでいるのに、その目だけは笑っていない。
 大魔王様のような冷酷極まりない笑みが深まっていく。

「お前は、素直すぎて地雷を踏むタイプだな。――これで少しは反省しろ」

「えっ、えっ、ちょっ、ルイヴェルさん!!」

 ルイヴェルさんが寝台から少し距離をおき、指をパチンと鳴らした。
 私の胸の上に留まっていた光の槍が、カッと閃光のような眩しい光を放ち、ドリルのような回転を見せながら私の胸へと突き刺さる!!

「きゃあああああああ!!」

 と……、危機的状況満載の叫びをあげてみた私。だけど、――あれ?
 確かに、光の槍は猛烈な横回転を見せながら私の胸にドス!! と刺さったはずなのに。……痛みが、少しピリッとするだけで、想像していたような惨劇的痛みも衝撃も訪れはしなかった。
 それどころか、体内へと消えていくかのように光の槍は身体を貫通するのではなく、胸の中へと溶け消えていったのだ……。
 同時に、身体を苛んでいた具合の悪さと吐き気が弱まり、小さな痛みだけが私の中で静かに存在を主張し始める。
 ちらり……。私に怖い事を言って状況を静観していたルイヴェルさんに恨みがましい視線を向ける。

「ルイヴェルさんの……、嘘つき」

「何も嘘は吐いていないだろう? 少し痛い、と、さっき予告しておいたしな。……ついでに、俺の事をお前がどういう風に思っているかは十分過ぎるほどにわかった。その礼として、場を煽ってはやったがな? 治療の演出というやつだ」

「治療に演出なんかいりません!! ひ、酷いじゃないですか!! あ、あんな怖い効果まで付けて、わ、私、本当に……、ううっ」

 本当に怖かった……!!
 あの大きな光の槍に貫かれて人生を強制終了させられるのかと、本気で思ったのに!! 私は恐怖の余韻と悔しさを纏った震えを感じながら、ポロポロと情けなく泣き始めた。
 ルイヴェルさんの馬鹿……、馬鹿……、馬鹿!! 大馬鹿!! 
 大人の男性が、私みたいな小娘を相手に、あんなにも意地悪で性質(たち)の悪い真似をするなんて……!!

「ルイヴェルさんなんか……」

 家族にも他人に対しても、滅多にこんな言葉は向けないけれど……、もう抑えきれない。私はカインさんと皇宮で喧嘩をした時以上の怒りを覚えていた。

「ルイヴェルさんなんか……!!」

 ――ガチャ。

「ルイちゃーん、いるかーい?」

「大嫌いです!!!!!!!!」

 ノックもなく開いた扉の向こうから、ひょいっと入って来たサージェスさんが、私の大きな声に吃驚して一歩下がる姿が見えた。……ば、バッドタイミング。
 自分が発してしまった大声の後、私は我に返った瞬間、青ざめた。
 まずい……。一時的な感情の爆発で、勢い余って……。

「もしかして、修羅場中?」

「ち、違います!! えっと、あの、ルイヴェルさん、今のはですね……っ」

 悪いのは、大人げない真似で私を必要以上に怖がらせたルイヴェルさんだけど、ぶつけた言葉は間違いなく人を傷付ける類の言葉……。
 それが、ルイヴェルさんにとって、どれほどの威力があったかはわからないけれど……。まだ言葉は一言も発される事はなく、ただ……、無感情な気配に染まった深緑の双眸だけが私を見ている。こ、怖い……!!
 あの、その目は、怒ってるんですか? それとも、何とも思ってない、……の、かな。そういえば、前にも一度、「嫌いになりますからね」と、ルイヴェルさんを睨んだ事があるけれど、あの時に見た反応ともどこか違うというか……。

「ルイちゃーん、何があったかはなんとなーく察しがつくけど、あんまりユキちゃんをいじりすぎると、いつか本当に嫌われちゃうよ?」

「……」

 ふぅ、と、小さな溜息と共にその肩を叩いたサージェスさんが、全く反応のないルイヴェルさんにまたひとつ首を傾げる。……どうしたんだろう。
 ひらひらと顔の前で手を振って意識の確認をサージェスさんが行って数秒、笑いを噛み殺すように身体をぷるぷると震わせ、私を振り返った。

「ユキちゃん、……ちょっと悪いんだけど、先に自分の部屋に戻っててくれるかな?」

「え……、あ、はい」

 今にも噴き出しそうなのを必死に堪えているのがわかるサージェスさんにそう促された私は、寝台を下りて大人しく自分の部屋へと戻る事になった。
 まだ外は明るいけれど、一応昨夜の事もあるからと、ルイヴェルさんの隣の部屋にある私の部屋まで一旦サージェスさんが送り届けてくれた後。
 術による結界が張られ、指示があるまで待機しておくようにと言い含められた。
 その後、ルイヴェルさんの部屋へとサージェスさんは戻ったはずなのだけど……。
 不思議な事に、隣の部屋で何が起こっているのか、ルイヴェルさんはどうなったのかと、壁に向かって聞き耳を立てた私は、……何の音も拾う事が出来なかった。
 多分、術による防音的な効果が発揮されていたのだろう。
 大人同士の何か重要なお話でもあったのか……。
 結局、それから五分ほど耳を澄ませていたけれど、何も聞き取る事は出来なかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「あの、ルイヴェルさん、サージェスさん、どうして……アレクさんの部屋に?」

 部屋で待機するように言われて三十分後。
 私は、何故かアレクさんが休んでいるという客室の前に立っていた。
 ニコニコと笑っているサージェスさんと、ここまで私を連れてくる間中、必要最低限でしか喋ってくれなかったルイヴェルさんが、腕を組んで視線で促すように扉の方を示した。……アレクさんの部屋に入れ、と。そう命令してますね?
 
「ごめんね、ユキちゃん、これから俺とルイちゃんは陛下達の所に行かないとだから。暫くの間、アレク君のところで待っててほしいんだよ。何かあったらすぐに対処してくれるだろうし、ついでに結界も張っておくから、何も心配しなくていいからね」

 ……そう爽やかに言われましても。
 カインさんの傷の治療を始める前、ルイヴェルさんからアレクさんは疲れが溜まっているから少し休ませるとは聞いていたけれど。
 まだあれから二時間ほどしか経っていない。そんな中途半端な時間にお邪魔するというのは……、う~ん。

「え?」

 扉の前でお二人に困惑した視線を向けていると、おもむろにルイヴェルさんの右手が私の腕を掴み、目の前の扉を開け放った。
 カーテンを閉めているからか、薄暗い室内へと……、私をポイっ!!

「きゃあっ、な、何するんですかっ!!」

 振り返った私の抗議の声を遮り、乱暴に閉められた扉。
 直後に響く無情の施錠音。確かこの皇宮内は、内側から鍵を掛けられる仕様なのだけど、外部から開ける為には専用の鍵が必要のはず……。

『ユキちゃん、じゃあ、また後でねー』

『大人しくアレクの面倒を見ていろ』

 どうやって鍵を掛けたんですか? とか、結局私に仕掛けた笑えない冗談(光の槍ドリル回転)の事についての謝罪は? とか。
 何で私の部屋じゃなくて、アレクさんの部屋に閉じ込めるんですかとか。
 色々聞きたい事は盛りだくさんだったのだけど、ルイヴェルさんのどこか冷たい気配さえ感じる声音に命じられ、結局……、何も聞けずに、この部屋の中に閉じ込められてしまった。扉の向こうに感じる、遠くなっていく二人分の足音……。

「……はぁ、ルイヴェルさんも、サージェスさんも、強引なんだから」

 まぁ、アレクさんの傍なら何が起こっても安心だろうけれど、私がここにいる事で、アレクさんの休息を妨げてしまわないかが……、少しだけ心配だったりする。
 元々、今回のガデルフォーンへの遊学に最初から同行出来なかった理由が、ウォルヴァンシア騎士団の多忙なシーズンに当たり、その関係で国を離れる事が出来ない、というもので……。
 本来なら、ここには来れないはずだったのに、アレクさんは私の為に追いかけて来てくれた。アレクさん自身は、騎士団長のルディーさんがお仕事の調整をしてくれたお蔭で、私の許に来れたと昨夜話してくれたのだけど。
 こちらに到着した途端に、あの魔物達の襲撃事件の真っ只中に身を飛び込ませる事になってしまい、昨夜だってろくに眠る事も出来ていなかったはず……。
 だから、私に今出来るのは、アレクさんの休息を邪魔しないように、静かに隅の方でじっとしている事だと思う。

「……」

 どこに身を置いていればいいのだろうかと視線を巡らせた後、私はちょっとだけアレクさんの状態を確認してみる事にした。寝台に足音を立てないように近寄り、そっと中を覗き込む……。
 と、同時に、バッと視線を横に退避させた。あ、アレクさん……、白いシャツの前が……、は、はだけてますよ~っ。
視界の端に映る、アレクさんの綺麗な銀の髪。シーツの上で銀糸が流れるように揺蕩っている。

「……ん」

 寝台の中で眠るアレクさん。
 サイドテーブルに設置された球体の薄明るいオレンジの光に照らされながら、眉を顰め、少しだけ身動ぎし始めた。
 お、起こしてしまったのだろうか……。シャツの隙間から見える肌は極力見ないようにして、私はそっと手を伸ばした。
 上掛けの用の毛布をアレクさんの肩まで引き上げると、その顔を観察してみる。

(アレクさん……、苦しそう)

 一体どんな夢を見ているのかわからないけれど、きつそうに寄せられている眉根や、時折漏れる魘されているような声を聞く限り、決して安眠を得ているようには見えない。……一度起こした方が良いかな。
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