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第三章『遊学』~魔竜の集う国・ガデルフォーン~
皇宮への帰還とひと騒動
しおりを挟む――Side 幸希
「る、ルイヴェルさん!! 自分で歩けますから、下ろしてくださいっ!!」
「大人しくしていろ。サージェスが瘴気の浄化を終わらせているとはいえ、まだ本調子じゃないんだ。部屋に戻ったら、また寝台で休め」
ラナレディアの町から転移の術で帰還したその日の夜、私達はぞろぞろと皆で連れだって皇宮の回廊を進んでいた。先頭に私を横抱きにして進むルイヴェルさんのすぐ後ろにサージェスさん。そして、その後ろにクラウディオさんとユリウスさんが続いている。
「か、過保護ですよ!! 歩けますって!!」
「当然の対応だ。俺はお前の保護者兼主治医だからな。それと、このまま駄々を捏ねると言うのなら、俺なりの方法で大人しくさせてやるが? どうする?」
あぁっ、大魔王様がっ、大魔王様が降臨しかかっているぅうううううう!!
「お、大人しく……、して、ますっ」
早々に降参した私は、その背後でクスクスと笑っているサージェスさんにお茶目なウインクを貰った。とほほ。
「はぁ……」
ラナレディアの町で起こった出来事。
金髪の可愛らしい女の子と、その保護者のような不精髭を生やした男性。
二人と別れた後、私はすぐに倒れてしまった。……瘴気の影響によって。
黒に塗り潰された視界、消えていく自分という存在……。
次に目が覚めた時、私はラナレディアの町にある宿屋にいた。
禁呪事件の時にも遭遇した、『瘴気』と呼ばれる存在……。
それが、私が倒れてしまった原因なのだと、そう説明を受けた。
自分が、いつ、どこで、そんな危険な存在に遭遇してしまったのか……。
二度目に目が覚めた時、サージェスさんを待っている間に起きた出来事を、私は皆に話して聞かせた。
金髪の女の子、不精髭の男性、私が待っている間に関わったのは、この二人しかいない。『瘴気』と彼女達が関係あるとは、到底思えなかったのだけど……。
でも……、話を聞き終えたルイヴェルさんとサージェスさんの表情は、重大事を聞いてしまったかのように険しかった。
同時に、ルイヴェルさんが小さく呟いた「まさか……」という一言。
それが何を意味するのか、私が『瘴気』の影響をどこで受けたのか……。
私の問いかけに、二人が答えてくれる事はなかった。
「ユキ!」
その時、回廊の向こうから心配そうな顔をしたレイル君の姿が見えた。
長く美しい水銀髪を靡かせながら、私達の方へと駆け寄ってくる。
「なかなか帰って来なかったから、心配したんだ。……なんで、ルイヴェルが一緒なんだ? クラウディオ殿やユリウス殿まで……」
「あー、それは後で説明してあげるから、とりあえずユキちゃんの部屋に一緒に行こうね」
ここで説明するには、場所も悪いからと笑ったサージェスさんが、レイル君の隣に進み出て私達を先導するように歩き出した。
私の顔とサージェスさんの笑みを交互に一度見比べたレイル君だったけれど、何か事情があると察したらしく、小さく頷く。
「レイル、カインはどうした? 姿が見えないようだが」
「あぁ、カイン皇子なら、ラシュディース殿とディークと一緒にいる。ユキの帰りが遅いから、探しに出ようとしていたところなんだ」
「……待て。今、『ディーク』と言ったか?」
足を止めたルイヴェルさんが、『ディーク』という名前に深緑の双眸を細めた。
その瞬間……。
「――っ!!」
突然、私の頭上を物凄い速度で通過した『何か』。
形さえ確認出来なかった存在が、その先にある壁に抉り刺さった音が聞こえた。
な……何、今の……。私は身体を震わせながら、恐る恐る背後を見遣る。
こ、氷の刃みたいな鋭い物が……、何本も壁に突き刺さっている……!!
一体何が起こったのか、何故こんな物が飛んで来たのか……。
「ユキ、一度下ろすぞ」
「え? きゃっ」
ルイヴェルさんが私を地面に下ろしたと同時に、サージェスさんの方へと私の背を押した。そして、庭へと飛び出して行く。レイル君が一言、「またか……」と額に手を当てているのが見える。
クラウディオさんとユリウスさんは状況がわからず訝しんでいる様子だけれど、サージェスさんは「相変わらず仲良いねー」と、のほほん笑顔仕様だ。
「あの、一体どういう事なんで……きゃああ!!」
突如、視界を遮るような突風が回廊と、その先にある庭に吹き荒れた。
こんな風、どこから……!!
右腕で目を庇って突風の衝撃に耐えていると、ふいに風の感触が掻き消えた。
「結界を張りましたから大丈夫ですよ」
優しい声に振り向けば、ユリウスさんがにっこりと微笑んでいる姿が目に映った。
突き出している右手から紡がれる魔力の光が、私達のいる回廊と庭を隔てるように透明な壁を作っている。
突風が透明な壁である結界に叩き付けるように音だけを伝えてくるけれど、私達までは届かない。
「ユキ、突然で吃驚しただろう? ディークにとっては、久しぶりに会った従弟への挨拶みたいなものなんだが、今回は少々やりすぎだな……」
庭の方では、凄い速度で互いに攻撃系の術をぶつけ合っている二人の姿がある。
一人は、冷静な表情を崩さずに相手から繰り出される術に対応しているルイヴェルさん。もう一人は、黒銀の長い髪を纏う挑戦的な笑みを浮かべた二十代半ばほどに見える男性。白衣を着ているから、ルイヴェルさんと同じお医者様か、研究者系の人なのかもしれない。
「はぁ……、いきなり何やってんだよ、ディークの奴」
「久しぶりの再会で嬉しいんだろう。飽きるまでやらせておけばいいさ」
私が吃驚顔をしていると、庭を挟んだ向こう側の回廊からカインさんとラシュディースさんがやって来て、クラウディオさん達の横に並んだ。
カインさん……。そういえば、まだ仲直りをしていなかった事を思い出した。
朝の時と違って、怒った様子や荒れている気配はないようだけど……。
「そうは言っても、ここ、皇宮だぞ。少しは場所を選んで……ん?」
「あ……」
視線を庭から外したカインさんが、ふと、私に気付いたようにこちらを見た。
そして、何故か……、私の頭から足先までを真紅の瞳が何度か往復し、その頬が薄桃色に染まった。
どうしたんだろうと首を傾げていると、カインさんが足早に私の傍まで歩み寄ってくる。目の前に立たれた私は、目を何度か瞬いて「カインさん……?」と、その名を呼ぶ。
「ユキ、お前……、その服、どうした?」
「え? えっと……」
服……。自分の姿を改めて見下ろした私は気付いた。
私が今着ているのは……、サージェスさんに買って貰った少女趣味全開のフリル服である事を!! 今まで完全に自分が着ている物が何なのかを忘れきっていた!!
この姿を……、カインさんにまで見られてしまうなんて……!!
思わずこの場から逃げ出そうとすると、カインさんの右手がどこにも行かせないように手首を掴んだ。
「か、カインさん、離してください!! 私、部屋に戻って着替えてきますから!!」
「えー。もう脱いじゃうのー? ユキちゃん、せっかく俺がプレゼントしたんだから、もう少し着ててくれてもいいんじゃない?」
「で、でもっ」
くるっと身体を反転させられた私は、カインさんの視線にじっくりと観察されてしまう。こ、こんなにすぐ近くで見つめられると……、恥ずかし過ぎて居た堪れなくなるのだけどっ。頬に集まる熱を感じながら、何も言わないカインさんの視線に耐え続ける。
「サージェス……」
「何かなー?」
カインさんが頬を染めたまま、神妙な顔つきでサージェスさんの名を呼び、そちらに向き直った。
右手の親指を立て、「ぐっじょぶ!」のポーズで、「ナイスコーディネート」と力強く賛辞の言葉を述べている。
その仕草に、サージェスさんも同じく片目を瞑って、ぐっじょぶ! ポーズで力強く首を縦に振った。
「でしょでしょー。ユキちゃん小柄で可愛いしね。他にもいろいろ買ってきたんだよー。皇子君、見るかい?」
「おー、見る見る」
「あ、あの……」
カインさん……、貴方、私と喧嘩中でしたよね?
何でそんなに嬉々としてサージェスさんの手招きに応じてるんですかっ。
行き場のない手を震わせていると、私の傍に来たレイル君が苦笑を漏らした。
「カイン皇子は、ユキが戻ったらすぐに謝りに行くと言っていたんだ。だけど、ユキの今の姿を見たら……、仕方がないのかもしれないな」
「私としては、この姿でいるのは……、かなり気恥ずかしいんだけど」
「出来ればもう少しそのままでいてほしい。俺もカイン皇子と同じように、その姿はよくユキに似合っていると思うから」
「れ、レイル君……」
王子様スマイルと共に、レイル君が少しだけ頬を染めて褒めてくれた言葉に、頬の熱が再び戻ってくる。
褒めてくれるのは嬉しいのだけど、自分的には少女趣味すぎて若干抵抗が……。
複雑な思いでいると、レイル君までカインさん達の仲間に入り、次にどの洋服を私に着せるかで盛り上がってしまっている。
あの……、出来れば、クローゼットの中に仕舞わせて頂きたいんですが……っ。
「全く、暢気な奴らだな」
「良いじゃありませんか。仲良しは良い事ですよ」
クラウディオさんは呆れた様子で、ユリウスさんはどこまでも穏やかな様子でサージェスさん達を眺めている。
今は洋服談義に意識を向けるよりも、庭の方で戦っている二人を止めるべきな気がするんですが……っ!!
いまだ止まぬ突風と激化していく戦闘の光景に、回廊側との物凄いギャップを覚えてしまう。
自分はどうすべきかと思案した私は、結界のすぐ目の前まで足を進めてみた。
もうそろそろ、止めてもいいんじゃないかなぁ……。
一体いつになったら戦闘に飽きてくれるのか、疲れを含んだ溜息が零れてしまう。
サージェスさんなら止めてくれるかな、と視線を向けてみるけれど、駄目だ……、洋服談義がますます盛り上がってしまっている。
そして、何故かいつの間にか仲間に混ざり込んでいる王宮魔術師のお二人……。
皆さん……、そんなに女性の服にご興味が? 聞こえてくる会話内容が、間違いなく私を着せ替え人形にする気満々なのだけど……。
「はぁ……」
普段着にするには高級そうな服が多くてちょっと困り物なのだけど、せっかく選んでくれているのだから、邪魔しない方がいいのかなぁ。
「ユキ姫、大丈夫か?」
「あ、ラシュディースさん……。はい、ちょっと状況についていけてませんけど」
てっきり、ラシュディースさんも皆の輪の中に入っていくタイプに見えたけれど、サージェスさん達の方を微笑ましく見ただけで、ラシュディースさんはそちらに行こうとはしなかった。
「ユキ姫は、皆に好かれているからな。どうしても構いたくなって仕方がないんだろう。色々と煩わしいかもしれないが、少しだけ許してやってくれ」
「このテイストの服装は恥ずかしいですけど、皆さんのお気持ちは嬉しいんです。だけど……、どうしても、思ってしまうんですよね」
「何をだ?」
「『甘やかされてるお姫様』……って。私、ガデルフォーンには学ぶ為に来たんです。まぁ、……最初は不純な動機からでしたけど。でも……、皆に守られているだけの存在から、少しでも、皆を支えられる存在になりたいな、と、そう思ってて。だけど、……今の自分を見ていると、術の勉強を始めてはいても、結局、何も変わってないなって……」
「変わろうと思うその気持ちが、踏み出している一歩だとは思うがな」
「ありがとうございます。でも……、やっぱり私は、恵まれ過ぎているんだと思うんです。カインさんやレイル君、ルイヴェルさんに一緒に付いて来て貰って、サージェスさんや皆さんにも良くして頂いて……、本当に、甘えてばかりです」
ウォルヴァンシアの王宮にいた時と、どこが違うだろうか……。
皆に助けられて、こうやって服や優しさを与えられ続けて……。
自分はこのまま、甘やかされたお姫様のままで生きていくのだろうかと……、
正直なところ、自分に苛立ちさえ覚えているのが本音だ。
術を覚える事、他国の事を学ぶ事、それも大事だけれど……、私は、もっと精神的にも前に進まないといけないのだと思う。
いつもすぐ傍に優しい救いの手があると、そう思って生きてはいけない。
「ユキ姫、人は、急に変わろうと思っても上手く行かないものだ。気持ちばかりが先行しても、大抵は実を結ばずに終わってしまう。行動する事は尊いが、急ぎ過ぎてもいけない。大事なのは、急に変わる事ではなく、今自分が立っている足場を、正しく認識出来ているかどうかだ」
「足場……ですか?」
「自分という存在を、正しく見極める目だな。ユキ姫は、自分を甘やかされた存在だと認識している。つまり、自分と、周囲の様子を正しく観察出来ているわけだ。それを自覚する事で、精神的に成長する為の試行錯誤が始まり、ユキ姫にとって新たな道が生まれ始める。人によっては、この地点に辿り着く事さえ難しい者も多くいる」
「ラシュディースさん……」
「自分を守ってくれる存在を、今度は支えていきたい……。そう思う事はとても尊い。だがな、皆が与える優しさに、愛情に、負い目を感じなくてもいいんだ。ユキ姫の抱く人柄が愛されているからこそ、皆も手を差し伸べたいと思うのだから……。それに報いたいと思うなら、ひとつひとつ、出来る事をこなしていけばいい。長い時がかかるかもしれないが、それもまた、大事な過程だ。だからどうか、焦らずにやってほしいと、俺は思うんだがな」
「でも、ディアーネスさんは……、私を変える為に遊学に誘って下さったわけですし」
だとしたら、何かしらの成果をこの一ヶ月で得なくては申し訳がない気がする。
ウォルヴァンシアを離れ、他国で学ぶ絶好の機会。
何も成長出来ずに帰るわけにはいかない……。
そんな思いでラシュディースさんを不安げに見上げると、頭の上に大きな手のひらが乗った。優しい手つきで私を撫でる温かなぬくもり……。
「ディアの真意は、ユキ姫の急激な変化を望んでのものではないと俺は思う。自分の立場に関する自覚を促し、外の世界にも目を向けられるように、そのきっかけとして、ガデルフォーンへの遊学を提案したんじゃないだろうか。他国で学べば、環境や学べることも変わる。ユキ姫にとって、歩むべき道の選択肢が広がるように、とな」
ラシュディースさんの言葉を口の中で小さく繰り返して、その意味を心に溶かし込んでいく……。確かに、ガデルフォーンに来てからの日々を思い返すと、ディアーネスさんが私に与えた事は、朝の授業の時間と、昼からの術訓練だけ。
特に勉強を急がせるような事はせず、空いた時間は好きにするようにと言っていた。それに……確か。
『この国を己の目で見てまわるが良い。ガデルフォーンという国で、あるがままに学ぶが良い』
淡々とそう告げたディアーネスさんの姿を思い出した。
あるがまま……に、か。
気負わず、自分に学べる事をしっかりと吸収していく事。
他国に訪れた事で、国の歴史や在り方、そこで暮らす人々の姿を目に映す事。
この国で暮らす生活そのものが……、私にとっての勉強なんだ。
「ユキ姫、あるがままに、この国で伸び伸びと生活してくれ。それが、ディアの願いでもあり、ユキ姫の成長にも繋がっていく」
「……はい。なんだか、肩の力が抜けた気がします」
「それなら良かった。あぁ、そうだ。これは甘やかしている立場の者達の代弁としての意見のひとつだが」
「はい?」
「そんなに早く巣立とうとはしないでくれ。急に遠くなってしまわれると、甘やかす側は、意外に寂しいものなんだ」
まだ洋服談義を続けている一角を見遣って、ラシュディースさんが茶目っ気のあるウインクを寄越した。
私もそれにつられて、表情を和ませ笑みを零す。
急がなくてもいいのだと、しっかりと一歩一歩踏みしめて進んでいけばいいのだと、私の心の中にあった重荷を下ろしてくれた、ラシュディースさんの笑顔。
「ありがとうございます、ラシュディースさん」
「礼には及ばない。だが、ユキ姫はユキ姫らしく在ってくれ。レイフィード陛下も、ユーディス殿下も、きっとそう望まれているだろうからな」
「そうですね。私は私らしく……、自分のペースで頑張ってみます」
私はラシュディースさんに確かな頷きを返すと、リラックス出来ている自分を感じていた。残りの遊学期間、悔いなく過ごして行こう。
この国の姿を心に刻んで、ウォルヴァンシアの皆に話して一緒に思い出を共有できるように。
――……。
と、決意も新たにした私の目の前に、十分後、羞恥的な試練が立ちはだかった。
洋服談義をしていた皆さんが……、それぞれに気に入った服を手に私の前に立っている。
「ユキちゃん、明日の服なんだけど、俺が選んだこれが良くないかなー?」
「いいや、こっちの服の方がユキには合う」
「カイン皇子、俺としてはこの薄桃色のロングフリルが良いと思うんだが」
「私も選んでみたんですが、これなんかどうでしょうか?」
「ふん、小娘にはこっちの方が似合いだろう。これを着ろ」
――……・
おかしいな……。
私が試着した少女趣味な服は、今着ている一点のみ。
なのに、皆さんのうち、何人かは見た覚えのない少女趣味な服を手に持っている。
おそらく、サージェスさんが追加で勝手に購入してしまったに違いない。
うーん、出来ればウォルヴァンシアから持って来た自分の服で落ち着きたいところなのだけど、皆さんのキラキラとしたこの視線を感じていると……。
お断りは……出来ない、流れ、かなぁ。
「ラシュディースさん……」
助けを求めてみたけれど、優しい大人のラシュディースさんは甘やかす側の皆さんの味方だった。
「ははっ、これも親愛だ。大人しく着てやるしかないんじゃないか?」
他人事だと思って……。
ラシュディースさんに肩を叩かれた私は、泣く泣く翌日の服を選別する為に皆の輪に加わる事になってしまった。
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