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第三章『遊学』~魔竜の集う国・ガデルフォーン~

再調査への準備と大浴場

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※ガデルフォーン王宮魔術師クラウディオの視点でお送りします。


 ――Side クラウディオ


「ユリウス、入るぞ」

『場』に関する再調査への出発を控えたある日の事。
 俺は同僚であり幼馴染のユリウスを訪ね、皇宮内にある一室へと足を運んだ。
 ノックの音に反応はなく、だが、カギは開いていた。
 となると、中で何かに熱中していて、ノックの音が聞こえなかったと考えるのが妥当だろう。
 足を踏み入れた室内を見回し、微かな笑い声を耳にし、そちらへと歩いていく。

「ユリウス、……ユリウス、どこにいる!!」

「え? あぁ、クラウディオ、こんにちは。どうしたんですか? 相変わらず余裕のない怖い顔をしていますよ」

 開かれたテラスへと足を運んだ俺の目に映ったのは、小さな水色の小鳥を相手に座り込んでいたユリウスの暢気な姿だ。
 何も大変な事など起きていない……、そんな平穏さを思わせる姿に安堵しながらも、腹が立つ事には変わりない。

「女帝陛下の命(めい)を忘れたか? もうすぐ『場』の再調査だ……。気を引き締めて臨むべきだろう?」

「ふふ、勿論、その時が来たら真面目にやりますよ。ですが、それ以外では……、一人の時くらいは、平和な日常の温かさを感じても、罪はないでしょう? 貴方のように気を張り過ぎていたら、いざという時に使いものにならなくなるかもしれませんしね~」

「ぐっ……、嫌味のつもりか!!」

 俺とユリウスは同じ年に生まれたが、生まれた月でいえば、こいつの方が若干早い。 
 そのせいか、昔から俺の保護者を気取るような余裕を見せる事が多々ある。
 それが不快なわけではないが……、俺とて、日常における休息の大事さを心得てはいるが……。

「アイツが……、アイツがいるんだぞっ。その上、今回の再調査に同行などと……!!」

「別に、ルイヴェル殿が私達を監視しているわけでもないんですから、そこまで神経質になる事はないと思うんですけどねぇ……。クラウディオ、ルイヴェル殿を意識しすぎですよ」

「チィッ、チィッ、チィィィィッ」

 呆れの含まれた声音に、ユリウスの指先に止まっていた小鳥が同意するように甲高く鳴いた。
 それがまた、俺の癪に障るわけだが……、それよりも。

「俺が、ルイヴェルを意識している、……だと? はっ!! あんな小物を、俺が!? 何を寝ぼけた事を言っている!!」

「軽く流せないところが、肯定なんですけどねぇ……」

「チィイッ!!」

「俺を愚弄する気か……!!」

 あの男の事は、昔から少々気に入らないだけだ!!
 人の事を下に見るだけでなく、俺の気に入らない事ばかり……!!
 アイツと顔を合わせた時は、不快で不快で仕方がない。ただ、それだけだ!!
 だというのに、ユリウスは聞き分けのない子供を相手にしているかのように、いつも俺を諭そうとする。

「いいですか? クラウディオ。貴方とルイヴェル殿は正直いって相性が良くありません。性格の不一致もあるでしょうが、主に……、貴方の成長しない精神状態のせいで、面倒な事になっているというか」

「俺が未熟だとでも言いたいわけか!!」

「未熟でしょう? 相手にされず、からかわれてばかりの貴方は」

「ぐぅっ!!」

 お前はどっちに味方なんだ!!
 いつもいつも、俺だけが悪いみたいにルイヴェルの肩を持ち、未熟だ子供だと冷ややかに説教をかましてくる。
 気に入らない相手に会えば、誰でも苛つくものだろう? 腹が立って不快に思うだろう?

「私はね、クラウディオ……。貴方にもう少し大人になってほしいんですよ。団長や副団長も、魔力の才を活かし切れていないのは、貴方自身の精神の未熟さだと、そう言っていたでしょう?」

「――っ!!」

 今は国を留守にしている、ガデルフォーンの団長と、副団長。
 どんなに学んでも、どんなに功績を積み上げても、あの方々もまた、ユリウスと同じ事を言う。
 ――お前は、身体は大人だが、心がまだまだ未熟だ。
 そう言われる度に、周囲の者達が何を囁いているかを、俺は知っている。
 ウォルヴァンシア王国において、名門と名高い、医術と魔術の大家。
 フェリデロード家の次期当主に比べ、何と不甲斐ない事か、と……。
 その陰口がまた、俺のルイヴェルに対する怒りや不快さを煽っている事も……、わかっている。
 だからこそ、俺はルイヴェルに負けるわけにはいかない。
 魔術を極め、アイツよりも数多くの功績を遺す事こそ、俺の存在意義。
 だが、俺は別にルイヴェルの事を毎日考えているわけではない。
 意識している? 普段忘れている奴の事を、俺が気にかけているとでも言いたいのか?
 鋭く睨み付けてやると、ユリウスはやれやれと呟いて腰を上げた。

「ルイヴェル殿は、別に貴方の事を嫌っていませんよ? ならば、貴方が不用意に意識する事をやめ、普通に接していけば、新しい関係を築いていけるのではないですか?」

「死んでも御免だ!!」

「はぁ……。小鳥さん、知恵があっても、人は愚かなものですねぇ」

「チィイイッ!!」

 鳥に同意を求めるな!!
 ……にしても、本当に何なんだ、この鳥は。
 こいつが鳴く度に、何故か頭の奥が鈍く痛むような……、ルイヴェルに感じるのと違う意味で、不快さが付き纏う。

「と、ともかく、俺とルイヴェルの事はもうどうでもいい……!! それよりも、その鳥は何だ?」

「最近飼い始めたんですよ。可愛いでしょう?」

「チィィィッ、チィッ!!」

「……またか。お前の実家にも色々といるだろう? これ以上飼う必要があるのか?」

「ふふ、可愛いかったので、つい。私がいない時は、皇宮内の女官達に世話を頼んでいますから、特に問題はないんですよ」

 そういう問題、なのか……?
 訝しげに水色の小鳥を見つめてみれば、そいつは小さな両翼を広げて飛び立った。
 やはり、鳴き声と同様に、どこか不快な羽音が響き……、俺の肩に、あるかないかの重みが加わった。

「チィィッ」

「……っ」

「ふふ、怒りっぽいクラウディオとも、仲良くしてくれるなんて優しい子ですね~」

「……ユリ、ウス」

「はい?」

 気のせいかとも思ったが、……不味い。
 俺の肩に陣取り、機嫌良く囀る鳥の鳴き声が不快で仕方がない。
 鳥の類を苦手に思う体質ではなかったはずだが……。

「クラウディオ? どうしたんですか? 顔色が悪いですよ?」

「ぐっ……」

 やがて、身体から力が抜けていくかのように足元がふらつき、俺は地面に膝を着いた。
 片手で顔を覆い、息を乱しながら、二、三度、嗚咽を繰り返す。
 何だ……、この、吐き気がこみあげてくるかのような不快感はっ。
 肩に乗っている鳥のせいかとも考えてみたが、……ユリウスの方は、特に異常はないようだな。

「クラウディオ!! 大丈夫ですか!?」

「……大、丈夫、だ。仕事疲れか、何か、だろう。休めば、すぐに、治る」

「チィイッ!!」

「ぐぅっ……、はぁ、はぁ」

 鳥が俺の肩から軽やかに飛び立っていく。
 それと同時に、全身に生じていた気だるさや吐き気が弱まり……、ユリウスの支えを受けて立ち上がる事が出来た。
 
「チィィッ!」

「……気のせい、か」

 ユリウスが飼い始めたという鳥は、今は庭にある木の上に止まっている。
 やはり鳴き声を聞くだけでも、不快に感じるが……、最初ほどではない。
 今度……、鳥に対するアレルギーか何かが出来ていないか、診察を受けてみるか。
 そんな風に、この時は大して危機感を覚える事もなく、俺は楽観視していた……。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「――で、何で貴様がここにいる!? ルイヴェル・フェリデロード!!」

「お前よりも早くに訪れ、お前よりも早くに湯船に浸かったからだが?」

 今日は普通に最初から受け答えをするのか……、じゃなくて!! 何故俺の天敵同然の男がゆっくりと皇宮内の大欲場で寛いでいるんだ!!
 腹の立つルイヴェルだけでなく、周囲には遊学同行者の他二名も一緒にいる。
 
「痛てて……。くそ、……まだ痛みが引かねぇ」

「大丈夫か? カイン皇子……。痛みが酷いようなら、また治癒の術を受けた方が」

「ん……。これ以上痛むようなら頼む事にする」

 湯船から上半身を出し、辛そうにしているのは……、確か、特徴からして、イリューヴェルの第三皇子、カイン・イリューヴェルか。
 そして、その背中を甲斐甲斐しく擦っているのが、ウォルヴァンシアの次期国王……。
 高貴な者同士仲が良いのは結構な事だが、それよりも……。

「何故、俺の入浴時間を被る!!」

「逆だ。お前が俺達の入浴時間に押しかけてきただけだ」

「ふふ、その通りですね。クラウディオ、叫ぶと周りの方々の迷惑になりますので、さっさと入ってください」

「うぐぐっ!!」

 この男性用大欲場は、騎士団や魔術師団、それから、皇宮に従事している者達にとっては憩いの場だ。確かに、その場所で声を荒げたのはマナー違反だったな。
 大人しくユリウスの言葉に従い、俺達はルイヴェルから少し離れた場所から湯の入る事にした。
 相手をしない、相手をしない。そう頭の中で繰り返しながら、ほど良い温度の世界に表情を和ませ、肩まで浸かってゆく。

「ふぅ……、最高だな」

「クラウディオは、お風呂の類が大好きですからね~。あ、今日の入浴剤も貴方好みじゃないですか」

「あぁ……。今日のは、和の国を思わせる匂いと色だな。ふぅ……、あぁぁ、落ち着く」

 本当は、どっさりと休みをとって、各地の温泉に旅立ちたいんだが……。
 魔術師団の仕事は忙しく、まだ暫くは無理だろうな。何せ、団のツートップが不在だ。
 団長達が帰って来ない限り、たまの休みがいいところだ。
 近くに嫌な奴がいる事など、頭の中からさっぱり綺麗に消え去るほどの、この癒し加減。
 あぁ、風呂……、いや、温泉こそ、俺の心の故郷(ふるさと)だ。

「クラウディオ、お休みがとれたら、一緒に行きましょうね~」

「あぁ……、ん? いや、別にお前が俺の旅行についてくる必要は」

「え?」

 子供でもないのだから、一人でも旅行ぐらい行ける。
 そう言ったつもりなんだが、ユリウスは笑顔のまま首を傾げ……。

「クラウディオ……、貴方、自分がどれだけ無防備で、一人旅に向いてないのか、気付いてないんですか?」

「ど、どういう意味だっ!!」

「試しに一人で行かせてみれば、財布をすられて私に泣きついてきたり」

「うっ」

「トラブルに巻き込まれたり、道に迷って目的地さえ辿り着けなかったり」

「うぐっ、うぐっ!!」

「必要でしょう? 保護者……」

 あぁっ!! その笑顔のままの生暖かい眼差しが辛い!!
 大丈夫だと胸を張って言いたいところだが、……確かに、俺が一人で旅に出て、平穏であった事は一度もない……、気が、する。
 だが、自分が友人の助けもなしに一人旅も出来ないヘタレだとは思われたくない!!
 頭を抱えて苦悩していると……、望まない最低最悪の声がすぐ耳元に落ちた。

「ほぉ……、誇り高きガデルフォーン魔術師殿に、そんな微笑ましい武勇伝があるとは……」

「――ぃいいいっ!!」

「おや、ルイヴェル殿」

 こ、こいつ……!! いつの間に俺の背後を取っていた!?
 そして何故、俺が無視して避ける時に限って、自分から寄ってくるんだ!!
 ニヤリと浮かんでいるその笑みは、紛れもなく人の不幸や失敗話を愉しむ下種の顔だ!!

「ひ、人の話を盗み聴きとはな……!! 品位がないにも程がある!!」

「近くに寄って来たら、たまたま聞こえただけだ」

「ならさっさと元の場所に戻れ!!」

「普段は構え構えとねだってくるくせに、つれない言葉だな? 滅多にない機会だぞ?」

「うわぁ~、ふふ、良かったですね~、クラウディオ~。ルイヴェル殿が遊んでくれるそうですよ~」

「ユリウゥウウウウウウッス!!」

 何をルイヴェルの悪趣味なノリに乗っかっているんだ、お前はぁあああっ!!
 俺の憩いの場。異国の情緒、疲労回復の心地良い感触が……っ。
 くそっ……!! こんな時こそ未熟未熟と馬鹿にされ続けてきた精神を奮い立たせる時だ!!
 まず、深呼吸を繰り返し……、心を宥め、ルイヴェルの顔を見ないようにしながら。

「そ、そんな事よりも、再調査への準備は出来ているのか? 同行して使い物にならないなど、滑稽だからな。覚悟しておけっ」

「俺はあくまで補佐的な立場での同行だ。事前に資料の類には目を通すが、お前達がしっかりと仕事をすれば、俺の出番はないだろうな? むしろ、その方が楽なんだが」

「それは、『場』の状況次第だ……!! 陛下より命(めい)を下された以上、少しは責任というものを自覚しろっ」

 全く……!! 陛下は何故、何故、こんなどうしようもない男に大切な任を任せたのだ!!
 ガデルフォーンには、俺達魔術師団員達がいる。他国の手など、……特に、この男の助けなど、借りるだけ無駄だというのに!!
 相手をしていては、こちらの怒りが募るばかりだ。
 移動しよう。ルイヴェルから距離をとり、再び心地良い入浴タイムを……。

「……何故、ついてくる?」

「構ってやろうという心遣いだ。何を不審そうな目をしている?」

「いらんわぁああああっ!!」

「良かったですねぇ、クラウディオ。滅多にない貴重な機会ですよ~」

 だから、本当に何故、お前は俺が困る方向に持っていきたがるんだ、ユリウス!!
 裸の男に追いかけられて来られても鬱陶しいだけだが、俺が早足でまた別方向に逃げようとすれば、今度は影を縛る術で行く手を阻まれてしまった。おい!!

「何なんだ、何なんだ……っ、ルイヴェル・フェリデロードぉおおおっ!!」

 と、俺が後ろを振り向けずに怒鳴りつけていると……。

「あ、丁度良い所に、お酒のセットが流れてきましたね~。ルイヴェル殿、ご一緒にいかがですか?」

「貰おう。そこで固まっている魔術師殿の……、一人旅の際に起きた面白い思い出話でも聞きながらな?」

「――っ!!」

 それが限界だった。影の戒めを破る為の術を行使し、俺は大きく波を立たせながら湯船を抜け出す。ユリウスの制止の声も聞かず、ルイヴェルを睨み付け、出口へ。
 精神的に成長しろと言うのなら、これもまた、成長とやらのひとつだろう。
 気に食わない男の相手をせず、自分の存在を消す。
 そうすれば、これ以上苛立つ事もなく……、後は鎮まる時を待つだけなのだから。
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