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第二章『恋蕾』~黒竜と銀狼・その想いの名は~

恋情と痛み

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※イリューヴェルの第三皇子、カインの視点で進みます。

 ――Side カイン

 ユキの温もりに自分のそれを重ねようとした、その瞬間。
 俺の身体に正体不明の雷撃のような痺れが駆け巡り、危うくユキを大岩の上から落としそうになってしまった。寸でのところで助けられたから良かったものの、今のは何だ?
 周囲を見回すが、敵となりそうな存在の気配はない。
 まるで、ユキに手を出すのを誰かが邪魔してきたかのような妨害だったが、自然発生……なわけがねぇよな。
 ユキを腕の中に抱え直し、その真っ赤になっている顔を見下ろしながら、俺は自分の身体へと意識を向ける。外からの攻撃じゃないとなると……。

「俺に気づかれずに術を仕込める奴といえば……」

 あぁ、いたな。一人……。
 ユキの事を陰から見守り、表面上は冷静そのものを装ってる腹の黒い奴が。
 そんな俺の予想を肯定するかのように、俺の身体を深緑の光が縁取り始めた。
 光が身体から離れていくと、――予想通り、大岩の上に、白衣姿の男の像を結んだ。
 銀の髪に、知を抱く深緑の双眸を宿す男、ウォルヴァンシアの王宮医師、ルイヴェル・フェリデロード。

「念入りに監視とは、お前も暇人だな? ルイヴェル」

『ユーディス様の大切な一人娘だ。ある程度までは許してやるつもりだが、行き過ぎた真似はなしで頼みたいところだな?』

 ユキの親父さんがどうこうというよりも、どう考えてもテメェ自身の問題だろうが。
 王宮医師と王兄の娘の関係以外にも、ユキとこいつの間には何かある。
 それは、初めてルイヴェルが俺に本性を見せた時にも感じた事だが、ユキを害そうとする全てに対して容赦はしないという強い意思が感じ取れる。
 今回も、俺がユキに不埒な真似をしないように術を仕込んでおいたんだろう。
 それを指摘してやると、「俺は臣下として当然の事をしたまでだ」と、飄々とかわされてしまった。

『カイン、お前もわかっている事だとは思うが、少女期の娘に対して性的な接触はやめておけ。ユキを不用意に振り回す事は、臣下として見過ごしてはおけないからな』

「はぁ、別に本気で手を出そうとしたわけじゃねぇよ。俺の告白で……、可愛い顔を見せたこいつが悪い」

『……』

 やべぇ……。今、俺の人生が強制終了しそうな殺気が突き刺さった気がする。
 無言でこっちを見下ろしてくるルイヴェルの野郎の視線は、本気で殺る気満々の冷酷無比な凶悪全開の殺気に満ち溢れている。
 やっぱりこいつ……、ユキの保護者だな。レイフィードのおっさんや親父さんが何も言わなくても、ルイヴェルの野郎は自分の意思でユキという唯ひとつの存在を守り続ける覚悟を決めているはずだ。

「心配しなくても、今日の俺は別に目的があったからな。こいつが俺を受け入れてくれるまでは、馬鹿な真似はしねぇよ」

『そうである事を願うばかりだが、ユキが答えを出すまでには、途方もない月日がかかるぞ』

「覚悟の上に決まってんだろ。……どんなに答えが出るのが遅くなっても、ユキが俺の事を真剣に考えてくれるなら、十年でも百年でも待ってやるよ」

 たとえ、ユキと絆を結ぶ男が立ちはだかろうと、引く気はない。
 どんなに可能性が低く勝ち目なしの恋でも、俺は最後まで足掻き続ける。
 ユキにとって唯一人の男となれるように、自分に出来る事を全部やってやる。
 ルイヴェルの方を睨み上げれば、凍てついた世界を思わせていた視線が和らいでいた。

『それだけの覚悟があるのなら、今回の事は見逃してやるとするか』

「そりゃどうも。ってか、お前仕事中だろ? なに覗き見してんだよ」

 まぁ、この野郎なら仕事を器用にこなしつつ、俺達の様子も逐一チェック出来るんだろうけどな。
 
『さっきも言っただろう? 臣下として、王兄姫殿下の御身に害が及ばぬよう、狼となりうる男に枷をつけただけだ。それと、もう一人の狼を食い止めてやっている俺に、礼のひとつでもほしいところなんだがな?』

「あ? まさか、番犬野郎にも俺達のこの状況が筒抜けなのかよ?」

 別に知られても構わねぇが、あの真面目野郎の事だ。
 今頃、剣を抜いて怒り狂ってんじゃねぇか?
 そんな俺の予想は当たらずしも遠からずだったらしく、王宮医務室に居合わせたルディーとロゼリア、それと、ルイヴェルの双子の姉が必死こいて番犬野郎を宥めているらしい。

「それ、お前が頑張ってるわけじゃねぇよな?」

『それよりも、お前のせいで気絶したユキを、落とさずに無事に連れて帰って来い。いいな? そうすれば、命の保証ぐらいは確保しておいてやる』

「へぇへぇ。……こいつの首筋にキスマークのひとつでもつけて帰ったら、番犬野郎の奴、さらに怒るんだろうなぁ」

 ユキの肌に、俺の痕をつけておけば……、天敵への牽制になるかもしれない。
 だが、そんな悪戯を思いついた俺に向けられたのは、大魔王の爽やかな笑みだった。
 今までに見た事のない、背筋に氷塊をぶち込まれたかのような悪寒を覚える。

『言っておくが、二度目に阿呆な真似をした場合、致死量の雷撃が流れるように術を仕込んである』

「はあああああああああああ!? 冗談抜きで俺を殺す気か、テメェは!!」

『惚れた女の為に死ねるんだ。本望だろう?』

「最悪に面倒な笑顔で言ってんじゃねぇよ!! この過保護野郎!!」

 この野郎の事だ。脅しでも冗談でもなく、本気で致死量のそれを仕込んでいる可能性がある!!
 むしろ、一度目で息の根を止めなかったのは、俺への慈悲なのか!? それとも死への恐怖をさらに煽る為なのか!?
 ユキの温もりにしがみついて喚く俺に、大魔王は涼しい顔で背を向けた。

『もう何もする気はないんだろう? それなら何も心配は……、い……、か……え……』

「ん? おい、ルイヴェル、どうしたんだよ」

 途中からこの場所に投影されている姿が揺らぎ始めたかと思うと、ついには声さえ雑音のようなものに掻き消され、――ルイヴェルの姿が完全に消え去った。
 それと同時に、この空間に舞い落ちていた光の姿も徐々にその輝きを弱めはじめ、眼下に広がる鉱石の光もまた、やがて闇に消えた。

「何だ……?」

 術で簡易的な光を生んだ俺は、ユキを腕に抱き抱えて立ち上がった。
 予想していた時間よりも、空間の光が早く消えた気がする。
 俺の問いに答える声はなく、道を急いで戻った先には、闇の中で光を灯す一頭の牛がパルフィム達と共に佇んでいた。

「ティーゼ!! 何があったんだ!!」

『カイン、ユキ、オカエリ……。ドウクツ、ナニカ、オカシイ。ハヤク、デル』

『『『キュィ~!!』』』

 洞窟内の異変は奥だけでなく、この場所にも及んでいたようだ。
 淡くこの空間を照らし出しているはずの光が、その役目を果たしていない。
 ティーゼにも確認を取ってみたが、この空間で光が絶える事は絶対にないらしい。
 一体この山の一角に何が起きているのか……、意識を集中させてみるが、その正体を掴めない。
 俺達は異変に注意しながら洞窟を走り抜け、洞窟の出口の向こうから差す光へと飛びぬけた。

「「「うわあああっ!!」」」

 外へと躍り出た俺達を待っていたのは、洞窟の入り口の周りに集まっていた大勢の男達。
 その纏っている騎士服は、紛れもなくウォルヴァンシア騎士団のものだ。
 そいつらを押し倒す形でぶつかってしまった俺達は、すぐに頭上を仰いで息を吐いた。
 外は、普通にまだ明るいな。って事は、あの異変は洞窟内だけの事なのか?
 洞窟の入り口に振り返った俺は、その奥に一瞬だけ奇妙な光を見た。
 小さな……、青い光? 見間違いか?
 目を凝らしてみるが、闇の中に溶け消えたそれは、二度と俺の視界に映り込む事はなかった。

「何だったんだ……」

「「「うわ~!! 本当にカイン皇子だ~!! ユキ姫様もご無事だ~!!」」」

「は?」

 俺に押し倒される事になった騎士共が流石の根性で復活し、何故か涙交じりに歓喜の表情を浮かべて迫ってきた。な、何だ?
 意味不明な事に、ずっと探してただとか、俺とユキが駆け落ちしたんじゃないかとか、これで番犬野郎が死なずに済むだとか何とか……。

「お前ら、何言ってんだ?」

「「「三日も行方不明だったくせに、そっちこそ何言ってるんですかあああ!!」」」

「はぁあああ?」

 三日……って、何だよ。
 ユキを抱えて足を引く俺に、騎士共は驚愕の話を涙ながらにしてくる。
 俺が……、いや、俺とユキが、ウォルヴァンシア王宮を出てから、どう考えてもまだ数時間ってところだってのに、まさか、――三日も行方不明になっていた、だと!?
 こいつら集団で頭おかしくなってんのか? それとも、手の込んだ仕込みか何かか?
 頭が痛くなりそうなその話に、俺がその場に座り込み唸っていると、牛姿のティーゼが人の姿に戻った。黄金の長い髪を纏う優男、それがティーゼの人型か。
 服の懐から懐中時計を取り出し、それを確認したティーゼが首をかしげている。

「これ……、日付も、確認、出来る。だけど、変」

「何がだよ」

「俺が、この山に来た……、日付、じゃ、ない」

「はぁ?」

 その手にある懐中時計を差し出してきたティーゼの手元を覗き込んだ俺は、同じように絶句した。
 おい……、本気で、俺とユキが出かけてから、三日も経ってるじゃねぇか!!
 時計に表示されている日付と騎士共の顔を交互に見比べ、俺は本気で頭痛を覚えた。
 この洞窟には何度か来てるが、日付が倍速で過ぎた事なんかねぇぞ。
 それなのに……、これは正真正銘の現実なわけで。

「マジかよ……っ」

「変……。俺、三日も……、母さん、心配、してる」

『『『キュゥゥゥゥ~……』』』

 とりあえず、ルディーが率いている騎士団の集まっている場所へと案内された俺は、駆け寄って来たロゼリアにユキを渡した後、その場からすぐに飛び退く羽目になった。
 あの野郎にしては、わかりやすい程の抑えのない殺気を感じながら、宙へと飛び上がりそいつの背後に着地する。竜の一部に変えた右手をそいつの後ろ首に突き付け、口元に笑みを刻む。

「よぉ……、番犬野郎」

「答えろ。この三日間、ユキをどこに隠していた?」

 銀の光が軌跡を描くように翻り、俺の恋敵でもある野郎が剣筋を迷いなく俺の首元へと突きつける。その切っ先を竜手で掴み、遠慮なくその鋼を奴の心ごと折ってやろうと思ったわけだが、騎士の魂たる剣を粉々に砕かれても、番犬野郎の双眸に焦りが浮かぶ事はない。
 迷いなくその剣を地へと放り捨て、腰に携えていたもう一振りのそれを引き抜く。
 砕かれた剣とは出来が違うと、一目でわかる……、鋭く冴え渡る刀身。
 それが、名匠による特別性の剣だと察した俺は、素早く後ろに飛び退いた。
 なるほどな……、あれが番犬野郎の愛剣ってやつか。
 戦闘能力に優れた奴は、それに見合う耐久性と能力を持つ武器が必要となる。
 番犬野郎の場合は……、まぁ、自分の力をセーブする為に、レベルの低い武器の方を常用してるってとこなんだろうな。

「相変わらずの忠犬ぶりだなぁ? わんこは尻尾でも振って御主人様の帰りを大人しく待ってるもんじゃねぇのか?」

「程度の低い挑発に乗ってやるほど、今の俺に余裕はない。答えろ……、この三日間、何のつもりでユキを拉致していた」

 そんなのはこっちが聞きたいぐらいだ。
 あの洞窟で異変を感じて出て来たら……、まさかのこれだ。
 三日も経ってるっていうのに、腹は全然減ってねぇし、力の消耗も感じられない。
 だが、今の番犬野郎には何を言っても無駄だろうな。目がマジで憎悪に滾ってやがる。

「副団長!! おやめください!!」

「アレク!! 流石に皇子さんに何かあったら、後で困るのは陛下なんだぞ~!!」

 俺と番犬野郎の間に割って入ったロゼリアとルディーの制止の声を聞いても、奴の剣先が俺から逸れる事はない。……まぁ、俺も逆の立場だったらそうしてただろうな。
 ユキが番犬野郎と二人、どこかに何日も消えたとしたら、平常心でいられる自信はない。

「ルディー、ロゼリア……、これから起こる事は、見なかった事にしてくれ」

「いやいや!! 流石にこれだけの目撃者がいんのに見ないふりって無理だろ!! なぁ、ロゼ!!」

「団長の仰る通りです。闇夜の中でさりげなく事に及ぶのならまだしも、流石にこの日中では」

 ……とりあえず、この副団長補佐官は、闇夜なら俺が消されてもいいって思ってんだな?
 まぁ、闇夜でもタダで殺られてやる気はねぇけどよ。

「別にいいぜ? そいつが俺を殺りたいなら、幾らでも相手をしてやるよ」

「皇子さん!! 人が必死にアレクを宥めてんだから煽りいれんなって!!」

「ルディー、ロゼ、どいてくれ。あの竜は翼をもがれない限り反省の色も示さないらしい……」

 周囲一帯を満たす番犬野郎の本気に、騎士共が恐怖の悲鳴を上げ始める。
 俺とこの野郎が殺り合ったら……、山の原型は残らねぇだろうな。
 竜手を構え、番犬野郎が地を蹴るその時を見定めていると、俺の首根っこが何かに掴まれた。

「テメェかよ……、眼鏡」

「無事にユキを連れて戻ったようだが……、カイン、あの時、何があった?」

「あの時? あぁ、術に仕込んどいたお前の姿が消えた時の事か?」

「途中で術に妨害が入った。何か気付いた事は?」

 そうは言われてもなぁ……。あの洞窟の奥で投影されていたルイヴェルの姿が消えたのと同時に、洞窟にも起こった異変。詳しく説明しろと言われても、その言葉が見つからない。
 俺はとりあえずあった事だけを簡易的に説明し、最後に青い光を見た事だけを伝えた。

「このスウォルシア山は、魔力の集まる『場』のひとつでもある。それが関係しているのかもしれないが、まさか三日も行方を掴ませないとはな?」

「洞窟の前に騎士共がいたけどよ。中は調べなかったのかよ」

「それ以前の問題だ」

「は?」

 曖昧なその言い方に、間抜けな音が飛び出る。
 それ以前の問題って何だよ。俺とユキは、ずっとあの洞窟の奥にいたんだ。
 探しに入ればすぐにで見つけ出せただろう?
 だが、それをこいつに聞くのは無駄な事かもしれないな。
 なにせ、あの中に少ししかいなかったはずの俺達が外に出てみれば、三日もの時が流れていたんだ。確実に、得体の知れない何かが異変となって時間軸に歪みをもたらしたとしか言えない。
 詳しく話を聞こうとしていると、存在を放置されていた番犬野郎がルイヴェルに向かって険のある音を発してきた。

「ルイ、話は後にしてくれ……。俺は今、その竜がこの三日間の間に、ユキに不埒な真似をしていないかどうかを確認したい」

「それこそ後にしろ。幸いな事に、ユキの状態を診たが何の異常もない」

「ルイ……っ」

「ユキを連れて先に王宮に戻れ。カインには俺が話を聞いておく」

 奥歯を噛み締め、喰らいつくかのように俺を睨み付けていた番犬野郎が、それでも攻撃の手を動かそうとしたその時。ルイヴェルが眼鏡の中央部分を指先で軽く持ち上げ、たった一言でその足を止めた。

「――お前にも躾が必要か? アレク」

 その極寒にも似た音は、俺や番犬野郎だけじゃなく、その場の全員を一瞬で凍りつかせた。
 いや、それだけじゃねぇな。このスウォルシア山自体が恐怖に震えた気がするぜ。
 有言実行のルイヴェルの事だ。番犬野郎が自分の言う事を聞かずに動けば、本気で容赦のねぇ攻撃をぶつける事は確実だろう。
 それを裏付けるように、ルディーとロゼリアに再度宥められた番犬野郎が、剣を鞘に納めた。
 何人かの女性騎士に介抱されているユキを受け取り、その腕に抱き上げた番犬野郎が、アイツの熱を抱いている頬を優しく指先でなぞっている。
 その光景を目にしただけで、今度は俺の方が番犬野郎に本気の憎悪と嫉妬を向けそうになってしまう。

(俺よりも先に、ユキと出会い、絆を結んだ野郎……)

 悔しがっても過去を塗り替える事など出来ない。
 そんな事はわかっているのに、その腕にユキを抱えた番犬野郎の事を羨む醜い感情が、出遅れた自分を苛みながら嫉妬の底へと突き落としていった……。
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