隠り世あやかし結婚事情~私の夫は魅惑のたぬたぬ~

瀬戸呼春

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1巻

1-3

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 結局のところ、自分では分からないながらも千登世は常に永之丞の妖気をまとっているらしいので、美玖はそれを感じ取って例の発言に至ったのだろう。そして美玖と近距離で話したことで彼女の妖気が千登世に移り、恋人の銀次が察知したというわけである。

「ところで、先輩の正体を伏せてる奥さんに、いきなり美玖がそんなこと言ったってことは、何か……あったんですか?」
「あー……」

 なんと答えるべきか。
 相談事の中身はもちろん、相談されたということ自体、本人の了承を得ずに他人に、しかも相談事の当事者とおぼしき相手に話すわけにはいかない。
 美玖は付き合っている人がいて、と言ったのだ。相手はまず銀次で間違いないだろう。

「それが、たぬきの匂いって言い当てられたことにすごく動揺しちゃって、咄嗟とっさにその場を誤魔化してきちゃったの。だから詳しいことは何も……」

 あながち嘘ではなかった。事実、美玖から具体的な話は何も聞いていない。

「そうですか……」

 ぺしょりと銀次の耳が垂れた。背後で揺れていた尻尾しっぽも、力なく畳に落ちる。
 永之丞もそうだが、銀次の尻尾しっぽはそれよりずっと感情が出るようだった。ぴん! と伸びたり、せわしなく左右に振られたり、さっきから動きが全然止まらない。
 三つの色が交ざった細くしなやかな尻尾しっぽは、とても表情豊かだ。
 思わずじっと注視していたら、突如ぼふんっと千登世の顔がもふもふに埋め尽くされた。何と問うまでもない。この慣れ親しんだ感触は、永之丞の尻尾しっぽだ。
 これでは何も見えないではないか。
 だが千登世が抗議の声を上げる前に、いつもよりちょっぴり低い声が鼓膜に届いた。

「とせちゃん、あかんで」
「ひゃにが」
余所よそ尻尾しっぽに見惚れるんは、浮気やと見なします」

 銀次の尻尾しっぽをじっと見ていたのを、見咎みとがめられたらしい。

「見惚れてないよ、見慣れないからつい目で追っちゃってただけで、もごっ、丞くんの尻尾しっぽがマイベストオブイヤーなので、むふっ」

 千登世はふかふかのかたまりを押しのけながら弁明するが、途中でまた無理矢理尻尾しっぽを押し付けられた。ふわふわゆらゆらしている尻尾しっぽは、実はなかなかの力強さを備えている。

「なんで年間限定? そこは永世マイベストて言うところやん?」
「あの、破局の危機を迎えてるヤツの前でイチャつくのやめてもらえません……?」

 永之丞のねた声に、銀次の物悲しげな声が被った。

「す、すみません……」

 イチャついているつもりはなかったけれど、はたからはそうとしか見えないのだろう。千登世は謝りながら永之丞の尻尾しっぽを無理矢理両腕で抱き込んで、なんとか視界を確保した。
 一方で永之丞はしれっとした顔で、小さく溜め息を吐きながら言う。

「とにかく、銀次は本格的にフラれる前に、はよ話し合い。あんまぐずぐずしてると、ホンマに会ってもらえんくなるで」
「いや、だから既に既読スルー……」

 どういう事情かは知らないが、銀次と美玖の二人の仲は上手くいっていないらしい。しかし、永之丞はその嘆きをもっと深刻な例えを挙げて一蹴いっしゅうした。

「未読スルーとかブロックされたら手遅れやと思い。既読がつくうちが花やん?」
「うぅ……それは確かに」

 結局銀次はその後、美玖がオレのことでなんか言ってきたら、どうか間を取り持ってください、お願いしますと、千登世に何度も頼んで狸塚家を後にした。
 永之丞と二人でしょんぼりした背中を見送りながら、千登世は大変なことになったと内心頭を抱える。
 美玖の相談は、銀次と仲直りしたいというものなのか、それともすっぱり別れたいというものなのか。
 後者の場合、銀次とこうして顔見知りになってしまった上、仲を取り持つことを望まれているわけだから、気まずさと難易度が格段に増す。

「どうしたものかなぁ……って、あ、キャベツ‼」

 とそこで、本当に唐突に千登世は思い出した。
 今日は駅前のスーパーでキャベツを頼まれていたのに、すっかり忘れていたことを。

「丞くん、ごめん……」
「ええよ、ええよ、あんだけ気が動転しとったんやし。キャベツどころやなかったやん」

 謝ると、永之丞はそれほど気にした風もなく、ぽんぽんと千登世の頭を優しく撫でた。
 けれどお買い得のキャベツと、それで作られただろう永之丞の美味おいしいごはんを思うと後悔しかない。お好み焼き、ロールキャベツ、とんかつの付け合わせの千切りキャベツ。色んなメニューが千登世の頭をよぎってははかなく消えていく。

「それよりとせちゃん、俺が銀次と知り合いやったばかりに、板挟みにしてもうたなぁ」

 ぼそりと呟かれた永之丞の言葉もその通りで、千登世はどうしたものかと小さく息を吐いた。



    3


『銀次くんのことについて、今日の就業後、都合が大丈夫だったらお茶でもしながら話しましょう』

 翌日、朝一番でそっとデスクに置いておいた二つ折りのメモを、美玖はちゃんと確認してくれたようだった。千登世は朝から打ち合わせで外出し、午後を過ぎてから会社に戻った。その後も美玖と話す機会は一度もなかったのだが、定時を告げるチャイムと共に立ち上がると、同じく美玖もカバンを手に席を立っていた。お互い素早くアイコンタクトを交わしながら、お先に失礼しますと挨拶あいさつもそこそこに会社を出る

「ちょっと歩いたところに、喫茶店があるの。そこでいい?」
「はい」

 会社から歩いて十分弱のところある喫茶店は、ひっそりとした立地で落ち着いて話をするには丁度いい。店内にはいつもジャズがかかっていて、客同士の会話があまり気にならないのもいいところだ。
 時間帯が良かったのか、扉を開けた先には、ほとんどお客さんがいなかった。秘密にしたい話を始めるには好都合な状況だ。

「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」

 そう言われたので、奥の席を選んで座る。そして千登世はブレンドコーヒーを、美玖はカフェオレを注文した。
 ここに来るまで、二人の間にほとんど会話はなかった。美玖はいきなり銀次の名前を出されてびっくり、あるいは不審に思っていたのかもしれない。

「あの」

 ようやく切り出してきた美玖の声は、いやに硬かった。

「まずは先日の件、いきなりすみませんでした。突然たぬきの匂いとか言われたら、普通はびっくりしちゃいますよね。あの後、先輩がすごく狼狽うろたえてたから、私も反省して」

 美玖が頭を下げる。それと一緒にハーフアップにした茶色の髪が、肩からさらさら流れ落ちた。

「切り出し方を間違えました。先輩、もしかしなくてもそれほどこちらに詳しくないですよね? そういうことまで、ちゃんと考えられてなくて」
「あ、うん、そうだね。慣れてない、ですね。はい」

 千登世があやかしやかくに関わるようになったのは、ほんのここ一年の話だ。正直なところまだ驚くことの方が多いし、かくの常識にはうといのが実情だ。

「よく考えたら、入社当初は先輩からあやかしの気配なんて全然感じてなかったんですよね。でも、結婚前辺りから強く感じるようになって。それってちょっと考えれば、昔からずっとこっちに関わってたわけじゃないって分かるのに」

 あやかしとの関わりは、あやかし相手には誤魔化せないんだな、と美玖の発言で改めて教えられる。

「ひとまず確認させて頂きたいんですが、先輩の旦那さんは、あやかしですよね? たぬきのあやかし」

 正面切ってそう確認され、千登世は呼吸を整えてから頷いた。

「そうでございます」

 認めるのは、やはり少々勇気がることだった。相手は永之丞と同じあやかしとはいえ、知り合いに対して真実を述べたのは初めてのことだったから。

「それでその、昨日は私、詳しい話はしてなかったと思うんですけど……何故先輩がアイツの名前を……?」

 美玖としては最初に解決しておきたい疑問だろう。アイツと名前を口に出さないあたり、銀次に対する根深い怒りや拒絶のオーラを感じる。

「あのね、実は昨日家に帰ったら、ウチにお客さんが来てて。それが銀次くんだったの」

 千登世が自分のやらかした部分をはぶきつつ昨夜の説明をすると、美玖は頭を抱えてうめいた。

「世間が……狭い……」

 千登世にもその気持ちはとても分かる。
 永之丞は、〝縁は引き寄せられるもの〟と言っていたが、それにしたってできすぎている。

「もしかして、アイツから何か聞きましたか?」
「うん、恋人と上手くいってないって。でも、私からは紺野ちゃんのことは何も話してないから」

 そう伝えると、美玖はホッと息を吐いてありがとうございますと頭を下げた。本当はこれを最初に言うべきだったんですが、と改まった表情で切り出す。

「私は狐のあやかしです」

 はっきり言われても、やはりそう簡単には信じられなかった。美玖はどこからどう見ても人間の女性だ。あやかしの姿を見ればさすがに納得もできるだろうが、ここで耳や尻尾しっぽを出してもらうわけにもいかない。

「とはいえ中学から現世うつしよの学校に通っていたので、人生の半分は人間に化けて過ごしているようなものなんですが」
「え、中学から?」
「実は人間社会歴、長いんです」

 けれどそう聞いて、千登世も得心した。彼女は単に化けるのが上手いというだけでなく、長く人間社会で暮らしてきた経験があるからこそ、ここまで違和感なく人の世に溶け込めているのだろうと。

「本当に全然気が付かなかった。こんなに身近にあやかしがいたなんて」
「でも先輩、実は現世うつしよで生活するあやかしって、それほど珍しくないんですよ」

 美玖がカップの取っ手を摘まむ。その指先には薄ピンクのフレンチネイル。キラッと光る小さなストーンの輝きを千登世はなんとなく目で追う。カフェオレを飲む唇は青みピンクのリップが引かれていて、美玖によく似合っていた。
 おしゃれで可愛いイマドキの女の子。けれど、彼女はあのあやしく美しい夜を持つかくの住人でもあるのだ。

「十人に一人、とまでは言いませんが、割と人間の中に紛れているんです。一日のうちに、二、三人はそうだろうなって人とすれ違いますよ」
「え、そんなに?」

 そういえば、永之丞も似たようなことを言っていた。けれど、千登世が街を歩いていてその存在に気付いたことは今まで一度もない。ということは、彼らの擬態は相当上手いのだろう。
 となると、たとえば駅員さん、会社の警備員さん、上司やいつも通うスーパーの店員さん、そんな身近にいる誰かが、巧妙に姿を隠したあやかしという可能性もあるのかもしれない。

「それで、先輩」
「あ、はい」
「アイツ、具体的にはどういう相談を?」

 話が本題に戻る。そうだ、自分は美玖の相談に乗ると決めたのだったと思い出して、千登世は銀次から頼まれたことを彼女に伝えた。

「紺野ちゃんとの仲を取り持ってほしいみたい。連絡が取れないの、大分参ってた」
「ちゃんと既読はつけてやってるんですけどね、出血大サービスのお情けで」

 対する美玖の返答はつれない。
 既読にするのが出血大サービスとは、相当怒りは深いらしい。既読がつくうちが花やろ、と言った永之丞の言葉が脳裏によみがえって、確かにそうかもと千登世は胸のうちでこっそり頷いた。
 反応してもらえるうちは、微かでもまだ脈がある。

「えぇっと、私、詳しい内容はほとんど聞いてないんだけど、どうして揉め事に?」

 初めこそ、恋愛相談なんて難易度が高いと思っていた千登世だが、既に腹はくくっていた。いいアドバイスができる自信はないけれど、双方に関わってしまった以上、もう乗りかかった船だ。やるしかない。
 美玖は数瞬躊躇ためらう素振りを見せたが、やがていつもよりトーンの低い声で話し始めた。

「別に、激しい言い争いとかそういうのをしたわけじゃないんですよ。私が向こうの発言を許せなくて、怒って、無視してるって感じです」

 この様子だと、美玖の怒りは依然冷めていない。許す気はなさそうだ。それが〝今は〟なのか、〝未来永劫えいごうに〟なのかは分からないけれども。
 美玖の眉間にくっきりと刻まれた深いしわを見ていると、銀次は相当な失言をしてしまったのではと推察される。

「ちなみに、その許せなかった発言を聞いても?」
「もちろんです!」

 恐る恐る千登世がたずねると、ぐっと握ったこぶしを震わせながら美玖は怒りを押し殺した声で言った。

「アイツ、うちの若様を愚弄ぐろうしたんです……!」


 美玖との話し合いを終えて帰宅した千登世は、今夜も永之丞が作ってくれたごはんを堪能した。
 ちなみにメニューはふわふわのつくねのキノコのあんかけソースで、食べ終わってしばらく経つというのに、まだ千登世のお腹は幸福感で満たされている。あまりのふわふわ加減に永之丞に秘訣をいてみたところ、タネに豆腐を混ぜ込むことがポイントらしい。根菜たっぷりのお味噌汁も、千登世が自分で作るお味噌汁とは味が違って美味おいしかった。

「で? 彼女の方はどんな感じやったん?」

 ドライヤーの音の合間に永之丞の声が届く。

「うーん、そうだなぁ」

 右手に持ったくしを絶えず毛並みに沿って入れながら、千登世は夕方の出来事を振り返った。

「まぁ、大層気分を害しているようでした。若様? のことを悪く言われたって」
「あぁ、銀次のヤツも似たようなこと言うとったねぇ」

 千登世は今、お風呂上がりの永之丞の尻尾しっぽにドライヤーをかけているところだ。

「丞くん、熱くない?」
「大丈夫やよ」

 永之丞の尻尾しっぽは特別手をかけずともふわさらなのだが、千登世はこうしてたまにブラッシングをさせて頂く。
 千登世は魅惑の尻尾しっぽを堪能できるし、永之丞は尻尾しっぽのお手入れをしてもらえて、まさにwin‐winウィンウィンの関係というやつだ。永之丞いわく、尻尾しっぽをブラシでかれる感覚はうっとりしてしまうくらい気持ちのいいものらしい。

「あ、それで紺野ちゃんの話なんだけど、若様って、紺野ちゃんの一族にとってはすごく特別な存在なんだってね?」

 若様なんて、千登世の日常では馴染みのない単語だ。せいぜいテレビの時代劇の中でしか聞かないような呼び名である。
 けれど美玖にとってはそうではないらしい。
 いわく、彼女の一族にはそれはそれは美麗で能力にも秀でた、一族の次代のおさとなる〝若様〟がいらっしゃるらしい。
 他とは一線をかくする特別な存在である若様だが、彼は上も下も分け隔てなく誰にでも気安く話しかけてくれ、時には一族の若者と一緒にちょっとした悪巧みをしたり、バレて一緒に怒られたりと、皆と近しくあってくれる方だと言う。

「そんな若様は、もう一族の皆から大人気なんだって」

 美玖から聞いた限り、絵に描いたような完璧超人、白馬に乗った王子様的な存在だ。そんなひとがいたら、確かに皆めろめろになってしまうだろう。

「あぁ、確かにあそこのは、えらい好かれとるって聞くなぁ」

 千登世の話に、永之丞が頷く。

「丞くん、知ってるの?」

 背後を振り返って千登世と目を合わせながら、彼は言った。

「本人と話したことはないけど、姿を見かけたことならある。あと、一時ちょっと話題になったから」
「あ、それってもしかして」

 話題になったと言われてピンとくる。

「ご成婚の話?」
「そうそう、それ」

 千登世もその話は美玖から詳しく聞いた。

『皆、若様が大好きなんです。本当に大好きで、とうとくて、かけがえのない存在で。将来、若様が一族を率いてくれるんだなって頼もしく思ってて、そんな若様の支えになりたいって、誰もが思っています。でも一つだけ、若様は大きな難題を抱えてらして』

 実は、若様には幼少のみぎりから想いびとがいたそうだ。本当にずっと、その相手だけを想い続けていたらしい。

『ふふっ、おかしいんですよ、あんなになんでもそつなくこなす若様が、彼女相手にはそこらの男の子と変わらないんです。下手へたを打ったり、つんけんしてしまったりして』

 彼は一族を率いる次代のおさだ。見目にも能力にも優れ、万人ばんにんにとはいかないまでも、大抵の者に好意的な感情を持たれる存在。所謂いわゆるスパダリというやつである。
 けれど、そんな完璧超人に思える彼の恋愛には大きな壁があった。

『実はそのお相手というのが一族の者では、いえ、それどころか同じ妖狐ですらないんです』

 彼の想いびとは、異種族――猫又だったのだ。
 しかも、猫又の一族にとってとても大切な存在だった。
 彼女は誰もが認める美猫。しかも千年に一度現れるかどうかとたたえられるほどの美しい白銀の毛並みとたぐまれなる能力の持ち主で、彼女がいれば猫又の一族は当分安泰だと思われていたのだとか。

「紺野ちゃんによると、お互いが一族を率いていく存在だから、同族との結婚を望まれたりとか、結婚するにしても、どちらが嫁入り、婿入りするのかとか、なんか色々ハードルがあったんだって」
『そもそも、妖狐の一族と猫又の一族ってそんなに仲は良くなかったんですよね。直接的な衝突が起こるほどではないんですけど、どちらも気位が高いもので』

 そして、若様の恋愛の困難さは他にもあった。

『実は若様、彼女と相思相愛だったわけじゃないんです』

 なんでも、長年片想いだったらしい。

『とはいっても、彼女にも色々としがらみがあったし、それに性格もとんでもなく意地っ張りなんで、お互いなかなか素直になれないって感じで。だからこう、つかず離れず、小さな喧嘩を繰り返しながら煮え切らない関係をずっと続けていたんですよね』

 それを一族のひと達はどう受け止めていたのかたずねると、そうですねぇと美玖は感慨深げに言った。

『最初から受け入れられたわけじゃないですけどね。なんでわざわざそんな困難の多い相手をって思ったし、種族間でいざこざが一切なかったとは言いません。でも、どっちの一族も、若様、姫様のことがすっごく大切なので、幸せになってほしいって気持ちが根底にあったんですよね』

 実際に結ばれるまでには色々とあったのだろうが、最終的には両想いになれて、周りにも祝福されて成婚に至ったそうだ。長年のクセが抜けないのか、くだんの若様・姫様の間に相変わらず小さな喧嘩は絶えないらしいが、それでもまぁなんだかんだ仲睦まじくやっているらしい。

「で、ここからが本題になるんだけどね」

 そう言いつつ、千登世は永之丞の尻尾しっぽをひっくり返して、反対側に温風とブラシを当て始めた。チラッと盗み見れば、永之丞はうっとりと目を細めている。たぬきはイヌ科に分類されるのだが、ネコ科の生き物ならゴロゴロと喉を鳴らしているところだろうなと想像しながら、千登世は美玖から聞いた話の続きを語った。

「妖狐の一族の次期当主と猫又の一族の次期当主が結ばれたことで、新しい風が吹き始めたんだって」
「あぁ、異種族恋愛が流行はやっとるんやなぁ」
「そうそう、憧れの若様と姫様がロマンチックに結ばれたわけじゃない? それに感化される人が増えるのも分かるよねぇ」

 異種族恋愛の垣根が低くなったのと、憧れの二人にあやかろうとするのとで、互いの種族で恋人同士になる者達が増えたという。

「紺野ちゃんは、別にブームに乗ったわけじゃないって言ってたけど」
「交流が増えたことで銀次と知り合って、そのうち自然と恋人同士になったらしいね。確か一年くらい付き合ってるんやっけ」
「うん、そうみたい。今までだって慣習の違いとかで喧嘩になることは多かったみたいだけど、でもその都度ちゃんと仲直りできてて」

 喧嘩はなければその方がいいとは思うが、気軽に喧嘩ができて、お互い仲直りのすべを知っているというのも大切なことだと千登世は思う。
 大人になると、誰かと大きくぶつかることは少なくなる。言いたいことを呑み込んだり、にごしたりして、その場をなぁなぁにやり過ごすことで揉め事を回避している。
 そういう判断が必ずしも間違っているわけではないが、これを大切な相手にしてしまうと、大惨事になることもある。積もり積もった怒りが大きすぎて許せなくなったり、仲を修復する方法が分からず関係が完全に破綻はたんしてしまうこともあるだろう。
 だから美玖と銀次が喧嘩をしながらも上手くやってこられたのは、二人の間に信頼や愛情があるからだろうと話を聞いて思った。

「でも、今回はちょっといつもの喧嘩とは違うんやな」
「うん」

 銀次が若様を愚弄ぐろうした、と美玖は言った。

「銀次も何が原因で、自分のどこが悪かったんかも理解してるみたいなんやけど」

 千登世も美玖からばっちり聞いている。憤懣遣ふんまんやる方ないといった様子で、美玖は銀次のセリフを再現してくれたのだ。

『ウチの姫様に長い間ストーカーみたいに付きまとった挙句、なし崩しで結婚まで漕ぎつけた坊ちゃんのどこがそんなにいいんだよ。きらきらチャラチャラした男がいいなら、玉砕覚悟で告白でもしてくればいいだろ!』
「一応、銀次くんがそういう発言に至った理由はあるみたいなんだけど」
「あぁ、彼女が若様の熱狂的なファンやとか」
「うん、そうなの」

 永之丞の言葉に頷きながら、千登世はあともう一きと、殊更丁寧に尻尾しっぽにブラシを通した。何度も何度もくしけずった尻尾しっぽは美しいつやが出ており、整えられた毛並みは見ているだけでうっとりしてしまうほど。
 このまま顔面ダイブしたい気持ちをぐっと我慢しながら、千登世は話を続けた。

「紺野ちゃんいわく、一族皆が若様のことが大好きで、なんかもうアイドルみたいな存在になってるんだって」

 美玖も例に漏れず、若様のガチファンらしい。彼女の部屋には、若様のブロマイドまであるそうだ。

所謂いわゆるし〟なんだよね」


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