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アーナスター編

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   何者かと問われたリリーだが、何の事かと後ずさる。だがエンヴィーは、逃げるように下がったリリーの手を、再び掴んで強く引き寄せた。

   「行きましょう。フェアリオと、新しい聖女のフェアリープに会わせます」

   「!?」

   半ば引きずられる様に進みだしたリリーを見て、なんとか立ち上がったナーラは再び吐血と共によろめいた。

   「い、嫌よ、私、行きたくない。…な、ナーラ様、」

   蒼い瞳はすがるように三人の護衛騎士を見たが、口から流れ出た血を見て「助けて」という言葉を飲み込んだ。

   「アストラ卿、……動けるか?」

   「…………はい」

   「エール卿は、……ここに残れ」

   「俺が行きます」

   「……いや、ファン殿を頼む」

   「ですが、」

   「……くっ、」

   軋むような一歩を踏み出したナーラに続き、歯を食い縛りながらエレクトも前に進む。ゆっくりと目の前を歩き、彼らの間を捕らえた獲物を見せつける様に歩くエンヴィーと、振り返り振り返り進むリリーの背に向かって、動かない身体を無理やり前に進める。

   それを見た黒の瞳は、フッと口の端を上げた。

   「見て、信じられないな。異界の因果律に支配されたこの場で、歩くとは」

   ゆっくりだが、自分達を追う二人の騎士。

   「文献によると、過去にそんな者は居なかった。因果律に逆らい動くと全身に過重がかかり、五感が引き裂かれる様な感覚と共に、動いた分だけ体内に負荷がかかると記されていた」

   「っ……、……う、」

   「想像を絶する苦痛。存在を否定され、まるでここから出ていけと、この世から異物を弾き出す様に精神的、物理的に攻撃される。生き残る術は、支配する場に見つからない様に動かず、息を潜める事のみ」

   「……こんなこと、やめてもらえるかしら」

   護衛が居なければ何の力も無い。蒼白な顔で引きずられるだけのリリーを嘲笑うかの様に、エンヴィーの目と口は弧を描く。

   「因果律と異物について」

   「?」

   教師の口調で語り始めた。それを訝しむリリーは、整ったエンヴィーの顔、顎の線を困惑に見上げる。

   「あの空に浮かぶ三叉の魔方陣は、異界とこの世界を繋ぐもの。つまり、異界の理を我らの世界に流し込んでいるんだ」

   「??」

   「この国を護る結界などではない事は、すでに右側ダナーは知っているだろう。人々には気付かれない、少しだけ異界の理を流し続け、この世とあの世の境界線を曖昧にする。それが本来の結界の役割り。ここまでは理解出来ましたか?」

   「……」

   生徒からの返事は無い。それに薄い唇は「ふむ」と、不満に口を結んだ。

   「なぜこれをしなければならないのか。それは聖女と呼ばれる異物が初めて召喚された時、この世の因果律に支配され、倒れた騎士達の様に動く事が出来なかったからだとされる。この因果関係を覚えておくように」

   「因果律って、何?」

   「この世という、そのもの」

   「???」

   「始まりのエー、次のビーに関しては、召喚に成功したもののこの世界の因果律に支配され、全く動けずそのまま終わったという。先程の因果律の支配により起こる五感などの説明は、召喚により異界と繋がる魔方陣の中で回復出来た、シーから記録したとあった」

   反応は無い。むしろ聞いているかもわからない。出来の悪い生徒は、教師が話す言葉に相づちもなく沈黙する。

   「これにより、召喚に際して必要な魔方陣、それと同じ紋を空に掲げることで、常に異界とこの世を繋げ、異物が活動出来る様に、異物が住む異界の理を、少しだけこちらに流し込む様になった」

   「……」

   「今回はあの紋を利用し、境会アンセーマが範囲を限定し、異界の支配を強めた結果、逆にこの世の者達が動けなくなったというわけだ」

   「でも貴方は動いているわね」

   「そう。私たち灰色の祭司は特別だから」

   「特別?」

   「私たちは異物との混血、その子孫だから。異界の因果律もこの世の因果律も関係なく受け入れられる」

   「……便利ね」

   「だが主祭司である赤色の祭司はそうではない。彼らは境会アンセーマの創設者、その一族の末裔だから、異物との混血ではないんだ。だから支配の量を大聖堂で調整出来ても、因果律に逆らえないからこの場に入って来れない」

   「ふーん」
     
   生徒の気の無い返事に、エンヴィーは内容を変えることにした。

   「私たちと違うと言った意味が分かったか?」

   「??」

   「なぜ君は、異物との混血ではないのに、異界に支配されない?」

   「…………思い当たる節はある」

   「何だ?」    

   「聞きたい? ならこれ以上、私の護衛を苦しめる事を、やめてもらえるかしら」

   震えてはいない。ダナーのリリーは怒りにはっきりとエンヴィーに命じた。それを面白がる様に眺めたが、ふとあることを思い出した。

   「貴女の願いを叶えれば、私の願いを叶えてくれますか?」

   「可能な限り」

   弱者のはずの大貴族の少女は、自分の立場を理解出来ずに常に上に立とうと試みる。その憐れな気概を見たエンヴィーは、腹の底から乾いた笑いが込み上げた。

   「……ふふ、ハハッ」

   ぐいっと掴んだ手を強く引っ張ると、突然走り出す。

   「!!」

   「ハハハハハハハハッ」

   狂喜に笑いながら走り始めたエンヴィーに、抱え込まれる様に連れ去られる青のドレス。

   「あの野郎…」

   怒りに悪態は吐き出たが、同じ様に走り追う事は出来ない。ナーラとエレクトは、木々の間に消えたリリーの姿を血走った目に焼き付けた。   

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