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壱 出会いの章

57話 魔属性

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 緋夜の手首に刻まれた黒々とした跡を見てその場にいた全員が顔色を変え、中には青褪めている人さえいる。
 周囲の反応に困惑している緋夜の肩をガイはやや乱暴に掴んだ。その表情はひどく険しい。

「ガ、ガイ……どうしたの?」
「それはこっちの台詞だ。何があったらこんなものがつく!」

 混乱しながらメディセインとアードを見るとガイと同じような表情になっている。

「えーっと……とりあえず痛いから手を離して。ちゃんと説明するよ」
「……ああ」

 今更気まずくなったのか、僅かに視線を逸らしながらゆっくりと手を離した。

「さっきまで仮眠をしていたのだけど、その時にすごく気分の悪い夢を見て」
「夢?」
「うん。牢……ではないけど、罪人を収容するような部屋って感じの場所に立っていて奥の方になにかがあったから少し近づいて見てたんだけど……手首と足首に鎖をつけられたモルドール父娘だった」
「何……?」
「事実ですか?」
「間違いない……と、言いたいところだけど初めて会った時よりもいろいろボロボロだったからちょっと自信ない。でも色彩は同じだったから多分本人たちだと思う」

 曖昧な表現をする緋夜をガイたちは珍しく思いながら目で続きを促した。

「その時ミラノと目が合って、ミラノはぶつぶつ恨み言を言いながら這うようにしてこっちに来て、私の手を掴んだ」
「……まさか、その手首が掴まれた跡だとでも言うのですか?」

 伺うようなメディセインの言葉に全員が信じられないと言った目を緋夜に向ける。

「うん。まあ信じられないのも無理ないよ。私も目が覚めるまではただの夢だと思っていたから」
「だが、夢から覚めたらその手形が刻まれていた、と?」
「信じたくはないけどね。でもあの夢は妙に生々しかったし、それに……」

 一瞬言葉に詰まった緋夜を見てガイたちは顔を見合わせた。

「あの二人から気味の悪い気配がしていた」
「なんだそりゃ」
「わからない。魔力のようだけど、禍々しい毒のようなドス黒い魔力だった。本当に微弱だったけど」

 緋夜の話が進むにつれ室内の空気が急激に下がっていくのはきっと気のせいではないだろう。

「……他には?」

 ファスの声は抑揚がなく冷え切っており、ガイも子どもどころか大人まで泣き出しかねないほど凶悪なものになっていた。

「この痣が目覚めた直後から変化しています」
「変化? その手形がですか?」
「はい。起きた時はもっと手形が染みのようなものだったのですが、今は何かの文字が手の形をしているというか」
「……形が変化…………そうですか」

 重苦しい空気が漂う中、ファスはゆっくりと目を閉じて、静かに何かを考え始めたが、すぐに目を開けると表情を変えることなく口を開いた。

「確かに我々は捕らえた二人を牢へは入れましたが、騒ぐ暴れるいう全く手のつけられない状態で、他の罪人と隔離したのですよ。手枷と足枷をつけて。我がネモフィラ皇国で最も厳重な部屋に閉じ込めています」
「てことは」
「はい。ヒヨさんの見た夢はただの夢だと断定することはできません。むしろ、なんらかのメッセージ性があると言ってもいいでしょう」

 ただの夢ではない。ファスの言葉に緋夜たち揃って険しい顔になる。
 予知夢というものは向こうの世界にも存在している。実際に見ている人は少ないだろうが、妖怪が出てくる話では力の強い陰陽師や巫女が見ることもあり、魔法が題材の話でも夢が鍵になるものが多数存在する。
 勿論緋夜は予知夢など一度も見たことはない。だが、この世界に来てからというもの何かとおかしなことがあるのも事実なため、下手に否定もできない。
 
「ヒヨさんは、魔属性というものをご存知ですか?」

 ファスからの唐突な質問に現実へと引き戻された緋夜は知らない単語に首を傾げる。

「いえ、聞いたことありません。属性というからには魔法の種類の一つ、なのでしょうけど」

 これまでの話とどう繋がってくるのかいまいちわからないものの、とりあえず正直に言葉にする。
 緋夜の答えに一つ頷いたファスは徐に周囲を暗転させ、そこに十二個の玉を浮かばせた。

「この世界には十二の属性が存在することは既に知っているでしょう。一番最初に生まれたのが光と闇です。その後ほぼ同時に他の属性も誕生し、十二属性で固定されたのですが魔属性だけは別です」

 十二の玉が消え、今度は豊穣の大地が映し出される。

「世界中を巻き込む戦争が起こりました。何故起こったかは伝わっていませんが、大地には夥しい血と共に様々な負の感情が充満しました。そうして生まれたのが魔属性です」

 ファスの説明を聞きながら緋夜は先ほどの夢を思い出す。とてつもなく嫌な予感が体中を走り、無意識のうちに握った手に力が入った。

「魔属性に触れてしまえば凄まじい苦痛と共に落命すると言われており、魔属性に堕ちた存在は理性も自我も何もかも失くし、命尽きるまで周囲を壊して汚していきます。そして一度堕ちてしまった存在は元に戻すことができず、問答無用で討伐対象になるのです。命が尽きれば肉体は塵となり、魂さえも残らないそうです。ですから魔属性は禁忌の属性として危険視されているのですよ」
「……」

 あまりの内容に緋夜は息を飲んだ。後付けされた属性はただただ破壊と汚染をしていく忌み嫌われるもの。十二属性が恩恵なら魔属性は呪い。世界はいつでも無情で残酷だ。
 緋夜は元の世界での悲劇を思い出す。人が作り出した代物は最悪の毒となって日本へと降り注いだ。自然を壊し喰らい尽くして、そうして自然に手痛い仕返しを受けている。
 同じなのだ。向こうの世界もこの世界も。

「それは割と有名な話なのですか?」
「いいえ、知らない人もいます。以前は絵本や物語の中で綴られていたのですが、戦争や人が死ぬような話を子どもに教えるなんておかしいという声が子煩悩な親たちから上がり、あまり出版されなくなってきていましてね」
「……」

 その言葉を聞いて緋夜は静かに視線を逸らした。とても聞き覚えのある話だ。
 日本でも昔は教科書に載っていた死の描写のある切ない話や戦争などの悲しい実話が題材になっているものは親たちの批判を受けて次々と失われている。
 その話を聞くたびに馬鹿じゃねえのと呆れを抱いていたのが懐かしい。まさか異世界でもそんな話を耳にする羽目になろうとは。
 なんとか現実へと戻り、緋夜は情報を整理した上でファスに質問をした。

「魔属性については理解できました。ですがこのことと痣には一体なんの関係が?」

 大方の予想はついている緋夜だが、より正確にしておくに越したことはない。嫌な予感で眩暈を起こしかけてはいるが、気力で保ちながら真っ直ぐにファスを見る。

「貴女の手首の痣からは禍々しいほどの呪いの魔力を感じます。おそらく夢の中の存在に腕を掴まれた際、貴女に影響が出てしまった」
「魔属性に触れた者は苦痛と共に落命する……」

 緋夜は自分で発した言葉を頭の中で反芻し、ガイたちが顔色を変えた理由に辿り着く。確かにこれは焦るだろう。緋夜の死亡フラグがたったのだから。

「判りました。しかしそうなると私が夢で見た二人は魔属性に堕ち始めているということになるのでは?」

 緋夜の言葉に周囲はハッとなり、ファスはすぐさま部下に指示を出す。

「すぐに伝達を。念のためシネラ王国にも連絡を回せ」
『はっ!』

 指示を受けた騎士たちは即座に動き出し、ファスも立ち上がる。

「魔属性に触れてしまった以上、苦痛は訪れるのは免れません。しかしその痣を見る限り僅かながら猶予はあります。堕ちた存在と違い、触れただけならば痣が全体に広がる前に元を断ち聖属性と光属性で治療ができます」

 早口でそう言ったファスの表情にあまり余裕は感じられず、しかしそれでもしっかりと前を見据えて言葉を紡ぐ。
 そんなファスに緋夜は無言で頷く。

「判りました。ですがいつ暴走が始まるかも判りませんので、くれぐれもお気をつけくださいね」
「はい。こちらの不手際により貴女を疑いあまつさえ禁忌に触れさせてしまい、誠に申し訳ありません。魔属性の方はこちらで対処しますので魔物暴走スタンピードが発生した際はご協力お願いします」
「勿論です。おまかせを」
「それでは私たちはこれで失礼します」
 
 言うが早いかファスは急いで部屋を後にし、室内には緋夜たちだけが残された。
 足音が遠ざかった途端、緋夜は脱力したように倒れ込む。

「大丈夫か?」

 倒れ込んだ緋夜を男三人が覗き込む。

「……なんとか。あ~最悪。ただ仕事しに来ただけなのに」
「そうだな。これまでもいろいろあったがまさか魔属性とはな」
「本当に今回ばかりは少々不幸すぎますね、ヒヨさん」
「ひとまず、君はできるだけ休んで体力を温存していた方がいい」
「でも、それだと……」
魔物暴走スタンピードのことは気にしないで。ガイもメディセインも僕もそこまで弱くないから。より深刻な状態の仲間を無理に戦わせるほど、僕たちは外道じゃない。だからこちらは気にしないで」
「今回はイレギュラーもいいところだ。余計なことは考えずに休め」
「こんなことで貴女に倒れられるわけにはいきませんからね」

 三人の言葉に緋夜は申し訳なさと無力感を感じながら、優しさに笑顔を返す。

「ありがとう」
「いいんだよ。それよりも休んで体力を維持していた方がいいよ」
「うん、じゃあ私は部屋に行くよ。こんなことで倒れないためにも」
「ああ」
「こちらはおまかせください」
「しっかり休みなよ」

 緋夜はガイたちに手を振りながら部屋を出て扉を閉めて立ち止まり、やがて全力でその場を後にした。
 一方、緋夜が出て行った室内でガイたちは駆けていく緋夜の足音を聞きながら悲痛な空気を纏わせていた。

「だいぶ余裕がなくなっているな」
「無理もありませんが、彼女があの状態なのは調子が狂いますね」
「一刻も早く事態が良くなることを願うしかないよ。先駆け人とはいえネモフィラに干渉する権利は僕たちにはないからね」
「厄介なものですね」
「とりあえずいつも通りにしていよう。僕らまで沈んだら彼女は余計に辛いだろうから」
「……妙に情があるからなアイツは」
「そうですね」

 アードの言葉にガイとメディセインも頷き、合意した。

(あんまり思い詰めるんじゃねえぞ)

 そう思いながら扉に視線を向けるガイの横でアードもまた、扉から出て行った緋夜の背中を思い出していた。


     



 




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