悪役令息の花図鑑

蓮条緋月

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二頁 アジサイの涙

30話 通り雨

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「は、え……???」

 地べたに座り込み、頬を押さえるイデアルは状況把握が追いつかないらしくキョトンとしている。イデアルが持っていた本は俺が殴った勢いで別の場所に吹っ飛んだ。
 よっしゃー綺麗に入ったぜ! すっきりした!

「え、えっと……アクナイト公子様、なぜ……」
「……君の部屋に行ったとき、アジサイが無残な姿で床に散らばっていた。神聖な学舎を何だと思っている?」
「……っ」

 そんなに俯いても許さんぞ。こっちはあの池で朽ちたアジサイを見た時からお前を殴りたくてうずうずしてたんだよ。

「しかもよりにもよって花に八つ当たりをするとは、万死に値する行為だ」
「……。 ……?」

 イデアルはなぜかぽかんと口を開ける。何だその顔は、文句あんのかゴラァッ!

「は、な……ですか?」
「何か言いたいことでもあるのか?」
「いえ、その……えーっと……」

 しどろもどろに何か言おうとしているイデアルだがそんなものに耳を貸す余裕は今の俺には残念ながら、ない。花を冒涜した罪は重いぞ覚悟しろ!

「君はただ咲いていた花を無残にも踏みつけにしたのだ。花に対してなんという不敬なんという冒涜だ。正直一発殴っただけでは足りないのだが?」
「……えーっと、あのアクナイト公子様」
「何だ」
「花……お好きなんですか?」

 その問いにあたりが静まり返る。
 ……。
 やらかした。シュヴァリエの性格を維持するって記憶が戻ったその日に誓ったはずだ。学園ではすぐに行動が変わるとまずいってことで、こっそりやるということで納得したんだよな? なのにこんなすぐ自分でバラしてどうするんだ。

「……」
「……」

 言ってしまった以上は誤魔化せない。俺、撃沈。……こうなったら開き直りだよっしゃあ! ……馬鹿

「……悪いか」
「…………い、いいえ! 申し訳ありません、その、ぼ……私は……」
「……いい。どうせそのうち広まる」
「そ、そうですか……あの、お聞きしてもいいですか?」
「君は質問をするのが好きだな」
「も、申し訳ありませんっ!」

 そして謝るのも好き、と。イデアルはクラルテ同様に結構素直な人間なんだろうな。そんでもって少し気弱だけど知識欲は強い本の虫。ゲームではモブキャラで出番は圧倒的に少ないながらもそんな印象を抱いたっけ。俺は嫌いじゃなかったな。それにアラグリアがアレだったからモブの中でも人気はそれなりにあった。
 人気で思い出したけど、なんかゲームのファンサイトでモブキャラ人気投票なるものをやっていたな。俺も兄貴と一緒に参加した……というよりはさせられたけどその中では確かイデアル・オルテンシアが三位だったはずだ。もっとも俺が参加したのは一回きりだったからその後変動したかもしれないけど、人気のあるキャラなのは確かだ。まあ、趣味くらい隠すほどでもない……か。

「ーー別に、謝る必要はないだろう。好きなのは事実だ」

 俺が素直に言うと、イデアルは軽く目を見開いた。

「……そう、なんですね」

 それだけ言ってイデアルは黙り込む。再び静寂が訪れるがさっきと違って気まずいものではなかった。

「……なぜあの女などを好きになった」
「……え?」
「身分が違うと判っていたはずだ。なのになぜ好きになった。結ばれないと理解していただろうに」

 そう言うとイデアルはまた口を閉じてしまう。そして長い沈黙の後、静かに口を開いた。

「……アクナイト公子様にお話なんて図々しいかもしれませんが、聴いていただけますか?」
「いいも何も質問をしたのは私だ」
「……ありがとうございます」

 そうしてイデアルはアジサイを見ながら語り出す。

「……私は昔から本が好きなだけの人間で突出した才があるわけでも優れた容姿があるわけでもありませんでした。まあそれは今もですけど……。あまり社交的な性格でもない本ばかり追いかけている人間に興味を抱いてくれる人間はいなくて、ほとんどひとりでした。だけどそんな時優しく声をかけてくれたのがリコリス侯爵令嬢でした。もちろん初めは僕なんかがって思っていましたが、彼女は僕を見てくれたんです。初めて自分に意識を向けてくれた人だから恋愛感情を抜きにしても純粋に嬉しかったんですよ」

 そう言いながらどこか悲しげな眼差しで笑みを溢すイデアルの話を俺は黙って聞いていた。確かに初めて自分を見てくれた人なら大切な存在になっても不思議じゃない。

「ですが次第にずっとそばにいてほしいと思うようになって……まあ、あの小箱にあった言葉にだいぶ衝撃を受けてすごく悲しかったし絶望しましたけど、それでも彼女のこと嫌いになれませ……」

 最後まで言い終わる前にイデアルは俯き次第に嗚咽を漏らし始めた。

「すみませんっ……泣いてしまって…………アクナイト公子様の……前では……無様を…晒して、ばかりっ……ですね…………」
「……」

 ゲームでのモブはあくまでも主要キャラを盛り立てるための存在でしかないけど、こうして直に話してみればモブと言われるキャラもしっかり『生きている』のだと実感する。生きていなければこんな感情は持てない。
 …………そうだよな、俺は今『この世界の住人』なんだよな。人と関わらずに生きていくのは無理だ。趣味を続けるために主要キャラには関わりたくないってのは変わらないけど、こういう時くらいは普通に会話をしてもいいのかも。ベルデのように……。
 それにこれはきっとシュヴァリエも歩めたはずの道だ。には向こうで楽しい家族も友だちもいて『普通』に過ごしてきたけど、シュヴァリエはそうじゃなかった。彼には『普通』の生活がなかったんだから。ゲームのキャラなんて盤上の駒でしかなくてその全ては八百長試合でしか使われない。
 ーーだけどもし、その八百長の流れを断片でも知っている者がいるのならそれを覆すこともできるんじゃないか? シュヴァリエのように不幸になることが定められた存在も幸福になる可能性を与えられるんじゃないだろうか。マリオネットがその糸を断ち切って自ら動き出すように、シュヴァリエもきっと。
 それなら今目の前で生きている存在との会話だってぜんぜん不思議じゃないよな。もっと人間らしく話をしよう。ゲームの主要キャラに関わりたくないって思うのも誰かと関わりたいと思うのもの自由。
 ーーそうだろう、シュヴァリエ?

「私は君のことなどどうでもいい」
「っ……そう、ですよね」
「だからーー涙を流すことを無様と思う必要もない」

 それだけ言ってやるとイデアルは黙り込み次第に嗚咽が強くなっていき同時に俺の顔に雫が落ちてきた。

「雨だな」

 最初は霧雨のようなものだったそれは次第に強まり、最後にはどしゃ降りへと変じた。イデアルの嗚咽は雨音にかき消され、こんな近くにいるのにほとんど聴こえない。
 このタイミングで降るなんて、まるでこいつの涙のような雨だな。
 ーー俺もいつか、失って涙を流せるほどの恋をする日が来るんだろうか。その相手は誰なんだろう。
 その時、横から静かに傘を差し出された。

「濡れる」

 傘を差し出した人物はアウルだった。

「なぜここに?」
「昨日アジサイ噴水のところで話をすると言っていただろう。そしたら雨が降ってきたから気になってね。もし外にいるなら傘がないだろうと」
「……余計なお世話をありがとうございます」
「素直じゃないな。ところでオルテンシア公子はーー」

 アウルはそう言いながらそっと視線を向けた先で泣きじゃくるイデアルを見て、言いかけた言葉を飲み込んだ。

「……この雨はどのくらい続くんだろうか」
「それは空の気分次第ですね」
「……そうだな」

 だけどせめてイデアルが泣き終わるまではーー


       ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 散々泣いて気が済んだのか涙を拭って恥ずかしそうに視線を逸らすイデアル。それを見計らったかのように雨足が弱まっていく。

「あの、ありがとうございますアクナイト公子様。おかげで少し軽くなりました。まだ完全に割り切ることはできないと思いますが、いつまでも俯いていられません。ありがとうございました」
「……気が済んだのならさっさと行け」
「はい。それではアクナイト公子様オルニス公子様失礼します」

 幸い本はちょうど屋根のあるところに吹っ飛んだらしく、一滴たりとも濡れていない。……ああ、雨か。

「イデアル・オルテンシア」
「? はい」
「もう少しここにいろ」
「はい?」
「居たくないなら構わないが」
「……ではお言葉に甘えてもう少し」

 イデアルがおずおずと立ち止まると同時に雲の隙間から陽の光が差し込み、雨に濡れたアジサイへと降り注ぐ。それはまるで天然のスポットライトのように露の滴るアジサイを照らし、光を受けた雫が宝石のように煌めく。雨上がりだからこそ見られる絶景だ。

「うわ……」
「これは……」

 アウルとイデアルも眼前に広がる光景に目を見開いて嘆息した。ほんとまじで綺麗。アジサイが咲く季節が梅雨で良かったかも。こういう景色が見れるから俺、雨が好きなんだよな。

「アクナイト公子はこの光景を知っていたからオルテンシア公子を引き留めたのか?」
「ご想像にお任せしますよ」
「ありがとうございますアクナイト公子様。僕、もう大丈夫です。本当にありがとうございました」
「私の用件は済んだんだ。さっさと行け」
「はい、アクナイト公子様オルニス公子様失礼します」

 そう言ってイデアルは今度こそ去って行った。あの様子なら本当に大丈夫そうだな。

「思いがけず素晴らしい光景が見られた。ありがとう」
「なぜ礼を言うのですか? 貴方が勝手に来ただけでしょう」
「それもそうだな。しかしオルテンシア公子はすっかり立ち上がったようだ。一体どんな話を?」
「いちいち教える仲でもないでしょうに」
「確かに根掘り葉掘り聴くものでもないか。俺が来るまでだいぶ濡れただろう。部屋へ戻って着替えてきてはどうだ」
「貴方に言われずともそうしますよ」

 そして俺はその場から立ち去ろうとした時。

「アウルー!」

 やけに元気な声と共にクラルテたちが姿を見せた。……いや、は? なんで?

「クラルテ」
「雨大丈夫だった?」
「俺は平気だ」
「良かった……って、アクナイトさんずぶ濡れじゃないですか! 風邪引きますよ!?」
「君に気にされる筋合いはない」
「シュヴァリエ様、人が心配していたというのに随分な言い草ですね。ありがとうぐらい素直に言えないですか?」
「なぜここにいる」

 ぞろぞろとやってきた面々に俺は内心頭を抱えていると、クラルテによって爆弾が投下される。

「だって心配だったんですよ。昨日アクナイトさんがオルテンシアさんを呼び出すから、アクナイトさんがどんな行動を取るか見ていればリヒトの態度も軟化するかと思って……」

 ……ハイ? 

「……思って、なんだ? まさか覗き見をしていたわけではないだろう?」
「……あ」
 
 しまった、とばかりの声を上げたクラルテに俺はゆっくりアウルを見るとーー苦笑しやがった。
 てことはなに? まさか話全部……キカレタ?

「……すまない。雨が降ってきたから切り上げたがずっと見ていたんだ」
「殿下もですか?」
「申し訳ありません。アウルとクラルテから話を伺って私も気になってしまいましてね。シュヴァリエ公子はやはりお花がお好きだったんですね」

 ……終わった。

 全く申し訳なさそうではないエヴェイユ、呆れ顔のリヒトそして罪悪感を滲ませるアウルとクラルテ。
 その様子を見て俺は思った。

 ーーやっぱりこいつらとは絶対絶対絶っ対関わりたくねえ~~~!!!!!


・・・・・・・・・・・

 
 次回から『三頁 ローダンセの喜劇』が始まります。お楽しみに♪






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