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一頁 覚醒のロベリア
シュヴァリエの本性(side アクナイト公爵)
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書斎に戻った私はしばらく言葉が出なかった。先ほどのやり取りが頭にこびりついて離れない。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
シュヴァリエは私がまだ爵位を継いで間もない頃に、ある貴族の夜会であてがわれた接待係の娘との間に生まれた。私はあの娘を抱くつもりは全くなく、名前すら知らない。しかし当時は国が少々ゴタついており、自然と貴族同士の関係強化の気風が高まっていた。もちろんそれはアクナイトも例外ではなかった。むしろ公爵家が筆頭となって各派閥内で動いていたのだ。公爵になりたてであった私の足場が不安定だったことと、相手の貴族がアクナイト公爵家と古くから付き合いのある家だったということもあり、断りきれずやむなく娘を抱いた。しかしまさか身籠るとは思わなかった。数年経った後でそのことを知り、悩んだ挙句に私は引き取ることにした。腐ってもアクナイトの血が入っている人間を他家に置いておくわけにもいくまい。
引き取ったばかりの頃のシュヴァリエは子どものくせにひどくつまらない存在で、私もさして興味は抱かなかった。すでにシエルを授かっていたこともあるが、何よりも好きで抱いたわけでもない女が勝手に孕んだ子をかわいいと思えるはずもなく、鬱陶しいとさえ感じていた私は極力関わらないよう過ごしていた。そのシュヴァリエはなんとか私に気に入られようとしていたようだが、私にはひどく浅はかで愚かなこととしか思わなかった。私がお前を気にいることなどないというのに……なんと滑稽な。
先日、シュヴァリエが毒に倒れたという報告を聞いた時、私は情けないという思いしか湧かなかった。アクナイトの直系の血を引く人間は生まれつき高い毒耐性を持って生まれてくる。どれほどの猛毒にあたろうともほとんど効かないためアクナイトの人間には毒殺という手が通用しない、というのは周知の事実だった。しかしごく稀にアクナイトの血の引くにも関わらず耐性の弱い子が生まれてくることがあり、シュヴァリエはまさにその稀な人間だった。ただでさえその出自は厄介だというのに、アクナイトの特徴も霞んでいるとは……。私はこの時、シュヴァリエを引き取ったことを後悔した。
……しかし、まさかこんなことになろうとは。
今日唐突にシュヴァリエが執務室を訪れ、アマラとその筆頭侍女を呼べと言い出した。いきなり何を言い出すのか、そもそもお前が私に何かを要求できるとでも思っているのか。身の程を弁えないその行動に蔑みが込み上げるが、なぜか私は了承してしまった。普段ならばあり得ないが、シュヴァリエに対していつもと違うと感じてしまったからだろうか。奇妙な心地を覚えながらも私はアマラとシエンナを呼び出した。
そこからはシュヴァリエの独壇場だった。淡々と紡がれる言葉といっそ不気味さを覚えるほどの詳細が記載された書類に私は自分の目の前で起こっていることを呑み込めずにいた。カルからの情報という話を聞けば納得はしたが、同時に私が知らないうちにカルと接点を持っていたとに動揺すら覚えてしまった。何よりも一番私を驚かせたのは私たちに対するシュヴァリエの態度だ。これまでずっと私たちの怒りに触れないよう、あるいは私に気に入られようと顔色を伺うような態度しか取ってこなかったはずだったが、報告を行うシュヴァリエは目に光を宿し、アマラを追い詰めていた。息子ではないと言った言葉は本心だったが、シュヴァリエも私への目つきが変わっていることに気づいた。
……だが、そんなことはどうでも良くなるような事態が私に起こった。
シュヴァリエが執務室でていく直前に、渡し忘れたと言って寄越した厚い茶封筒。まさかこんなものまで手に入れていたとは……! これが表に出ようものなら私は終わりだ。そう思った時にはもう体が動いていた。貴族としての矜持や気品などもはやどうでもいい。一刻も早くシュヴァリエの元へ行かなければ……!
焦燥に駆られる中、乱暴に部屋の扉を開けた先ではーーシュヴァリエとサリクスが碌でもない状況でソファの上にいた。一瞬自分の目的を忘れその場に固まってしまった。
ーー……何をやっているんだ。
どうにかそれだけ絞り出す。
ーー事故ですお気になさらず。
どういう事故だそれは。しれっとした顔で言うことかと思いながらも紅茶で濡れたテーブルと床が目に入り、状況を悟る。アクナイトの使用人ともあろう人間が何をやっているんだ。
サリクスにすぐさま片付けさせた部屋で私はシュヴァリエと向かい合った。憤りを覚える私にシュヴァリエは何の用かと厚かましくも聞いてきた。用事など判りきっているだろうに、さっきの出来事を思うとわざと言っているように思えてならん。しかもあろうことか贈り物とのたまった。毒にやられて随分と命知らずになったものだ。
……などと思ったのも束の間。シュヴァリエの言葉に私はもはや目上という立場を完全に封じられてしまった。アマラやシエル、ルアルにバラされるだけでも耐え難いというのに、よりにもよって国中にバラすと言ってきたのだ。カルとあっさり取引をしたことといい、すでに手筈も済んでいる可能性がある以上こちらにできるのはシュヴァリエに従うという道しかない。内臓どころか己の体全てが今にも燃え出してしまいそうなほどの怒りを覚えると同時に、あまりのシュヴァリエの変わりぶりにほんの少しの寒さを感じた。今目の前で私を脅しているのは一体誰なのだ、と。
不気味さが胸の奥に燻り始めた私に気づかずシュヴァリエは自分の望みを伝えてきた。だがその内容はいささか拍子抜けするものだった。私の最大の黒歴史を握ったのだからもう少し大それた願いかと思ったのだが。
しかしその理由を言われた時、私は身の程知らずだと心底思った。思いはしたが私の命運はシュヴァリエに握られてしまっている。聞き入れる以外の選択はない。……が。シュヴァリエの二つ目の願いに私は理解が追いつかなかった。
ーー私の趣味を妨害しないでください。むしろこっちが本命です。
何を言っているんだこいつは。自分の扱いのことよりも趣味の方が大事だと? 全くもって意味がわからん。しかもその趣味とやらが花集めときた。仮にもアクナイトの人間あろうものがそんなものに現を抜かすとは。など思って口にした言葉にシュヴァリエが少々声を荒げた。あまりの態度の変わりぶりに私は情けなくも少々たじろいでしまった。……そこまでその趣味が大事なのかお前は。
軽蔑は呆れへと変わり、渋々だが条件を受け入れることにしたのだが。
ーー夫人の部屋に置いているロベリアの花を私にください。
早速要求してきた内容に私は思考が停止した。命を奪いかけた花をよりにもよって欲しいとは、一体どういう思考回路をしていたらそんな言葉が出てくるのか。問えば趣味だと言う。
……。
こいつ実は相当の馬鹿ではなかろうか。しかも二回言った。シュヴァリエの発する奇妙な内容に私は先ほどの不気味さが確信に変わった。そして気づけば言葉が勝手に出ていた。お前本当にシュヴァリエか、と。そんな私の問いにシュヴァリエは心底楽しそうな笑顔で言った。いつもの私だと。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「はあ……」
少し頭を整理するために、私は椅子に深く腰掛け目を閉じる。
「いつもの私です、か……」
シュヴァリエの言葉を反芻する。私に気に入られようと顔色を窺う姿、怯えを滲ませた目。そしてつまらない言動。あれは全て偽りだったと、そう言う意味だろう。今日のシュヴァリエは光を宿した目でまっすぐ視線を合わせ、楽しそうにアマラを、そして私を追い詰める、あんな姿を私は知らない。…………いや、知らないのではなく知ろうとしなかった、が正しいか。アクナイトの特徴らしい特徴を受け継いでいない彼奴の気概はもしかしたら誰よりもアクナイトの血が濃いのではないだろうか。
そう思うと同時に私はシュヴァリエの一つ目の条件の理由に思い至る。
ーーアクナイトの姓を名乗ることを許したのにあの扱いは……はっきり言って矛盾しているかと。
…………なるほど、な。確かに私はシュヴァリエにアクナイトを名乗ることを許した。だが屋敷内での扱いがその姓に相応しいものだったかと考えれば微妙なところだ。部屋を与え金を与え学園にも通わせてやったにも関わらず、身の程も弁えずこれ以上何を望むのかと一種の軽蔑を抱いたが、それはすぐさま否定する。身の程知らずだと、強欲な奴だと思うのは私がシュヴァリエを使用人と同等に扱っているからではないか。アクナイトは公爵家。王家に次ぐ権力を有した家であり、王族との婚姻も度々行われる家だ。そんな家の姓を名乗っているのならば、扱いがそこらの使用人と同じでいいはずがない。使用人には不相応なものでもアクナイトの人間は持っていて当たり前のものだ。
思えば私はシュヴァリエを一度もパーティーなど社交の場に連れて行ったことがない。何かと理由をつけて参加させていなかった。社交の場に出させない。それだけで私のシュヴァリエに対する思いの現れだったのだ。……確かに矛盾している。シュヴァリエの出自がどれほど卑しくとも、それでも彼奴にアクナイトを与えたのは、他でもないこの私だ。
そこまで考えて私は自分がいかに愚かだったかを思い知った。私はアクナイト公爵家の体面を保つことしか考えていなかったが、そもそもが中途半端だったのだな。そのことを他でもないシュヴァリエに教えられるとは……なんと滑稽な。
だが、今更思い立ったところで何になるというのか。いくら反省し懺悔しようとも私のこれまでは変えられない。加えてシュヴァリエの口からはっきりと父ではないと言われたというのに。シュヴァリエのことをアクナイトの名を穢す存在と思っていたが、一番穢していたのは他でもないこの私だった。
父上、貴方はいつも私に言っておりましたね。お前は中途半端だ、アクナイトの信念を、心を何一つ理解していない、と。その言葉の意味が今ようやくわかった気がします。私はこれからシュヴァリエにどう接していけばよいのでしょう。
問いかけても意味のないことと思いながら、私は深くため息をついた。
……まずはシュヴァリエの望み通り、ダズルにロベリアの花を届けさせるか。彼奴の直近の願いはそこだからな。……今だ理解はできないが。
「ダズル」
「はい旦那様」
私の呼びかけにすぐさま反応し姿を見せたダズルにシュヴァリエの願いを伝える。
「アマラの部屋にあるらしいロベリアの花を今すぐにシュヴァリエの元へ届けろ」
「……承知しましたが、何故?」
「……シュヴァリエの希望だ」
「……失礼を承知で申し上げますが、あの花はシュヴァリエ坊っちゃまのお命を危険に晒した花だと思うのですが」
「アイツの思考回路など知らん。ただ欲しいと言っていた。どうせ捨てるのなら欲しがっている人間に持っていけ」
「かしこまりました。ですが、随分とシュヴァリエ様への態度が変わられましたな」
……ダズルは昔からアクナイトにいる古参中の古参だ。使用人でありながら父の歳離れた友人でもあったこの男には幼少期から何かと世話になり、今でも時折説教を食らうことがある。そんなダズルが、心底面白そうにこちらを見ていた。……此奴が笑っている様は実に気持ち悪い。
「あんなもので脅されてはな」
「おやおや、貴方が目を離している間にシュヴァリエ坊っちゃまは己の毒の調合を続けていらしたようですな。いやはや若者の成長というのは誠に早うございます」
「ニヤニヤするな、古狸が」
「古狸とは面白いですな」
相変わらず胡散臭い男だ。
だが、こんな男だからこそ聞いてみたいことがあった。
「……お前はシュヴァリエをどう思う?」
「……そうですね。綺麗な花には毒がある、を体現なさっている方と申しましょうか」
それは先ほどご自分で体験なさったかと思いますよ、と清々しい笑顔で言ってきたダズルに腹が立つが、実際その通りだった。
「いつからだ?」
「シュヴァリエ坊っちゃまのことにいつから気づいていたのか、というご質問でしたら、最初からでございますよ。伊達に歳を重ねておりません」
「……そうか」
「ですがずっと土の中にお隠れになっておりましたので、ようやっと芽を出してくださって非常に喜ばしく思います」
「ニヤニヤするな、古狸」
「これは失敬。今だ成長しておらぬどこかの甘えん坊も無事一皮剥けられて、二重の喜びが込み上げてしまいました」
……この男は本当に口が減らん。そろそろ引退してもいいと思うのだが。
「……それからアマラに何か見繕え。最後の土産くらいはくれてやる」
「それもシュヴァリエ坊っちゃまのご提案で?」
「……そうだ」
「なるほど。そういえば奥様は新しい靴が欲しいと仰っておりましたので、そちらでよろしいでしょうか」
「好きにしろ。靴にするなら色は赤だ」
「……この国における赤い靴の意味するものを承知の上でお送りなさるとは」
諌めるような言葉も何処か楽しげな古狸に私は顔を顰める。
「さっさと行け」
「はい旦那様」
一礼をしてさっさと書斎を後にした古狸に思わず舌打ちが出る。アクナイトの古狸は随分とご機嫌だった。アレにこき使われる使用人連中が哀れでならん。
しかしあのダズルがシュヴァリエのことを評価していたことに驚きを隠せない。古狸が評価しているということはシュヴァリエの能力が本物であり……相当の曲者だという証明だ。シュヴァリエにはダズルに気に入られる何かがあるということか。
……。
「………………嫌な予感がする」
私は己の予感が当たらないことを心の底から願った。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
シュヴァリエは私がまだ爵位を継いで間もない頃に、ある貴族の夜会であてがわれた接待係の娘との間に生まれた。私はあの娘を抱くつもりは全くなく、名前すら知らない。しかし当時は国が少々ゴタついており、自然と貴族同士の関係強化の気風が高まっていた。もちろんそれはアクナイトも例外ではなかった。むしろ公爵家が筆頭となって各派閥内で動いていたのだ。公爵になりたてであった私の足場が不安定だったことと、相手の貴族がアクナイト公爵家と古くから付き合いのある家だったということもあり、断りきれずやむなく娘を抱いた。しかしまさか身籠るとは思わなかった。数年経った後でそのことを知り、悩んだ挙句に私は引き取ることにした。腐ってもアクナイトの血が入っている人間を他家に置いておくわけにもいくまい。
引き取ったばかりの頃のシュヴァリエは子どものくせにひどくつまらない存在で、私もさして興味は抱かなかった。すでにシエルを授かっていたこともあるが、何よりも好きで抱いたわけでもない女が勝手に孕んだ子をかわいいと思えるはずもなく、鬱陶しいとさえ感じていた私は極力関わらないよう過ごしていた。そのシュヴァリエはなんとか私に気に入られようとしていたようだが、私にはひどく浅はかで愚かなこととしか思わなかった。私がお前を気にいることなどないというのに……なんと滑稽な。
先日、シュヴァリエが毒に倒れたという報告を聞いた時、私は情けないという思いしか湧かなかった。アクナイトの直系の血を引く人間は生まれつき高い毒耐性を持って生まれてくる。どれほどの猛毒にあたろうともほとんど効かないためアクナイトの人間には毒殺という手が通用しない、というのは周知の事実だった。しかしごく稀にアクナイトの血の引くにも関わらず耐性の弱い子が生まれてくることがあり、シュヴァリエはまさにその稀な人間だった。ただでさえその出自は厄介だというのに、アクナイトの特徴も霞んでいるとは……。私はこの時、シュヴァリエを引き取ったことを後悔した。
……しかし、まさかこんなことになろうとは。
今日唐突にシュヴァリエが執務室を訪れ、アマラとその筆頭侍女を呼べと言い出した。いきなり何を言い出すのか、そもそもお前が私に何かを要求できるとでも思っているのか。身の程を弁えないその行動に蔑みが込み上げるが、なぜか私は了承してしまった。普段ならばあり得ないが、シュヴァリエに対していつもと違うと感じてしまったからだろうか。奇妙な心地を覚えながらも私はアマラとシエンナを呼び出した。
そこからはシュヴァリエの独壇場だった。淡々と紡がれる言葉といっそ不気味さを覚えるほどの詳細が記載された書類に私は自分の目の前で起こっていることを呑み込めずにいた。カルからの情報という話を聞けば納得はしたが、同時に私が知らないうちにカルと接点を持っていたとに動揺すら覚えてしまった。何よりも一番私を驚かせたのは私たちに対するシュヴァリエの態度だ。これまでずっと私たちの怒りに触れないよう、あるいは私に気に入られようと顔色を伺うような態度しか取ってこなかったはずだったが、報告を行うシュヴァリエは目に光を宿し、アマラを追い詰めていた。息子ではないと言った言葉は本心だったが、シュヴァリエも私への目つきが変わっていることに気づいた。
……だが、そんなことはどうでも良くなるような事態が私に起こった。
シュヴァリエが執務室でていく直前に、渡し忘れたと言って寄越した厚い茶封筒。まさかこんなものまで手に入れていたとは……! これが表に出ようものなら私は終わりだ。そう思った時にはもう体が動いていた。貴族としての矜持や気品などもはやどうでもいい。一刻も早くシュヴァリエの元へ行かなければ……!
焦燥に駆られる中、乱暴に部屋の扉を開けた先ではーーシュヴァリエとサリクスが碌でもない状況でソファの上にいた。一瞬自分の目的を忘れその場に固まってしまった。
ーー……何をやっているんだ。
どうにかそれだけ絞り出す。
ーー事故ですお気になさらず。
どういう事故だそれは。しれっとした顔で言うことかと思いながらも紅茶で濡れたテーブルと床が目に入り、状況を悟る。アクナイトの使用人ともあろう人間が何をやっているんだ。
サリクスにすぐさま片付けさせた部屋で私はシュヴァリエと向かい合った。憤りを覚える私にシュヴァリエは何の用かと厚かましくも聞いてきた。用事など判りきっているだろうに、さっきの出来事を思うとわざと言っているように思えてならん。しかもあろうことか贈り物とのたまった。毒にやられて随分と命知らずになったものだ。
……などと思ったのも束の間。シュヴァリエの言葉に私はもはや目上という立場を完全に封じられてしまった。アマラやシエル、ルアルにバラされるだけでも耐え難いというのに、よりにもよって国中にバラすと言ってきたのだ。カルとあっさり取引をしたことといい、すでに手筈も済んでいる可能性がある以上こちらにできるのはシュヴァリエに従うという道しかない。内臓どころか己の体全てが今にも燃え出してしまいそうなほどの怒りを覚えると同時に、あまりのシュヴァリエの変わりぶりにほんの少しの寒さを感じた。今目の前で私を脅しているのは一体誰なのだ、と。
不気味さが胸の奥に燻り始めた私に気づかずシュヴァリエは自分の望みを伝えてきた。だがその内容はいささか拍子抜けするものだった。私の最大の黒歴史を握ったのだからもう少し大それた願いかと思ったのだが。
しかしその理由を言われた時、私は身の程知らずだと心底思った。思いはしたが私の命運はシュヴァリエに握られてしまっている。聞き入れる以外の選択はない。……が。シュヴァリエの二つ目の願いに私は理解が追いつかなかった。
ーー私の趣味を妨害しないでください。むしろこっちが本命です。
何を言っているんだこいつは。自分の扱いのことよりも趣味の方が大事だと? 全くもって意味がわからん。しかもその趣味とやらが花集めときた。仮にもアクナイトの人間あろうものがそんなものに現を抜かすとは。など思って口にした言葉にシュヴァリエが少々声を荒げた。あまりの態度の変わりぶりに私は情けなくも少々たじろいでしまった。……そこまでその趣味が大事なのかお前は。
軽蔑は呆れへと変わり、渋々だが条件を受け入れることにしたのだが。
ーー夫人の部屋に置いているロベリアの花を私にください。
早速要求してきた内容に私は思考が停止した。命を奪いかけた花をよりにもよって欲しいとは、一体どういう思考回路をしていたらそんな言葉が出てくるのか。問えば趣味だと言う。
……。
こいつ実は相当の馬鹿ではなかろうか。しかも二回言った。シュヴァリエの発する奇妙な内容に私は先ほどの不気味さが確信に変わった。そして気づけば言葉が勝手に出ていた。お前本当にシュヴァリエか、と。そんな私の問いにシュヴァリエは心底楽しそうな笑顔で言った。いつもの私だと。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「はあ……」
少し頭を整理するために、私は椅子に深く腰掛け目を閉じる。
「いつもの私です、か……」
シュヴァリエの言葉を反芻する。私に気に入られようと顔色を窺う姿、怯えを滲ませた目。そしてつまらない言動。あれは全て偽りだったと、そう言う意味だろう。今日のシュヴァリエは光を宿した目でまっすぐ視線を合わせ、楽しそうにアマラを、そして私を追い詰める、あんな姿を私は知らない。…………いや、知らないのではなく知ろうとしなかった、が正しいか。アクナイトの特徴らしい特徴を受け継いでいない彼奴の気概はもしかしたら誰よりもアクナイトの血が濃いのではないだろうか。
そう思うと同時に私はシュヴァリエの一つ目の条件の理由に思い至る。
ーーアクナイトの姓を名乗ることを許したのにあの扱いは……はっきり言って矛盾しているかと。
…………なるほど、な。確かに私はシュヴァリエにアクナイトを名乗ることを許した。だが屋敷内での扱いがその姓に相応しいものだったかと考えれば微妙なところだ。部屋を与え金を与え学園にも通わせてやったにも関わらず、身の程も弁えずこれ以上何を望むのかと一種の軽蔑を抱いたが、それはすぐさま否定する。身の程知らずだと、強欲な奴だと思うのは私がシュヴァリエを使用人と同等に扱っているからではないか。アクナイトは公爵家。王家に次ぐ権力を有した家であり、王族との婚姻も度々行われる家だ。そんな家の姓を名乗っているのならば、扱いがそこらの使用人と同じでいいはずがない。使用人には不相応なものでもアクナイトの人間は持っていて当たり前のものだ。
思えば私はシュヴァリエを一度もパーティーなど社交の場に連れて行ったことがない。何かと理由をつけて参加させていなかった。社交の場に出させない。それだけで私のシュヴァリエに対する思いの現れだったのだ。……確かに矛盾している。シュヴァリエの出自がどれほど卑しくとも、それでも彼奴にアクナイトを与えたのは、他でもないこの私だ。
そこまで考えて私は自分がいかに愚かだったかを思い知った。私はアクナイト公爵家の体面を保つことしか考えていなかったが、そもそもが中途半端だったのだな。そのことを他でもないシュヴァリエに教えられるとは……なんと滑稽な。
だが、今更思い立ったところで何になるというのか。いくら反省し懺悔しようとも私のこれまでは変えられない。加えてシュヴァリエの口からはっきりと父ではないと言われたというのに。シュヴァリエのことをアクナイトの名を穢す存在と思っていたが、一番穢していたのは他でもないこの私だった。
父上、貴方はいつも私に言っておりましたね。お前は中途半端だ、アクナイトの信念を、心を何一つ理解していない、と。その言葉の意味が今ようやくわかった気がします。私はこれからシュヴァリエにどう接していけばよいのでしょう。
問いかけても意味のないことと思いながら、私は深くため息をついた。
……まずはシュヴァリエの望み通り、ダズルにロベリアの花を届けさせるか。彼奴の直近の願いはそこだからな。……今だ理解はできないが。
「ダズル」
「はい旦那様」
私の呼びかけにすぐさま反応し姿を見せたダズルにシュヴァリエの願いを伝える。
「アマラの部屋にあるらしいロベリアの花を今すぐにシュヴァリエの元へ届けろ」
「……承知しましたが、何故?」
「……シュヴァリエの希望だ」
「……失礼を承知で申し上げますが、あの花はシュヴァリエ坊っちゃまのお命を危険に晒した花だと思うのですが」
「アイツの思考回路など知らん。ただ欲しいと言っていた。どうせ捨てるのなら欲しがっている人間に持っていけ」
「かしこまりました。ですが、随分とシュヴァリエ様への態度が変わられましたな」
……ダズルは昔からアクナイトにいる古参中の古参だ。使用人でありながら父の歳離れた友人でもあったこの男には幼少期から何かと世話になり、今でも時折説教を食らうことがある。そんなダズルが、心底面白そうにこちらを見ていた。……此奴が笑っている様は実に気持ち悪い。
「あんなもので脅されてはな」
「おやおや、貴方が目を離している間にシュヴァリエ坊っちゃまは己の毒の調合を続けていらしたようですな。いやはや若者の成長というのは誠に早うございます」
「ニヤニヤするな、古狸が」
「古狸とは面白いですな」
相変わらず胡散臭い男だ。
だが、こんな男だからこそ聞いてみたいことがあった。
「……お前はシュヴァリエをどう思う?」
「……そうですね。綺麗な花には毒がある、を体現なさっている方と申しましょうか」
それは先ほどご自分で体験なさったかと思いますよ、と清々しい笑顔で言ってきたダズルに腹が立つが、実際その通りだった。
「いつからだ?」
「シュヴァリエ坊っちゃまのことにいつから気づいていたのか、というご質問でしたら、最初からでございますよ。伊達に歳を重ねておりません」
「……そうか」
「ですがずっと土の中にお隠れになっておりましたので、ようやっと芽を出してくださって非常に喜ばしく思います」
「ニヤニヤするな、古狸」
「これは失敬。今だ成長しておらぬどこかの甘えん坊も無事一皮剥けられて、二重の喜びが込み上げてしまいました」
……この男は本当に口が減らん。そろそろ引退してもいいと思うのだが。
「……それからアマラに何か見繕え。最後の土産くらいはくれてやる」
「それもシュヴァリエ坊っちゃまのご提案で?」
「……そうだ」
「なるほど。そういえば奥様は新しい靴が欲しいと仰っておりましたので、そちらでよろしいでしょうか」
「好きにしろ。靴にするなら色は赤だ」
「……この国における赤い靴の意味するものを承知の上でお送りなさるとは」
諌めるような言葉も何処か楽しげな古狸に私は顔を顰める。
「さっさと行け」
「はい旦那様」
一礼をしてさっさと書斎を後にした古狸に思わず舌打ちが出る。アクナイトの古狸は随分とご機嫌だった。アレにこき使われる使用人連中が哀れでならん。
しかしあのダズルがシュヴァリエのことを評価していたことに驚きを隠せない。古狸が評価しているということはシュヴァリエの能力が本物であり……相当の曲者だという証明だ。シュヴァリエにはダズルに気に入られる何かがあるということか。
……。
「………………嫌な予感がする」
私は己の予感が当たらないことを心の底から願った。
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