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一頁 覚醒のロベリア
9話 事件の報告②
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「……その前にダズルの隣にいる料理人はなんだ」
そっちから質問してくれるとか、手間が省けていいねえ。まあ、公爵の執務室に料理長でもなんでもない人間が入ってきたら訝しむよな。執務室には重要書類が山積みだ。普通は絶対に入れないし、公爵の公的空間に入れる使用人は非常に限られた人間のみ。間違っても一料理人が入れる場所じゃない。けど重要人物なのでそんなことも言っていられないんだよ。
俺は机の上にある数枚の絵から一枚を持ち上げ、公爵と夫人に見せた。
「この絵の人物とそこの料理人を見比べてみてください」
「…………なるほど。そこの料理人が下手人か」
公爵の温度のない眼差しがファボルへと突き刺さる。視線を受けたファボルは可哀想なほどに青ざめブルブルと震えていた。普通は絶対に御目通りするはずのない雲の上のような存在の前に引っ張られて、こんな目を向けられたら怖いわな。こいつの場合は自業自得だから同情はしない。それに大事なことはなーんにも話していないんだから勝手に倒れるなよ。倒れても叩き起こすから。
「この者はファボル。以前はラウルス男爵の元で働いておりましたが、そちらで諍いがありクビになったそうです。仔細はこちらに」
俺はファボルの調査書を公爵に手渡した。公爵はしばらく文面を目で追っていたが、だんだんと険しい眼差しになっていく。うわぁ……すっごい顔しているよ。この公爵の考えていることが手に取るようにわかる。
「なぜこのような者がアクナイトの屋敷にいる」
「それはその者の口から語らせるのがよろしいかと」
ファボルは俺からの視線を受けると面白いくらい肩を跳ね上がらせた。怖いってか? どの道あんたに待っているのは破滅だ。最後くらい根性見せやがれ。あんたに語らせることに意味があるんだから。
「この場でここに入り込んだ経緯と毒花をサラダに混ぜた経緯、両方を話せ。間違っても虚言はするなよ」
お前に後はないんだから、と俺の声なき声が聴こえたのか顔色はもはや真っ白になっている。
「わ、わたし、は……ラウルス男爵の元をクビに……なった……あと、就職先が見つからず……路地……にへたり込んでいました…………。そ、そんな、とき、に、わたしに、声をかけてきた……人がいたんです……。な……なんで、も、久しぶりに……次男が帰って……くるのに……料理人が……たりないから……と、料理で、さ、サプライズがしたいの……だと言われ、そ、それの手伝いを……頼みたい……と……。過去の経歴は……問わない……と言われて、それで……」
うん、すっげえ歯切れが悪い。聞いているだけで眠くなりそうだな。こんなところで吊し上げる、しかも自分の口から語らせられるとか相当キツイよな。だけど、逃げられたら困るんだわ。それにもうちょっとでトカゲの尻尾のようになるところだったんだ。そんなこと許してたまるか。……まあ、こいつが相当の馬鹿だという要らん情報も明らかになったんだけど。経歴を問わないって言葉に釣られてやってきた先がアクナイトだぞ? 普通に考えてあり得ないってわかるだろうが。切羽詰まって犯罪に走るパターンはありがちだけど、こいつの場合は罪の上塗り。いくら訴えかけてもここにいる人間は一切同情する気ないみたいだし。普段は非常に温厚なダズルの目も氷柱みたいに冷たく鋭い。この中だと最後の良心ともいえる人にそんな目で見られたら終わりだろ。
というか俺は両方の経緯を話せっつったのに、黙りやがった。まだ終わってねえんだよ全部吐けこの野郎。
「……続きを言え」
「……その後は……わたしに、声をかけてくださった……方から……主からだと………花を渡されて、これを、食事に……添える……ように……と、この、花が……サプライズ……だと言われ……」
「それになんの疑問も持たずにそのまま盛ったのか」
「き、綺麗な、花……だったので…………」
そんなん言い訳になるか馬鹿。その発言をした瞬間、公爵はゴミを見るような目になったしダズルとサリクスの目の奥には殺気らしきものが宿った。季節は夏に向かっているというのにこの部屋は真冬の夜のように寒い。……やばい、こんな時になんだけど風邪引きそう。
「こんな低俗な使用人を誰が引き入れたのだ」
「……誰がお前をここに入れた? 言ってみろ」
ファボルはもはやろくに口も動かせないのか、見るに耐えないくらいに震え、かろうじて腕を上げるとある方向を指差した。その場にいた全員がファボルの指の先を辿る。そこにいたのはーー。
「この無礼者! 何故シエンナを指差しているの!?」
ファボルが示した人物はアクナイトの女主人の筆頭侍女、シエンナだった。途端に夫人が激昂する。俺はそんな夫人に冷めた目を向ける。叫んでばかりだなあんた。ちったあ落ち着け。
「……旦那様、発言をお許しいただけますか?」
シエンナの言葉に公爵は無言で頷いた。こいつも古参の侍女のひとりだし、ダズルには及ばずともある程度の信用はあるんだろ。でなきゃ使用人に発言など許すわけない。
無事に公爵の許可を得られたシエンナは余裕の表情で口を開いた。
「私はその者のことは存じません。今日初めて顔を合わせました。確たる証拠もない状況でそのような冤罪を被らされるのは心外ですわ。私はこれでも長年このアクナイト公爵家に忠誠を尽くしてきた身です。恩義ある公爵家に仇なす存在をどうして私が引き入れるというのでしょう」
……ちっ! なかなかどうして弁が立つ。少なくとも長年仕えてきたのは事実だし今は公爵夫人の筆頭侍女という地位も得ている。なんの地位もないただの料理人の言葉を覆すには充分すぎるほどのものを持っている。
「その通りよ! シエンナはこれまで私の筆頭侍女として最高の働きをしてくれているわ。それを侮辱するなんて何様のつもりなの!?」
うん、こっちも珍しく正論。というか夫人? 一応貴族の女なのにそんなに肩を上下させるのはどうなんだ、って……この話が始まってから似たようなこと何度思ったんだろう。……今更か。……なんてことを考えていたら、夫人がキッという効果音がつきそうなほど俺を睨んできた。……なんだよ。
「お前ね!? この者にこんなことをさせたのは! なんて下劣な人間なの! 私のシエンナにこんな屈辱をっ……」
「なあ、こいつが接触してきた日はいつだ?」
公爵の隣で喚く生き物を無視して俺はファボルに問いかけた。
「……一ヶ月前、です」
「嘘よ。シエンナは一ヶ月前は私と共に出かけていたんですもの。どこにも行けるはずないでしょう!」
「ええ、行かれていたみたいですね。アチェロの町に」
「……っ!」
アチェロという単語が出た瞬間、夫人の顔つきが変わった。シエンナも心なしか顔が引き攣って見える。それとは別に公爵が眉を顰めた。
「何故お前がそれを知っている?」
「言ったでしょう。私にもツテはあると。一ヶ月前、夫人と侍女数名はアチェロの町に買い物に出掛けています。アチェロにはラウルス男爵の屋敷があります。そこで男爵に暇を出された料理人の話を耳にし、利用することにした」
「馬鹿馬鹿しい。何故そんなことをする必要があるの?」
「貴族に暇を出されたのだから信用などあったものじゃないでしょう。その貴族が横暴で理不尽な人間であるならともかくその者は己の過失によって追い出されています。経歴に傷がつき、後のない身の程知らずな平民など捨て駒にするにはうってつけでは?」
「たとえそうだとしても、何故私がそんなことをする必要があるのかしら?」
自分にはそんなことをする理由がないとでも言いたげな顔で、顎をしゃくる夫人には余裕が浮かんでいた。さっきまで顔色を変えていたくせに器用な女だね。だけどあんたはすでに詰んでいる。
「それは……貴女が私を確実に殺すための算段を立てていたからですよ」
俺は笑顔で言ってやった。空気が一瞬固まり、次の瞬間夫人は何がおかしかったのかクスクスと笑い出した。
「あら嫌だ。とうとう頭までおかしくなったのかしら? シエンナを悪人呼ばわりした挙句私がお前を殺そうとしているですって? ここまで滑稽は話は生まれて初めてよ!」
ひとしきり笑った後、夫人の目には苛烈な怒りが滲んでいた。笑ったり怒ったり本当に忙しい女だなこの人は。
「私の元に召集の手紙が届いたのはその者が雇われてからちょうど一週間後です。貴女はその一週間の間に準備を整えた。今度こそ私の息の根を止めるために」
「ふん、愚かな妄想ね」
夫人が鼻で笑うが俺は無視して公爵の方を向く。
「ところで公爵、何故突然私を呼び寄せたのか、理由をお伺いしておりませんでしたが、公爵は私のことを嫌っていらっしゃったはずなのにわざわざ呼ぶとは考えにくいのですが」
あんなにはっきり息子じゃない発言する人間がいちいち呼び出すはずがない。現にシュヴァリエが学園に入ってから呼び出されたのは今回が初めてなのだ。気にもなるだろう。
「アマラがどうしても会って話したいことがあると聞かなかったからだ」
「それはいつのことですか?」
「……アチェロから帰ってすぐだ」
その言葉に俺はほくそ笑む。この人は意外にも虚偽や欺瞞が嫌いだ。ましてや今は嘘をつく理由も必要もない。だからただ事実のみを告げる。この人もだいぶ役に立つ。……まあ、それと同じくらい体面も気にするんだけど。
「それがどうした」
「実は夫人はアチェロの町で行商人からある物を購入していました」
「あるもの?」
俺は笑みを浮かべてそっと机の絵に指を乗せた。……ロベリアの花の上に。
「でたらめよ!」
すぐさま夫人が叫ぶ。この人、騒がないと気が済まない病気でも患っているんじゃないだろうな?
「別に貴女がお認めにならずとも、この時に取引を行った商人に問い合わせればすぐに判ることです。ところで貴女が取引を行ったのは嗜好と娯楽の国アーレアの商人ですよね」
「そうよ。それがどうかしたの? 別に私がどこの商人と取引しようが勝手でしょう」
「ええ、それは夫人の自由ですよ。誰とどんな品物を購入しようとも個人の都合ですから」
「だったら」
「商人たちはその取引をすべて記録しています。ましてや貴女は公爵夫人だ。いつどこで何をどれくらい取引したかすべて記録されている」
「それがどうしたっていうのよ。商人ならそのくらいは当然でしょう。まさか私が圧力をかけてこの毒花の記録を消させたとかいうんじゃないでしょうね」
「消させはせずとも言わせないことはできるでしょう? 商人は顧客の情報を他人に漏らすことはありませんし、相手が貴族の情報であるならば尚更。それに……どうやらこの商人に口止め料としてかなりの大金を渡したみたいですし」
金持ちお得意のやり方だ。金にうるさい商人なら食いつくだろうし、もし相手が金銭面での事情持ちだったら余計に釣られる確率は高い。夫人が取引した相手はまさにこれに当てはまっていた。まあ夫人は知らないだろうけど。というか金を積んだって言ったら顔色変わったな。
「そんな証拠がどこにあるっているの? お前の話は支離滅裂で聞くに耐えないわ。なんて時間の無駄なの」
時間の無駄ね。それはこっちも一緒なんだわ。意地でもロベリアを買ったと認めたくないみたいだけど、ちょっと公爵夫人という立場の人間にしては詰めが甘い。取引に関してもファボルの勧誘に関しても、だ。
……さっさと沈んでもらおうか。
「……ロベリアを購入したことを認めたくないのなら別にいいんですけどね、その商人今回が初入国みたいですよ」
「……なんですって?」
夫人とシエンナは揃って顔色を変えた。知らなかったんだな。だから詰めが甘いってんだよばーか。
俺の言葉と夫人たちの態度で公爵も気づいたのだろう。俺に向けられていた視線はいつの間にか二人に移されていた。
「ご存知なかったのですか? まあ知っていたらそんなお顔はされませんよね」
「……う、嘘よ。でたらめだわ」
「でたらめかどうか今から商業監査局に確かめに行きます?」
「……っ!」
途端に夫人は唇を噛んだ。シエンナも心なしか震えていた。そんな二人を横目に俺は残りの紙束を公爵に差し出す。
「なんだこれは」
「夫人が取引を行った時とシエンナがファボルを勧誘していた時の目撃証言を記載したものと、使用した店の記録です。取引を行った商人も同日同時刻に利用していましたよ」
公爵は無言でパラパラと捲るとため息をつきながら夫人を見た。その目は妻に向けるものとは思えないほど冷え切っていて、これまでこんな目を向けられたことなどないだろう夫人は青ざめて震えている。
「アマラ、この毒花を購入したか?」
うわーお……。すんごい冷たいお声ですこと。かき氷の方がまだ温かいんじゃないですかね。夫人は夫人でさっきまでの勢いはどこへやら、まるで生まれたての子鹿みたいだ。
「初めて入国する商人は一年間、商業監査局に持ち込んだ品物の一覧と金額を取引前と後の両方必ず報告するという規則がある。その記録を見ればお前が購入したかどうかは一目瞭然だ。加えてここに書かれている多数の具体的な目撃証言の記載……。言い逃れはできないと思うが?」
「そ、その目撃証言だってこの男が用意したのでしょう? ……でしたらそれもでっち上げの可能性の方が高いと思いますわ」
「あ、それを用意したのは、私ではなく情報ギルドのマスターですので、嘘だと思うのならそちらにお問い合わせください」
情報ギルドのマスターと聞いた瞬間夫人とシエンナの顔が青ざめた。大半の人間は顔こそ知らないがその名前は広く知られている。その名前の効果は絶大で、権力のある貴族であればあるほど敵に回したくない人間の一人だ。
「……やはり奴の情報か」
「……公爵はご存知だったんですね」
「ふん、お前一人で調べられるとは思えないからな」
その通り。俺ではこんな短時間でこれほどのことを調べるのは無理だ。むしろできるあいつがおかしいんだよ。俺は悪くないでーす。
……しかし公爵に問われているのに答える気配がないな。…………よし、ちょっとからかってみるか。
「ちなみにロベリアなんですけどね。実は香りにも毒があるんですよ。少しなら問題ないんですけど、ずっと吸い続けると体に影響が出ます。女性の場合ですと発汗性が増し、怒りっぽくなってだんだんと体型も丸くなってくるんですよね……外に置いておくのなら香りが霧散しますから長時間嗅いでいても影響は少ないんですけど、室内に置いていた場合は閉鎖空間の中で香りが閉じ込められている状態になるので非常に危ないんですよね。……加えて年齢が高い方ほど影響を受けやすいので、部屋には置かない方がいいんですよ……受けた影響は元には戻らないですし。それに男性の場合はもっと悲惨で、一年近く吸い続けると老化が早まり、わずか二、三年で命を落とすんです。まあ夫人がロベリアを購入されていないというなら大丈夫でしょうけど」
なんて言いながらチラッと見ると……夫人とシエンナの顔は真っ白になっていた。心当たりでもあるんですかね。ていうか二人揃って体型だいぶ変わっているのは事実だし。数年会っていないんだから、変化もあるよな。
「シエンナ、今すぐあの花を処分しなさっ……!!!」
そこまで言って夫人はハッとなり慌てて口を押さえるも後の祭りだ。夫人の発言は全員が聞いてしまっている。そして内容からシエンナも関わっていると明かした。青ざめながらゆっくりとこちらに視線を向けた。俺はにっこり笑ってやる。
……かかった。
そっちから質問してくれるとか、手間が省けていいねえ。まあ、公爵の執務室に料理長でもなんでもない人間が入ってきたら訝しむよな。執務室には重要書類が山積みだ。普通は絶対に入れないし、公爵の公的空間に入れる使用人は非常に限られた人間のみ。間違っても一料理人が入れる場所じゃない。けど重要人物なのでそんなことも言っていられないんだよ。
俺は机の上にある数枚の絵から一枚を持ち上げ、公爵と夫人に見せた。
「この絵の人物とそこの料理人を見比べてみてください」
「…………なるほど。そこの料理人が下手人か」
公爵の温度のない眼差しがファボルへと突き刺さる。視線を受けたファボルは可哀想なほどに青ざめブルブルと震えていた。普通は絶対に御目通りするはずのない雲の上のような存在の前に引っ張られて、こんな目を向けられたら怖いわな。こいつの場合は自業自得だから同情はしない。それに大事なことはなーんにも話していないんだから勝手に倒れるなよ。倒れても叩き起こすから。
「この者はファボル。以前はラウルス男爵の元で働いておりましたが、そちらで諍いがありクビになったそうです。仔細はこちらに」
俺はファボルの調査書を公爵に手渡した。公爵はしばらく文面を目で追っていたが、だんだんと険しい眼差しになっていく。うわぁ……すっごい顔しているよ。この公爵の考えていることが手に取るようにわかる。
「なぜこのような者がアクナイトの屋敷にいる」
「それはその者の口から語らせるのがよろしいかと」
ファボルは俺からの視線を受けると面白いくらい肩を跳ね上がらせた。怖いってか? どの道あんたに待っているのは破滅だ。最後くらい根性見せやがれ。あんたに語らせることに意味があるんだから。
「この場でここに入り込んだ経緯と毒花をサラダに混ぜた経緯、両方を話せ。間違っても虚言はするなよ」
お前に後はないんだから、と俺の声なき声が聴こえたのか顔色はもはや真っ白になっている。
「わ、わたし、は……ラウルス男爵の元をクビに……なった……あと、就職先が見つからず……路地……にへたり込んでいました…………。そ、そんな、とき、に、わたしに、声をかけてきた……人がいたんです……。な……なんで、も、久しぶりに……次男が帰って……くるのに……料理人が……たりないから……と、料理で、さ、サプライズがしたいの……だと言われ、そ、それの手伝いを……頼みたい……と……。過去の経歴は……問わない……と言われて、それで……」
うん、すっげえ歯切れが悪い。聞いているだけで眠くなりそうだな。こんなところで吊し上げる、しかも自分の口から語らせられるとか相当キツイよな。だけど、逃げられたら困るんだわ。それにもうちょっとでトカゲの尻尾のようになるところだったんだ。そんなこと許してたまるか。……まあ、こいつが相当の馬鹿だという要らん情報も明らかになったんだけど。経歴を問わないって言葉に釣られてやってきた先がアクナイトだぞ? 普通に考えてあり得ないってわかるだろうが。切羽詰まって犯罪に走るパターンはありがちだけど、こいつの場合は罪の上塗り。いくら訴えかけてもここにいる人間は一切同情する気ないみたいだし。普段は非常に温厚なダズルの目も氷柱みたいに冷たく鋭い。この中だと最後の良心ともいえる人にそんな目で見られたら終わりだろ。
というか俺は両方の経緯を話せっつったのに、黙りやがった。まだ終わってねえんだよ全部吐けこの野郎。
「……続きを言え」
「……その後は……わたしに、声をかけてくださった……方から……主からだと………花を渡されて、これを、食事に……添える……ように……と、この、花が……サプライズ……だと言われ……」
「それになんの疑問も持たずにそのまま盛ったのか」
「き、綺麗な、花……だったので…………」
そんなん言い訳になるか馬鹿。その発言をした瞬間、公爵はゴミを見るような目になったしダズルとサリクスの目の奥には殺気らしきものが宿った。季節は夏に向かっているというのにこの部屋は真冬の夜のように寒い。……やばい、こんな時になんだけど風邪引きそう。
「こんな低俗な使用人を誰が引き入れたのだ」
「……誰がお前をここに入れた? 言ってみろ」
ファボルはもはやろくに口も動かせないのか、見るに耐えないくらいに震え、かろうじて腕を上げるとある方向を指差した。その場にいた全員がファボルの指の先を辿る。そこにいたのはーー。
「この無礼者! 何故シエンナを指差しているの!?」
ファボルが示した人物はアクナイトの女主人の筆頭侍女、シエンナだった。途端に夫人が激昂する。俺はそんな夫人に冷めた目を向ける。叫んでばかりだなあんた。ちったあ落ち着け。
「……旦那様、発言をお許しいただけますか?」
シエンナの言葉に公爵は無言で頷いた。こいつも古参の侍女のひとりだし、ダズルには及ばずともある程度の信用はあるんだろ。でなきゃ使用人に発言など許すわけない。
無事に公爵の許可を得られたシエンナは余裕の表情で口を開いた。
「私はその者のことは存じません。今日初めて顔を合わせました。確たる証拠もない状況でそのような冤罪を被らされるのは心外ですわ。私はこれでも長年このアクナイト公爵家に忠誠を尽くしてきた身です。恩義ある公爵家に仇なす存在をどうして私が引き入れるというのでしょう」
……ちっ! なかなかどうして弁が立つ。少なくとも長年仕えてきたのは事実だし今は公爵夫人の筆頭侍女という地位も得ている。なんの地位もないただの料理人の言葉を覆すには充分すぎるほどのものを持っている。
「その通りよ! シエンナはこれまで私の筆頭侍女として最高の働きをしてくれているわ。それを侮辱するなんて何様のつもりなの!?」
うん、こっちも珍しく正論。というか夫人? 一応貴族の女なのにそんなに肩を上下させるのはどうなんだ、って……この話が始まってから似たようなこと何度思ったんだろう。……今更か。……なんてことを考えていたら、夫人がキッという効果音がつきそうなほど俺を睨んできた。……なんだよ。
「お前ね!? この者にこんなことをさせたのは! なんて下劣な人間なの! 私のシエンナにこんな屈辱をっ……」
「なあ、こいつが接触してきた日はいつだ?」
公爵の隣で喚く生き物を無視して俺はファボルに問いかけた。
「……一ヶ月前、です」
「嘘よ。シエンナは一ヶ月前は私と共に出かけていたんですもの。どこにも行けるはずないでしょう!」
「ええ、行かれていたみたいですね。アチェロの町に」
「……っ!」
アチェロという単語が出た瞬間、夫人の顔つきが変わった。シエンナも心なしか顔が引き攣って見える。それとは別に公爵が眉を顰めた。
「何故お前がそれを知っている?」
「言ったでしょう。私にもツテはあると。一ヶ月前、夫人と侍女数名はアチェロの町に買い物に出掛けています。アチェロにはラウルス男爵の屋敷があります。そこで男爵に暇を出された料理人の話を耳にし、利用することにした」
「馬鹿馬鹿しい。何故そんなことをする必要があるの?」
「貴族に暇を出されたのだから信用などあったものじゃないでしょう。その貴族が横暴で理不尽な人間であるならともかくその者は己の過失によって追い出されています。経歴に傷がつき、後のない身の程知らずな平民など捨て駒にするにはうってつけでは?」
「たとえそうだとしても、何故私がそんなことをする必要があるのかしら?」
自分にはそんなことをする理由がないとでも言いたげな顔で、顎をしゃくる夫人には余裕が浮かんでいた。さっきまで顔色を変えていたくせに器用な女だね。だけどあんたはすでに詰んでいる。
「それは……貴女が私を確実に殺すための算段を立てていたからですよ」
俺は笑顔で言ってやった。空気が一瞬固まり、次の瞬間夫人は何がおかしかったのかクスクスと笑い出した。
「あら嫌だ。とうとう頭までおかしくなったのかしら? シエンナを悪人呼ばわりした挙句私がお前を殺そうとしているですって? ここまで滑稽は話は生まれて初めてよ!」
ひとしきり笑った後、夫人の目には苛烈な怒りが滲んでいた。笑ったり怒ったり本当に忙しい女だなこの人は。
「私の元に召集の手紙が届いたのはその者が雇われてからちょうど一週間後です。貴女はその一週間の間に準備を整えた。今度こそ私の息の根を止めるために」
「ふん、愚かな妄想ね」
夫人が鼻で笑うが俺は無視して公爵の方を向く。
「ところで公爵、何故突然私を呼び寄せたのか、理由をお伺いしておりませんでしたが、公爵は私のことを嫌っていらっしゃったはずなのにわざわざ呼ぶとは考えにくいのですが」
あんなにはっきり息子じゃない発言する人間がいちいち呼び出すはずがない。現にシュヴァリエが学園に入ってから呼び出されたのは今回が初めてなのだ。気にもなるだろう。
「アマラがどうしても会って話したいことがあると聞かなかったからだ」
「それはいつのことですか?」
「……アチェロから帰ってすぐだ」
その言葉に俺はほくそ笑む。この人は意外にも虚偽や欺瞞が嫌いだ。ましてや今は嘘をつく理由も必要もない。だからただ事実のみを告げる。この人もだいぶ役に立つ。……まあ、それと同じくらい体面も気にするんだけど。
「それがどうした」
「実は夫人はアチェロの町で行商人からある物を購入していました」
「あるもの?」
俺は笑みを浮かべてそっと机の絵に指を乗せた。……ロベリアの花の上に。
「でたらめよ!」
すぐさま夫人が叫ぶ。この人、騒がないと気が済まない病気でも患っているんじゃないだろうな?
「別に貴女がお認めにならずとも、この時に取引を行った商人に問い合わせればすぐに判ることです。ところで貴女が取引を行ったのは嗜好と娯楽の国アーレアの商人ですよね」
「そうよ。それがどうかしたの? 別に私がどこの商人と取引しようが勝手でしょう」
「ええ、それは夫人の自由ですよ。誰とどんな品物を購入しようとも個人の都合ですから」
「だったら」
「商人たちはその取引をすべて記録しています。ましてや貴女は公爵夫人だ。いつどこで何をどれくらい取引したかすべて記録されている」
「それがどうしたっていうのよ。商人ならそのくらいは当然でしょう。まさか私が圧力をかけてこの毒花の記録を消させたとかいうんじゃないでしょうね」
「消させはせずとも言わせないことはできるでしょう? 商人は顧客の情報を他人に漏らすことはありませんし、相手が貴族の情報であるならば尚更。それに……どうやらこの商人に口止め料としてかなりの大金を渡したみたいですし」
金持ちお得意のやり方だ。金にうるさい商人なら食いつくだろうし、もし相手が金銭面での事情持ちだったら余計に釣られる確率は高い。夫人が取引した相手はまさにこれに当てはまっていた。まあ夫人は知らないだろうけど。というか金を積んだって言ったら顔色変わったな。
「そんな証拠がどこにあるっているの? お前の話は支離滅裂で聞くに耐えないわ。なんて時間の無駄なの」
時間の無駄ね。それはこっちも一緒なんだわ。意地でもロベリアを買ったと認めたくないみたいだけど、ちょっと公爵夫人という立場の人間にしては詰めが甘い。取引に関してもファボルの勧誘に関しても、だ。
……さっさと沈んでもらおうか。
「……ロベリアを購入したことを認めたくないのなら別にいいんですけどね、その商人今回が初入国みたいですよ」
「……なんですって?」
夫人とシエンナは揃って顔色を変えた。知らなかったんだな。だから詰めが甘いってんだよばーか。
俺の言葉と夫人たちの態度で公爵も気づいたのだろう。俺に向けられていた視線はいつの間にか二人に移されていた。
「ご存知なかったのですか? まあ知っていたらそんなお顔はされませんよね」
「……う、嘘よ。でたらめだわ」
「でたらめかどうか今から商業監査局に確かめに行きます?」
「……っ!」
途端に夫人は唇を噛んだ。シエンナも心なしか震えていた。そんな二人を横目に俺は残りの紙束を公爵に差し出す。
「なんだこれは」
「夫人が取引を行った時とシエンナがファボルを勧誘していた時の目撃証言を記載したものと、使用した店の記録です。取引を行った商人も同日同時刻に利用していましたよ」
公爵は無言でパラパラと捲るとため息をつきながら夫人を見た。その目は妻に向けるものとは思えないほど冷え切っていて、これまでこんな目を向けられたことなどないだろう夫人は青ざめて震えている。
「アマラ、この毒花を購入したか?」
うわーお……。すんごい冷たいお声ですこと。かき氷の方がまだ温かいんじゃないですかね。夫人は夫人でさっきまでの勢いはどこへやら、まるで生まれたての子鹿みたいだ。
「初めて入国する商人は一年間、商業監査局に持ち込んだ品物の一覧と金額を取引前と後の両方必ず報告するという規則がある。その記録を見ればお前が購入したかどうかは一目瞭然だ。加えてここに書かれている多数の具体的な目撃証言の記載……。言い逃れはできないと思うが?」
「そ、その目撃証言だってこの男が用意したのでしょう? ……でしたらそれもでっち上げの可能性の方が高いと思いますわ」
「あ、それを用意したのは、私ではなく情報ギルドのマスターですので、嘘だと思うのならそちらにお問い合わせください」
情報ギルドのマスターと聞いた瞬間夫人とシエンナの顔が青ざめた。大半の人間は顔こそ知らないがその名前は広く知られている。その名前の効果は絶大で、権力のある貴族であればあるほど敵に回したくない人間の一人だ。
「……やはり奴の情報か」
「……公爵はご存知だったんですね」
「ふん、お前一人で調べられるとは思えないからな」
その通り。俺ではこんな短時間でこれほどのことを調べるのは無理だ。むしろできるあいつがおかしいんだよ。俺は悪くないでーす。
……しかし公爵に問われているのに答える気配がないな。…………よし、ちょっとからかってみるか。
「ちなみにロベリアなんですけどね。実は香りにも毒があるんですよ。少しなら問題ないんですけど、ずっと吸い続けると体に影響が出ます。女性の場合ですと発汗性が増し、怒りっぽくなってだんだんと体型も丸くなってくるんですよね……外に置いておくのなら香りが霧散しますから長時間嗅いでいても影響は少ないんですけど、室内に置いていた場合は閉鎖空間の中で香りが閉じ込められている状態になるので非常に危ないんですよね。……加えて年齢が高い方ほど影響を受けやすいので、部屋には置かない方がいいんですよ……受けた影響は元には戻らないですし。それに男性の場合はもっと悲惨で、一年近く吸い続けると老化が早まり、わずか二、三年で命を落とすんです。まあ夫人がロベリアを購入されていないというなら大丈夫でしょうけど」
なんて言いながらチラッと見ると……夫人とシエンナの顔は真っ白になっていた。心当たりでもあるんですかね。ていうか二人揃って体型だいぶ変わっているのは事実だし。数年会っていないんだから、変化もあるよな。
「シエンナ、今すぐあの花を処分しなさっ……!!!」
そこまで言って夫人はハッとなり慌てて口を押さえるも後の祭りだ。夫人の発言は全員が聞いてしまっている。そして内容からシエンナも関わっていると明かした。青ざめながらゆっくりとこちらに視線を向けた。俺はにっこり笑ってやる。
……かかった。
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