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第2話 種族の壁を超えて
しおりを挟む初めてアッシュとラシェッドが語らい合った日から、夕食前に三十分ほど語り合うのが習慣となった。
アッシュ元々、話し好きという訳でもなかったが、聞き上手なラシェッド相手だと、スムーズに言葉が出てくる。
好感を持つが、使命を忘れた訳ではない。これは言ったらダメだというラインは決して踏み越えなかった。
そんなある日、旅の途中で寄った“遺跡”の話をすると、ラシェッドは初めて身を乗り出した。
「その話、もっと詳しく――」
「遺跡が好きなのですか?」
「ああ、好きだな。遺跡は歴史がある。古代の魔法など、役に立つものがあれば尚良しだが」
「ただ、その遺跡周辺を縄張りにしていた魔人ベルゴンの部下が、己が死ぬと同時に自爆して、遺跡を破壊してしまったんですよ……」
「……! あのクソ大バカ野郎ッ、死んでも迷惑を掛けるとは」
ラシェッドが怒気を発した瞬間、城全体が僅かに震える。
勇者パーティとして戦っている時ですら、ここまで怒る事はなかったのではないかと、アッシュは不意に首を傾げた。
彼が遺跡好きである事と、魔人ベルゴンが嫌いであったというのは事実である様だ。
「一応、遺跡の石板等の内容は覚えていますが」
「おお、それを早く言ってくれたまえ。そこには何と?」
流行り病が爆発的に広まり、毎日祭壇で死体を焼いていた事。神に対する祈りと幾つかの怨み言。聞き終えたラシェッドは腕を組み、暫し考え込んでいた。
「栄えていた王国が流行り病で滅びた……か。儚いものだ。何故、そこまで一気に広まったのか気になる所だが」
「はい。遺跡をもっと調べたかったですね。生活水準やその病人達をどう対処していたのか。祭壇で死体を焼くというのに至った流れも気になります」
「ベルゴンめ。正確には部下か。自爆するなら他所でやってくれないものか」
それでは自爆の意味がないだろう、とは思ったが口にはしないアッシュ。
「どうやら君も遺跡に関心がある様だな?」
「石板の文字を書き写していると、よく仲間達か早くしろと急かされたものです」
「なんと愚かな奴らだ」
「遺跡がある度に、何時間も待たせてしまうのが問題だったのでしょうか」
「そうだな。君が悪い。もっと魔族討伐に集中したまえ」
「中々の問題発言ですね」
次の日から、ラシェッドに城にある古書などの整理や、解読を頼まれるようになった。牢の中はとにかく暇で、趣味に没頭出来るならばある意味有り難い。
解読を進めると、渡す度に机や家具、布団が運び込まれたり、食事にスープや肉が添えられるなど、待遇が良くなっていった。
いつからか枷は外され、十分な長さを持った鎖一本に代えられた。少々鬱陶しいが、生活に支障はない。
これは魔王軍に協力して見返りを貰っていることになるのだろうか。
いや、これはただの趣味。奴らが戦力的に有利になる事は万に一つもない。寒い地下牢、貧しい食事で衰弱する方がよっぽど問題だ。万全の状態で助けを待つ為にも、友好的な関係を築く事は得策だ。
多少無理のある言い訳を並べて、アッシュは必死に罪悪感を誤魔化していた。
だがやがて、自分に対する言い訳すらしなくなっていた。
ラシェッドだけでなく、その部下達ともたまに言葉を交わす様になった。
鉄兜を被ったゴブリンが、見回りでアッシュの牢の前を通りかかると、松明の光に反射する物を見つけた。それは、複数の“氷の塊”。
「おい囚われ者、その光る物はなんだ?」
読書の邪魔をされたアッシュは、顰め面で足元の氷を蹴り飛ばす。氷は鉄格子の間を抜け、ゴブリンが拾い上げる。よく見ると、それは気味悪い虫を氷漬けにした物だった。
この地下牢はとにかく虫が湧く。その度にアッシュが魔法で氷漬けにしていた。生活環境がかなり改善されたとはいえ、虫問題だけは未だに残っていた。
ふと、ゴブリンは拾い上げた氷を眺めた後、躊躇なく口の中に放り込む。
「……は?」
驚きで変な声が出たアッシュ。そんな事はお構いなしに、ゴブリンは氷ごと虫を噛み砕き、ゴクリと大きく喉を鳴らす。そして直後、満足気な笑みを浮かべた。
「こいつは美味ぇ! な!」
「そ、そうか……なら良かった……?」
「新鮮なまま氷漬けってのが天才だ! もう無いのか? あ、転がっているやつ全部くれよ!」
アッシュは当然虫など触りたくなかったが、ゴブリンの奇妙なテンションに釣られ、承諾してしまった。
(まぁ氷に覆われてるからいいか。それに虫を回収してくれるなら願ったりだ)
氷漬けの塊を十数個、ゴブリンが格子の間から渡してきた鉄兜に全て入れて返す。するとゴブリンは鉄兜を奪う様に受け取り、笑顔でまた氷の塊を一つ口にに放り込んだ。
「やっぱ美味ぇなこれ! おっといけない、お前さんの分がなくなるところだった。ほれ!」
「要らない要らない要らない。僕はその虫絶対に食べないから!」
全身全霊の拒否。食っている様子を見るだけで吐き気を催す。
「そうなのか? じゃあ全部貰っちゃうぞ! 後で返しては無しだからな」
「いいよ。天変地異が起こってもないから」
「変わってるなお前さん。この虫って生命力が強いだろ?」
「え、うん……まぁそうかも」
「だからさ、コイツを食うと身体中に力が広がっていく感覚がするんだ」
「へぇ……」
「どうだ、食いたくなっただろ?」
「要らない」
自分の好きな物を共有したい心理は分からなくもない。だがこればかりは絶対に嫌だ。
ゴブリンの残念そうな顔を見ると少しバツが悪いが、
「じゃあ一つだけ頂こうかな――」
とは当然のならなかった。
「また来るからさ、作っておいてくれよ。俺の名前はゴリンだ。他のゴブリン絶対あげないでくれよな!」
自己中な事だけ言い、ゴリンは残った氷漬け虫を摘まみ食いしながら、上機嫌で去って行った。
「何だったんだアイツは」
まさかゴブリンとこんな気軽に話す日が来ようとは。
旅を始めたばかりの頃は、仲間を呼び、囲んで殴ってくる強敵であった。こちらがある程度強くなると、魔法で一掃出来る雑魚的となった。
今、自分とゴブリンの関係を表す言葉はなんだろうか。ここを抜け出し、仲間達と再会したとして、以前の様に躊躇なく殺す事が出来るのか。
はい、と言い切れない。
アッシュはもう考えまいと古書に視線を落とすが、まるで頭に入ってこなかった。
**
食事はメイドの彼女が運んでくれるようになっていた。
ゴブリン達だと善意で虫を入れてくるかもしれない、信頼出来る者に任せたいというの表向きの理由があったが、彼女に対する微かな好意を、ラシェッドには見透かされていた様で気恥ずかしい。
アッシュがあらゆるパターンで聞き出したところ、ヴェロニカという彼女の名前を遂に知る事が出来た。
「アッシュ様、朝食でございます」
鉄格子の間から差し出されたトレイには、パンとスープと数枚の肉が。これを落とさぬ様に慎重に受け取った後、少しの疑問を口にした。
「その“アッシュ様”という呼び方はどうなんだろう。僕らの関係からすると“これでも食っとけゴミ人間”と言われて当然の立場だと思うけど」
「ご要望とあらばそうしましょうか」
アッシュは数秒考えてから首を横に振った。いかに相手が美女といえど、罵られて興奮する趣味はない。
「いや、遠慮しておくよ。この地下牢という客間も、とても素敵だ」
「それこそ立場上、仕方のない事であるとご理解下さい。これ以上敢えて語る必要はないかと思いますが」
「そうだね……」
ヴェロニカはそう言い、一礼して場を去って行った。
その後ろ姿がどこか寂しげに見えたのは、
(きっと僕の自惚れだろうな――)
などと考えながら、トレイを机に置いた。
ふと、言い表し様のない不安が込み上げてくる。
ラシェッドとの語らいや食事の回数からして、捕らえられてからもう三ヶ月以上は経つ。人間側でアッシュ救出の為の動きなどは起きているのだろうか。
あるいは向こうも、アッシュは死ねば勝手に戻って来るだろうと考えており、逆に帰還しない事を不思議に思っているのかもしれない。互いに相手の出方を伺い、ただ無為な時間が流れていただけの可能性は高い。
待つべきか、逃げるべきか。
生きるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。
自害する事を選択肢に入れながらも、それを選ぼうという気持ちはとっくに消え失せていた。そんな自分を情けないとも思う、今日この頃だ。
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