金無一千万の探偵譜

きょろ

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時間泥棒①

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♢♦♢

 銭形家の事件から二日後――。

 賑わう街の中心部から少し離れた場所。人通りも疎らな通りから、更に狭い路地裏へと入って行く。人と人が、すれ違うのがやっとの道幅。人の気配もほぼ無い。聞こえてくるものと言えば、所々に設置された換気扇や、ダクトから響く無機質な音だけだろう。
 明確な理由や目的がない限り、誰もこんな所を通らないであろうという場所を、言葉を交えながら歩いていたのは、新米刑事の白石であった。

「嘘でしょ……? 全く人気がないんだけど。ちょっと怖いかも」

 何も聞かされず、自分の叔父である象橋に頼まれた白石。肩に掛けている鞄の取っ手をギュっと握り締め、いつもよりもやや足早に歩いて行く。そんな彼女の表情は不安一杯そう。昨日の様な事があったばかりなのだから無理もない。
 だが、そんな白石の不安に答えるかの如く、最後の曲がり角を曲がった白石の瞳の先に、目的である“ビル”を見つけた。

「あった……。これだ」

 フゥっと安堵の溜息を洩らした白石。しかし、まが完全に気を緩める雰囲気ではない。

「なによこれ……」

 白石の前に聳え立つは、ビルとは名ばかりの廃墟。
 一目で分かる程、老朽化が進んでおり、その三階建ての小さなビルが、何年も使われていない事が理解出来る。
 入り口の蛍光灯も、パカパカと安定しない明かりが点いたり消えたりと忙しい。それにビルの入り口の直ぐ側にあった案内板には、以前は一階から三階まで何かしらの会社でも入っていたのだろうか、社名の様な物が書かれていた跡があった。だがこれまた汚れ過ぎており、正確に解読する事は出来なかった。

 白石がその案内板を徐に眺めていると、僅かであったが、下の辺りに“探偵事務所”という掠れた文字が唯一確認出来た。それ以外は、何のビルなのかさえ情報がまるで掴めない。ちゃんと管理されているのかも疑問である。

「本当にこんな所に住んでるのかな……一千万さんって。って言うかここって住む許可下りてる場所なの? もしかして不法滞在者とか? なんにしても、普通の神経じゃないわよね」

 あり得ない。

 彼女の感想はその一言に尽きるばかりであった。
 
「――誰が普通の神経じゃないって?」
「きゃあッ、出たッ!?」

 廃ビルの前で棒立ちしていた白石は驚きで腰を抜かした。彼女の背後から、突如音も無く姿を現した一人の男。涙目の白石が恐る恐る振り返ると、そこにはあまり良くない目つきに、派手な柄シャツ。独特な煙草の匂いと、煙をフーっと吐き出す金無一千万の姿があった。

「い、い、一千万さん……!?」
 
 驚く白石を他所に、一千万の手には作りたてのカップラーメンと、英語で表記されたウイスキーのボトルが握られていた。

「なんだ、お化けでも見るかの様な目で人を見やがって。ちゃんと金は持って来たんだろうな?」

 単刀直入に用件を尋ねた一千万は、そのまま廃ビルの前にある階段に座り込み、手に持つカップラーメンを啜り始めた。

「あ、はい。真吾おじさん――じゃなくて、象橋警視庁に頼まれて、先日の報酬をお支払いに来ました」

 ゆっくりと立ち上がった白石は、肩に掛けてある鞄から分厚い封筒を取り出すと、それを一千万に渡した。
 中身は万札の束。カップラーメンを食べるのを一度止め、何百万あろうかという札束を取り出した一千万は、なんともいえない幸福感に包まれた顔を浮かべるのであった。

「ハッハッハッ、これだよこれ。やっぱ金に勝るもんはねぇな!」

 札束の匂いを嗅ぎながら、その札束に頬擦りする金無一千万の姿はまさに変態。
 彼の事を全く知らない白石でさえ、目の前の男が「お金好き」である事は直ぐに理解出来た。
 同時に、金無一千万という男の、新たなヤバい一面を垣間見た白石は、最早恐怖で言葉を失った。
 そう。白石は今回の件を象橋に頼まれる時、予め金無一千万がどういう人間あるかを少しだけ聞かされていた。

 目つきが悪く、どこで買ったのか分からない派手な柄シャツ。そして四六時中吸っている煙草のイメージと、先日目の当たりにした、彼の鋭い観察力や推理力といった、人よりも秀でた能力。
 白石が一千万の人柄をざっと説明するならば、こんな感じであった。だがそこに加えて、新しく入手した金無一千万の情報。

 それは……彼が“無類のお金好き”であるという事――。

「どうした? ボケっとして。おっと、この金なら一枚たりともやらんぞ。確かにお前の銃の腕前があって助かった事も事実だ。だがその分の金が欲しいなら真吾――いや、真吾おじさんにお願いするんだな。この金は全部俺のもんだ」

 まるで子供が玩具を独り占めするかの様な態度と言い草。そんな一千万に対し、白石はやはり何も言葉を発せなかった。

(真吾おじさんの言った通りね……。やっぱこの一千万って人、変わってるわ。しかも何だか“ヤバい金”の匂いがするし……。まさか真吾おじさんも、変な方向に道を踏み外してないわよね? 警察はちゃんと正義を全うしてるよね?)

 言葉が発せなかった分、白石は一人、頭の中で自問自答を繰り返しているのだった。

「おい。俺も真吾も道を踏み外した下道じゃねぇぞ。これはヤバい金じゃねぇ。正真正銘なクリーンな金だ。そもそも金に綺麗も汚いもねぇ。金の存在理由は“価値があるかないか”、それだけだ――。
それになお嬢ちゃん。この世の中、必ずしも警察が正義とは限らないんだぜ?」
「――!」

 今の彼の見た目は変態。しかし、何故か一千万のその言葉に、白石は妙な説得力を感じたのだった。しかも、白石は一千万に、そのまま気持ちを見透かされた様に、心の声を読まれていた。
 そんな中、金をポケットに入れた一千万が、カップラーメンとウイスキーを持って不意に立ち上がる。

「まぁとりあえず“話”は中でするぞ。ウイスキーには氷が不可欠だからな」

 一千万はそう言うと、慣れた様子で我が家――廃ビルの中へと入って行く。しかし、白石はそんな一千万の後ろ姿を見ながら、目を見開かせていたのだった。

「え、一千万さん、なんでお金を渡す以外にも話があるって、分かったんですか?」

 白石はまだ話があるとは一言も発していなかった。でも確かに、彼女はお金を渡すという以外にももう一つ、象橋から“ある話”を一千万に伝えてほしいと頼まれていたのだ。

「ん? そんなの理由なんてねぇ。ただの直感さ。いいからさっさとこっち来い」

 驚く白石を他所に、一千万は相変わらず自分のペースで、彼女に中へ入る様促したのだった。そして、白井は驚きつつも、一千万の後に続いて廃ビルの中へと入って行った。
 廃ビルこと、金無一千万の住処に入った白石。外観と同じく、やはり建物の中も全く手入れがされておらず、たった今、少し長めの廊下を歩いている間は「こんな所によく住めるな……」と思っていた。

 すると。

「なにこれ!?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった白石。だが彼女が驚くのも無理はない。何故ならば、そこにはビルの外観からは到底想像し難い程の、高級感溢れる、ラグジュアリーな空間が広がっていたからだ。

「うるせぇな。デカい声を出すな」

一体どうしたらこんな部屋に仕上がるんだ、というぐらい清潔且つ、高級感が部屋全体に醸し出されていた。
 机、ソファ、テレビに棚に観葉植物から水槽まで。シンプルながらも何処かインパクトもあり、一つ一つの物や家具が、明らかに高級そうな物だと一目で分かる。
 床から机の上、水槽の水も観葉植物の周りもゴミ一つない。まるでリゾートホテルの様な綺麗さ。
 他にも、七十インチはあろうかという大きなテレビは、お洒落な壁と共に埋め込まれ、これまた高価そうな煌びやかな棚には、日本酒やワインやウイスキーといった、様々なお酒が綺麗に並べられていた。
 この圧倒的な部屋の貫禄に、白石が思わず声を出して驚くのも頷ける。外の廃墟を見た後ならば尚更であった。

「す、凄いお部屋ですね……!」
「そうか? 古い建物を綺麗にする、リノベーションとかいうやつらしいぜ。どいつもこいつもろくな仕事持ってこねぇからな。割に合わないから報酬金の他に酒と煙草とプラスαを要求してたら、いつの間にかこうなってたんだよ」

 と、短絡的な諸事情を一千万が白石に告げたとほぼ同時、部屋の奥にあった一つの扉が突如開いた。そこから出て来たのは女性が二人。

「お帰りなさいませ、一千万さん」
「丁度終わりましたので失礼します」
「おう、ご苦労さん」

 最低限の言葉を交わし、その女性達は部屋を後にした。
 彼女達は何だ? こんな所で何をしているんだ? まさかそういう如何わしいお店? 薬の密売人? いや、それとももっと危険な――?
 白石の頭の中は一瞬で“?”マークが溢れ返ったが、その疑問を聞いていいものなのかと躊躇しているのであった。昨日会った時から、早くも白石がどういう若者であるか理解し始めていた一千万は、表情に出やすい白石の顔を見て言った。

「おい、言っておくがあれはただのハウスキーパーだぞ。色々と訳アリでな、行く当ても仕事もねぇって言うから俺が雇ったんだ。ここは風俗でもなけりゃ、薬の売買ももしてねぇ。スッキリしたか? お嬢ちゃん」
「え、あ、アハハ……! そんなッ、別に一千万さんの事を疑ってなんていませんよ! (どうしてさっきから私の思っている事がバレてるの……!?)」

 心をそのまま読まれた白石は必死に誤魔化していたが、子供より下手な嘘に、一千万は最早何と声を掛けていいか分からないぐらいであった。

「それで、話の内容は?」

 本革のソファにドカっと座った一千万は、まだ途中であるカップラーメンを再び啜りながら白石に聞いた。

「あ、はい。実は象橋警視庁から預かり物をッ……「おい。ここは警察でもなければ会社や学校でもない。だからもっとテキトーに話せ。そんな堅苦しい話し方じゃ、こっちも疲れるんだよな。話しやすいなら真吾おじさんでもいいぞ。俺とお前以外に誰もいないし」

 一千万なりの気遣い――というには余りにも野暮ったい優しさであった。しかし、ずっとどこか緊張気味であった白石は、初めて少しだけ、緊張が和らいだのだった。

「そ、そうですか。じゃあお言葉に甘えて……。私が今日ここに来たのは、真吾おじさんにさっきの報酬と、後、コレを一千万にって頼まれたんです。
詳しい内容は知らないんですけど、一応“次の頼み事だからよろしく”っと、真吾おじさんからの言伝も一緒に預かってます」
「何? あの野郎……。久々に会ったと思ったら調子づきやがって」

 一千万はブツブツと文句を言いながら、白石から受け取った封筒を雑に開封した。お金が入っていた先程の分厚い封筒とは違い、今度はとても薄かった。中に入っていた一枚の紙を取り出した一千万は、その文言に目を通す。
 そして、全てを読み終えたであろう一千万は、突如その紙を破り捨てた。

「え、一千万さん……?」
「却下だ。内容が面倒くせぇ」

 ビリビリと破いた紙を、一千万はゴミ箱に捨てた。その様子を見ていた白石は最初こそ驚いたものの、今は“別の事”に驚いている。

「お嬢ちゃん、悪いがこの話は受けないと真吾にッ……「三百万――。もし一千万さんが“面倒くせぇ”と断ったら、今回の依頼報酬は三百万だと伝えてくッ……「よし。引き受けた――!」

 一千万の言葉を遮る様に白石が報酬額を伝えると、これまた今度は白石の言葉を遮って、不敵な笑みを浮かべた一千万が即承認したのだった。
 そう。白石が驚いていたのはこの展開。真吾おじさんが言った通りのままの展開になっていたからだ。そこで白石は改めて、謎の多い二人の関係の深さみたいなものを、垣間見た気がした。

 ――ブー。ブー。ブー。

 直後、不意に一千万の携帯が鳴った。そのまま画面を確認した一千万は通話のボタンを押すと、誰かと話し始めた。そして電話を切った瞬間、軽く溜息をつくと……。

「行くぞ――」
「……え?」

 有無を言わさず、一千万は何故か白石にそれだけ告げると、二人は足早に廃ビルを後にするのだった。

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