金無一千万の探偵譜

きょろ

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始まりの館⑧

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「あの時、銭形永二に変装した銭形康太を見た俺達は、直ぐに下の階に向かった。そして使用人が、部屋の鍵を持って来て開けるまでの僅か一分程。
その間に、奴はベランダから俺達がいた上の階に登って来ていたんだろう? アンタの提案に乗っかり銭形永吉を殺すつもりでな」
「「――!?」」
「アンタと奴が手を組んだと考えりゃ辻褄が合う。恐らくアンタらはあの時、部屋に残すのは銭形永吉だけにしよう、とでも計画していたんだろう?
案の定、奴の猿芝居に引っ掛かった俺達は皆部屋を出て下に向かったが、足の悪い銭形永吉とアンタだけが上に残った。ごく自然な流れでな。ここまでは上等だった。

だが、肝心の銭形永吉が一人だと思っていた銭形康太は驚いただろう。部屋にいる筈の銭形永吉の姿が無い上に、まさか共犯のアンタに裏切られるとは思ってもいなかった。
そしてアンタは、上に登ってきた銭形康太をそのまま突き落とし殺害。犯行の動機は勿論十五年前の火事と銭形永二の死――」

 一千万がそう言い終えると、場に一瞬の沈黙が流れた。
 そして、須藤明里は付き物が落ちたかの如く、最後にフッと笑みを浮かべると、言い訳する事もなく、全ての事実を認めるのであった。

「そうよ……。あなたの言う通り。永二さんが死んで直ぐに、私はあの人とこの計画を練った。初めからあの人を裏切るつもりでね……。
突き落そうとした時、彼は最後にこう言ったわ……“早まるな、金ならちゃんとお前にもやる”と……。その後の事はぼんやりとしている……気が付くと、彼はもう落ちていたから」

 話し終えた瞬間、突如須藤明里は部屋の奥の方へと走って行った。
 一千万と象橋は彼女が逃亡したかと直ぐに追おうとしたが、予想外な事に、彼女は再び戻ってきた。走り去った時と同様、勢いよく戻ってきた彼女の手には灯油タンクとライターが握られていた。

「須藤さんッ……!」
「来ないでッ!」

 近づこうとした象橋へライターを向け、それ以上近づくなと言わんばかりに彼女は目で訴え掛けていた。

 自分と一千万を区切る様に、彼女は乱暴にタンクに入っていた灯油を床一面にばら撒く。部屋は一気に灯油の臭いが充満し、須藤明里は空になったタンクを放り投げると同時、手にしていたライターの火を付けた。

「ま、待つんじゃ須藤君!」
「早まらないで下さい須藤さん!」

 その場にいた者達が何とか彼女を止めようとするが、きっと初めからこうしようと考えていた須藤明里の方が、主導権を握っていた。
 灯油まみれの床と手にはライター。彼女が手を離せば、辺りは一瞬にして火の海となってしまうだろう。

「皆さんを巻き込みたくありません! 早く離れて下さい! 私は永二さんの元へ行きます!」
「馬鹿な真似は止めるんじゃ! 永二達の事で君まで死ぬ必要はない!」

 彼女は今にも手からライターを話しそうな雰囲気であった。そんな彼女を助けようと必死に引き留める銭形永吉。

「永二さんがいなければ生きる意味なんてないッ! 放っておいて下さい。どうせ私もあの時、一度は死ぬ運命だったんだからッ!」

 銭形永吉の思いとは裏腹に、もう誰の言葉にも耳を傾けない彼女は遂に持っていたライターを手放した。
 無情にも、火を纏ったライターが灯油まみれの床へ落下すると、その場にいた者全員の視界は一瞬で火の海に包まれる。
 それとほぼ同時、壁や天井など辺りへ一斉に燃え広がる中、その豪炎が捉えたのは須藤明里。火だるまとなって燃える彼女は、とても苦しそうに藻掻き絶命した。





 ……と、彼女がライターを手から離した瞬間に、誰もがそんな最悪の光景が脳裏を駆け巡ったが、現実はそれとは全く異なった。

 ――バンッ!……カァンッ!
「「ッ!?」」

 刹那、落下していったライターが突如、“何か”によって瞬く間に弾き飛んだ。
 館中に響いたのは銃声。反射的にそれが銃声だと分かったのは、一千万と象橋であった。
 その場にいた者達は全員、須藤明里から突如響いたその音の方へと振り向いた。するとそこには、発砲したであろう人物──白石が須藤明里の方へ銃口を向け構えている所だった。

 弾き飛んだライターは、火が消え遠くの床に転がる。それに反応した一千万と象橋が次の瞬間、ほぼ同時に動き出し、須藤明里を取り押さえた。

「ハァ……ハァ……」
「離してッ……! 私も永二さんの所に行くんだからッ!」
「観念しなさい。須藤明里、君を銭形康太殺害の容疑で逮捕する」

 泣き暴れる彼女を象橋は手錠で拘束し、直ぐに他の捜査員達を呼びよせ、彼女を連行させるのであった。

 一瞬の幕切れ。余りに唐突なその事件の終わりに、銭形永吉、永一郎、永子もただただ戸惑っている様子である。
 銃を撃った白石も緊張の糸が切れたのか、深く息を吐きながら項垂れる様にその場へ座り込んだ。

「危なかったぁ……」

 そんな白石の少し離れた所で、一千万と象橋はこんな会話をしていた。

「何とか面倒くせぇ事態は免れたな」
「ああ。流石に彼女がライターを離した時は終わりだと思ったけどね」
「それより、偶然か? あのお嬢ちゃん……」

 一千万は訝しい表情で白石を見ながら、象橋に尋ねた。
 その質問に、象橋はどこか嬉しそうに、自信ありげにこう返した。

「ハハハ。少しは彼女に興味を持ってくれたか? 白石君の射撃の腕は“警視庁でもNo.1”の腕前でね。今のは流石に私も驚いたが、あれが彼女の真骨頂さ。
それに何より、彼女は私の姪っ子だから宜しくな――」
「は!?」

 突拍子もない話の着地点に、思わず驚きの声を上げた一千万。

「おいおい、何で姪っ子なんか連れて来てんだよ」
「何でって、彼女もれっきとした刑事だし」
「いや……それはそうかもしれないけどよ、他ならぬ警視庁様が、そんな私情を挟んで姪っ子を現場に連れて来るってのか。大丈夫かお前」
「無論、立場上良くないと自負はしている」
「ますます質が悪い。そういう権力を持った人間が嫌で警察になったんじゃなかったか?」
「その事に関しては、話せば長い話になる……。私の“姉貴”が理由と言えば、大体察してもらえるか?」

 象橋が含みある言い方をすると、流石は長い付き合いと言うべきか、一千万はふと視線を斜め上にして「象橋の姉貴」の事を一瞬思い出した素振りを見せると、そのまま象橋に同情の声を掛けた。

「成程。お前の“あの”姉貴となると、どの重犯罪者よりも危なねぇな」
「理解してくれてありがとう――! 私も別に好き好んで大事な姪っ子に、こんな危ない経験をさせたくなかったさ」
「懐かしいな。お前の姉貴と初めて会ったのは、俺達が警察学校にいた時だろ? お、そうか。あの時にいた“子供”があのお嬢ちゃんか!」

 一千万は点と点が繋がった事に、独り納得した様子だった。

「でも意外だな。確かお前の姉貴は自分はイケイケの特攻タイプだったくせに、子供に関してはメチャクチャ“過保護”だったような……」

 一千万はもう十数年も前になる思い出を必死に遡る。そして、一千万の記憶の中での象橋の姉貴は「とにかく勢いあるヤバい奴」というざっくりとした印象であり、その記憶の片隅に、そんな彼女とはギャップがあり過ぎる、とても過保護であったという一面も覚えていた。

 つまり、一千万はそれだけ過保護な母親がよく「こんな危険な場」に同行する事を認めたな……と、シンプルに意外性に驚いていた。しかし、話はそう単純ではなかった様だ。

「その通り。私の姉貴は超が付く過保護だ。だからこそ私に同行する様に脅しッ――頼んできたんだよ」

 今の象橋の言葉で一千万は、ここまでの経緯を全てを汲み取る事が出来た。

「だからよ、それが意外なんだよな。あの過保護な姉貴なら、もっと危険のない安全な事件とか操作に……って、そうか」

 自分で言葉にした事により、一千万はそこで気が付く。

「察しが良くて助かるぜ一千万。そうだ……。姉貴は私に“最も安全な捜査”に、彼女を同行する様に脅さッ……じゃなくて、頼まれたんだよ。
何も起こる筈がない銭形さんの家で、お前に人探しを依頼する。ただそれだけのつもりだったんだ。
ところがどうだ? いざ蓋を開けてみればこんな事になってしまった――」

 象橋はそう嘆きながら、まるで人気アーティストのライブをしているのかと言わんばかりの、赤いパトロールランプの灯りが幾つも集まっていた。図らずも外の暗さとも相まり、見た目だけは最早ライブと忖度ない。
 不謹慎ながらも、象橋は今起きた事件より“この後の事”を考ただけで、悪寒が止まらなかった。

「ご愁傷様という言葉がこれ以上当てはまる時も早々ないな」
「さっき私の姪っ子のお陰で火あぶりにならずに済んだろ? だから次はお前が私を助けてくれ。こんな事件に同行させたなんて姉貴に知られたら殺される……!」
「知るかよ! つか、離せこの野郎。仕方ねぇだろ、誰もこんな事になるなんて思いもしなかったんだからよ」
「ダメだ。そんな理由で私の姉貴が納得すると思うか? “警察なんだから未然に防げ”、“巻き込んだ奴全員撃ち殺すぞ”――とか言って憤怒するに決まってる」
「……確かに……。お前の姉貴なら言いかねない……」

 一千万はその事が安易に想像できてしまい、ただただ象橋に同情する事しか出来なかった。

「兎に角、今日はもう帰るとしよう。対策を打たなければ命がない」
「大袈裟だな」
「他人事じゃないぞ一千万。私の身に何かあれば、今回の“報酬”もお前に入らない」
「な!? おい、それとこれとは話が別だろうが! しっかりと相応の“金”は払ってもらうぜ」
「私が生きていればな――」
「アホかコイツ」

 象橋に呆れを見せた一千万であったが、こうなった象橋とはこれ以上話しても時間の無駄だと判断し、今日の所は大人しく引き下がる事にした。

 その後、須藤明里はパトカーで連行され、疲労困憊の永一郎と永子も静かに部屋へと戻って行き、改めて銭形永吉とも別れを済ませた一千万、象橋、白石の三人も、慌ただしい今日という1日に終止符を打ったのだった。

「じゃあな一千万」
「金はさっさとよこせよ」

 短い言葉を交わし終えると、一千万は振り向く事もなく、闇夜に姿を消して行った。

「さて、すっかり遅くなったな。姉貴に怒られるから早く帰るとするか」
「あの……警視庁。あの方は一体何者なんでしょうか?」
「もう勤務時間は終わりだ。普通に“真吾おじさん”でいい。敬語もなしだ」

 そう言いながら、象橋も自らのネクタイを雑に緩めた。

「アイツの名は金無一千万――。
気分屋で何を考えているか分からないヘビースモーカーであり、私の古い友人……警察学校時代の同期さ」
「え! 警察学校って事は、一千万さんも警察だったって事?」
「ああ、昔に数年だけね。でもアイツは結局警察を辞めて、今はああやって探偵をしているんだ。一千万はああ見えて、凄い観察力や推理力を持っているからね。元々あんな性格だし、警察みたいな組織よりも今の方が性に合ってるよ」
「へぇ……そうだったんだ。真吾おじさんがそこまで言うなら、本当に凄い人なんだね。確かにさっきの事件も解決しちゃったし」
「アイツは私が出会った中で、間違いなく一番凄い奴だよ。“色んな意味”でね――」

 夜空に煌めく星々を見上げながら、象橋は静かにそんな事を口にしていたのだった。

 
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