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第五章 氷獄に吠ゆ

閑話1 激動の執務室

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「……以上で報告を終わります」
「そうか、ご苦労」

 薄暗い執務室。
 部下の報告を聞き終えた男は大きくため息を一つつくと、鋭い眼光を部下に向ける。

「で? どこの誰かもわからぬ者にいいように魔戦車隊を壊滅させられ、あげくに貴重な魔人にまで逃げられた部下を私は優しく慰めればいいのかね?」
「す……すいませんでしたっ……!!」

 部下の男は頭が床に突き刺さるかの如き勢いで膝をつき頭をたれる。

 この男の事を知ってる者がこの光景を見たら驚くだろう。
 なぜならこの男はこの国で有名な将軍、泣く子も逃げる戦場の鬼とまで言われる人物なのだ。
 その二つ名を裏付けるかのように、胸には様々な形のきらびやかな勲章が多数付けられている。

 対して男を圧倒している上司の胸に光る勲章は一つ。
 しかし、その勲章はこの国にとって最も意味があり偉大な勲章。

 国民の誰もが敬い、そして畏怖する絶対指導者のみが着用を許される勲章。

「ど、どうか慈悲を下さい……閣下」
「フフ、慈悲か。君もずいぶん冗談がうまくなったものだ。私にそんなものを期待するなんてな」

 椅子に座る人物は口角をわずかに上げるとそう嘲笑する。


『閣下』
 そう呼ばれる人物はロシアにただ一人しかいない。
 軍人から大統領になった異色の人物。圧倒的なカリスマ性と驚異的な知略と冷徹な判断力で国を動かす傑物だ。

 いくら国の英雄と言えど彼に睨まれれば、たちまち悪い事をして怒られる子供のように縮こまってしまう。

「君の強引なやり方が裏目に出たようだな。村の連中の心を掴んでいればこんな事態にはならなかっただろう」
「し、しかし現場指揮は他の者が……」
「ほう、私は本件を君に頼んだというのに責任転嫁かね? 随分偉くなったものだ」
「い、いえそのようなことは!」

 あまりの恐怖に部下の男はしどろもどろな言い訳を繰り返す。
 事実村の件は彼の部下であるグレゴリーが一任されていたのだが、この軍ではそんな言い訳は通用しない。
 そんなことは彼自身もよく分かっているはずなのだが思わず口からポロポロと言い訳が零れ落ちてしまう。

 それほどに、目の前の人物は恐ろしい人物なのだ。

「はあ、まあいい。人材不足の現状で君を切るわけにはいかないからな、多少の降格で済ませてあげよう。しかし、部下の始末は君自身でやるように」
「そ、それは……」

 閣下の言葉に男の顔が蒼白に染まる。

 始末。

 その言葉が意味するものは明白。
 単純な処刑では済まない、その者の尊厳を踏みにじる行為だ。

「か、かしこまりました……!!」

 男は歯を食いしばりその命令を承諾する。
 愛すべき部下を、その家族をその手にかけることなど、例え自らの命を犠牲にしてでも絶対に阻止するだろう。

 しかし閣下の命令であれば別。

 この国は閣下の冷徹な粛清の上に成り立っている。ならばその名に背くのは国に背くのも同義。
 この国を愛す軍人だからこそ粛清は絶対。もしそれが無くなればこの国の規律は乱れ、たちどころに崩壊するだろう。

「それでは、失礼します……」
「うむ」

 男はふらふらとした足取りで部屋を後にする。

 閣下一人になった執務室に静寂が訪れ、一息つこうと思った瞬間予期せぬ事態が起こる。

「見事。噂にたがわぬ指導者だ」

 突如執務室に響いたのは男の声。
 それが自らの背後から聞こえたのにも関わらず驚いた素振り一つ見せないのは、閣下の強靭な精神力の賜物と言えよう。

「……後ろから話しかけるとは礼を欠いた行為ではないのかね、魔王殿?」
「これは驚いた、まさか驚かせるつもりが逆に驚かされるとは流石だな」

 背後にいた人物はそう言うと突如体を黒い霧に変え、閣下の目の前に移動し再び姿を現す。
 霧から現れたその人物は、閣下もよく知る魔王国国王その人だった。

「この状況でも眉一つ動かさないとは、流石と言ったところか。会えてうれしいよ閣下殿」
「フフ、こんな世界では何が起きても驚きはしないよ。こちらこそあえて光栄だよ魔王殿」

 にこやかに挨拶を交わす両名だが、部屋には常人では卒倒しかねないほどの緊張感が走っている。

 表情こそ崩していない閣下だが、内心は穏やかではない。

 いったいどうやって侵入したのか?
 目的はなんだ?
 なぜ魔王が直々に?
 生き残る術はあるか?
 対抗できる戦力があるか?

 様々な思考が湧いては消えてを繰り返すがそれを決して表には出さない。
『先に余裕を失くした者が負ける』
 幾度も死線を乗り越えた閣下はその事を知っているからだ。

「わざわざこんなところまで足を運んでいただいたところ申し訳ないが私も多忙でね。出来れば要件を手短に話していただけると助かるのだが」
「やめましょう無駄なやり取りは。聡明なあなたの事だ、先ほど話してた件に魔王国が絡んでいることぐらいわかっているはずだ」
「……話が早くて助かるよ。だったら分かるはずだ、君と私は現在対立状態にある。言うなればお互いに銃口を向けあった状態、とても冷静に話が出来る状態とは言えない」

 そう威圧する閣下だが、お互いが向ける銃の差は圧倒的だ。
 かたや圧倒的な魔法の使い手に対し、閣下の手元には護身用の銃しかない。
 本来ならば自分がここからどう動けば助かるかを第一に考えるが閣下は違う。ここからどう動けば国にとって有益な結果につながるか、それだけが考える主軸であり自分さえもその為の駒に過ぎないのだ。
 ゆえに動じない。どんなに自分の命が窮地に陥ろうと、ここで怯んで国にとって不利益な約束をするわけにはいかないからだ。

「そんなに警戒しないで欲しい。私は和平を結びに来ただけなのだから」
「和平だと? 今回の件はそちらから仕掛けてきた事ではないか」
「それは申し訳ない。今回の件は部下が勝手にやった事でね、まさかこんな事になるとは思わなかったのだよ」
「そんな言葉で済む話ではない、こっちは部下を何人もやられているんだ」
「ああ、だから返すよ・・・
「返す?」

 その言い方に閣下は眉をピクリと動かし魔王を睨みつける。

「ああ違うんだ、言い方が悪かったな。全員治して返すという意味だ」
「報告ではかなりの死傷者が出てるはず。それともなんだ、死者を生き返らせられるとでも言うのかね」

「ああ、出来る」

 部屋の空気が張りつめるーーーー
 流石の閣下の額にも冷たい汗が浮かび、頬をゆっくりと流れ落ちる。
 魔法については調べ尽くしたはずだ。その上で死者の蘇生はできないと言う結論が出た。
 それは他の国も同じはず、もしこれが本当ならロシアは他国より大きな情報アドバンテージを得る。

 閣下の喉がゴクリと鳴る。
 選択肢を外してはいけない。焦れば何も得ず死ぬだけだ、それだけは避けなければならない。

「今回の騒動で死んだ者、傷ついた者は全員元どおりにして返そう。設備ももちろん元通りだ。それで手打ちにして欲しい」

 手打ち、つまりこれ以上の詮索や攻撃をやめ元通りの関係に戻るということだ。
 ロシアからしたら悪い条件では無い。なぜなら正面から戦って魔王国に勝てるビジョンなどないからだ。
 しかし。

「その条件を飲むわけにはいかない。村の者達がいなくなったせいで魔獣を追い返す魔道具を直せる者がいなくなってしまった。このままでは我が国は長くは持たん」
「ならばその魔道具の技術を差し上げよう。そちらの優秀な技術者ならば増産する事も容易いだろう」

 これは悪くない条件だ。
 今までは村の者に一任していたためロシア軍には魔道具のノウハウがない。ロシア軍だけでそれを生産、運用出来るなら戦力が大きく向上する。

「……いいだろう。条件を飲む。我が軍はこれ以上魔王国に追求をするのをやめる」
「賢明な判断を感謝する」

 魔王はにこやかにそう言うと手を差し出し握手を求める。
 閣下もそれに応じ……最後の交渉を試みる。

「ところで……今回近づけたのも何かの縁だ。我々の関係を白紙に戻すのも味気ない、少し仲良くするのもいいと思うのだが」

 それはあまりに危険な賭け。
 魔王国は今までどの国とも友好を結んだ事はない。もし機嫌を損ねてしまえば今の交渉はご破算になってしまう。
 しかし閣下は危険を冒してでも友好を結ぶ価値があると考えた。

「…………」

 その言葉に魔王は初めて沈黙をする。
 漆黒の仮面の下は困惑かそれとも怒りか。百戦錬磨の閣下でもそれを推し量ることは出来ない。
 魔王の手を握る閣下の手にも汗がにじむ。

「…………いいだろう。兵士の蘇生及び治療が終わった後、友好条約を結ぼうではないか」
「……! 感謝する」

 魔王は短くそう返事をすると、手を放し再び黒い霧に変わり始める。

「では近いうちにまた訪ねる。突然の訪問に対応していただき感謝する」

 そう言い残し跡形もなく消え去る魔王。
 一人残された閣下はそれを確認すると、これまでの人生で一番深いため息を吐き机の下に備え付けてある緊急ボタンを押す。

「何事でしょうか!?」

 間髪入れず部屋になだれ込む兵士達。今までこのボタンは押されたことはないため、余程の事態だとみな慌てた様子だ。

「……ず」
「へ?」

「冷たい水をくれ!」

 閣下の悲痛な声は廊下にまで響いたという。
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