紅の神子

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第十一章 邪恋

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『わたしは戦女神フィオリナ。イーグルの第一王子アスベルと第二王子ルーイは、このわたしの実の息子。そして「紅の神子」トールも現れた。
「紅の神子」トールはアスベルよりも先に産まれたわたしの長子。
 人間たちよ。よく聞きなさい。わたしの子供たちを迫害することは許しません。例え何者であろうとも。
 わたしは戦女神フィオリナ。かつてイーグルの王妃ビクトリアと呼ばれた者。アスベルを邪眼の王子と呼び忌み嫌うことは、戦女神の名において赦しません。よく覚えておきなさい。神の怒りに触れたくないのなら』

 繰り返されるその言葉に母の真心を感じ、アスベルは泣き出しそうだった。

 力の波動が消えていく。

 やがてフィオリナがアスベルの方を振り向いた。

『わたしにできることはすべてやったわ。後は人間たちに期待するしかない。あなたが頑張るしかないの。わかったわね、アスベル?』

「はい。母上。母上の子として恥じないように頑張ります」

『ランディ。子供たちをお願いね? 勿論トールのことも』

「わかっているよ。安心するといい。わたしも戦女神の夫と言われるに相応しい王に男になろう」

『ルーイ。兄のお手伝いができる立派な王子になりなさい。いいわね?』

「うんっ!!」

 そこまでのやり取りを眺めてから透は母に近付いた。

「そろそろ限界?」

『そうね。これ以上は無理そうね。力を使えるように普段から訓練していなさい。トール。宝の持ち腐れにならないように』

「教育ママ」

『あなたね……』

 フィオリナを振り回す透にマリンが感心している。

『マリン。トールを宜しくね。この子の力が暴走しないように見張っていて』

「はい。フィオリナ様」

「母さん。酷いよー」

『母さんはやめて。母上と呼びなさいって言ったでしょう?』

 呆れたように告げてから、フィオリナの姿は消えた。

「あの陛下」

 アインが声を出してジュリアも彼の隣に並んだ。

「なんだ?」

「先程から展開されていることがよく飲み込めないのですが?」

「なんだ。存外頭が悪かったのだな、アイン」

「頭が悪いって……そういう問題では……」

「ビクトリアは戦女神フィオリナだったということだ。そしてアスベルは邪眼の呪われた王子などではなく、戦女神の血を正統に受け継ぐ御子。『紅の神子』トールの弟に当たる」

「はあ」

「邪眼の王子が神の子」

 ジュリアがゾッとしたように呟く。

 彼女は今までアスベルのことをアインやフィーナには、散々酷く言ってきたからだ。

 呪われた子だの国を滅ぼす王子だの好き勝手言ってきた。

 それが戦女神の子?

 天罰が下るかもと彼女は本気で考えた。

「わたしは……」
 それまで微動だにしなかったカスバルが呟いた。

 そんな彼に剣を手にしたまま透が近付く。

「待って、トール兄上!! カスバルを殺さないでっ!!」

 それまで怒って避けていたはずなのに、ルーイはとっさにカスバルを庇っていた。

 カスバルが驚いたようにルーイを見ている。

 とっさのことだったのだ。

 透の手に神剣があると思ったら身体が動いていた。

「なにもしないよ、ルーイ。これは単に……消せないだけで」

 一旦解放したのはいいのだが、そうしたら今度は消せなくなってしまった。

 透の力は自在に操れるところまでいっていないようである。

「カスバル。自分がどれだけ真実を見ることなく、人々の噂に躍らされていたか、これでわかっただろ?」

「『紅の神子』……トール様……」

「ルーイは王位なんて望んでない。ただ兄の役に立ちたいだけなんだ。そんなルーイの気持ちを1番わかってやるべきあんたが、なにもわかってなかったんだ。そのことがどんなにルーイを傷付けていたか、これでわからなかったら、今度は母さんに天罰を下してもらうからな」

 それだけ脅すと透は背を向けた。

 マリンの下へ行って泣き付く。

「どうしよー。マリン。神剣消せないー」

「さっきはあれだけ威厳溢れる神子だったのに。なに、これ?」

「そんなこと言われても消せないんだよー。どうしよー」

 マリンが右手を伸ばして神剣に触れる。

 すると神剣が霧散した。

「スゲー。さすがマリン」

「お願いだから、ぼくに頼らなくてもできるようになって?」

 マリンはなんだか情けなさそうである。

 そんなやり取りをカスバルは呆然として見ていた。

 これが神の慈悲なのかと感じながら。

 ランドールは透が彼を許したので、渋々見てみぬフリをすることに決めた。

 久し振りに逢えた妃の姿を思い浮かべながら。

 そんな彼を睨む目がある。

 それは嫉妬に狂った瞳だった。





「はあ。同じ言葉を繰り返すのも何度目か忘れそうだ」

 疲れ切った声で呟くのはランドールである。

 彼の傍には同じく疲れ切った透とアスベルの姿があった。

 ルーイはまだ子供ということで、今回の騒ぎからは隔離されている。

 あの事件から心を入れ換えたカスバルが、先頭に立ってルーイを護ってくれているので、3人ともあまり彼の心配はしていない。

 フィオリナが告げたあの言葉は、神の怒りとして周囲を脅かした。

 何故ならフィオリナの子であるアスベルを周囲は散々酷く言ってきて、生命を狙ったことのある者も少なくなかったからだ。

 それはイーグル国内だけでなく、近隣諸国にまで広がった動揺だった。

 アスベルの良くない噂は、それだけ近隣に広まっていて、彼を呪われた王子として忌み嫌う者が多かったということである。

 本当のことを言えば暗殺者の中には、他国からの刺客もかなりの数がいた。

 イーグルの王子を暗殺してしまい、扱いやすい第二王子を王とすれば、古王国としてだれもが敬意を払うイーグルを我が物にできると考えた国が多かったせいである。

 それが突然の神の神託。

 アスベルは戦女神の子だというのだ。

 しかも彼に対して悪意をもつことをフィオリナ自身が咎めている。

 彼に対して悪意をもてば、もれなくついてくるのが神の逆鱗。

 すなわち天罰である。

 おまけに伝説に過ぎなかった「紅の神子」の出現。

 しかもアスベルの兄だという。

 動揺はイーグル城を土台から揺るがした。

 助命嘆願にくる者。

 これからは同盟を組もうと言ってくる近隣諸国。

 アスベルを是非次期イーグル王として迎えたいという人々の言葉。

 あまりに身勝手な周囲にアスベルは怒りを通り越して呆れてしまった。

 あれだけ悪し様に言っていた自分によく跪けるなと。

 それらの謁見の間には当然「紅の神子」として透も同席を望まれた。

 何故なら透本人が証人だからである。

 神としてのフィオリナの子である透は、そこにいるだけでアスベルたちの出自を確かにする証人だったのだ。

 但し同席を望んだ近隣諸国の間には、是非とも「紅の神子」を手中にしたいという思惑も見え隠れしていた。

 だから、どうしても顔を確かめたかったのである。

 正直なところ、透と直に逢った者は確かめる必要などなかったかもしれないとまで思った。

 何故なら透が戦女神に瓜二つだったからだ。

 これなら確かめなくても、だれが「紅の神子」なのか、すぐにわかる。

 しかし元々イーグルは世界の中心にいた国である。

 アスベルの問題で少しその権勢は薄れつつあったが、その影響力は半端じゃない。

 それだけに片付けても片付けても、謁見は終わることがない。

 同じ言葉を繰り返すのも、何度目か3人とも忘れてしまった。

 朝にフィオリナが現れたのだが、謁見は真夜中になっても終わりそうになかった。

「ようやく我々の順番ですね。信じられない事態ですが」

 そんな声に今度はだれだとアスベルは視線を向けて唖然とした。

「伯母上っ!? 伯父上っ!? えっ!? 今まで待っていたんですかっ!?」

 現れたのはログレス国王夫妻だった。

 エドワードとフィーナも一緒にいる。

「大国ログレスと言えども、フィオリナ様の御名の前には敵いませんね」

「……もしかしてログレス王と名乗らなかったのか? いや。それなら謁見なんて無理だし」

 ランドールが首を傾げると彼の義理の兄に当たるログレス王は苦笑した。

「砕けた言い方をさせてもらうよ、ランドール王? 実はね。ログレス王だと周囲は皆知っていた。けれどだれひとりとして順番を譲ろうとはしなかったんだよ。わたしがきみの義兄だと知らないわけでもあるまいに」

「それは済まないことをした。皆保身のために頭が回らなかったんだろう。それでも兄上のことを知ることができなかったのはこちらの落ち度だ。姉上にしてみれば実の妹の問題なのだから、1番に逢うべきだったのに」

「本当に……あの娘がフィオリナ様だったのですか?」

 王妃が顔を陰らせて問う。

 彼女にとって妹は妹で決して戦女神ではなかった。

 どんなに似ていても。

 それが今では戦女神の姉として見られている。

 確かめずにはいられなかったのだ。

 それは順番を待っている間、周囲から向けられる視線で感じていた。

 あれは戦女神の姉に向ける視線だった。

 決してログレスの王妃を見てはいなかったとわかるから。

「ランドール。あの人もしかして人間としての母さんの姉さん?」

「ああ。トールは知らないか。そうだ。ビクトリアの姉でな。今ではログレス王の妃になっている」

「つまりエドとフィーナちゃんのご両親?」

「おまえ……頼むからフィーナちゃんはやめろ。もう少し神子らしく振る舞えないか? もうバレてしまったんだし。そう規格外の神子だとその内苦情がくるぞ?」

「酷いー。アスベル兄さんが苛めるよー」

「謁見の間だぞ。少しは慎め、トール!!」

 さすがにアスベルがキレる。

「だって全員身内だろ? なにを慎めって?」

 あっけらかんと言われてアスベルは憤死した。

 そのやり取りに彼が問題の「紅の神子」なのだと知って、国王夫妻の視線が透に向かう。

 あまりに妹に似た姿に王妃の瞳から涙が溢れる。

 瞳だけが……真紅だったが。

 神剣を具現させて以来、透の瞳は自分の意思で変えられるようになったのだ。

 今は神子として存在しているので、瞳を真紅にしているのである。

「初めまして、ログレス国王夫妻」

 透が神子として挨拶を投げる。

 突然豹変した彼にアスベルもランドールも唖然とした顔を向ける。

 透は一応、良家で育っているので、こういう場での振る舞いは身に付けている。

 ただ今まではそれを発揮する必要を感じなかったのだ。
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