紅の神子

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第四章 伝説の胎動

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 その様子を黙って見ていたエドワードは徐に話し出した。

「実はね、アスベルには言っていないけれど、わたしも『紅の神子』を捜している」

「……それは近隣諸国の抵抗を捩じ伏せるため?」

 透の声は冷めている。

 だから、エドワードはかぶりを振った。

 彼は怪訝そうにエドを見ている。

 その眼をしっかりと捉えて言を継いだ。

「わたしが『紅の神子』を捜し始めたのは10歳になってからだ」

「10歳になってから?」

 つまりそれまでは捜していなかったという意味だ。

 どうして急に態度を変えた?

 その意味を探ろうと透はエドワードの眼を覗き込む。

 すると彼はやりきれない顔で笑った。

「10歳の誕生パーティーの夜、わたしと両親が3人だけで寛いでいると、突然賢者マーリーン様が現れたんだ」

「……え?」

「そして重臣たちを集めるように指示され、わたしたちは取るものもとりあえず臣下たちを集めた。そうしてマーリーン様のお言葉を待ったんだ。紡がれた言葉は……予言は」

 エドワードはそこで一度言葉を切る。

 目を閉じて続きを口にした。

「『近い将来「紅の神子」は必ず現れる。ログレスの第一王子エドワードは神子と結ばれなければ生命を落とす運命にある』」

「な……なんだよ、それっ!?」

 透は青くなったり赤くなったり忙しかった。

 その可能性があるのが透だと彼は知らない。

 だから、深い意味はないのだろうが、神子と結ばれなければ死ぬ?

 エドワードが?

「どうもこの『結ばれる』という言葉の意味は結婚、というわけではないようだね。神子に心から愛されて、わたしも巫女を心から愛して、そうして初めて結ばれたことになるんだ」

「……信じてるのか? そんな胡散臭い予言っ!!」

 透は真っ青である。

 それが自分の場合、透はこの王子に迫られる運命にあるのだろうか?

 あんまり……あんまり考えたくない。

 エドワードには悪いが。

 男はお断りだっ!!

「わたしだって最初は信じたくなかった。賢者マーリーン様だという主張も、疑おうと思えば幾らだって疑えた。相手はまだ12、3歳くらいの子供だったし」

「……あ」

 確かアスベルも言っていた。

 賢者マーリーンは暁と同じ歳くらいの外見だと。

 つまり本物?

 本物の賢者の予言?

 もし透が神子だったら透が彼を愛さないと彼は死ぬのか?

 透のせいで?

 さっきまでとは比べ物にならないくらい透は青ざめた。

「父も母も信じたくなかったのだろう。そんな伝説上の人物に自分たちの息子の命運が握られているなんて。だから、世界中から能力のある魔術師や占い師を次から次へと招いた。それこそもう候補がなくなるまで」

「どう……だったんだ?」

「すべての者が口を揃えたよ。このままでは生きられたとしても25くらいまで、と」

「25……後5年しかない」

 後5年。

 そのあいだに透が神子だとわかり自覚して、尚且つ彼を愛さないと彼は死ぬのか?

 そんなのって……。

「安心してほしいと事情を知った叔母上は言ったよ」

「ビクトリアさん?」

 問いかけるとエドワードはなにかを思い出すような眼をして頷いた。

「『わたしはこの子が不幸を招く邪眼の王子だなんて信じていないの。むしろこの子の眼は幸運を招くわ。安心してちょうだい、姉様。この子がいつかエドのために神子を招くから』」

 自身の国のことはどう思っていたのだろう?

 ましてや息子のことを考えただろうか。

 ビクトリアは。

「『神子をこの世に招けるのはこの子だけ。でも、この子に必要なのは伴侶や恋人としての神子じゃない。
 だったらこの子とエドのふたりが神子を必要としていても、きっとなんとかなる。
 なんとかしないといけないのよ。この子とエドの間で神子が奪い合われるなんて事態を招いてはいけないの』」

 ここまで聞いて楽観的に言っていたわけでも無責任だったわけでもないと知った。

 一国の王妃として、そして母として叔母として、彼女にできる精一杯の。

 辛いな、と目を閉じる。

「わたしはまだ小さなアスベルを見て、本当にそうなるだろうかと不安だった。
 アスベルにとっても神子の存在は必要不可欠。そして重要。わたしにすら譲れないほど。
 しかしわたしにとっても神子は必要。でなければわたしは25までしか生きられない」

「エドワード王子」

「ログレスが神子を必要としているのは、ただそれだけの理由だよ。
 別になにかを企んでいるわけじゃない。ただ生き残るために必死なだけ。
 それはどこの国も変わらないんじゃないかな。ログレスもイーグルも諸外国も」

 確かに……そうだ。

 どこの国々もただ生き残りたいだけ。

 幸せになりたいだけ。

 アスベルのことを肯定するなら、エドや他の国々のことも責められない。

 そこにはそれぞれの事情があるのだろうから。

 ただそのすべてを背負わされる神子の身になって考えたことが、彼らにはあるのだろうか。

 透は耐えられそうにない。

 国の命運を人の生命を背負える自信なんてない。

 こんな考え方はキライだったのに、長続きしたことだってなかったのに、最近は気がついたら同じ思考をしている。

 どうしてそれが透なのだ、と。

「これがわたしの悩みだよ、トール」

「……それじゃあ今まで言えなかったのも無理ないな」

「アスベルは受け入れてくれると思うかい? わたしは彼に背かれるのが怖い。そして彼がわたしを思って苦しむのも怖いんだ」

「難しい問題だな。アスベルにとっての生命線だもんな、神子の存在は。でも、エドにとってはもっとそうだけど」

 さりげなく「エド」と呼ばれ、エドワードはドキリとする。

 不思議と不快感はない。

「どちらも成り立つようにするしかないよな」

「できるかな? そんなこと」

「俺が仲介に入るよ」

「……」

「俺の言葉ならアスベルも耳を傾けてくれると思うから」

 そう。

 彼が「紅の神子」と信じる透の言葉なら受け入れてくれるはずだ。

 ただそれを両立させるのはかなり難しい。

 エドワードとアスベルが絶対に敵対しないという証拠がいるのだ。

 なにかないか?

 ふたりして敵対しないで済む方法が。

「もしかしてわたしたちが敵対しないで済む方法を考えている?」

「え? うん。だって俺の言葉で信じてくれても、エドがそれを実証してくれるって保証はない。そうなったらアスベルも納得しないだろうし」

「肝心なのはね。神子の意思なんだよ」

「神子の意思?」

「わたしは今はまだ神子を愛せると嘘はつけない」

「真面目だな。生命がかかってるのに」

 透は苦笑する。

 普通なら生命がかかってるのだ。

 嘘でも愛せると言うところだろう。

 それでもエドはまだ神子と逢っていないから、面識がないから愛せるかどうかわからないとはっきり言う。

 誠実なんだな、と思う。

 なんとなく。

「けれどね。ここで嘘をついても意味がないから」

「どうして?」

「例えばわたしが神子を愛せないのに愛せると嘘をついて、神子を騙して手に入れてもわたしを待つ運命は……変わらないんだよ」

 それでは救いがない気がした。

 だれだって愛した人に愛されるとは限らないのに、愛し愛されないなら助からないなんて。

「偽りの関係ではなんの意味もないんだ。わたしの気持ちも神子の気持ちも本物でなければ意味がない。でなければどのみちわたしは25で死ぬ運命なんだよ」

 あまりに辛い運命に言葉が出ない。

「だからといって神子だから愛するわけではないということを、神子には是非理解してほしいけれどね」

「神子だから愛するわけじゃない? でも、神子だから愛する必要があるんだろ?」

「確かにね。切っ掛けはそうだよ。でも、言っただろう? 真実の気持ちで愛し合わないなら意味がないと。
 つまり神子だと意識して好きになり、神子だから愛されたと思われていたら、結局運命は変わらない、ということだよ」

 これ以上はない足枷だと透は思う。

 つまり立場とか地位とか、そういうものや決められた運命に従うだけでは、彼の運命は変わらないのだ。

 真実の気持ちで愛し愛される必要がある。

 そんなこと簡単にできるだろうか。

「わたしは神子と出逢えたら、相手が神子だという認識を捨て去るつもりだよ」

「できるのか? そんなこと。周りは全部その相手を神子として扱うのに」

「できるかできないかじゃない。するしかないんだよ。わたしはまだ死を受け入れたわけじゃない。
 そして愛する人を選ぶということの意味も忘れたわけじゃない。心から愛するってそういうことだろう?」

「ごめん。それについては答えられない。俺……まだ経験ないから、恋の」

「そうなのかい?」

「弟がうるさくて今まで遠ざけられてたっていうか」

「アスベルと同じだね」

 笑うエドワードに透も笑った。

「でも、だったらなんとかなるか」

「そう思うだろう?」

「うん。エドがあくまでも神子の意思を優先するなら、それを証明できるなら、アスベルも納得するかもしれない。エドが強行手段に出ないって信じられたら」

 エドには無理強いはできない。

 この言葉を裏返せば、そういう意味なのだ。

 無理強いでは彼は神子を手に入れる意味がないから。

 彼の下へ神子が行くことがあるとしたら、神子本人がそれを望んだとき。

 その言葉に嘘がないとアスベルなら信じてくれるだろう。

 エドの気性はだれよりも理解しているだろうし。

 彼がその場限りの嘘をつく人間かどうか、アスベルが1番よく知っているはずだ。

「早い方がいいだろうから、明日アスベルに打ち明けよう。段取りは任せてくれるか?」

「構わないよ。悪いね。そこまでしてもらって」

「いいよ。俺もアスベルには世話になってるし。あいつが従兄弟と敵対しないで済むなら、あいつが苦しまないで済むなら、その方がいいからさ」

 じゃあと透は出ていった。

 それを見送ってエドワードがため息をついたことを透は知らない。




 そしてその日の夜。

 もうひとつの事件が起こった。

「あれ? 兄さん?」

 暁が呼んでいる。

 部屋には透の姿はない。

 兄はこんな時間にどこに行ったのだろう?

 暁はアスベルに訊ねに行ったが、彼も知らなかった。

 その頃、透は強制的に湯浴み(入浴)をさせられていた。

 理由も告げられず、ほぼ連行状態で。

 そして何故か下着1枚着けさせてもらえず、すぐに脱がせやすそうな服を着せられた。

 そして言われたのである。

「王の伽のお相手をよろしくお願い致します」

 と。

 言葉の意味を頭の良くない透が理解することはなかった。

 寝室に通されるまで。

 寝室ではランドールが途方に暮れたような顔で待っていた。

 透がやってくるのを。

 これからどうなるのか、透はまだ知らない。
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