紅の神子

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第三章 ログレス王国

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 第三章 ログレス王国




「とにかくダメですってっ!!」

 甲高い声が叫んでいる。

 宮殿で聞くにはすこしばかり感情的な声に、回廊を歩いていた第一王子、エドワードが振り返る。

 声の主はよく知っている人物の声に聞こえる。

 早足に歩いていくと妹の部屋から、その声は聞こえてくるようだった。

「どうしてダメなの、ジュリア? 自分の婚約者に逢いたいと望むことが、そんなに悪いことなの?」

 拗ねたような声は妹だ。

 部屋を覗き込むとエドワードが彼女に貸し出している彼の女騎士、ジュリアが妹の前で仁王立ちしていた。

「そもそもわたしはこの結婚自体反対ですっ!! いくら王妃になれるとはいえ、あんな小国家の王妃になんてなる必要はありませんっ!! そもそも相手はっ」

 感情的に言い募る声にエドワードが声を投げた。

「どんな噂が流れていようと、わたしは彼を否定する気はないし、そもそも彼はわたしの従弟なのだけれどね」

「エドワード王子」

 ジュリアがバツが悪そうに振り返り、妹は嬉しそうな声を出した。

「お兄様っ!!」

「それにしてもきみたちの言い争い自体は珍しくないけれど、一体なにを揉めていたんだい、フィーナ?」

「わたし。イーグルへお忍びで行きたいの」

「イーグル王国へ?」

「わたしの婚約者であるアスベル王子の人柄を知りたいのよ」

「彼のことならわたしが話して聞かせていただろう?」

 エドワードとアスベルは従兄弟である。

 エドワードの方がアスベルよりもふたつ年上の従兄なのだ。

 だから、彼とは小さな頃から親交がある。

 邪眼の王子と噂され、僅か10歳にして母親を亡くしてしまった彼のことは、エドワードも常々気にしていて、何度となくイーグルへと足を運び、彼と逢っていた。

 アスベルは素直ではないが、自分のことを色眼鏡で見ないエドワードのことだけは気に入ってくれていて、訪れる度に歓迎してくれる。

 実はそうして彼と親交を深めようとする理由のひとつに、妹姫フィーナの問題があった。

 フィーナが産まれたとき、ランドール王と父王のあいだで密かな婚約が交わされ、フィーナはアスベルの婚約者となったのだ。

 そこにはフィーナが叔母であるビクトリア妃に似ていたことも、理由のひとつとして挙げられるかもしれない。

 まあ実際に婚約が成立したのは、妹が赤ん坊のときなので、政略以外のなにものでもないのだが。

 だが、妹を任せるに当たってエドワードとしても、それまで以上にアスベルの人柄を気にするようになった。

 その動機はアスベルも知っている。

 彼からは「そんなに妹が大事なら、おれになんて嫁がせないで、もっと条件のいい男を探せばいいのに」と言われている。

 彼もまだ結婚を具体的には考えていないようで、妹には特別な関心はないらしい。

 だから、もしかしたら小国の世継ぎである彼の立場からは断れない婚約だから、大国であるログレスの方から断ってくれないか、という思惑もあったのかもしれない。

 まあなにがなんでもいやだと思っているわけではなさそうだが。

「妹では気に入らないのかい?」とエドワードが問うと、アスベルは決まりが悪そうにこう言った。

「エドの妹に苦労させたくないんだ。おれなんかの下に嫁いだら、苦労するのが目に見えてるから」

 そう……言った。

 正直なところ、ログレスは大国なので、フィーナの嫁ぎ先なら幾らでもある。

 だが、邪眼の王子と噂され、あまり良い評判のないアスベルでは、フィーナ以外の良縁はおそらくない。

 だからこそ、彼の父王のランドールも、従妹のフィーナが産まれたときに、早々に婚約を纏めたのだろう。

 結婚できないかもしれない息子を気遣って。

 王位を継ぐ者が結婚できない。

 それは王位継承者としては致命的だ。

 アスベルと第二王子ルーイとのあいだで起きている王位継承争い。

 それが具体化する前に王は手を打ったということである。

 妹が婚約者だから、アスベルはかろうじて世継ぎのままでいられる。

 それがわかっていてエドワードからは破棄を申し込みたくはない。

 ただ妹も小さい頃は自分が、邪眼の王子に嫁がなければならないということで、かなり嘆いていたようだった。

 そのため彼の下へ通って彼の人柄を探り、エドは毎日のように妹にアスベルの噂を聞かせた。

 妹がひとりの少女へと成長する頃、嘆きは興味に変わっていた。

 アスベルが悲劇的な境遇に負けず、頑張っていることをエドが教えたからだ。

 だが、それはあくまでも第3者を通して入ってくる情報であって、妹が直接アスベルの人柄を知っているわけではない。

 そういう意味なら興味が高じて、こういうことを言い出したのだろうとはわかるのだが。

「だって噂ならもう十分だわ。わたしはこの目でアスベル王子の人柄を知りたいの」

「フィーナ」

「わたしの旦那様になる人なのよ? その人柄を知りたいと思うことが、そんなにいけないこと?」

「しかしきみは国から外へは出たことがない身だし」

「だから、身分を隠してお忍びで行きたいの」

「無茶苦茶だよ、フィーナ」

 エドワードは頭を抱えてしまう。

「アスベルだって自国ですら自由に出歩けない身なんだ。きみが身分を隠して入国したら、まず彼とは逢えないよ。イーグル城へ入れないだろうから」

「だから、そこはお兄様にも同行していただいて、お兄様の侍女という役所にしたら」

「フィーナ。わたしにきみを侍女扱いしろというのかい? さすがにそれは……」

「お兄様」

 フィーナが小悪魔めいた笑みを見せる。

 妹がこういう顔をするとき、大抵ろくでもないことしか言わない。

 おしとやかでありながら、お転婆な一面も併せ持つ妹にエドワードは身構える。

「『紅の神子』に逢いたくないの?」

「それは……」

「わたし、間者の元締めから聞いたのよ。イーグルに『紅の神子』出現の噂があるって」

「なんだって!?」

 エドワードが「紅の神子」を捜していることは妹には言っていない。

 このことは最重要機密だからだ。

 だから、妹がそのことを知っていて言っているとは思えない。

 ということは妹は確かな筋から、そういう噂を聞いたのだ。

 でなければここで交渉条件としては出してこないだろう。

 エドワードはアスベルが「紅の神子」を必要としていることを知っている。

 それを承知で捜しているのだ。

 彼を困らせるのを承知で。

 このことはいつかアスベルには言わなければ、とは思っている。

 しかし「紅の神子」出現の噂がイーグルにある?

 これは放置できない。

「なんだかね、はっきりしない噂で悪いけれど、賢者マーリーン様がイーグルにお告げを与えたらしいのよ」

「賢者マーリーンのお告げ?」

「その捜索の結果、現れたとか現れなかったとか、これ以上詳しいことは悪いけれど、直接イーグルに出向いて確かめてほしいって元締めは言っていたわ。情報が厳重に管理されていて探されないって」

「イーグルに『紅の神子』が現れたかもしれない? 何故……マーリーン様はイーグルにそのお告げを? この国ではなくイーグルに……」

「お兄様?」

 様子のおかしい兄をフィーナが覗き込む。

「『紅の神子』を得るべきなのはアスベルだというのか」

(わたしではなくアスベルだと)

 声にならないその声にフィーナは不思議そうな顔になる。

「喜んであげないの、お兄様?」

「え?」

「アスベル王子がどんな気持ちで『紅の神子』を捜していたか、お兄様は1番よく知っているはずでしょう? どうして喜んであげないの?」

「喜ぶ? アスベルが堂々と『紅の神子』を得ることを?」

(それはわたしにとって……)

 言えない言葉が脳裏を過る。

 まだそのときではない。

 妹に心配をかけたくない。

 だが、これで妹のワガママを受け入れるしかなくなった。

 そういう噂があるのなら、エドは確かめずにはいられないからだ。

(もし事実だったら、わたしはどうするのだろう? アスベルと戦う? あれだけ苦労しているのを間近で見てきて気遣ってきた従弟と?)

 その答えは出そうになかった。

 そのとき、呼び声が聞こえた。

「エドワード王子」

 振り向けば居候の客人がいる。

 不安をその漆黒の瞳に浮かべて。

「ああ。悪いね。放り出して。今臣下から報告を受けていたんだけどね。それらしき者はこの国にはいないということだったよ」

「そうですか」

 呟いてガックリと肩を落とす。

 やはりどことも知れない場所に自分ひとりというのは怖いのだろう。

「きみには大変申し訳ないのだけど、近々すこしのあいだ国を離れるかもしれないよ」

「え……?」

 その顔がみるみる強張った。

 申し訳なさでエドワードは顔を伏せる。

 拾ってきて世話をしているエドワードしか頼る者がいないのだ。

 当然の反応かもしれない。

「従弟に逢いにね。隣国のイーグルへ行くことになると思う」

「じゃあいいの、お兄様っ!?」

「きみのワガママには負けたよ、フィーナ。『紅の神子』まで引き合いに出すんだから」

「やめてください、王子っ!! わたしは反対ですっ!!」

「ジュリア。この国一番の女騎士として、きみには同行してもらいたい。諦めてくれないかな?」

「そんな……」

 ここまでのやり取りを聞いていて、その客人がポツリと問いかけてきた。

「『紅の神子』って?」

「紅の女神とも呼ばれる戦女神、フィオリナの血を引いていると言われている伝説に伝わる神の末裔だよ。様々な伝承が残っていて、そのほとんどが救世主扱いされている伝説の神子。その力は絶大だと言われていてね。できないことはないとも噂されている」

「へえ。凄いな」

 感心したように言ってから言い募ってきた。

「一緒に行くことはできませんか?」

「きみが?」

「なんなら侍従でもなんでもいいですから、ここじゃない国にそれも隣国と言われるほど近い国に行くのなら、是非行きたい。そこにふたりがいるかもしれないから」

「本当に心配しているんだね、きみは」

「心配というか。きていないなら、それに越したことはないんです。でも、もしきていたら。そう思ったら落ち着けなくて」

「わかったよ。なんとか手配しよう。但しどういう扱いになるかは、わたしにも保証できない。それでもいいかい?」

「はい」

 力強く頷くのを確認してエドワードは、これからのことを思いため息をついた。
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