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第十三章 禁断の果実

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「亜樹?」

 もう一度名を呼んでみる。だが、やはり目覚めない。よほど深く傷つけられたのか。

 昔からそうだ。

 セシルは心を深く傷つけられると、深い眠りに落ちることで、自分を護っていた。

 現実を拒否することで。

 そんなときは抱きしめることさえできない獣である己を呪ったものだった。

 だから、幸運なのかもしれない。

 亜樹が助けを求めたとき駆けつけることができたし抱きしめて慰めることもできた。

 昔ならできなかったことだ。

「昔っからおまえは人気者でおれはひとりヒヤヒヤするばかり。わかってるのか?」

 ちょっと類をつねってみる。でも、やっぱり起きない。

 なんだか笑えてくる。
 
 誰かに奪われない自信なんて本当は全然ない。

 セシルに関しては自信なんて持てないり振り回されてきたのは、いつも自分のほうで。

「おまえ、優しすぎるんだよ。獣であるおれにまで情けをかけていたら、身が持たないっていうのにさ」

 あのときの涙の意味。

 本当は知りたかったけど聞くのが怖かった。

 失うのが決定していたから。

「亜樹」

 自然と繋れただけだった。なのに。

「一樹?」

 亜樹は目を開けていた。

 どこかぼうっとしたままで、じっとこっちを見上げて。

「目が覚めたのか?」

「うん。なんか変な夢を見てたみたいだ」

 そうして仔猫が親に擦り寄るみたいに類を寄せてきた。

 おい。これはないだろう?

 無意識なのか、なんなのか、全く。

 裏台に腰掛けていたから、無意識に甘えているのかもしれないが。

「なんかすごく疲れてるなぁ。身体が暑い」

「亜樹? どうかしたのか?」

「わからない。ただすごく疲れてる。それに暑い。一樹の手は冷たいな」

 それで頬を寄せていたのかと笑えてくる。

 正体が水神なのだから、体温は低い。それは必然だ。

「しょうがないな、おまえは」

「一樹といるとほっとするなあ。なんかずっと昔からこうしてたみたいで」

「‥‥‥」

「一樹?」

 亜樹が見上げてくる。

 ただの既視感だとわかっているのに、こみ上げてくる気持ちを抑え切れない。

「えっ。んっ」

 悲鳴をあげて身を現る亜樹を、身体で押きえ込む。

 信じられないくらいに細い。

「かすき。ちょっと。ちょっと待って」

焦ったような声が聞こえる。でも、もう止まらない。

 水は勢いがつくと止まれないものだから。

「やだよ、こんなのっ。かずきっ!」

 抗議をあげる唇を己のそれで塞ぎ、身体で押さえ込んだだけで、亜樹は動けなくなった。

 嫌がっているのかいないのか、自分でもわからない。

「亜樹。おまえ」

 肌を辿っていた手が止まる。思いがけない真実に気付いて。

 亜樹はわかっていないようだった。

 ただ顔を真っ赤に染めている。

 悲鳴のような声。

 何度も反り返る細い肢体。

 でも。

 もう止まらない。

 譫言のように名を繰り返す唇。

 もっと呼んでほしい。

 獣じゃない今の名を。

「あっ。やだってっ。かずきっ」

 悲鳴が涙声になる。でも、男体は抵抗していない。

「もうやだよう」
 
 声を出すのが恥ずかしくなったのか、それっきり亜樹は叫ばなくなった。

必死になって殺している。

「んっ」

 時々、堪えきれない声が漏れる。

 セシルはこんな声を出す?

 誰かに触れるのは初めてだけど。迷いはなかった。

 ただセシルは本当の意味では抱けない。

「感じろよ、亜樹。おれだけを」

「やっ」

 悲鳴をあげて反り返る細い肢体を強く抱きしめた。

「マルス」

「え?」

 意識を失う直前に亜樹は確かにそう呼んだ。

 顔を覗き込んだときには、もう気を失ってけれど。
 
 泣かれてるかなと思ったけど、亜樹は泣いていなかった。

 ただ細い肩が激しく上下している。

「本当の意味でおれだけのものになればいいのに」

 誰にも言われたくない。

 今はただ抱いていたい。

 初めて触れることのできた想い人を。




『どうしてそんなに泣いてるんだ?』

 黒い髪、黒い瞳。そして驚くほど端正なその顔立ち。左耳には見慣れたピアス。

 蒼海石の蒼い。

 少年か少女が判断に迷うその子は大粒の度を溢し、ただ泣いていた。

『だって傷つけたから』

『だれを?』

『純粋に一途に愛してくれた人をつけたから、だから、きっとオレは罰を受ける。受けないといけないんだ』

 そう言ってまた泣いた。

 よく見てみるとなにかに抱きついているようだった。

 狼?

 銀色の獣?

 獣みたいに見える。しなやかな肢体。

『おまえはだれなんだ? どうしてオレの胸まで痛くなるんだ?』

『オレはセシル。もうひとりのおまえだよ、亜樹』

『え?』

『もうマルスを傷つけないで。お願いだから。そのためならどんな代償だって払うから』

 涙は尽きることがない。

 なにをそんなに嘆くのか問いかけようとして目が覚めた。

「あれ? 夢? なんて生々しい」

 それから無意識に眦をこすって気がついた。

 泣いていたのは他でもない。自分だった。

 傍にだれかのぬくもり。振り返って声をあげそうになった。

 全裸で眠っているのは一樹。

 昨夜、彼とのあいだでなにが起きたのか思い出し、知らないあいだに顔が熱くなる。
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