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第十一章 それぞれの代償
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しおりを挟む「レダさま。どちらにいらっしゃいますか?」
ふわりと舞い降りたファラが、そう女主人に呼びかける。
アレスをエルシアたちに託して、一度炎の神殿に戻ってきたのだ。
その王座にレダの姿はなかった。
きょろきょろと視線を走らせると、奥のほうから久しぶりにみるレダの鮮烈な美貌が目に入った。
「どうかしたの、ファラ? アレスはいないようだけれど」
炎を思わせる長い赤毛が濡れているところを見ると、どうやら入浴中だったらしい。
「申し訳ありません。ご入浴中だったのですね」
「いいのよ。もうあがったところだったから。それよりアレスはどうしたの? 一緒じゃないなんて」
レダは会議でアレスの誕生が決まってから幾度となく海の神殿へと出向いた。
アレスが産まれるまで、一度も夫であるラフィンとは逢っていない。
お互いに認めていることでも、やはり苦い気分だったからだろう。
ようやく望んだ神子が産まれて、レダもぼっとしているはずだ。
後はアレスが期待に応えることができれば、彼女の肩の荷もおりるはずだった。
夫であるラフィンに顔向けできないこともない。
まあそれはレオニスにしても、同じことだっただろうが。
ファラが掴んだ真実は、そして新しい情報は、彼女にとって吉と出るか凶と出るか。
かといって見逃せる現実でもない。
事は最高神、水神マルスに関わることなのだから。
「レダさまにとって、いえ、すべての神々にとって見逃せない情報を掴んでまいりました」
「どういう意味かしら? 随分大層な前置きだけれど?」
王座に腰掛けながら問いかけるレダに、ファラは重いため息をもらす。
「説明を聞く前に教えて? アレスはどうしたの?」
色々と複雑な境遇ではあるが、レダはアレスを愛している。
でなければ最後の精霊であり、己の手足である腹心、ファラを同行させたりしなかった。
それはそのままレダが不自由な生活を送ることを余儀なくされるからだ。
それでも決断するくらい、息子として愛している。
産まれて半年で辛い旅に出さなければならなかったレダの心境は、第三者には推し量れない。
気遣う表情からそれを読み取り、ファラは安心させるように微笑んだ。
「ご安心ください。アレス様はご無事ですから。今はエルダ神族の長のところに身を寄せておいでです」
「あら。エルダ兄さまの子供たちと逢ったの?」
「はい。他にも思いがけない方にもお目に掛かりました」
「思いがけない人? 誰なの?」
小首を傾げて問いかける様子にファラは一度大きく息を吸い込んだ。
覚悟を決めるように。
「その方の名は水神マルス様」
「え?」
感情の消えたレダの美貌に、ファラははっきりと告げた。
揺るぎようのない現実を。
「わたしはマルスさまとお逢いしたと申しました」
「生きていらしたの?」
「どういう表現が適切か、わたしも悩むところですが」
「どういう意味なの? お逢いしたのでしょうっ? お願い! 詳しいことを教えて、ファラ!」
必死になって問いかける姿に、マルスが告げた真実は残酷なだけだとも思ったが、避けて通れない道だった。
ゆっくりと真相を語りはじめたファラに、レダは説明を受けている間、瞬きすらしなかった。
「わたしが産まれたすぐ後に亡くなっていた?」
「正確には瀕死の状態に陥られたということになりますか。後の大賢者に救われたとおしゃっていましたから」
「マルス姉さまはいえ、今はマルス兄さまかしら? マルス兄さまは戻る気はないと、そうおっしゃったのね?」
厳しい表情だった。
旅に出る前にレダは言っていた。
今の状態でマルスが欠けているのは痛い、と。
それを承知で水神としての使命を放業したマルスに、一体なにを思っているのか。
「正確には戻れないと」
「戻れない? 神力も記憶もあってなお戻れない? 一体どんな事情があれば、そんな無責任なことが言えるのっ! マルス兄さまっ! ひどい」
「レダ様」
レダが泣いているのがファラには信じられなかった。
いつも毅然と前を向いていて、絶対に弱音を見せない気高い炎の女神。
その女神が泣いている。
憧れていた太祖の裏切りに。
「マルスさまはご自分が戻れない理由を、こうおっしゃいました。大賢者に救われたことにより、一命は取り留めたものの、元の姿も力も失い、ただの獣に成り果てたと」
「そんな」
「そんな姿を兄弟たちに見せるのはいやだったと。憐れまれたくなかったと。そうして行先を失ったマルスさまを受け入れたのが、マルスさまを救った後の大賢者。おそらくこのときより、マルスさまは水神としてではなく大賢者を護る守護聖獣になられたのだと思います」
「大賢者を護る守護聖獣。噂には聞いていたわ。恐ろしいほど強い、と。誰も勝てないと。その正体がマルス兄さまなら当然、ね。どうして気づかなかったのかしら? わたしたちが兄さまを憐れむわけないじゃないっ! そんなことで兄さまを否定したり拒絶するわけないじゃないっ! どうしてわかっていただけないのっ!」
「レダさまっ! 落ちついてください!」
女神の取り乱しようは凄かった。
おろおろするファラに、背後から美声が届けられた。
「落ちつきなさい、レダ」
弾かれるように顔をあげたレダは、そこに水鏡でしか見なかった懐かしい夫にして兄のラフィンの姿を見た。
「ラフィン兄さまっ!!」
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