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第十章 水神マルス

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「でも、それが本当ならあの子が過去と同じ道を辿るだけで、人々の信仰は集まるでしょうね」

「まあな。亜樹が覚醒して力を自在に操れるようになり、もし過去を繰り返したら、時間すこしかかるかもしれないけど、信仰は徐々に戻ってくると思う。あの頃がそうだったから。亜樹のおかげで弱っていた世界は安定を取り戻し、平穏を得たんだから」

 一樹はなんでもないことのように口にしているが、精霊を除くすべての者には、彼が虚勢を張っているのがわかる。

 亜樹は自分を傷つけようとする相手に対する術も持っていなければ、自分を護るために傷つけるとか、そういう真似もできない。

 亜樹にできることは人々が与える傷はそのままに受けて、奇跡を起こし信仰を集めて、そうしてボロボロになっていくことだけ。

 それが世界を救う条件だからと信仰を集めるために、亜樹が奇跡を連続して起こせば、期待は否が応にも高まるだろう。

 同時にそれは亜樹にとって負担となる。

 過剰な期待は負担や重荷となり亜樹の心を傷つけるだろう。

 自分の運命に立ち向かおちとすれば、亜樹は、亜樹の繊細で傷つきやすい心は、ぼろぼろになっていく。

 すべてが理解できてくると、一樹が亜樹の覚醒を遅らせようとしていたことも、この世界に関わらせまいとしたことも、エルシアたちにも理解できた。

 無理もないと思う。

 誰が一樹の立場でもそう決意しただろうから。

 亜樹のあの元気で無邪気な笑顔が、傷つけられて悲しそうなものに変わるのは想像するだけでも辛い。

 ほとんどの者が重苦しい表情で黙り込んでしまったので、精霊はすこし迷ったが、最後の確認とばかりに一樹に問いかけた。

「どうあってもエルダさまたちの元へは戻るつもりがないと?」

「くどい。おれはもうマルスじゃないって言ってるだろ?」

「わかりました。この場は引き下がります。けれど事実はすべて創始の神々にお伝えします。それでエルダさまをはじめとするみなさまが、どんな結論を出されるかについては、わたしは保証いたしかねます。それでもよろしいですか?」

「好きにしらよ。エルダたちがなにを言ってきても、おれの決意は変わらないから。大体亜樹がいないと力を発揮できないおれが、元の鞘に納まるわけがないじゃないか」

「昔はそうだったかもしれません。でも今は多少、条件が変わっているはずですわ」

 痛いところを突かれて、一樹が黙り込んだ。

「あなたは転生されてから暫くの間は、あの子とは、あなたの力の源であるあの子とは離れ離れで暮らしていた。それこそ世界さえ違っていた。それでも力を使えた。それは事実です。今のあなたはある程度の距離があっても、あの子が生きてさえいたら、力を使うのに困るわけではないのでしょう? それにあなたがさっき仰ったように力を取り戻すのに、あの子の力は必要がないはずです。前世であなたは一度、すべての力を取り戻されているのですから」

 長々と指摘してくれる精霊に、ちょっと避易していたが、これだけははっきりさせなければと一樹は反論した。

「確かに今のおれはある程度の距離があっても、亜樹が無事なら力を使える。でも、亜樹なにかあったとき、助けられない位置にいたら、おれが生きてる意味がないし逆におれになにかが起こっても、亜樹が身近にいるときほどの強烈な力を使うことはできない。
 マルスとしての真の力を発揮するには、亜樹の存在は必要不可欠なんだ。それと今のおれは亜樹の覚醒に合わせて、力を取り戻している段階だから、亜樹の存在なくして元の力は取り戻せない。おれたちが昔の関係に戻るためには、力を受け継ぐための儀式が必ず必要になるから」

 それが体液を摂取することであると知っている者は、みな憮然とした顔になっていた。

 一樹が力を取り戻すのに亜樹の体液がいるということは、もしかして過去に大賢者が、水神マルスを救ったとき、ひょっとしたら血を与えたからではないのか?

 そう思えば何故力を取り戻すために、体液が必要なのかの説明がつく。

「わかりました。今聞いたことをすべて創始の神々にご報告いしたします」

 それで妥協すると言いたげな、ちょっと怒っているような言い方だった。

 彼女の心の中で水神マルスほどの者が、大賢者に拘っているのが、大賢者に生命も懸けているのが、不思議で仕方なかった。
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