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第十章 水神マルス
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それができたということは、彼がもう純粋な神ではない証となる。
「マルスさまが人を殺した」
「あいつはそんなことはしないでくれって何度もおれに頼んだよ。だから、あいつに言われて殺してたわけじゃない。むしろ止められてた。護りきれなくてもし死ぬようなことがあっても、それは自分が持って生まれた運命だから、恨まないって。だから、頼むからやめてくれって。これ以上殺さないでくれって、何度泣きつかれたか」
「それでも」
「彼を護りたかったんだね、一樹は」
現世の彼を育てたエルシアたちにとって、一樹は一樹で守護聖獣も関係なければ、ましてや神々の祖、水神マルスも関係ない。
見逃せない現実は現在も彼が守護聖獣としての役目を引き継ぐ気でいること。
亜樹がかつての大賢者の転生であり、その力を目在に操る者であること。
それだけだった。
亜樹もまた亜樹でしかなく、伝説の偉人ではない。
ぽんぽん怒って怒鳴って、すぐに感情を爆発させる幼い子供。
彼のどこを見たら伝説の偉人だなんて思える?
ましてや苦しんできた一樹が、人でも神でもなく、存在すら不安定な者だなんて、どうして思える?
「でもダメなんだ」
「ダメってなにが?」
優しく促す声は幼い頃、寝つけなくて駄々をこねていたとき、エルシアが苦笑して寝かしつけてくれたときの声音。
不思議と心が安らぐ。
「ややこしいけど名前を出したくないから、ここからは大賢者としてのあいつも、亜樹って呼ばせて
もらうけど、亜樹は、あいつは自分を護れないんだ」
「え?」
「それってどういう意味?」
「あいつの力は主に他人のために、人助けで発揮されていた。それは文献を当たったリオネスにならわかるだろ?」
「確かに大質者が残した奇跡の痕跡は、数えきれないくらいあるけど」
不思議だったのは大賢者の偉大な功積は、すべて人助けとか、奇跡、そう呼ばれる行為によって成されていたこと。
大賢者がだれかを傷つけたとか、まして陥れたとか、そういう心の汚れた形跡は残っていなかった。
それは人としては不自然なくらい強調されている大賢者の特徴だった。
大買者には人としての欠点や汚点がない。
それがリオネスの感じていた違和感の正体だった。
今一樹に指摘されるまで気づけなかったが。
「亜樹の持つ力は邪な意思、人を陥れようとか傷つけようとか、そういう感情を秘めていると発揮できないんだ」
「それってすごく危険なことじゃない?」
「なにか事が起こっても自分の身を護れないよ?」
「大体それは人として不自然だよ、一樹。人間なら大なり少なり欠点もあれば汚点もある。それがない人間なんて」
「だけど」
強い口調で言い切って、一樹はゆっくりとその場にいた全員の眼を覗き込んだ。
「亜樹にはそれができないんだ」
「すこしでも心に曇りがあると、亜樹は力を使えなくなる。亜樹は昔からあのとおりの気性だったから、近づいてくる相手に警戒心なんて抱かなかった。親切にされればすぐに信じるし、そうして近づいておいて、利用しようとした奴らなんて数えきれないほどいる。でも、すべて成功しなかった」
「それは力を使えなかったという意味かい?」
「そうとも言えるし違うとも言える。相手が純粋に助けを求めていて、それが人のためになることなら、亜樹の力は絶大な効果を発揮した。それでこそおれでさえ敵わないと感心するほどの強さで。でも、それが人を陥れてくれとか、もっと裕福にしてくれとか、そういう私利私欲に走った願いだと、亜樹はどうやっても力を発揮できない。例えそれが正当な望みでも」
一樹の言った言葉が矛盾していて、エルシアは首を傾げた。
「正当な望みで邪な願いという例えも矛盾しているね」
「そういうこともあるだろ? あの時代だと親の仇を討ちたいとか、そういう奴は捨てるほどいたし」
「ああ。なるほどね」
「そういう糖味なら納得できるね、確かに」
「人助けとか、正の方向にしか力が働かないのなら、いくら正当な願いで仇を討ちたいと望まれても、人を殺すことはできないだろうね。例え亜樹がそれを叶えてやりたいと同情したとしても」
それはおそらく彼の力に背く使い方。
だから、できない。
なんて明確な特徴なのか。
だから、大賢者の残した足跡には汚点がないのだ。
「でも、ちょっと待って。それって生命を狙われたら、素直に殺されるしかないってこと?」
ぎょっとしたリオネスの指摘に、兄たちも驚いた顔になった。
確かに教えられた特徴をすべて信じれば、そろいう意味になる。
彼には反撃するという使い方はできないのだから。
「それを承知であいつはおれに殺すなって言ったんだよ」
「それってどう贔屓目にみでも自殺行為なんだけど?」
「わかりきった指摘をするなよ、リオン。だから、おれは神としての特質に背いても、あいつを護ってきたんだろ?
あいつがどんなに怒っても泣きついても、あいつを狙った奴は殺して来た。そうしないと殺されたのは、あいつの方なんだから」
大賢者の頃の亜樹の特質はわかった。
それを今も引きずっていることは、なんとなく想像がつく。
何故なら亜樹はこちらにきてからただの一度も、人を傷つけたことがないからだ。
普通ならちょっとした不用意な一言。出すぎた態度。
そういった何気ない日常の中でも、知らない間に人を傷付けているものである。
だが、亜樹にはそれがない。
おかげで宮殿での彼の人気は鰻登りだ。
おそらく過去の特質を引きずっていて無意識に避けているのだろう。
「マルスさまが人を殺した」
「あいつはそんなことはしないでくれって何度もおれに頼んだよ。だから、あいつに言われて殺してたわけじゃない。むしろ止められてた。護りきれなくてもし死ぬようなことがあっても、それは自分が持って生まれた運命だから、恨まないって。だから、頼むからやめてくれって。これ以上殺さないでくれって、何度泣きつかれたか」
「それでも」
「彼を護りたかったんだね、一樹は」
現世の彼を育てたエルシアたちにとって、一樹は一樹で守護聖獣も関係なければ、ましてや神々の祖、水神マルスも関係ない。
見逃せない現実は現在も彼が守護聖獣としての役目を引き継ぐ気でいること。
亜樹がかつての大賢者の転生であり、その力を目在に操る者であること。
それだけだった。
亜樹もまた亜樹でしかなく、伝説の偉人ではない。
ぽんぽん怒って怒鳴って、すぐに感情を爆発させる幼い子供。
彼のどこを見たら伝説の偉人だなんて思える?
ましてや苦しんできた一樹が、人でも神でもなく、存在すら不安定な者だなんて、どうして思える?
「でもダメなんだ」
「ダメってなにが?」
優しく促す声は幼い頃、寝つけなくて駄々をこねていたとき、エルシアが苦笑して寝かしつけてくれたときの声音。
不思議と心が安らぐ。
「ややこしいけど名前を出したくないから、ここからは大賢者としてのあいつも、亜樹って呼ばせて
もらうけど、亜樹は、あいつは自分を護れないんだ」
「え?」
「それってどういう意味?」
「あいつの力は主に他人のために、人助けで発揮されていた。それは文献を当たったリオネスにならわかるだろ?」
「確かに大質者が残した奇跡の痕跡は、数えきれないくらいあるけど」
不思議だったのは大賢者の偉大な功積は、すべて人助けとか、奇跡、そう呼ばれる行為によって成されていたこと。
大賢者がだれかを傷つけたとか、まして陥れたとか、そういう心の汚れた形跡は残っていなかった。
それは人としては不自然なくらい強調されている大賢者の特徴だった。
大買者には人としての欠点や汚点がない。
それがリオネスの感じていた違和感の正体だった。
今一樹に指摘されるまで気づけなかったが。
「亜樹の持つ力は邪な意思、人を陥れようとか傷つけようとか、そういう感情を秘めていると発揮できないんだ」
「それってすごく危険なことじゃない?」
「なにか事が起こっても自分の身を護れないよ?」
「大体それは人として不自然だよ、一樹。人間なら大なり少なり欠点もあれば汚点もある。それがない人間なんて」
「だけど」
強い口調で言い切って、一樹はゆっくりとその場にいた全員の眼を覗き込んだ。
「亜樹にはそれができないんだ」
「すこしでも心に曇りがあると、亜樹は力を使えなくなる。亜樹は昔からあのとおりの気性だったから、近づいてくる相手に警戒心なんて抱かなかった。親切にされればすぐに信じるし、そうして近づいておいて、利用しようとした奴らなんて数えきれないほどいる。でも、すべて成功しなかった」
「それは力を使えなかったという意味かい?」
「そうとも言えるし違うとも言える。相手が純粋に助けを求めていて、それが人のためになることなら、亜樹の力は絶大な効果を発揮した。それでこそおれでさえ敵わないと感心するほどの強さで。でも、それが人を陥れてくれとか、もっと裕福にしてくれとか、そういう私利私欲に走った願いだと、亜樹はどうやっても力を発揮できない。例えそれが正当な望みでも」
一樹の言った言葉が矛盾していて、エルシアは首を傾げた。
「正当な望みで邪な願いという例えも矛盾しているね」
「そういうこともあるだろ? あの時代だと親の仇を討ちたいとか、そういう奴は捨てるほどいたし」
「ああ。なるほどね」
「そういう糖味なら納得できるね、確かに」
「人助けとか、正の方向にしか力が働かないのなら、いくら正当な願いで仇を討ちたいと望まれても、人を殺すことはできないだろうね。例え亜樹がそれを叶えてやりたいと同情したとしても」
それはおそらく彼の力に背く使い方。
だから、できない。
なんて明確な特徴なのか。
だから、大賢者の残した足跡には汚点がないのだ。
「でも、ちょっと待って。それって生命を狙われたら、素直に殺されるしかないってこと?」
ぎょっとしたリオネスの指摘に、兄たちも驚いた顔になった。
確かに教えられた特徴をすべて信じれば、そろいう意味になる。
彼には反撃するという使い方はできないのだから。
「それを承知であいつはおれに殺すなって言ったんだよ」
「それってどう贔屓目にみでも自殺行為なんだけど?」
「わかりきった指摘をするなよ、リオン。だから、おれは神としての特質に背いても、あいつを護ってきたんだろ?
あいつがどんなに怒っても泣きついても、あいつを狙った奴は殺して来た。そうしないと殺されたのは、あいつの方なんだから」
大賢者の頃の亜樹の特質はわかった。
それを今も引きずっていることは、なんとなく想像がつく。
何故なら亜樹はこちらにきてからただの一度も、人を傷つけたことがないからだ。
普通ならちょっとした不用意な一言。出すぎた態度。
そういった何気ない日常の中でも、知らない間に人を傷付けているものである。
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