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第二章 崩れていく平穏

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「どうして……ぼくが王子なんだ……」

 囁きは消え入りそうだ。

 今日も普通に学校が始まる。

 ミントは国王陛下の喪が明けるまでは、優哉にはこれまで通り生活してもらうと言っていた。

 そのあいだにお妃となる相手を見付けてほしいと。

 幸いこういうときのためにと、優哉の進学は裕福層や貴族層の多い進学校を選んでいる。

 だから、その中のだれを選んでも特に問題はないとまで言われて、優哉は昨夜はため息が止まらなかった。

 これまで歩いてきた道のすべてが、予め用意されていた道だった。

 そんなことを知らされて嬉しいはずがない。

 苦い顔で唇を噛んでいると控えめなノックの音がした。

「セイル殿下。お目覚めですか?」

 聞き慣れた声に知らぬ名で呼ばれ、不快感に眉をしかめる。

 ベッドから飛び降りて扉を開けた。

 そこにいる母は小さくなっている。

 優哉が怒っていると思っているのだろう。

 怒ってはいる。

 だが、それは父や母に対してではないということを母にわかってほしい。

 母に「セイル殿下」などと呼ばれて敬語で接されたくないのだ。

「母さん。セイル殿下ってだれのこと?」

「それは」

 言葉に詰まる母に苛立ちが募る。

「ぼくは綾部優哉だよ。それは変わらないんだよ?」

「ですが現在の情勢が」

「情勢? それってなに? ぼくみたいな一般庶民に関係すること?」

 強情に本来の身分の自分を否定する優哉に、秋子は困った子供を見るような顔をする。

「ぼくはセイル・マクレインなんて名前じゃない。結婚相手を今決める義務もない」

「優哉」

 遂に根負けしたのか母がそう呼んだ。

「ぼくが結婚するのはずっと未来だよ。少なくとも今じゃない。結婚相手だって貴族なんかじゃない。もっと普通の娘だよ。自分の意思でなんのしがらみもなく結婚するんだ」

「あなたは優しいけれど本当に頑固ね、優哉」

「父さんと母さんに育てられたからね。遺伝じゃない?」

 血が繋がっていないことを知っていて、それでも遺伝だという優哉に、秋子は泣き出しそうだった。

 意地になっているだけかもしれない。

 自分の出生の秘密を受け入れきれずに反発しているだけかもしれない。

 でも、自分が次期国王だと言われても、変わらずに母と呼ばれて嬉しかった。

「朝食ができているわ。早く階下にいらっしゃい」

「わかったよ。すぐに支度するから」

 答えた優哉に微笑んでみせて秋子は部屋を後にした。

 その背を見送って優哉はため息を漏らす。

 それからパタンと扉を閉めた。




 学校について優哉はすぐにムッとした。

 何故なら優哉のクラスの担任がミントに代わっていたのだ。

 おそらく権力で無理強いしたのだろう。

 ミントは優哉の後見役兼護衛兼教育係だという。

 言ってみれば優哉に関する全権を担っているのだ。

 だから、当然これからは常に傍にいるようにするとは昨夜言われていた。

 まさかこんな手を使ってくるとは、あのときは思わなかったが。

 たしかに優哉が次期国王なら、このくらいの扱いはされて当然なのかもしれない。

 だが、常日頃の口癖が「人間、普通が1番」の優哉にしてみれば迷惑なことでしかない。

「お兄ちゃん。どうしたの? 落ち着かないね」

 授業の合間の休み時間にケントの下を訪ねてきたミリアにそう言われた。

 苦笑して返す優哉である。

「大したことじゃないよ。それよりミリア。ケントを訪ねてきたのに、ぼくのところにばかりいていいの? ケントは話したそうにしてるけど」

 ミリアはケントを訪ねてこのクラスによくくるが、ケントは大抵悪友に捕まっていて邪魔され、ほとんどと言っていいほど会話を持てないのだった。

 そのせいでミリアはやってきてすぐにくるのが優哉のところで、ミリアとケントが付き合っていることは、直接ケントから報告された優哉しか知らないという有り様。

 そのくらいミリアは優哉優先で、ケントが自分を構ってくれないことで、不満を訴えたりしなかった。

 そのせいだろうか。

 ミリアが付き合っている恋人はケントなのに、優哉が恋人だと誤解しているクラスメイトも少なくない。

 ミリアのクラスでもそう受け取られているらしく、ミリアのクラスメイトに「素敵な彼氏ねえ」と優哉に向かって言われたときは、一緒にいたケントに申し訳なくて、なんとも言えない気分だった。

「だってケンちゃんっていっつも友達に捕まってるじゃない? あたしはあたしで楽しみたいし」

「そんなものかな?」

「そんなものだよ」

「それよりミリア。前から気になってたんだけど」

「なに?」

「ぼくと幼なじみだってこと、周りには言ってないの?」

「どうして?」

 不思議そうなミリアに優哉は苦笑い。

「だってミリアは急にぼくをお兄ちゃんって呼ばなくなったし、どうしてだか彼氏だと誤解されてるしね。ケントに申し訳ないなと思って。ホントに言ってる? ぼくはただの幼なじみだって」

「……言わないといけない?」

「え? ってことは言ってない?」

 驚いた顔をする優哉にミリアは拗ねたような顔で切り返す。

「言ってないよ。クラスでも普通に優哉センパイって言ってる」

「なんで言ってないの? 隠すようなことじゃないのに」

「女の子には羞恥心ってものがあるのっ」

「それ、ぼくが幼なじみだと恥ずかしいってこと?」

 理解に苦しんでそう言えばミリアは呆れたような顔をした。

「年頃の男女が幼なじみだって主張することが恥ずかしい。あたしはそう言ってるんだけど?」

「そうかなあ? ぼくは平気だけど」

 そもそも年齢の近い男女が幼なじみだと明かすことより、彼氏彼女の間柄。

 そう誤解されることの方が余程恥ずかしいと思う。

 男と女の感覚の違いだろうか?

「普通は意識するから恥ずかしいよ。あたしにとって1番身近にいる異性って、昔からお兄ちゃんだもん」

「そう言われるとぼくまで照れるんだけど」

「本当は名前で呼び捨てにしたいんだよ……」

 小さな声で囁かれ、聞こえなかったので聞き返した。

「なに?」

「なんでもない」

 そう言って笑うミリアは、いつの頃からか見せるようになった取り繕った笑顔。

 本心をごまかしているようで優哉は暗くなる。

 ミリアに本心を明かさせないのは優哉だろうか。

 そう思えて。
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