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第一章 雨に濡れて
(2)
しおりを挟む外は静かに雨が降っている。
雨があがるのを待ちながら、男はじっとラスを見ていた。
本当によく似ている。
間違えるのも無理はないほどに。
違うのは性別と言葉遣いくらいだ。
人柄まではこの短い時間では知りようもないが、これまでに知った感じだと似ている気もする。
「そなたは来年で成人だと言ったな?」
「あ? まあな」
時間をもて余しているのか、ラスは素直に答えてくれた。
「親は? 色街に来る前はなにをしていた?」
「詮索すんじゃねーってさっき言わなかったか?」
「詮索じゃない。気になるから訊ねているだけだ。普通は気になるだろう? 男が花街にいるだけでも異常なのに、そなたは男娼ではないらしいし」
「知らねえよ」
「ラス」
「言い逃れじゃなくて、ホントに知らないんだ」
「え……?」
「俺さ、産まれてすぐに商人がここに連れてきて預けて行ったんだよ」
「……そうなのか」
どこで産まれたのかも知らないのかと問うと、ラスはボソッと答えた。
「海の上」
「は?」
「そうじゃないかなって疑ってるだけだけどな。産まれたばかりの俺を商人に売ったの。どうも海賊らしいから」
「海賊?」
「海賊の子だったとしても、海賊の島で産まれてたら、普通は仲間は売らないと思う。でも、海の上で産まれたなら邪魔だろうなって思って」
「成る程。確かにな。航行中の海賊に産まれたばかりの赤ん坊は邪魔だろう」
「海賊から俺を買った商人が向かった先が、この色町だったんだ。それからこの街で暮らしてる」
「それでついた渾名が『オッドアイのラス』か」
笑いながら言われてラスは赤くなって顔を背けた。
「キャサリンって奥さん……どうしていなくなったんだ?」
「19年前にこの国が戦争状態だったのは知っているか?」
「ああ。うん。噂では聞いてる。それ以来戦争はないらしいけど」
「その戦争のときに襲撃を受けてな。キャサリンは略奪された」
「え?」
ギョッとして振り向いた。
妻が略奪されたという男を前にして。
「略奪されたとき、彼女は出産も間近だった。わたしは彼女と生まれたはずの子供を捜したが今も見付からなくて」
「そうだったんだ?」
意外な過去があるものだとラスは彼を見ていた。
「普通は捜すのを諦めないか? その状況だと」
「そうかもしれないな。普通は略奪された女性は相手の男のものになる運命だし、産まれた子供も殺される運命なのかもしれない」
「でも、諦めなかったんだ。アンタは」
「風の便りに男の子を産んだという噂は聞いたんだが、かなり曖昧な噂でな」
「ふうん」
「キャサリンがいたら……再婚などしなかったのに」
「え? アンタ再婚してたんだ? 意外」
これまでの口振りだと、これまで独身だったと言われた方が納得がいく。
男は不満そうに言い返してきたが。
「周囲に押し切られてな。跡継ぎは……必要だと」
「金持ちも大変なんだな」
そこまで言ってラスは欠伸を噛み殺した。
「眠いのか? だったら眠ってもいいぞ。服が乾いたら勝手に帰るし」
「じゃあそうさせて貰う。明日には都に行かないといけないしな」
「都に? なにをしに?」
「職探し」
一言だけ答えてラスは用意された布団に潜り込んだ。
寝付くのを待って男は、そっと彼に近付いてみる。
起こさないように細心の注意を払って。
横髪を払いたい衝動をグッと抑える。
やはり似ている。
他人の空似?
本当に?
年は19で男。
顔立ちはキャサリンそっくり。
ここまで条件が揃って人違いなんて有り得るのか?
胸元に手を伸ばしてみる。
うっすら浮かび上がっているネックレスに手を伸ばす。
すると布団から伸びた手が手首を掴んだ。
「ラス……」
「こんなことじゃないかと思った。勝手に確かめようとするなよな。これじゃ泥棒とおんなじだ」
「いや。わたしはただ」
「俺はアンタの息子じゃない。顔が奥さんに似てるからって混同するな。迷惑だ」
「人違いだと何故言い切れる? そなただって自分の出生は知らないのだろう?」
「俺に親はいない。それが当たり前の事実だから。俺は産まれたときから親無しだ。それでいいだろ」
「ラス」
「とにかくこういう真似するなら出ていってくれ」
「頼む。一目でいい。ネックレスを確かめさせてくれ。もしそれがわたしが彼女に渡した物だったらっ!!」
「迷惑だって言ってるだろっ!!」
ガバッと跳ね起きようとしたラスは、次の瞬間、布団の上に押し倒された。
「ちょっとっ。いきなりなにしてっ」
焦ってもがくが押さえ込む腕はビクともしない。
やっぱり初対面のときのあれは誤解じゃない。
こいつ。
なにか武術をやってる。
鍛えてるんだ。
喧嘩をかじってる程度のラスでは逆らえない。
「どうしても抵抗して見せないというのなら、腕付くで見るだけだ。わたしにも時間がない。事情があってな。確認だけは急がなければ」
「もし同じ物だとしたって、俺がアンタの息子だって証拠にはならないだろっ!!」
「同じ物だとした場合、そなたの顔立ちが証拠になる」
「俺の顔?」
「キャサリンにそこまでそっくり同じ顔をして、わたしが彼女に贈った物を所持していて、人違いだと主張して通るとでも?」
確かに状況証拠だけだが押し切られても仕方がない。
言い訳が通らない状況というのは、こういうことを言うのかもしれない。
「そなたがわたしの息子かどうか、それだけは早く知らなければ。もし当たっていたら、そなたの身が危ない」
「冗談だろ……」
もがいてももがいても腕は外れない。
それどころか片手で器用に服のボタンを外し出した。
さすがに焦る。
「……アンタ肝心なことを忘れてるよ」
「なにを?」
「もしこれが同じ物だとして、俺が本当にそのキャサリンって人の子供でも、それがそのままアンタの子って証拠にはならない」
「だが、年は同じだし」
「アンタの子を流産した直後に俺を身籠っていても、ひとつやふたつの年の誤差は出るんじゃないのか?」
言い返すと男は黙り込んだ。
ボタンを外す手も止まっている。
その隙に男の腕から逃げ出した。
危なかった。
後少しで見られるところだった。
男は凄く悔しそうにラスを見ている。
その眼を見ていると辛かったが、自分が思い付いた可能性を指摘した。
「俺がアンタの子なら危ない。アンタはそう言ったけど、確かめられてそうだと主張されたら、余計に危ないんじゃないのか?」
「それは……」
「俺の生活に土足で踏み込むな」
「ラス……」
「今更確かめようのないことで俺を惑わせるなっ!! それに……」
「それに?」
「俺の母さんが本当にキャサリンって人なら、その人……もう死んでるよ」
顔を背けてそう言えば男は眼を見開いたままなにも言わなかった。
「俺の母さんは俺を産んですぐに死んだ。俺を買った商人は海賊から、それだけは俺に教えておいてほしいって言われたらしい。だから、アンタがそう主張するなら俺も主張するよ。キャサリンって人は死んだって。……嬉しい?」
眼を見据えて言っても男はなにも言わない。
「お互いに不愉快になる話はもうやめようぜ。俺も腹が立つし」
「……ルイではないのか?」
「ルイ?」
「キャサリンが産んだかも知れない子にわたしが名付けた名だ。それくらいしかしてやれなくて」
ため息をついて言い返した。
譲れない意志を込めて。
「俺はラスだ。ルイじゃない」
「そうか」
肩を落とす姿にラスはそのまま乾かしていた服を手にして男に投げ付けた。
「出ていけよ。雨も上がっただろ」
男はなにか言いたそうな素振りを見せたが、ラスが言わせなかった。
諦めた男が着替えて出ていくまで口を噤んで。
力なく帰っていく後ろ姿を部屋から見送った。
「さよなら。父さんかも知れないって言ってくれた人」
振り切るように顔を背けて、もう忘れようと心に決めた。
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