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第三章 聖戦ージハードー
(10)
しおりを挟む「柘那しゃな。長老が呼んでいるぞ」
深い辺境を見回る騎馬兵すら立ち寄らぬ樹海の中。
そう声を投げられ少女が振り向いた。
風に流される黒髪が神秘的に煌めく。
声を掛けてきたのは未だ幼さの残る少年である。
黒髪に琥珀の瞳。
天界では見掛けない組み合わせだ。
「紫瑠しりゅうさま」
紫瑠と呼ばれた少年が、鋭い眼光はそのままに言葉を付け足す。
「なにか異変が生じたらしい。星に変化が起きたそうだ。一族のすべてに収集を掛けているんだ。遅れると責められるぞ」
「承知しました」
答えて彼の後をついて歩き出した少女は、白で統一された衣服を身に付けていて、一見して巫女のように見える。
神事に携わる巫女の多くが、こういった白で統一した衣服を身に付け、額に黄金の冠を戴くからだ。
彼女の額には冠こそないが、略式らしい飾りは身に付けている。
巫女が身分を偽るときに身に付ける品のようであった。
彼女を先導するように歩く少年の衣服は、簡素ではあったが身分の高い者しか身に付けられない類の物である。
それは彼の琥珀の瞳にも出ていたが、今のところそれを知る者はいない。
一族の者を除いては。
樹海にあるとは到底思えない堅牢で壮麗な建物に足を踏み入れ、紫瑠がポツリと呟いた。
「遅れたらしいな。済まない」
彼の声に部屋に集合していた一族の者が、すべて振り返りその場に額ずいた。
同時に彼のために道を開け、彼は自分のために開かれた道を通り、中央に座す長老の眼前に立った。
「遅くなった、長老。始めてくれ」
言って長老の答えを待たず彼の隣に乱暴に座り込む。
その粗野にも思える堂々たる態度に、周囲から苦笑めいた空気が生まれる。
長老も笑っていたが、ややあって態度を元に戻すと、一族のすべてに向かって話しかけた。
「星に異変が生じた」
たった一言の託宣に周囲がざわめく。
紫瑠は長老を振り仰ぎ、近くにあった果実を手に取ってかじりながら、その話に耳を傾けている。
「目覚めの時は近かろう。運命の星は近く覚醒のときを迎えん」
「新たなる騒乱を招かねばよいがな」
長老の科白が終わるのと同時に紫瑠が吐き捨てた。
一族の間を動揺が駆け抜ける。
困った主君を振り仰ぎ、長老が諌める言葉を口に出した。
「紫瑠さま。あなたもこのときを待たれていたはず。我々が滅亡を避け、この地に逃げ延びたのは、ひとえに時が満ちるのを待つためでした。お忘れか」
「忘れるものか。俺たちに逃げるしか道を残さなかった兄者のことだからな」
「若っ!!」
吐き捨てた言葉に長老が怒鳴るような声を出す。
紫瑠は残っていた果実を食べ、その芯を投げ捨てると長老を向き直り話し出した。
「元々兄者がその行方を眩まさなければ、俺たちが逃げる必要などなかった。
確かに仕方がなかったかもしれない。だが、兄者が不在の時代はすこし永すぎた。
今更闘神の王を呼び戻して、どうしようというんだ? 動乱しか招かないぞ。また天が二分する。
ようやく平定を保っている天が割れる。それでも兄者を呼び戻すのか? すべてを忘れ己の役目も自覚していないかもしれない王を?」
皮肉にはなれない現実だけを指摘する紫瑠に、長老は苦い表情を浮かべている。
確かに彼の意見にも一理あるのだ。
闘神の王が不在のまま、なんとか平定を保っている現実は、裏返せば絶対的な支配者が現れれば覆る現実を意味している。
ようやく纏まりはじめた天界を帝王の存在は狂わせるだろう。
けれど。
「紫瑠さま」
凛とした声が響き紫瑠が声のした方を振り向いた。
視線の先に先程呼びに行った少女が立っている。
楚々とした態度で巫女として君主の眼前に。
「天にあって欠かしてはならぬものもございます。この平定は夢幻と同じ。
もっと安定させなければ、いつか崩れてしまうでしょう。現在の均衡は紙一重のものですから。
統治者のいない世の安定など偽りに過ぎません。御子の存在はそのために欠かせないものです。それに我々にも統治者は必要です。違いますか?」
「認めよう。だが、その兄者が聖戦の火種になったこと。……忘れてはいまいな?」
紫瑠が告げた一言が、その場を凍らせた。
だれもが告げない真実がある。
それは聖戦の火種が一体なんだったのか。
その真実である。
「兄者の帰還は必ず動乱を呼ぶ。わかっていて望むなら、俺はなにも言わない。俺だって兄者に逢いたい。伝説と化している阿修羅の御子に」
呟いて紫瑠は目を閉じた。
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