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第十二章 昔日との別離
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「そんな顔をするな」
そう言って物を隠していたことを忘れていたのか、ケルト叔父はうっかりアベルの髪を撫でようとして、もうちょっとでそれを落とすところだった。
危ないところをふたりの娘が両側で受け止める。
「なにやってるんだ、叔父さん?」
「いや。こんなはずではなかったんだが」
なにやらケルトはぶつぶつと愚痴っている。
「もう手を離しても大丈夫だぞ、ふたりとも。しっかり持ったから」
「もうしっかりしてください、お父さま」
「落としていたら壊れるところでしたよ?」
「済まない」
娘たちに謝ってからケルトはアベルに向き直った。
その目の前に差し出した物。
包装はされているが、どこからどう見ても竪琴だった。
「誕生日おめでとう。これはわたしたちからの初めての贈り物だ」
「気にしなくてもよかったのに」
「そういうわけにはいかない」
「そうよ」
「わたしたちだって従兄さまの誕生日を祝いたいですから」
「ありがとう。嬉しいよ。開けてもいい?」
受け取ってから訊ねてみる。
3人ともウキウキした顔で頷いてくれた。
包装紙を開けていくと中からは見たこともないような、それは見事な竪琴が出てきた。
しかし年代物だ。
使い込まれているのがよくわかる。
調律は……と思って一弾きすると不揃いな音がした。
何年も鳴らしていない竪琴の音色だ。
「もしかして?」
アベルが見上げるとケルト叔父が頷いた。
「兄上が愛用していた竪琴だ。ずっと見るのも辛くて宝物庫に保管されていた。調律ができていないのも兄上が亡くなってから、だれにも触らせていないからだ」
「そう……なんだ?」
これが父の竪琴?
そう思うと触れるのも躊躇われる。
「弦を取り替えて調律を行えば今でも使用可能なはずだ。そなたにどうしても渡したくてな」
可愛くラッピングされた小物を手渡され、アベルはそれも受け取った。
3人の真心に触れて笑顔になる。
「ありがとう。こんな贈り物は初めてだよ、俺」
泣きそうだった。
これはアベルにとっての父の形見だ。
腕輪もそうだが腕輪は継承権を意味するため、父個人というより王家の王子として受け継いだ品のような気がしていた。
だが、これは父個人が愛用していた竪琴だ。
こんなに嬉しい贈り物は初めてだった。
「早く元気になれ。そうしたら兄上と姉上の墓参りに行こう。王家に戻ってきた証に」
そう言われ頷く。
ここがこれからの自分の居場所なのだと感じながら。
こうしてアベルは19歳になった。
18歳の夏にレティシアと逢ってから色々あったなと思う。
レティシアを拾ってレイティアと出逢って、クレイ将軍の墓で偶然、ケルト叔父とも出逢って。
そうしてアベルの運命は一変した。
約束の時まで後1年。
1年後にはアベルは結婚しなければならない。
まあ相手を決められれば、だが。
王家の決まりとしては1年後に結婚しなければならないが、アベルが普通に育ってきていないため、今のところそれは仮の取り決めに過ぎない。
アベル本人が婚約に同意していないからだ。
しかしいつまでも逃げられないだろう。
そんなことを思い悩む春先。
アベルは久々に孤児院に戻ることになった。
事情説明を行って別れを告げるために。
「うー。わたしも行きたい」
出発間際になってもグズグズ言っているのはケルト叔父だ。
外国から来賓があるとかで、当初予定されていたケルト叔父の同行は、宰相リドリス公から禁止されていた。
お陰で柱の影に隠れて愚図っている始末。
アベルは呆れて振り向いた。
「しょうがないだろ? 本当なら俺も同行しないといけないところ、リドリス公爵が叔父さんひとりでいいって確約を取り付けてくれたんだから。叔父さんが残ってくれないと、俺、そもそも戻れないよ?」
「だったら別の日にすれば」
まだ愚図っている国王に宰相はズバリと冷たいことを言い切った。
「無理ですね。この後も王子のスケジュールはびっしり詰まっています。今日の予定も無理して空けたほどですから」
「こんな日を狙ってくる来賓なんて絶対にろくな奴じゃないっ」
断言するケルトにリドリス公は呆れて口を噤み、アベルは諦めて馬車に乗り込んだ。
その後をレイティアたちが続いていく。
「どうして娘たちはいいのに、わたしはダメなんだ?」
しっかりリドリス公爵に襟首を捕まれているケルトである。
どうやら信用は皆無らしい。
「アールーベールートーッ」
背後から迫ってくる声は悲壮である。
「なにもこれが今生の別れってわけでもないんだから、叔父さんもオーバーなんだよ」
「無理もありませんわ、アル従兄さま」
レティシアが笑って言えば、レイティアが事情を説明してくれた。
「お父さまが王宮を去るとき、丁度似たような状況だったとかで」
「へ?」
「その日、伯父様とお父さまは狩りに出られるご予定だったそうです。それを最後の想い出にして、お父さまは王宮を去ることを決められていたとか」
「でも、急な来賓があって前々からのお約束だったにも関わらず、伯父様はお仕事に出向かれてしまい」
「お母さまとの約束もありましたから、お父さまは心残りながらも、その日の夜に王宮を去ったそうです」
「ですが、それが伯父様との永の別れになってしまいました」
「王宮を去れば国王である伯父様とは、お逢いする機会はありません。覚悟の上で別れたはずでした」
「ですが伯父様がお亡くなりになることまでは、お父さまも予想していらっしゃらなくて」
「あのとき、どうして王宮を去ったのか、帰ってくるのを待たなかったのか、とても悔やんでおられました」
「お母さまには言えなかったようですが、それがお父さまの唯一の心残りだったそうです」
思わず遠くなる宮殿を振り向いた。
ケルトが柱にしがみついて、連れていこうとするリドリス公爵に抵抗している様子が遠くからでも見える。
「父さんって今更ながらに思うけど偉大な人だったんだな」
「「アル従兄さま?」」
「いや。少なくとも人の人生を左右するだけの価値のあった人なんだって思ってさ。それも国王だからとか、そういう身分的なものじゃなくて人間として。改めてそう感じたよ」
名君と言われる国王ケルトを生み出したのも父だった。
そして自らも賢王と讃えられる人だった。
それは身分が生み出す価値ではなく、人間として父が持っていた価値。
例えば父以外が王だったなら、同じ結果にはならなかっただろう。
アベルが乗り越えなければならないふたつの壁。
父王とケルト叔父。
大きな壁だなと今更のように痛感した。
見慣れたはずの街の景色も、王家所有の馬車から眺めると、全く違う物に見える。
あのパン屋もあのペンキ屋もあのブティックも、みんな見慣れた懐かしい景色のはずなのに、どうしてだろう。
今は遠く感じる。
前と同じ目線で物を見られない。
それだけアベルが変わったのだろうか。
懐かしいとは思うけど、それはどこか望郷にも似て、もう戻れないから懐かしむ。
そんな感じだった。
「従兄さま。緊張されてるの?」
レティシアが心配そうに顔を覗き込む。
口には出さないがレイティアも心配してくれているようだ。
見詰める銀の瞳が不安に揺れている。
だから、無理に笑った。
「いや。大丈夫だよ、ふたりとも」
そう言えばレイティアがため息を漏らした。
「なに?」
「従兄さまって相変わらず嘘が下手ね」
「レイティア?」
「どうして両手を握り締められているの? どうして握った拳が震えているの?」
指摘されて慌てて両手を開いたり閉じたりした。
それを見ていたふたりが呆れたような顔になる。
「緊張されることを悪いことだとは言わないわ」
「でも、それを隠そうとはしないで、従兄さま」
「ごめん」
項垂れるアベルをふたりは少し首を傾げて見ていた。
19歳だとは思えないほど幼い従兄。
でも、19年という歳月よりも多くの経験を積み重ねてきた叡知ある人でもある。
そのアンバランスさがアベルの魅力であり、同時に彼の不安定さの原因だ。
それがなんとなく気掛かりだった。
パンっ。
パンっ。
派手な音を立てて洗濯物が風に翻る。
手際よく洗濯物を乾かしながら、フィーリアは何気なく遠くに見える宮殿を見る。
あれから癖になっているのだ。
なにかと言えば宮殿を振り仰ぐのが。
高台に宮殿があるから視線を向ければ視界に入る。
あそこにいる。
フィーリアの大事な人が。
二度と逢えない人が。
「バカだよね、わたしも。お兄ちゃんにはもう逢えない。そんなことわかってるのに。逢いに来てくれるって言ってたけど、もう半年も音沙汰ない。わかってたじゃない。逢えないことくらい」
アベルが孤児院を去って半年になる。
フィーリアはその間に一度逢っているし、彼がどこにいるのかも知っている。
だが、シドニーも子供たちも知らないので、皆いつまでも帰ってこないアベルの身を気にしている。
教えてあげるのが親切なのかもしれない。
でも、言っても信じてもらえない気がして言えずにいた。
自分やエル姉がすぐには信じられなかったように、アベルの素性をいきなり教えても、たぶんだれも信じてくれない。
わかっているからどこにいるかも言えない。
ジレンマ、だった。
「フィーリア」
突然声がして振り返ればマリンが立っていた。
ふたりの王女の専任護衛騎士なんてやっているマリンである。
彼女が実家に帰ってくるのは珍しいのだが、つい最近になってすこし長い休暇が貰えたとかで戻ってきていた。
対面してつい苦い笑みになる。
「マリンお姉ちゃん」
「帰省したときにも思ったけど、フィーリアは大人っぽくなったわね」
「そうかな? 自分ではそんなに変わった感じはしないんだけど」
「そう? 15になってお姉さんになったわよ?」
そう言われても大人になった自分を1番見せたい人には逢えない。
それが1番辛い。
「アベルも今はもう19歳ね」
「そうだね。大きくなってからお兄ちゃんの誕生日を祝えなかったのは初めてかな」
「知ってる?」
「なにを?」
「1年後にはアベルは結婚するかもしれないわよ?」
「……なんで」
蒼白になるフィーリアにマリンは苦い気分を隠す。
「それが彼の家の決まりなのよ。跡継ぎは20歳になったら結婚するものって」
跡継ぎ、と誤魔化してはいるが、それが世継ぎを意味することは、アベルの素性を知るフィーリアにはわかる。
そう言えば……と思い出した。
歴代の世継ぎは皆20歳前後に結婚していることを。
「相手はだれ?」
「今のところ有力なのはレイ様かレティ様かしらね? おふたりを越える候補者というのは、なかなかいらっしゃらないわ」
「従妹と結婚するのっ!?」
「医学的にも法律的にも従妹との結婚なら不可能じゃないわよ? 寧ろ純血が保たれるという意味で歓迎されているから最有力候補なのよ。もしどこかの国の王女さまとか、そういう立場の方が割り込んでこないなら、おふたりの内のどちらかで決定するんじゃないかしら」
つまり対外的に他国の王女を迎える動きでも起きない限り、アベルの結婚相手はふたりの内どちらかで決定するということである。
フィーリアは泣きたくなって唇を噛み締めた。
「エル姉はどうしてるの?」
いきなりエルの名を出され、フィーリアは気まずい気分になる。
エルとマリンの不仲は半年前から続いているからだ。
こうしてやってきても顔を合わせることすらない。
あの誘拐劇のときに協力したことで、普通なら仲直りしたときと思うべきなのだろうが、どういうわけか、それ以後にふたりは決裂していた。
理由はフィーリアは知らない。
どちらからも教えてもらってないから。
そう言って物を隠していたことを忘れていたのか、ケルト叔父はうっかりアベルの髪を撫でようとして、もうちょっとでそれを落とすところだった。
危ないところをふたりの娘が両側で受け止める。
「なにやってるんだ、叔父さん?」
「いや。こんなはずではなかったんだが」
なにやらケルトはぶつぶつと愚痴っている。
「もう手を離しても大丈夫だぞ、ふたりとも。しっかり持ったから」
「もうしっかりしてください、お父さま」
「落としていたら壊れるところでしたよ?」
「済まない」
娘たちに謝ってからケルトはアベルに向き直った。
その目の前に差し出した物。
包装はされているが、どこからどう見ても竪琴だった。
「誕生日おめでとう。これはわたしたちからの初めての贈り物だ」
「気にしなくてもよかったのに」
「そういうわけにはいかない」
「そうよ」
「わたしたちだって従兄さまの誕生日を祝いたいですから」
「ありがとう。嬉しいよ。開けてもいい?」
受け取ってから訊ねてみる。
3人ともウキウキした顔で頷いてくれた。
包装紙を開けていくと中からは見たこともないような、それは見事な竪琴が出てきた。
しかし年代物だ。
使い込まれているのがよくわかる。
調律は……と思って一弾きすると不揃いな音がした。
何年も鳴らしていない竪琴の音色だ。
「もしかして?」
アベルが見上げるとケルト叔父が頷いた。
「兄上が愛用していた竪琴だ。ずっと見るのも辛くて宝物庫に保管されていた。調律ができていないのも兄上が亡くなってから、だれにも触らせていないからだ」
「そう……なんだ?」
これが父の竪琴?
そう思うと触れるのも躊躇われる。
「弦を取り替えて調律を行えば今でも使用可能なはずだ。そなたにどうしても渡したくてな」
可愛くラッピングされた小物を手渡され、アベルはそれも受け取った。
3人の真心に触れて笑顔になる。
「ありがとう。こんな贈り物は初めてだよ、俺」
泣きそうだった。
これはアベルにとっての父の形見だ。
腕輪もそうだが腕輪は継承権を意味するため、父個人というより王家の王子として受け継いだ品のような気がしていた。
だが、これは父個人が愛用していた竪琴だ。
こんなに嬉しい贈り物は初めてだった。
「早く元気になれ。そうしたら兄上と姉上の墓参りに行こう。王家に戻ってきた証に」
そう言われ頷く。
ここがこれからの自分の居場所なのだと感じながら。
こうしてアベルは19歳になった。
18歳の夏にレティシアと逢ってから色々あったなと思う。
レティシアを拾ってレイティアと出逢って、クレイ将軍の墓で偶然、ケルト叔父とも出逢って。
そうしてアベルの運命は一変した。
約束の時まで後1年。
1年後にはアベルは結婚しなければならない。
まあ相手を決められれば、だが。
王家の決まりとしては1年後に結婚しなければならないが、アベルが普通に育ってきていないため、今のところそれは仮の取り決めに過ぎない。
アベル本人が婚約に同意していないからだ。
しかしいつまでも逃げられないだろう。
そんなことを思い悩む春先。
アベルは久々に孤児院に戻ることになった。
事情説明を行って別れを告げるために。
「うー。わたしも行きたい」
出発間際になってもグズグズ言っているのはケルト叔父だ。
外国から来賓があるとかで、当初予定されていたケルト叔父の同行は、宰相リドリス公から禁止されていた。
お陰で柱の影に隠れて愚図っている始末。
アベルは呆れて振り向いた。
「しょうがないだろ? 本当なら俺も同行しないといけないところ、リドリス公爵が叔父さんひとりでいいって確約を取り付けてくれたんだから。叔父さんが残ってくれないと、俺、そもそも戻れないよ?」
「だったら別の日にすれば」
まだ愚図っている国王に宰相はズバリと冷たいことを言い切った。
「無理ですね。この後も王子のスケジュールはびっしり詰まっています。今日の予定も無理して空けたほどですから」
「こんな日を狙ってくる来賓なんて絶対にろくな奴じゃないっ」
断言するケルトにリドリス公は呆れて口を噤み、アベルは諦めて馬車に乗り込んだ。
その後をレイティアたちが続いていく。
「どうして娘たちはいいのに、わたしはダメなんだ?」
しっかりリドリス公爵に襟首を捕まれているケルトである。
どうやら信用は皆無らしい。
「アールーベールートーッ」
背後から迫ってくる声は悲壮である。
「なにもこれが今生の別れってわけでもないんだから、叔父さんもオーバーなんだよ」
「無理もありませんわ、アル従兄さま」
レティシアが笑って言えば、レイティアが事情を説明してくれた。
「お父さまが王宮を去るとき、丁度似たような状況だったとかで」
「へ?」
「その日、伯父様とお父さまは狩りに出られるご予定だったそうです。それを最後の想い出にして、お父さまは王宮を去ることを決められていたとか」
「でも、急な来賓があって前々からのお約束だったにも関わらず、伯父様はお仕事に出向かれてしまい」
「お母さまとの約束もありましたから、お父さまは心残りながらも、その日の夜に王宮を去ったそうです」
「ですが、それが伯父様との永の別れになってしまいました」
「王宮を去れば国王である伯父様とは、お逢いする機会はありません。覚悟の上で別れたはずでした」
「ですが伯父様がお亡くなりになることまでは、お父さまも予想していらっしゃらなくて」
「あのとき、どうして王宮を去ったのか、帰ってくるのを待たなかったのか、とても悔やんでおられました」
「お母さまには言えなかったようですが、それがお父さまの唯一の心残りだったそうです」
思わず遠くなる宮殿を振り向いた。
ケルトが柱にしがみついて、連れていこうとするリドリス公爵に抵抗している様子が遠くからでも見える。
「父さんって今更ながらに思うけど偉大な人だったんだな」
「「アル従兄さま?」」
「いや。少なくとも人の人生を左右するだけの価値のあった人なんだって思ってさ。それも国王だからとか、そういう身分的なものじゃなくて人間として。改めてそう感じたよ」
名君と言われる国王ケルトを生み出したのも父だった。
そして自らも賢王と讃えられる人だった。
それは身分が生み出す価値ではなく、人間として父が持っていた価値。
例えば父以外が王だったなら、同じ結果にはならなかっただろう。
アベルが乗り越えなければならないふたつの壁。
父王とケルト叔父。
大きな壁だなと今更のように痛感した。
見慣れたはずの街の景色も、王家所有の馬車から眺めると、全く違う物に見える。
あのパン屋もあのペンキ屋もあのブティックも、みんな見慣れた懐かしい景色のはずなのに、どうしてだろう。
今は遠く感じる。
前と同じ目線で物を見られない。
それだけアベルが変わったのだろうか。
懐かしいとは思うけど、それはどこか望郷にも似て、もう戻れないから懐かしむ。
そんな感じだった。
「従兄さま。緊張されてるの?」
レティシアが心配そうに顔を覗き込む。
口には出さないがレイティアも心配してくれているようだ。
見詰める銀の瞳が不安に揺れている。
だから、無理に笑った。
「いや。大丈夫だよ、ふたりとも」
そう言えばレイティアがため息を漏らした。
「なに?」
「従兄さまって相変わらず嘘が下手ね」
「レイティア?」
「どうして両手を握り締められているの? どうして握った拳が震えているの?」
指摘されて慌てて両手を開いたり閉じたりした。
それを見ていたふたりが呆れたような顔になる。
「緊張されることを悪いことだとは言わないわ」
「でも、それを隠そうとはしないで、従兄さま」
「ごめん」
項垂れるアベルをふたりは少し首を傾げて見ていた。
19歳だとは思えないほど幼い従兄。
でも、19年という歳月よりも多くの経験を積み重ねてきた叡知ある人でもある。
そのアンバランスさがアベルの魅力であり、同時に彼の不安定さの原因だ。
それがなんとなく気掛かりだった。
パンっ。
パンっ。
派手な音を立てて洗濯物が風に翻る。
手際よく洗濯物を乾かしながら、フィーリアは何気なく遠くに見える宮殿を見る。
あれから癖になっているのだ。
なにかと言えば宮殿を振り仰ぐのが。
高台に宮殿があるから視線を向ければ視界に入る。
あそこにいる。
フィーリアの大事な人が。
二度と逢えない人が。
「バカだよね、わたしも。お兄ちゃんにはもう逢えない。そんなことわかってるのに。逢いに来てくれるって言ってたけど、もう半年も音沙汰ない。わかってたじゃない。逢えないことくらい」
アベルが孤児院を去って半年になる。
フィーリアはその間に一度逢っているし、彼がどこにいるのかも知っている。
だが、シドニーも子供たちも知らないので、皆いつまでも帰ってこないアベルの身を気にしている。
教えてあげるのが親切なのかもしれない。
でも、言っても信じてもらえない気がして言えずにいた。
自分やエル姉がすぐには信じられなかったように、アベルの素性をいきなり教えても、たぶんだれも信じてくれない。
わかっているからどこにいるかも言えない。
ジレンマ、だった。
「フィーリア」
突然声がして振り返ればマリンが立っていた。
ふたりの王女の専任護衛騎士なんてやっているマリンである。
彼女が実家に帰ってくるのは珍しいのだが、つい最近になってすこし長い休暇が貰えたとかで戻ってきていた。
対面してつい苦い笑みになる。
「マリンお姉ちゃん」
「帰省したときにも思ったけど、フィーリアは大人っぽくなったわね」
「そうかな? 自分ではそんなに変わった感じはしないんだけど」
「そう? 15になってお姉さんになったわよ?」
そう言われても大人になった自分を1番見せたい人には逢えない。
それが1番辛い。
「アベルも今はもう19歳ね」
「そうだね。大きくなってからお兄ちゃんの誕生日を祝えなかったのは初めてかな」
「知ってる?」
「なにを?」
「1年後にはアベルは結婚するかもしれないわよ?」
「……なんで」
蒼白になるフィーリアにマリンは苦い気分を隠す。
「それが彼の家の決まりなのよ。跡継ぎは20歳になったら結婚するものって」
跡継ぎ、と誤魔化してはいるが、それが世継ぎを意味することは、アベルの素性を知るフィーリアにはわかる。
そう言えば……と思い出した。
歴代の世継ぎは皆20歳前後に結婚していることを。
「相手はだれ?」
「今のところ有力なのはレイ様かレティ様かしらね? おふたりを越える候補者というのは、なかなかいらっしゃらないわ」
「従妹と結婚するのっ!?」
「医学的にも法律的にも従妹との結婚なら不可能じゃないわよ? 寧ろ純血が保たれるという意味で歓迎されているから最有力候補なのよ。もしどこかの国の王女さまとか、そういう立場の方が割り込んでこないなら、おふたりの内のどちらかで決定するんじゃないかしら」
つまり対外的に他国の王女を迎える動きでも起きない限り、アベルの結婚相手はふたりの内どちらかで決定するということである。
フィーリアは泣きたくなって唇を噛み締めた。
「エル姉はどうしてるの?」
いきなりエルの名を出され、フィーリアは気まずい気分になる。
エルとマリンの不仲は半年前から続いているからだ。
こうしてやってきても顔を合わせることすらない。
あの誘拐劇のときに協力したことで、普通なら仲直りしたときと思うべきなのだろうが、どういうわけか、それ以後にふたりは決裂していた。
理由はフィーリアは知らない。
どちらからも教えてもらってないから。
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