2 / 84
第一章 教会と孤児院
(1)
しおりを挟む第一章 教会と孤児院
「踏んだり蹴ったりだ。ついてない」
連れに聞こえないようにアベルは愚痴る。
噴水に突き落とされた後、アベルは唖然として相手をみたが、相手はそれは可愛い女の子だった。
長い金髪を背中でひとつに括っていて、可愛いエプロンドレス姿。
一見して良家のお嬢さんといった風情だった。
アベルにぶつかって噴水に突き落としてしまったことでオロオロしていた。
さすがに怒るに怒れず、アベルは気にしなくていいと笑ったのだが、どういうわけか相手の少女は気に病んで引かなかった。
いくら責任感が強い少女だったとしても、ちょっと異常なほどに。
それでそれとなく探りを入れると、どうも少女は行くアテがないらしかった。
ここで出逢ったのが救いとばかりに、アベルになついてきた次第である。
呆れて突き放そうかと思ったが、その事情を聞いた瞬間、少女のお腹がなった。
少女は赤くなってお腹を何度も叩いていたが、これには怒る気も失せてしまった。
それで結局、孤児院まで連れていくことになっている。
まあ元々が身寄りのない人々の集まりのようなところだ。
ひとりやふたり増えたところで困る人はだれもいない。
しかし相手のことをなにも知らない状態で連れていくのも変だ。
さりげなく振り返る。
少女は後ろをついて歩きながら、物珍しそうにキョロキョロしている。
その様子からみて、絶対に行くアテがないなんて嘘だろ、と、アベルは内心で突っ込む。
おそらく帰る家はあるのだ。
あるのに帰る気がない。
もしくは帰れない。
そんなところだろうか。
どこかの裕福な家のお嬢さんが、親とケンカして家出でもしてきた。
そんなところかなとアベルは考える。
「きみ……名前はなんていうの?」
「名前……ですか?」
突然話しかけられた少女は、幾分、身構えた様子をみせた。
「そう。名前。呼ぶ名前がないと不便だし。あ。俺はアベル。アベルっていうんだ」
「アベルさ……んですか。素敵な名前ですね」
微笑んでそう言ってから、少女はすこし間をあけた。
「わたしはレティといいます」
答えてきた少女にアベルは一瞬だけ視線を向けたが、なにも言わず「そう」と答えた。
本名じゃないなと読み取りながらも。
「これから俺が帰る家は孤児院だがら、ちょっと騒がしいかもしれないけど、あんまり気にしないで」
「孤児院?」
「身寄りのない者が集まって暮らしてるところだよ」
わからないかなと思って説明すると少女は赤くなる。
「そのくらいわかります。わたしにだって」
ブツブツと口の中で愚痴っている。
どうやら意味が通じたらしい。
「でも、それだとわたしが行ったら、ご迷惑ではないですか?」
「困ってる人を助けるのが教会の役目だから」
「教会? さっきは孤児院って……」
「教会が孤児院を兼ねてるんだ。この辺だと珍しいらしいけど」
「たしかに珍しいですね。普通は孤児院と教会は別々だし」
そこまで言ってから、少女は首を傾げた。
「それだと生活はどうやって? 教会への寄付金だけでは食べていけないのでは?」
「あー。うん。その辺は適当にね」
「適当……」
適当でなんとかなるのだろうかと、少女の声に出ている。
しかしそこまでの内情を明かす必要性を感じなかったので、アベルはなにも説明しなかった。
「とりあえず怒られる覚悟だけはした方がいいな」
「どうしてですか? あ。それはわたしが怒られるのはわかりますけどっ」
「いや。数少ない余所行きの服を汚したから、姉代わりのシスターに責められるんだよ」
ここまで言ってアベルは肩を竦めてみせる。
「この服を買うのに、どれだけのお金が必要だったと思ってるってね。それにこの服は普通に洗濯できないし」
カードが届く前に出掛ける準備を整えていたので、アベルはパーティー用の正装を着ていた。
アベルにしてみれば、かなり奮発して買った服だ。
それはエル姉も知っているので、この系統の服を汚すと、それはそれは責められる。
本当に普通に洗濯できないらしくて、使う洗剤やら洗い方やら、すべて特注になるらしい。
高価な服というのは扱いも特殊らしいのだ。
その辺はフィーリアに任せきりだから、アベルは詳しくは知らない。
だが、だからこそ、このことで責められると強く言えないのだ。
フィーリアに迷惑をかけたと責められると言い返せないので。
しかしアベルが思索に耽っているあいだ、少女はふしぎそうに首を傾げていた。
「せんたく?」
意味を知らないと言いたげな声にアベルが振り返る。
少女はそれはふしぎそうな顔をしていた。
(もしかして?)
「洗濯……知らない?」
「あ。いえ。知っています」
「ふうん。知ってるんだ?」
白々と問えば少女は必死になって頷いた。
どうやらこれでごまかせると思っているらしい。
思っていた以上の箱入り娘だ。
これはそうそうに迎えがくるに違いない。
それまで丁重に相手をすればいいかと、アベルはさっそく覚悟を決めた。
こういうお嬢さんの道楽には、まともに相手をしないにかぎる。
でないとエル姉がキレるし。
教会がみえてきて隣に建っている大きいが古ぼけている建物の扉を開ける。
少女もおっかなびっくりついてくる。
「フィーリア。ただいまー」
声を投げるときも、どうしてか「エル姉、ただいま」とは言えなかった。
いつもなら「エル姉、フィーリア。ただいまー」なのだが、このときばかりはエル姉の名前は出せなかった。
「あっ。おかえりなさい、お兄ちゃんっ!!」
シスター姿のフィーリアが現れた。
金髪を肩で揃えていて瞳は紫。
自慢の妹だ。
「ただいま、フィーリア」
頭を撫でるとフィーリアが幸せそうな顔になる。
まだ14歳。
それなのに家事をすべて任せて、おまけにシスター見習いとしての仕事もある。
苦労させてるなとつくづく思う。
「お兄ちゃん、その人、だれ?」
「ああ、うん。レティっていうんだって。行くアテがないとかで、腹を空かせてたから連れてきたんだ。なんかある?」
「んー。お夕飯の残りなら。あ。お兄ちゃんの分もちゃんとあるよ?」
「わかってるよ。フィーリアが俺の分を食べるとは思ってないから」
「それからお姉ちゃんがお兄ちゃんに謝っていてほしいって」
「……」
「お姉ちゃん、とても後悔してたよ? 自分の価値観を押しつけたって。全部お兄ちゃんのお世話になっているくせにでしゃばりだったって。お兄ちゃんが出て行った後で泣きそうな顔してた」
「……そっか」
エル姉はたしかに貴族がきらいで、貴族絡みだと暴走してしまう。
だが、感情で動いても、こうやって反省することのできる女性だ。
だから、アベルは彼女をきらえないのだ。
どれほど苦労させられていても。
今頃、教会の掃除でもして反省している頃だろう。
後で慰めておこうと心に決める。
そうして控えめに立っている少女の方を振り向いた。
「こっちにおいで。食べさせてあげるから」
「ごめんなさい。ご迷惑でしょう?」
レティがそう言えば、あからさまに怪訝な顔になって、フィーリアがアベルの耳許にささやいた。
「お兄ちゃん。このお姉ちゃん、帰る家がないなんて嘘でしょ? こんな上品な孤児みたことない」
「ああ。たぶん家出だと思う。まあ本人が家に帰れないって言うんだ。今は面倒をみておいて迎えがきたら、そのときに考えればいいだろ? 本人が帰りたがるかどうかは別として」
「エルお姉ちゃん、怒るよ? もしこのお姉ちゃんが貴族だったりしたら」
「そうだったとしても、困ってることには違いない。エル姉がそこで追い出すのは、シスターとして失格だろ? そこはフィーリアも説得しろよ。とにかく飯も食えないくらい困ってるのはたしかなんだからさ」
「食べられるだけのお金があって食べないのに困ってると言われても……」
「あのな、フィーリア。貴族って案外、金持ってないものなんだ」
「そうなの?」
きょとんとした顔になるフィーリアにアベルは重々しく頷いた。
「金持ち金持たずっていうのかな。貴族は出歩くときに金を持ち歩かない。つまり家出なんてしても、食べるお金は持ってないってことなんだ」
「それで家出してなんとかなるの?」
「普通なら悪い奴にさらわれて終わり、なんだろうけど、この娘の場合、俺と逢ってるからな。その分、運がよかったってことで」
「お兄ちゃんの貧乏クジを引く損な一面変わってないね」
呆れたように言われて、アベルは慌てて咳払いした。
「とにかくっ。飯だ、飯っ!!」
アベルは大股に歩いて行ってしまう。
フィーリアはクスクス笑って、呆気に取られているレティの方を振り向いた。
「お兄ちゃん、先に行っちゃったから追いかけよう?」
「あ。はいっ」
慌てて返事をするレティに世間知らずな一面が覗いて、フィーリアは改めて実感した。
レティの運のよさを。
アベル以外に拾われていたら、今頃どうなっていたか。
その辺をわかっていないらしいので、レティの運のよさも本物だと感じていた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
元おっさんの幼馴染育成計画
みずがめ
恋愛
独身貴族のおっさんが逆行転生してしまった。結婚願望がなかったわけじゃない、むしろ強く思っていた。今度こそ人並みのささやかな夢を叶えるために彼女を作るのだ。
だけど結婚どころか彼女すらできたことのないような日陰ものの自分にそんなことができるのだろうか? 軟派なことをできる自信がない。ならば幼馴染の女の子を作ってそのままゴールインすればいい。という考えのもと始まる元おっさんの幼馴染育成計画。
※この作品は小説家になろうにも掲載しています。
※【挿絵あり】の話にはいただいたイラストを載せています。表紙はチャーコさんが依頼して、まるぶち銀河さんに描いていただきました。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる