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第二章 ふたりのラーダ

ラーダはふたりいる?

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 ショウとラーダは出逢ってから、ずいぶん親しくなっていた。
 その境遇的に簡単に人を受け入れないショウだが、ラーダが親身になってくれているのがわかるので、次第に警戒を解いていったのである。
 ラーダがなんのためにこの国にきたのかは明かされなかったが、ショウは久々に人と一緒に過ごせる楽しさを知り、この一時がすこしでも長く続けばいいと祈っていた。
 昼下がり。
 今日の夕飯はシチューが食べたいというラーダの要望もあって、ショウとラーダは市場にきていた。
 市場なのだが食べ物屋ばかりでなく、物品店も多く見受けられる。
 ひどいときは食べ物を売っている店の隣で、戦争のための武具が売ってあったりした。
 これはやはり市場が1番人が集まるので、たくさん売ろうとすると、どうしても市場に目をつけることになる。
 そのせいで成り立っていることだった。
 ショウが野菜や肉を買い込んでいるあいだ、ラーダはあちこちの露店を覗いていた。
「わー。これ素敵」
 ラーダがそう言って手に取ったのは、可憐な装飾が施されたブレスレットだった。
 市場で売っている物にしては品もよく、それだけに値段も高かった。
「なに見てるんだ、ラーダ?」
「このブレスレットすごく素敵。あんまり素敵だから見とれてたんだ」
「ふうん。たしかにいい品だな。うわっ。市場で売っているにしては、値段が無茶苦茶高いじゃないか」
「坊主。売ってる場所はともかくとしてだ。品がそれだけよかったら、自信を持って出せるぜ? 王宮にだって持っていける品なんだ。そのくらいはするさ」
 店の店主がぶっきらぼうに言う。
 こんな子供には買えないだろうと判断して、商売っ気を失っているらしい。
 ショウはちょっとムッとした。
 ショウならこのくらいの買い物は軽くできるからだ。
 お呼びじゃないという態度は腹が立った。
「ラーダも女みたいにそんな物欲しがるなよ。男だろ、おまえ。男だったら」
「俺、男じゃないよ」
「えっ。女だったのか? その言葉遣いで?」
「どういう意味なの、それ?」
 ブウブウとふくれるラーダに、ショウはこっちがふくれたいと思う。
 確かに外見だけならラーダはどっちにも見えたが、態度が態度なのだ。
 普通は男だと思うだろう。
 だが、ラーダはもう一度否定した。
「ついでに言うと女でもないよ」
「へ?」
「いや。男でもあるし女でもあるって言うべきかな」
 この言葉が意味するところは、ただひとつである。
「もしかしてラーダって……」
「うん。両性具有者。めずらしいでしょ」
 確かに両性具有者はめずらしい。
 実際に見かけたのは初めてだ。
 いるらしいというのは聞いていたが、両性具有者は数少ないので、滅多にお目に掛かれないのである。
 どっちにでもなれるから、伴侶は好きな性別を選べるというが。
「じゃあ、出逢った記念に買ってやるよ、それ」
「いいよっ。気軽にもらえる金額じゃないよ、これっ」
「気にしなくていいから」
「坊主。おまえに買えるわけないだろうが。玩具を買うのとわけが違うんだぞ」
 まだナメてかかる店主にムカッとしつつお金を手渡した。
 とたんに店主の態度が変わる。
「いやあ。お坊ちゃん、いい買い物をしましたねえ。これは掘り出し物でしてねえ」
「世辞はいいから早くそれをラーダに渡してくれよ。付き合うつもりはないから」
 いい加減腹を立てていたので、ショウは素っ気なかった。
 それまでの態度が悪すぎた店主はそそくさとブレスレットを包むとラーダに手渡した。
「ありがとうございましたぁ」
 やたらと調子のいい店主の声を聞きながら、ふたりは移動しはじめた。
「こんなつもりじゃなかったのに」
 思いがけず高価なプレゼントをもらうことになったラーダが途方に暮れている。
「気にするなよ。それよりつけてみろよ。きっと似合うから。店主の態度は最悪だったけど、確かに揃えてる品物は最高級品ばかりだったし」
「宝石の目利きもできるの?」
「見慣れてるから」
 確かに旧王家の莫大な遺産の中には、王家が受け継いできた家宝の宝石もたくさんあるのだろうが。
 ショウにはできないことはないのだろうか。
 言われたとおりブレスレットをつけると「ほう」とため息をついた。
「やっぱり素敵」
「そういうところを見ると両性具有者だっていうの、信じられる気がするよ。男の反応じゃあないもんなあ」
 呆れたように笑うショウにラーダがふくれている。
 ちょうどそこへ声がした。
「待って、待ってくれっ」
 追いすがる声にまずショウが振り向き、ついでラーダも振り向いた。
 追いかけていたのは銀の髪に碧の瞳の青年だった。
 身形はいい。 少なくとも市場に用のある人間ではないだろう。
 身分的におかしい。
 傍らでラーダがハッとしたように息を飲んだが、そのことには気づかなかったフリをした。
 謎の多い奴だなあと思いつつ。
「何か用か?」
「おまえじゃない。そっちの銀の髪をした奴に用があるんだ」
「ラーダに?」
 視線を向けるとラーダは強張った顔をしている。
「知り合いか?」
「ううん。知らない人」
 ラーダはそう言ったが、どこからどう見ても知っているようにしか見えなかった。
 まあ知っているからといって、そのまま知り合いとは言えない場合があることぐらいは、ショウだって知っているが。
 ショウは境遇的に人の表情を読み取ることに長けているから、ラーダの表情も読めたが普通はわからないだろう。
 ラーダの動揺というのは本当に微かで、普通は気づかれないだろうから。
「さっきの会話を聞いたんだ。おまえの名はラーダで両性具有者なんだろう?」
「そうだけどそれがあんたとなんの関係があるの?」
「ここじゃ話せない。移動しないか?」
「ショウがいてもいいよね? ひとりでついてこいとか言ったら、俺は言うこときかないから」
「わかった。妥協しよう」
 移動しようと言いながら彼は動かなかった。
 どこか途方に暮れたような顔をしている。
「もしかしてアテがないのか?」
「屋敷に連れていけるなら簡単だが、さすがに逢ったばかりの奴を連れていくわけにもいかないからな」
「だったら俺の知ってる店で我慢しなよ。お坊ちゃんには刺激が強すぎるかもしれないけど」
 それだけ言ってショウが歩きだした。
 どう見ても下町の方向へ向かっている。
 ラーダも迷いもなくついていくので、仕方なくついていった。




 ショウが連れていったのは下町にある飲み屋だった。
 ガヤガヤと人相の悪そうな奴らが集まっている。
 こんなところに店を構えているにしては人の良さそうな店主が、ショウの姿を見て笑いながら近づいてきた。
「久しぶりだな、ショウ」
「久しぶり」
「今日はなににする?」
「俺はいつもの奴ね」
「俺はカッシュの果汁にする」
「あれ、慣れてないと苦みがきつくて飲みにくいぞ、ラーダ」
「いいんだよ。めずらしい食べ物や飲み物って好きだし。物は試しでしょ?」
「あんたはなににする?」
「なに……と言われても」
 なにを頼めばいいのかわかりませんと顔に書いた様子を見て、ショウが振り向いて店主に告げた。
「あいつはグミの果汁ね。一番一般的だから」
「おまえさんひとり注文を間違っとりゃせんかね、ショウ?」
「いいじゃないか、好きなんだから」
 やれやれと言いたげに店主は店の奥に引っ込んだ。
 グミの果汁は子供が好んで飲む果汁の王様である。
 子供扱いされた気がして悔しかったが、こういう店にきたことなんてないのだ。
 頼んだ物を飲めなかったりしたら恥なので、ここは我慢することにした。
 注文した品が届くのに、時間はほとんどかからなかった。
 ラーダと謎の青年の前には小さな果汁のグラスが置かれたが、ショウの前に置かれたのは大きめのグラスだった。
 そこからツンとする匂いが漂ってくる。
 驚いてラーダが問いかけた。
「ショウ。もしかしてそれお酒?」
「うん。俺の好みなんだよ。酔わないタチだから結構飲むな」
「たしか16だったよね?」
 疑わしそうに訊ねるラーダにショウは苦笑する。
 レジェンヌの法律ではまだお酒を飲める年齢ではないからだ。
「16? おれより3歳も年下?」
 どこか衝撃を受けたように呟く姿を見て、ショウもポリポリとこめかみを掻いた。
 3歳年上ということは19なのだろう。
 それで自分はグミの果汁を飲んでいて、3つも年下のショウがお酒を飲んでいるとなれば、たしかに衝撃を受けるかもしれない。
 これは彼が幼いのではなく、ショウが異常なのだが。
「所帯主だから普通とちょっと違うんだよ。あんまり気にする必要はないと思う」
 それだけ言って一口、口に含んだ。
 その姿も慣れたもので堂に入っている。
 スマートに飲んで見せるショウに、ふたりはやたらと感心していた。
「俺はショウ。こっちはラーダ。あんたは?」
「おれは……グレンという」
「グレン?」
 不思議そうに呟いてから、ショウは納得の声をあげた。
「ああ。メイディアの世継ぎの君か」
「っ!! 何故わかったんだ?」
「今メイディアの王子がレジェンヌにきているし、王子の歳は俺より3歳年上。名前はネジュラ・グレン。そのくらいのことなら常識だよ」
「そういうものか?」
「王子さまもすこしぐらい、こういう場所に足を踏み入れてみるといい。どんな情報だって金さえ払えば手に入るから」
 そういうことが必要とされるショウの境遇に、ラーダはまた胸の痛みを感じる。
 本来ならグレンに劣る立場ではないのだ。
 レジェンヌは小国だが、古王国と呼ばれているとおり歴史は古い。
 メイディアよりよほど古いのだ。
 一時は全世界を半分くらいまで支配した時代もある。
 その勢いはなくなったが権勢は健在である。
 そのショウがグレンのように生きられなかった理由を思って、ラーダはため息をつく。
 まだ言えない。
 言えないことだが、その理由にラーダは深く関わっている。
 だから、罪の意識を抱くし、ショウの身の振り方を気にするのである。
「ラーダに用があるって言ってたよな。俺は口を挟まない方がいいのか?」
「できればそうしてくれると助かる。ここで起きたことは他言無用に願いたい」
「わかった」
 一言答えてからショウはお酒を飲むことに専念することにしたらしい。
 話に耳を傾けているのだろうが、立ち入るまいとしている姿勢が見えた。
 そんな遠慮はいらないのにとラーダは思う。
 ショウとはもっと親しくしたいので。
 どうしてそう思うのかはわからなかったけど。
「おれはずっと祖母の親戚を捜している」
「祖母って聖妃で有名なラーダ・サイラージュ妃?」
 ラーダが問いかけると、ショウが納得したように頷いた。
 なるほどなと思う。
 ラーダとグレンは外見的にはよく似ている。
 同じ髪の色をしているし、瞳の色も似ている。
 それがラーダ・サイラージュに繋がる要素なら、名前も同じラーダに引っ掛かっても無理はない。
「おまえの容姿は祖母の若かった頃にそっくりだ」
「え……」
 さすがにショウが驚いた声をあげ、すぐに立ち入ったことを後悔したのか、口を噤んだ。
 容姿までそっくりだとは思わなかった。
 だとしたらラーダを捜して街に出ていたのかもしれない。
 どこかでラーダを見掛けて、祖母にそっくりな姿に引っ掛かって。
 だとしてもラーダとラーダ・サイラージュ妃を繋げるのは、まだ無理があるのではないだろうか。
 他人の空似ということもあるだろうし。
 もちろん容姿が同じで名前も同じとなると、偶然にしては出来すぎているという感も拭えないのだが。
「おまけにおまえは両性具有者だという。実はあまり公になっていないが、祖母もそうだったんだ」
 その一言にショウはもう目を丸くしてラーダを見た。
 そこまで一致したら、さすがに他人の空似では通らない。
 ラーダとラーダ・サイラージュ妃のあいだには、なんらかの関わりがあるのだろう。
 知られていない親戚ということだろうか?
「どうしてそんなことを知りたいの? ネジュラ・ラセン王が明らかにしなかったってことは、知らないほうがいいってことだよ。なのにどうして今頃になって捜し出そうとするの?」
 ラーダは否定はしなかった。
 しても無駄だと思ったのかもしれない。
 そこまでの共通点を見つけられた後で否定しても嘘くさいだろうから。
「おれは祖母の血族を見つけてどうしても問いたいことがある。そのために捜し出したいんだ」
 その一言にラーダは微かに青ざめた。
 他人の空似では済まないほどに、ラーダと似た外見を持って生まれた王子。
 まさかと言えない問いを胸に抱えていた。
「なにか思い詰める理由でもあるの?」
「ある。どうしても祖母に問いたいことが」
「なに?」
 ラーダが身を乗り出して問いかけると、グレンはすこし困ったような顔をした。
「他言はしないって誓ったから、なにを聞いても言いふらしたりしないよ、俺は」
 ショウが割って入りグレンも信じる気になったらしかった。
 深いため息の後で口を開く。
「おれは夜になると髪の色が黒に変わる。力も強くなる。そんなのは一族でおれだけだ。父上にも母上にも心当たりがないという。だから、おれは出自の明らかではない祖母絡みではないかと思ったんだ。どうしておれだけがそんなふうに生まれたのか、その答えが欲しい」
 グレンの言葉を聞いてラーダはホッと安堵した。
 どうやら最悪の事態は避けられたらしい。
 そのくらいなら能力のある魔法使いに頼めば封印が可能なことだから。
「その程度のことなら騒ぎ立てないでおくべきだと思うけど」
「その程度のこと? これのどこが?」
「力のある魔法使いに頼めば封印が可能なことじゃない。騒がなくてもいいと思うけど」
「それならすでに試した。試さずにいると思うのか?」
「封印できなかったの?」
 驚いた問いかけにグレンは苦い表情で頷いた。
 魔法使いの力量不足ということではないだろう。
 メイディアお抱えの魔法使いだ。
 実力不足ということはないはずだった。
(それだけ濃く血を引いてるんだ。でも、この外見から判断すれば、危険なレベルには達していないはず。それなら明かしたくない。明かすほうがこの王子を追い詰めるから)
「それでも問題にするほどのことじゃないと思う」
「ここまで言ってもっ」
「知らないほうが幸せなこともあるよ。知ってしまって取り返しのつかない後悔を感じるくらいなら、知らないままでいた方がいい。俺はそう思うよ」
「それほど祖母の血脈には問題があるのか?」
「俺はそれを言えない。問わないでほしいな。問われても答えられないから」
 ラーダははっきりと自分の素性を明かしたわけではなかったが、ここまで知られたら嘘をついても信じないだろうと思ったので、敢えてごまかさなかった。
 それでも詳しい事情を教える気はなかったけれど。
「普通の魔法使いに頼んで失敗したんだろう?」
 突然、口を挟んできたショウのほうを振り向いて、グレンが怪訝そうに答えた。
「ああ」
「ならあいだに魔門を挟めば成功する確率もあがるんじゃないのか?」
「魔門?」
「ああ。魔門っていうのはレジェンヌの言い方だっけ。普通に言うと」
「いや。聞きかじりていどだが、聞いたことはあるからわかる。人と魔の狭間に立つ者のことだろう? 人と魔の架け橋となれる者。それだけに一般の者より強い魔力を秘めているという。違うか?」
「そのとおりだよ。魔門の力を借りれば成功率はあがると思う。知り合いにいないのか? 魔門」
「いないな。魔門というのは元々非常に数が少ないんだ。希少価値が高いから魔門の魔法使いは、代々大賢人と呼ばれているほどだし」
 本来なら魔門はいる。
 他ならぬショウが魔門だ。
 ショウが力を貸せばこの王子は呪縛から解き放たれる。
 でも、今逢ったばかりの王子を相手にそこまでしてやる必要性もなかったし、そんな危険な真似はできなかった。
 下手をしたら現王家に所在を掴まれてしまう。
 あの家を手放すのはいやだから、もうすこし上手く立ち回らないと。
 それともメイディアに後ろ楯になってもらえたら、もうすこし楽なのだろうか。
 狙われる生活とおさらばできるのか。
 考えても仕方がないけれど。



「ショウ」
 ショウの考えに気づいていたのか、ラーダが反対するように軽く首を振った。
 身分を明かすなということだろう。
「そろそろ失礼するよ。晩飯の支度もあるし」
「あ。もうすこし、もうすこしだけ付き合ってくれないか?」
 追いすがるグレンにラーダは困ったように答えた。
「俺が言えることは全部言ったし、できることも全部やったよ。これ以上は必要ないと思う。じゃあ元気で」
 それだけを言い残してラーダはショウの後をついて出ていった。
「おれは……」
 初めて逢った祖母の血脈は、グレンが想像していたよりずっと素敵だった。
 憧れのような気持ちがグレンを支配している。
「一目惚れ?」
 だとしたら最悪の一目惚れだ。
 向こうは素性を隠したいのだから、グレンには警戒を解かないだろう。
 でも、もっと近づきたい。
 こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
「また機会を見て探そう。そのときは聞いてもらうんだ。この気持ちを」
 不器用な王子は自分の気持ちに振り回されている。
 一目惚れなんて初めての経験なのだ。
 どうすればいいのかまるでわかっていない。
 それが次なる事件を招くと、この時点ではだれも知らなかった。




「ラーダってラーダ・サイラージュ妃の親戚だったんだ?」
 その日の夕飯の席でショウがそんなことを言った。
 やっぱり言われたかとラーダは苦笑している。
「あまり公にしたくないんだけどね」
「容姿がそっくりだってあの王子は言ってたけど」
「そうらしいね。俺も噂で聞いてる程度だけど」
「だとしたら名前も譲り受けたってところ?」
「うん、まあね」
 ラーダの歯切れが悪い。
 突っ込まれたくないということだろうか。
 だとしたらこの辺が潮時だろう。
「そろそろ寝ようか?」
「ショウは王位には未練はないの?」
 突然の質問にショウは驚いた。
「どういう意味だよ」
「王位はどうでもいいのかって訊いてるんだよ。ショウは王位はどうでもいいの? この国のことは興味もないの?」
「王位には未練はないよ。でも」
「でも?」
「現王家に任せていたらレジェンヌは廃退するだけだ。それを食い止めることができるなら」
 そのためなら王位は取り戻したい。
 ショウの宣言を聞いてラーダが微笑んだ。
 それがショウの望みなら果たすだけだ。
 この王子を守る。
 それがラーダの願いだった。




「月が登るな……」
 ショウに与えられた3階の自室で、ラーダは月を見ている。
 その瞳はやや赤い。
 斑になっていた瞳の赤がきつかった。
「毎晩、毎晩狩りに出て魔族を狩ってもキリがない。一掃するためには大きな魔力の導き手が必要だ。それをショウに頼むわけにはいかない。危険なだけだ」
 口調がいつものラーダのものではない。
 冷たく響く人のぬくもりの欠如した声。
「グレン。おまえに誓ったあの誓いを守るために、今の俺は戦っている。見守っていてくれ。俺が血の誘惑に負けないように」
 部屋へ戻っていつもの黒衣に着替える。
 同時に首を軽く振る。
 髪が揺れ、やがて髪が黒く染まっていく。
 同時に瞳も赤く染まっていた。
 これが妖魔の騎士の素顔だった。
 昼は黒髪は銀に。
 赤い瞳は碧と赤の斑の瞳に。
 それだけでラーダのすべてが変わる。 昼のラーダと夜のラーダとは性格も別人なのだ。
 昼にはできない残虐な真似も夜のラーダは平然と行う。
 だから、ラーダとラーダ・サイラージュが親戚というあの話も作り話である。
 ラーダこそがラーダ・サイラージュ本人だったのだ。
 ネジュラ・ラセンは生命を懸けて戦っていた相手を妃に迎えたのである。
 ふたりのあいだに隠されていた秘密とはそれだった。
 ネジュラ・ラセンとラーダは幼なじみだった。
 だが、あるときラーダは闇世へと連れ去られ、そこで数年の空白が生じた。
 戻ってきたときには、ラーダは変わっていた。
 妖魔の騎士として振る舞うようになっていたのである。
 あの当時、ラーダは妖魔として生きていくのがいやで血も力も封印していた。
 それを知った闇神がラーダを捕らえ、妖魔の王として復活させたのである。
 それがメイディアでの宴に繋がったのだ。
 グレンというのはネジュラ・ラセンが素性を隠すために使っていた名前で、再会したふたりはすぐに恋愛的な意味で揉めるようになった。
 ネジュラ・ラセンはまっすぐにラーダを求愛し、ラーダは自分の秘密故に応えられず、逃げつづけていたのだった。
 最初は妖魔の騎士の正体がラーダだとは気づかなかったネジュラ・ラセンだが、やがてラーダの様子がおかしいことに気づく。
 そうして最終的に彼を突き放せなくなったラーダは、自分から宴をやめる。
 そうして彼の元を去ろうとしたのだが、それをネジュラ・ラセンが止めた。
 全身全霊で引き止めて求婚したのである。
 ラーダの正体を知りながら。
 こうしてラーダは生まれて初めて幸せというものを手に入れた。
 だから、彼の死後、人間を手にかけない。
 もう宴はしないと誓った気持ちは本物である。
 自分のために早世した愛する人のためにも、この誓いだけは違えないと決めていた。
「出るか。ショウのためにもこの国に平和を取り戻さなければ」
 呟いてラーダの姿は闇に消えた。




 袈裟懸けに魔族を斬り捨ててネジュラ・グレンが毒づいた。
「妖魔の騎士はなにをしてるんだっ。魔族の処理は自分でするとか言っておきながら、この体たらくっ」
 上空から降ってきた魔族を力任せに斬り捨てる。
 キリがなかった。
「愚痴の多い王子だな」
 声と共に魔族たちの断末魔の悲鳴があがる。
 妖魔の騎士はいつも姿を見せないが、鮮やかな手腕で魔族を葬っていた。
 その証拠に彼が現れると、それまで相手をしていた人間たちは突然暇になる。
 魔族をすべて彼が処理しているので、人間に関わっている余裕がなくなるのだ。
 どうやればそんなふうに戦えるのか知らないが、これで今日も一安心だ。
 これ以上の被害も出ないだろう。
「王子」
「お戻りください、王子」
「我等が皇子よ」
「くどいっ」
 闇の中赤い光が輝いた気がした。
 一際高い断末魔の悲鳴があがる。
 そうして辺りは急に静寂を取り戻した。
「全く。バカの一つ覚えのように同じ言葉ばかり繰り返して」
 妖魔の騎士は苛立っているらしかった。
 たしかに魔族たちはみな、殺されるのを承知で彼へと近づき、戻れと懇願している。
 それはなにも闇世に戻れ、ということではないだろう。
 血と殺戮に餓えた妖魔の王に戻れということだ。
 そうなったら人間にとってはたまらないので、彼が心を変えていないと知ってホッとするグレンだった。
「もうすこしどうにかならないのか、妖魔の騎士。おまえが出てくれば簡単に片づくとはいえ、出現した魔族を片づけるだけでは進展しない」
「一番簡単な方法は闇世へと通じる道を封じることだ」
「そんなことができるのか?」「俺にならできる。だが、それには強い魔力の導き手が必要なんだ。俺の力を正確に流すことのできる力の強い者が。残念ながら今、この場にはそれだけの魔力の持ち主はいない」
「魔門……」
 レジェンヌの将軍が呟く。
 やけに魔門に縁があるなと思いながら、グレンが口を開いた。
「そういえばラスターシャ王家が魔門で有名だったな。今、彼らがいたらこんなに苦労していないのに」
 ラスターシャ王家の名にレジェンヌ側が騒ぎだす。
 そういえばレジェンヌではラスターシャ王家の名は禁句だったかと思い出し、グレンはポリポリとこめかみを掻いた。
 生きていたとしても彼らは名乗り出ないだろう。
 それでなくても暗殺と背中合わせなのだ。
 そんな危険な真似には出られまい。
「人間というのは愚かなものだな。権力を守るために自分たちの王を暗殺するんだから」
 冷たい口調にざわめく人々。
 それらを無視して言を継いだ。
「今回は凌いだ。俺は帰る。後は適当にそっちで処理してくれ」
「帰るってどこへ帰るんだ?」
「闇の中へ」
 たった一言の冷たい言葉にだれも答えられなかった。
「全く。あの様子だとまだ諦めていないな。ショウの暗殺など俺は認めない」
 闇の中で呟く。
 受け取る者はいなかったけれど。




「最近、魔族の横行がすこしましになってきたみたいだな。噂だと妖魔の騎士が魔族を処理してくれてるらしいけど。
 今日はラーダの身の回りの品を買うために大通りにきていた。
 ラーダを覗き込んでそう言ったショウに、ラーダは曖昧に笑う。
 昼の姿のときに夜の姿の話をされるのがラーダは苦手だった。
 自分でも夜の姿はあんまり好きではないので。
「実は俺って妖魔の騎士ってあんまりきらいじゃないんだよな」
「どうして? 彼っていわゆる妖魔の王で人間の敵でしょ? 普通はきらうと思うけど」
「そうなんだけど。なんでかな? 俺はあんまりきらいじゃないんだ。今回の魔族の事件だって現王家はあいつの仕業だって決めつけてたけど、俺は違うと思ってたし」
 わかってほしい人にわかってもらえるのは難しいことである。
 思わず笑ってしまうラーダにショウは不思議そうな顔をしている。
 ショウにはわからないだろう。
 今の言葉がラーダにとって、どれほど嬉しかったかなんて。
 もちろんショウがラーダの正体を知ったら、変わってしまう可能性は否定しきれないけれども。
 それでも信じていたい。
 ショウは変わらないと。
(変だな。最近ショウのことばかり考えてる。この気持ち、昔どこかで感じてたよ。そう。グレンに対する気持ちに似てる)
 自分の考えに驚いてラーダはマジマジとショウの顔を覗き込んでしまった。
「どうした?」
 不思議そうな顔のショウに、答える言葉なんてなかったけれど。
(俺、ショウのこと気にしてる?)
 普通に普通にと言い聞かせるほど、ラーダはぎこちなくなっていった。
 様子の奇妙なラーダにショウは呆れ顔である。
「服でも買おうか? おまえいつも似たような格好だし」
「楽なんだよ、この格好」
 ごく一般的な格好をしているのだが、ショウにはラーダに似合う服は他にあるような気がした。
「ブティックに行くぞ」
「ちょっと待ってよ、ショウ。そんなに沢山いらないよ。それでなくても俺ってただ飯食いの居候なのに」
「気にするなって。大した出費じゃないから」
 そう言えるのはひとえにショウがラスターシャの王子だからである。
 だからといってこれ以上たかれない。
 どう言って諦めてもらおうかと思った矢先、ラーダは二の腕を掴まれて路地に連れ込まれた。
 前を歩いていたショウは気づいていない。
 ラーダは悲鳴をあげようとしたが、後ろから布を口許にあてられて果たせなかった。
(これ、薬。俺には無効だけど普通なら意識を失う類の物だ。どうしよう。人間のフリをしてるから逃げられないよ)
 意識を失ったフリをして、ラーダがその場に崩れ落ちる。
 だれかに抱え上げられるのを感じたが今は逆らえなかった。
(ショウ。心配するだろうなあ。あーあ。失敗したなあ)
 心で呟きながらラーダはこれからどうなるのかを考えていた。
「なあ、ラーダ? あれ? ラーダ?」
 遠くでショウの呼ぶ声が聞こえる。
 わかっていてもラーダにはなにもできなかった。
 人間ではないと悟られるわけにはいかなかったので。




 どこかの建物に入ったらしいことをラーダは空気で感じ取った。
 空気の密度が違う。
 近くから知った気配がする。
(この気配。ネジュラ・グレン?)
「ご苦労だったな。こちらで休ませてくれ。丁重にもてなすんだ」
 その声は間違いなくネジュラ・グレンのものだった。
(どうして彼が?)
 問いかけたい言葉も声にならない。
 あの薬の強さだと、もうすこし気絶していないといけないから。
 寝台に横たえられたのを感じる。
 丁重にもてなせという言葉通り、とても丁寧な扱いだった。
 だったら誘拐なんてするなと言いたかったが。
 それから半刻ほどが過ぎて、ラーダは苦しそうに目を開けた。
 もちろん演技だ。
 あの薬を使用されると苦しいらしいと知っていたので。
「王子さま? なんであんたがここに」
「おまえと話がしたかった。このあいだのように逃げられたくなかった。だから、多少強引だが館に招かせてもらった」
「そういえば薬……誘拐?」
「誘拐に近い形になったのは謝る。だが、おれが屋敷に招いても、おまえは受けなかっただろう?」
 たしかに素性を知られたくないラーダは、必要以上に近づかれても受け入れなかっただろう。
 だからといってこれはない。
 一国の王子がすることではない。
「だからって誘拐なんてするなよ。一国の王子のすることか?」
 あの薬ではまだ起き上がれないはずだ。
 だが、これ以上こんな状態に置かれるのはいやだった。
 ショウだってきっと心配している。
 無理に起き上がるフリをして、ラーダが上半身を起こすと、付き添っていたグレンが、慌てたように寝台に押し戻した。
「離してくれよ。俺は戻らないと。きっとショウだって心配してる」
「そんなにあいつが大切か」
 苛立ちの籠った声にラーダが怪訝そうな顔になる。
 それでも気持ちを自覚したばかりだったので、頬が染まるのは止められなかった。
 それを見てグレンが更に不機嫌になる。
「ラーダにとってあいつはなんなんだ」
「あんたには関係ないだろうっ」
 思わず怒鳴り付けていた。
 ショウのことをどう思っているか。
 1番わからないのは自分なのだ。
 周りからあーだ、こーだ言われたくない。
 だが、怒鳴り付けるとグレンは堪らないとばかりに怒鳴り返してきた。
「あるさっ。おれはおまえが好きなんだからっ」
 いきなりの告白にラーダは面食らった。
 グレンがラーダに一目惚れしたのだと理解するまでに、すこしの時間が必要だった。
(自分の孫相手だなんて御免だよ、俺はっ)
 我に返って思ったのはそのことだった。
 グレンには可哀想かもしれないが、ラーダとグレンは血が繋がっているのだ。
 祖母と孫なのである。
 それで恋愛対象だと思えと言われても無理があった。
 夜のラーダなら、そういう禁忌も軽く越えるかもしれないが。
 が、どちらにしろ、ラーダはこの王子に恋愛感情など抱いていない。
 諦めてもらうしかない。
「バカなこと言わないでくれよ。俺はアンタのことをそんなふうに思ったことはないよ。そんな用件なら帰してくれ。ショウが心配してる」
「あいつのためか」
 暗い声だった。
 ラーダはマズイと本能的に判断して、寝台から抜け出そうとしたが、押さえ付ける力の方が強かった。
 本気を出せば逃げられるが、人間には不可能なことである。
 ここでもまた人間ではないと悟られないために、ラーダは逃げられなかった。
「放せよっ」
「あいつの下には帰さない」
 言ってグレンが枕元に置いてあったビンを手に取ると一気に煽った。
 それを口移しでラーダに飲ませる。
 それはさっきの薬よりもずっと強い睡眠薬だった。
 こんな薬を飲まされたら、明日の昼頃まで絶対に起き出せない。
 起き出したら人間ではないと悟られてしまう。
(最悪。グレンも不器用で時々意外な行動に出ることもあったけど、この王子もそうなんだ? 薬で問答無用なんて、好きになってもらえるはずないじゃない。全く。困ったなあ)
 眠ったフリをしてラーダが目を閉じる。
 そんなラーダをグレンが愛しそうに抱いていた。
 髪を撫でる仕種も愛しそうである。
 それを感じながらラーダは改めて不器用だと思った。
 好きになってもらいたくて、ショウにラーダを渡したくなくて、反射的にしてしまったことなんだろうが、やってしまったことは最低最悪。
 好きになってもらえる可能性なんて限りなく零に近い。
 でも、この愛しそうな仕種からわかる。
 本当は優しい少年だということが。
 それが今は間違った方法で表現されているだけで。
 頭の痛い事態になった。
(ショウ。心配してるだろうなあ)
 失敗したなあと呟いてラーダは心で大きなため息をついた。
「王子」
「エスタか」
「王子にこんなことを申し上げるつもりはなかったのですが、誘拐など一国の王子として許されない行い。その方をすぐに解放してあげてください」
「いやだ」
「王子っ」
「大事なんだ。大切なんだ。手放せない」
「王子のやり方では心は伝わりません。好きになってもらえません。それがわからないんですか?」
 エスタの真摯な説得にもグレンが頷くことはなかった。
 今はラーダを腕の中に捕まえておくことしか頭になかったからである。
 まずいことになったとエスタはため息をつく。
 この王子は元々頑固なのだ。
 どうにか説得するしかない。
 王子の方からこの少年(?)を解放してくれるように。
「それにしてもこの方は本当に聖妃さまに瓜二つですね」
 王子から聞いたときは半信半疑だったのだが、目の当たりにして事実だったんだと納得していた。
 王子がすこしだけ笑う。
 説得するのが大変そうだとため息が漏れた。




「ラーダ……」
 その頃ショウはひとりの屋敷で心配そうに呟いていた。
 大通りではぐれてからラーダは戻ってこない。
 荷物もそのままだから旅に出たということはないだろう。
 なんらかの事件に巻き込まれている可能性が高い。
 最初は自分の問題に巻き込んでしまったのかと青くなったショウだったが、そのせいだとしたら今までなんの動きもないことが解せなかった。
 その場合ショウはとっくに襲われているはずである。
 ではショウの問題とは無関係ということになる。
 ラーダの身になにが起きたのかわからなくて、ショウは不安を抱えていた。
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