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間章8
子の心親知らず
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小さい頃から、他人がなにを考えているのか全くわからなかった。
あまりにも人の輪から外れる私を心配した両親が、なにを考えてか私を劇団に入れても状況は変わらなかった。
むしろ、自分の異質さを嫌という程見せつけられたわ。
わからないのだ。
台本を読んでも、その人物がどのような感情でその台詞を言っているのか、一々、演出家に聞かなければいけない。そして、聞く度に「そんなこともわからないのか?」と言われる。
わからないから、演出家の言う演技プランを忠実に演じていたら、いつの間にか天才子役なんて過大な評価を受けてしまった。
でもね、演技を通じて他人の感情を学べるのは有り難かったわ。
しかし、それも二十代後半まで。
その頃からは年相応の役も求められる。
そう。母親役が回ってきたの。
結局、私は二十年生きても両親の考えていることがわからないままだった。
だから、親の気持ちを知るために、鬱陶しく迫っていたアレと結婚した。
そうして産まれたのが孫一だ。
私の人生はその日、一転した。
一目見て確信した。私の人生はこの子を立派に育てるためにあった、と。
しかし、私には立派に育てる自信がない。当たり前だ。人の気持ちがわからないのだ。息子の気持ちだってわからないだろう。
出産後は酷い目に遭った。
マスコミが付き纏う。
アレの父親が勝手に名前を決めてしまう。
親になったら商品のイメージに合わないからとコマーシャルを降ろされる。
でも、孫一を抱いている時は穏やかな気持ちでいられた。
手探りながらも子育ては充実した時間だったわ。
しかし、それと同時に不安もある。むしろ、不安の方が強かった。
私はちゃんとできるのか。孫一に寄り添えるのか。この不安は拭えなかったの。
孫一の成長に連れ、一つどうでもいいことがわかった。
アレは整形手術を受けていたことが発覚した。
本人に聞いたわけではない。しかし、夜中に孫一を見ながら「どうして俺に似ちまうんだよ」と呟いていたから間違いないだろう。
ただ、私にとってはどうでもいいことでも、アレにとってはどうでもいいことではなかった。
アレが二人目の子供を望んだのは、次こそ私に似た子供が産まれると根拠もなく考えたからだろう。迷惑な話ね。
話し合った結果、養子を取ることに決まった。
私は二人目を産むことに否定的だった。というのも、アレの子供は孫一だけでいいと思っていたし、アレ以外の優秀な男の子供を産んで、孫一への愛情が薄くなってしまったら嫌だからだ。
もう一つ。やはり私では孫一に寄り添えないのではないか、という不安が常にあったので、義理の弟妹を側に置けば孫一の孤独を癒せると考えた。
だから、養子縁組を決めた。
縁を施設で初めて見た時の感想は、汚い格好をした空っぽの子供、だった。
縁の両親は、優秀すぎる彼女に劣等感を感じてしまって、彼女を虐待していたらしい。
試しに、スマホで大学入試の過去問を検索して彼女に見せたら、少し悩んでからお絵描き帳に難しい計算式を書いて正解して見せた。
確かに優秀だけれども、劣等感はなかったわね。
それに、この子の才能は、まだ開花していないように見えたし、なにより、見た目はちゃんとすれば可愛らしいので孫一に相応しく思えた。
それが、どうして、ああなったのかしら。
孫一に寄り添うように仕向けたはずが、なぜかストーカーになっていたの。
しかし、これはこれで虫除けにはなるだろうから、放置することにした。
孫一が中学に上がる少し前、アレが孫一を殺そうとしている所を目撃する。
人生で初めて“頭に血が上る”という感情を知ったわ。
アレは頭が悪いが殺人で自分の価値が下がるリスクは理解したので、説得に応じて包丁を置いてくれた。
孫一の側にアレを置くのは危険なので、この後すぐに孫一を一人暮らしさせることにする。
離れて暮らすのは寂しかったが、孫一を守るためなら我慢できた。我慢できてなかったのは縁だ。多めにあげていたお小遣いを孫一の監視のための機材に注ぎ込んで、毎月金欠になっていた。
イジメ自体は小学校からあったのだけど、孫一が高校に入学してからイジメが酷くなったように思う。
木下某という少年のせいだ。
事務所と繋がりがある暴力組織に彼の父親が勤める会社に圧力をかけてもらったのだが、これは逆効果だった。
よもや、家庭の不和によるストレスを孫一で発散するようになるとは思わなかったわ。
いや、他人の気持ちがわかる普通の親なら、こうなることが想像できたのかもしれない。やはり、私はあの子の親に相応しくないのだろうか。
孫一が高校二年生になった。
まさかの集団失踪事件。
失踪から一年が過ぎる頃、被害者の会の記者会見中に会場の床が光り出す。
周囲を囲む風変わりな格好をした人たちの中心に孫一を見つけた時、歓喜のあまり破顔してしまった。すぐに取り繕ったので、誰にも見られていないはず。いや、一人、孫一の隣の美少女には見られたかもしれない。私を見て微笑んでいた。
*
「もう、用はないわよね?」
私と話をしにきた孫一を冷たく突き放す。
「それは……」
孫一の悲しそうな顔に心が痛むが、これ以上話を続けるとボロが出そうだ。
出来るだけ冷たい表情を作ろう。
「孫の顔を見せた。聞きたいことを聞いた。終わりじゃないのかしら?」
アレと話している時の顔で問うと、孫一は俯いて答える。
「ええ。終わり、です」
それだけ言って孫一は退室した。
その背中を抱き締めたい。でも、それはできない。
明日には日本へ還る私にできること……。
伝言くらいかしらね。あの子が一番信頼していそうな人に一言「愛しています」と伝えてもらいたい。
*
日が沈み、美味しい夕飯を頂いた後、寝るには少し早い時間に部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」と声をかけると、音もなく扉が開いた。
そこには、常に孫一の隣に寄り添っていた美少女と、無表情な義娘が立っていた。
「こんばんは、お義母様」
流暢な日本語。
孫一の正妻と名乗っていたわね。この子が信頼できる子か見極めるいい機会だわ。
「こんばんは。ユリアーナさん、だったかしら? 日本語お上手ね」
私が座っているソファの対面に促すと、仮面を後頭部に張り付けたユリアーナさんと、鞄を持った縁が続いて入室し、ソファに腰を下ろす。
「それで? なんのご用かしら?」
「本音を聞きに来たの」
減点。お義母様と呼びながら気安すぎるわ。
「……そう。縁も?」
頷く縁に「そう」とだけ返す。
「お義母様。人と共感できないのは本当。でも、母親の感情がわからないのは嘘、ですね?」
表情筋を制御して無表情を粧う。
「なぜ、そう思ったのかしら?」
「神様だからです。あ、嘘、真面目に答えます」
そういう冗談を返してほしくないので、「出ていけ」とばかりに顎を扉へクイっとやると、神を自称する少女は私を拝みながら謝った。
「お義母様が召喚された時、マゴイチを見て、一瞬だけ嬉しそうにしていたのを見たんです」
「そう。見てたのね」
舌打ちしそうになる。
やっぱり、見られていたのか。
ユリアーナさんの隣に座る縁が、私を咎めるような視線を向けている。
「お母さんは、どうして兄さんに冷たいのですか?」
ここで言うべきか……ユリアーナさんはまだわからないけれど、縁には話しておくべきでしょうね。
「……あの子を、孫一を初めて抱いた時、私の世界は変わったわ。あの時、初めて私の中から沸き上がる感情があったの。でもね、同時に理解してしまった。私では、共感できない私では、孫一を幸せにできないのよ」
「マゴイチを愛しているんですね?」
「ええ」
その問いには即答できる。
「私を養子にしたのは、やはり……」
「ええ。孫一を幸せにするためよ」
孫一の隣に寄り添ってくれるように、能力はあるけど空っぽの女の子を選んだ。
「お母さんの目論見通り、私は兄さんを好きになった、と。なら、どうして独り暮らしをさせたんですか?」
「あの男が、眠っている孫一を殺そうとしたからよ」
ああ、思い出すとイライラする。
隣の部屋で愛人兼マネージャーの女の子と寝ているであろうアレを殴りたくなる。いや、魔法で眠っている今なら、殴ってもわからないのでは? というか、アレはいつまで寝ているんだろうか。
「だから、逃がしたんですか。そういえば、アレは兄さんの家を知りませんでしたね」
「ええ。嘘の場所を教えたら殺しに行こうとしたわ。だから、殺人は労力に対して結果が吊り合わないって説得したの」
「なるほど。いろいろと腑に落ちました。お母さんの男漁りも?」
「ええ。母親の愛人が入り浸る家には、近づかないでしょ」
実際には、愛人に見せかけた弟子のようなもの。肉体関係はなかったりするのだが、身近な人にはそう見えるように演技させていた。
「近づかなければアレに見つからない。アレは、一度興味を失えば記憶からも消えてしまうようですからね」
「便利な頭よね」
「でも、お母さんの愛人に口説かれるのは不愉快でした」
「それは悪かったと思うわ。急遽作った愛人だから、人選が追い付かなかったのよ。最近はマシだったでしょ?」
最初の弟子は勘違いしたガキだったから、縁にも迷惑をかけてしまった。
その失敗から、次の弟子は同性愛者の若手俳優にした。
「ええ、まあ。それに、兄さんの家に行く口実にはなりました」
「後付けだけど、それも私に都合が良かったのよね」
「兄さんの虫除けですね。二匹ほど除けられませんでしたけど」
「どちらもストーカーでしょう?」
雪白氷雨と小田原朝霧。
どちらも孫一の周辺捜査の過程で見つけたストーカーだ。特に前者はダメ。
雪白家のお嬢様とどこで接点があったのかわからないけど、あんなヤバい家と関わらないでほしい。
それより。
「問題なのは、虫除けのはずの縁が同類のストーカーになってたことよ」
ユリアーナさんも頷いて同意した。
「もっと妹らしく孫一に甘えればいいものを、どうして隠し撮りしてるのよ。貴女の部屋を調べて引いたわよ」
孫一の写真だらけなのは百歩譲って良しとしよう。
しかし、孫一の部屋から回収したと思われる髪の毛、パンツ。ゴミ箱から回収したのか爪、使用済みのティッシュ。
これらはダメでしょう?
義兄を慕う可愛い義妹、の範疇から大きく外れている。ストーカーとしてもだ。あれはサイコ感が強すぎる。
なので、失踪中に写真と動画以外全部処分しておいた。
「ああ、それでか。写真がいくつかなくなってたのは、お母さんが持っていったんですね?」
写真を勝手に貰ったことに少しムカついてるみたいね。部屋の物を処分しておいたことは、黙っておきましょう。
「ええ。高校に上がってから、急に写真の腕が上がりましたからね」
「クラスに写真部の女の子がいて、相談に乗ってもらったんです。あ、これ、こっちに来てからの兄さんです。アルバムにしておきました」
「あら、ありがとう」
早速、ストーカーコレクションを見る。
寝起きの孫一。
食事中の孫一。
子供と遊んでる孫一。
狐耳の少女の尻尾に顔を埋める孫一。
戦闘中の孫一。
ケンタウルスのお尻を鞭でシバく孫一。
会議中の孫一。
釣糸を垂らす孫一。
訓練でボコられる孫一。
エルフを縛って吊るす孫一。
ベッドでのま……待て。なんかおかしな写真が混ざってる。
最後のは……えぇ……この人数の相手をするの?
「それで? お義母様はどうしたいですか? マゴイチを愛しているのなら、こちらに残ることも可能ですよ」
え? 今、それどころじゃないんだけど。息子の性癖と性欲が異常なんだけど?
待ってね。考えが纏まらないの。てか、ユリアーナさんは、あの性癖と性欲を受け止めてるの?
「それは……魅力的な話だけど、やめておくわ」
「どうしてです? マゴイチを愛しているのでしょう?」
「ええ。愛してるわ」
何度でも即答できる。
でも、私がいない方がいいと思うの。
あと、息子のベッドでのアレコレが気になる。
「言い方は悪いですけど、お義母様がいてもいなくても、マゴイチは私たちが幸せにしますよ」
「ええ。そうでしょうね」
「それに、こちらだと、いろんなしがらみもなくなりますし」
女優観月ノゾミを演じ続ける必要もない。
「いいのよ。私にはこの生き方しかできない。だから、いいの」
孫一のために生きたくても、孫一のためにならない母親。それが私だ。
「私があちらに還ったら孫一に伝えてほしい。“貴方の幸せを願っています”と。あと、“愛しています”と」
この後、ユリアーナさんと孫一の恥ずかしい話で盛り上がった。
途中、どこかから呻き声が聞こえたのだけど、気のせいだったみたい。
「ねえ、お義母様。賭けをしない?」
そろそろ寝ようかと思った頃に、ユリアーナさんがイタズラ小僧みたいな顔で言った。
「孫一がお義母様に感謝の気持ちを伝えたなら、お義母様はこちらに残る」
それ、孫一にお礼を言うように言っておけば私が負けるんだろうけど……たぶん、ユリアーナさんはそんなことはしないわね。
「明日、二人で話せる時間を作るから」
「二人きりだと……なにを話せばいいか……」
「付き合いたてか?」
だって、母親らしいことをできてないのに、なにを話せばいいのよ。
「とにかく、二人で話すこと。あと、この賭けは私の勝ちだから、マネージャーさんにも話しておくこと」
えぇ……。負けが決まってるの?
あまりにも人の輪から外れる私を心配した両親が、なにを考えてか私を劇団に入れても状況は変わらなかった。
むしろ、自分の異質さを嫌という程見せつけられたわ。
わからないのだ。
台本を読んでも、その人物がどのような感情でその台詞を言っているのか、一々、演出家に聞かなければいけない。そして、聞く度に「そんなこともわからないのか?」と言われる。
わからないから、演出家の言う演技プランを忠実に演じていたら、いつの間にか天才子役なんて過大な評価を受けてしまった。
でもね、演技を通じて他人の感情を学べるのは有り難かったわ。
しかし、それも二十代後半まで。
その頃からは年相応の役も求められる。
そう。母親役が回ってきたの。
結局、私は二十年生きても両親の考えていることがわからないままだった。
だから、親の気持ちを知るために、鬱陶しく迫っていたアレと結婚した。
そうして産まれたのが孫一だ。
私の人生はその日、一転した。
一目見て確信した。私の人生はこの子を立派に育てるためにあった、と。
しかし、私には立派に育てる自信がない。当たり前だ。人の気持ちがわからないのだ。息子の気持ちだってわからないだろう。
出産後は酷い目に遭った。
マスコミが付き纏う。
アレの父親が勝手に名前を決めてしまう。
親になったら商品のイメージに合わないからとコマーシャルを降ろされる。
でも、孫一を抱いている時は穏やかな気持ちでいられた。
手探りながらも子育ては充実した時間だったわ。
しかし、それと同時に不安もある。むしろ、不安の方が強かった。
私はちゃんとできるのか。孫一に寄り添えるのか。この不安は拭えなかったの。
孫一の成長に連れ、一つどうでもいいことがわかった。
アレは整形手術を受けていたことが発覚した。
本人に聞いたわけではない。しかし、夜中に孫一を見ながら「どうして俺に似ちまうんだよ」と呟いていたから間違いないだろう。
ただ、私にとってはどうでもいいことでも、アレにとってはどうでもいいことではなかった。
アレが二人目の子供を望んだのは、次こそ私に似た子供が産まれると根拠もなく考えたからだろう。迷惑な話ね。
話し合った結果、養子を取ることに決まった。
私は二人目を産むことに否定的だった。というのも、アレの子供は孫一だけでいいと思っていたし、アレ以外の優秀な男の子供を産んで、孫一への愛情が薄くなってしまったら嫌だからだ。
もう一つ。やはり私では孫一に寄り添えないのではないか、という不安が常にあったので、義理の弟妹を側に置けば孫一の孤独を癒せると考えた。
だから、養子縁組を決めた。
縁を施設で初めて見た時の感想は、汚い格好をした空っぽの子供、だった。
縁の両親は、優秀すぎる彼女に劣等感を感じてしまって、彼女を虐待していたらしい。
試しに、スマホで大学入試の過去問を検索して彼女に見せたら、少し悩んでからお絵描き帳に難しい計算式を書いて正解して見せた。
確かに優秀だけれども、劣等感はなかったわね。
それに、この子の才能は、まだ開花していないように見えたし、なにより、見た目はちゃんとすれば可愛らしいので孫一に相応しく思えた。
それが、どうして、ああなったのかしら。
孫一に寄り添うように仕向けたはずが、なぜかストーカーになっていたの。
しかし、これはこれで虫除けにはなるだろうから、放置することにした。
孫一が中学に上がる少し前、アレが孫一を殺そうとしている所を目撃する。
人生で初めて“頭に血が上る”という感情を知ったわ。
アレは頭が悪いが殺人で自分の価値が下がるリスクは理解したので、説得に応じて包丁を置いてくれた。
孫一の側にアレを置くのは危険なので、この後すぐに孫一を一人暮らしさせることにする。
離れて暮らすのは寂しかったが、孫一を守るためなら我慢できた。我慢できてなかったのは縁だ。多めにあげていたお小遣いを孫一の監視のための機材に注ぎ込んで、毎月金欠になっていた。
イジメ自体は小学校からあったのだけど、孫一が高校に入学してからイジメが酷くなったように思う。
木下某という少年のせいだ。
事務所と繋がりがある暴力組織に彼の父親が勤める会社に圧力をかけてもらったのだが、これは逆効果だった。
よもや、家庭の不和によるストレスを孫一で発散するようになるとは思わなかったわ。
いや、他人の気持ちがわかる普通の親なら、こうなることが想像できたのかもしれない。やはり、私はあの子の親に相応しくないのだろうか。
孫一が高校二年生になった。
まさかの集団失踪事件。
失踪から一年が過ぎる頃、被害者の会の記者会見中に会場の床が光り出す。
周囲を囲む風変わりな格好をした人たちの中心に孫一を見つけた時、歓喜のあまり破顔してしまった。すぐに取り繕ったので、誰にも見られていないはず。いや、一人、孫一の隣の美少女には見られたかもしれない。私を見て微笑んでいた。
*
「もう、用はないわよね?」
私と話をしにきた孫一を冷たく突き放す。
「それは……」
孫一の悲しそうな顔に心が痛むが、これ以上話を続けるとボロが出そうだ。
出来るだけ冷たい表情を作ろう。
「孫の顔を見せた。聞きたいことを聞いた。終わりじゃないのかしら?」
アレと話している時の顔で問うと、孫一は俯いて答える。
「ええ。終わり、です」
それだけ言って孫一は退室した。
その背中を抱き締めたい。でも、それはできない。
明日には日本へ還る私にできること……。
伝言くらいかしらね。あの子が一番信頼していそうな人に一言「愛しています」と伝えてもらいたい。
*
日が沈み、美味しい夕飯を頂いた後、寝るには少し早い時間に部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」と声をかけると、音もなく扉が開いた。
そこには、常に孫一の隣に寄り添っていた美少女と、無表情な義娘が立っていた。
「こんばんは、お義母様」
流暢な日本語。
孫一の正妻と名乗っていたわね。この子が信頼できる子か見極めるいい機会だわ。
「こんばんは。ユリアーナさん、だったかしら? 日本語お上手ね」
私が座っているソファの対面に促すと、仮面を後頭部に張り付けたユリアーナさんと、鞄を持った縁が続いて入室し、ソファに腰を下ろす。
「それで? なんのご用かしら?」
「本音を聞きに来たの」
減点。お義母様と呼びながら気安すぎるわ。
「……そう。縁も?」
頷く縁に「そう」とだけ返す。
「お義母様。人と共感できないのは本当。でも、母親の感情がわからないのは嘘、ですね?」
表情筋を制御して無表情を粧う。
「なぜ、そう思ったのかしら?」
「神様だからです。あ、嘘、真面目に答えます」
そういう冗談を返してほしくないので、「出ていけ」とばかりに顎を扉へクイっとやると、神を自称する少女は私を拝みながら謝った。
「お義母様が召喚された時、マゴイチを見て、一瞬だけ嬉しそうにしていたのを見たんです」
「そう。見てたのね」
舌打ちしそうになる。
やっぱり、見られていたのか。
ユリアーナさんの隣に座る縁が、私を咎めるような視線を向けている。
「お母さんは、どうして兄さんに冷たいのですか?」
ここで言うべきか……ユリアーナさんはまだわからないけれど、縁には話しておくべきでしょうね。
「……あの子を、孫一を初めて抱いた時、私の世界は変わったわ。あの時、初めて私の中から沸き上がる感情があったの。でもね、同時に理解してしまった。私では、共感できない私では、孫一を幸せにできないのよ」
「マゴイチを愛しているんですね?」
「ええ」
その問いには即答できる。
「私を養子にしたのは、やはり……」
「ええ。孫一を幸せにするためよ」
孫一の隣に寄り添ってくれるように、能力はあるけど空っぽの女の子を選んだ。
「お母さんの目論見通り、私は兄さんを好きになった、と。なら、どうして独り暮らしをさせたんですか?」
「あの男が、眠っている孫一を殺そうとしたからよ」
ああ、思い出すとイライラする。
隣の部屋で愛人兼マネージャーの女の子と寝ているであろうアレを殴りたくなる。いや、魔法で眠っている今なら、殴ってもわからないのでは? というか、アレはいつまで寝ているんだろうか。
「だから、逃がしたんですか。そういえば、アレは兄さんの家を知りませんでしたね」
「ええ。嘘の場所を教えたら殺しに行こうとしたわ。だから、殺人は労力に対して結果が吊り合わないって説得したの」
「なるほど。いろいろと腑に落ちました。お母さんの男漁りも?」
「ええ。母親の愛人が入り浸る家には、近づかないでしょ」
実際には、愛人に見せかけた弟子のようなもの。肉体関係はなかったりするのだが、身近な人にはそう見えるように演技させていた。
「近づかなければアレに見つからない。アレは、一度興味を失えば記憶からも消えてしまうようですからね」
「便利な頭よね」
「でも、お母さんの愛人に口説かれるのは不愉快でした」
「それは悪かったと思うわ。急遽作った愛人だから、人選が追い付かなかったのよ。最近はマシだったでしょ?」
最初の弟子は勘違いしたガキだったから、縁にも迷惑をかけてしまった。
その失敗から、次の弟子は同性愛者の若手俳優にした。
「ええ、まあ。それに、兄さんの家に行く口実にはなりました」
「後付けだけど、それも私に都合が良かったのよね」
「兄さんの虫除けですね。二匹ほど除けられませんでしたけど」
「どちらもストーカーでしょう?」
雪白氷雨と小田原朝霧。
どちらも孫一の周辺捜査の過程で見つけたストーカーだ。特に前者はダメ。
雪白家のお嬢様とどこで接点があったのかわからないけど、あんなヤバい家と関わらないでほしい。
それより。
「問題なのは、虫除けのはずの縁が同類のストーカーになってたことよ」
ユリアーナさんも頷いて同意した。
「もっと妹らしく孫一に甘えればいいものを、どうして隠し撮りしてるのよ。貴女の部屋を調べて引いたわよ」
孫一の写真だらけなのは百歩譲って良しとしよう。
しかし、孫一の部屋から回収したと思われる髪の毛、パンツ。ゴミ箱から回収したのか爪、使用済みのティッシュ。
これらはダメでしょう?
義兄を慕う可愛い義妹、の範疇から大きく外れている。ストーカーとしてもだ。あれはサイコ感が強すぎる。
なので、失踪中に写真と動画以外全部処分しておいた。
「ああ、それでか。写真がいくつかなくなってたのは、お母さんが持っていったんですね?」
写真を勝手に貰ったことに少しムカついてるみたいね。部屋の物を処分しておいたことは、黙っておきましょう。
「ええ。高校に上がってから、急に写真の腕が上がりましたからね」
「クラスに写真部の女の子がいて、相談に乗ってもらったんです。あ、これ、こっちに来てからの兄さんです。アルバムにしておきました」
「あら、ありがとう」
早速、ストーカーコレクションを見る。
寝起きの孫一。
食事中の孫一。
子供と遊んでる孫一。
狐耳の少女の尻尾に顔を埋める孫一。
戦闘中の孫一。
ケンタウルスのお尻を鞭でシバく孫一。
会議中の孫一。
釣糸を垂らす孫一。
訓練でボコられる孫一。
エルフを縛って吊るす孫一。
ベッドでのま……待て。なんかおかしな写真が混ざってる。
最後のは……えぇ……この人数の相手をするの?
「それで? お義母様はどうしたいですか? マゴイチを愛しているのなら、こちらに残ることも可能ですよ」
え? 今、それどころじゃないんだけど。息子の性癖と性欲が異常なんだけど?
待ってね。考えが纏まらないの。てか、ユリアーナさんは、あの性癖と性欲を受け止めてるの?
「それは……魅力的な話だけど、やめておくわ」
「どうしてです? マゴイチを愛しているのでしょう?」
「ええ。愛してるわ」
何度でも即答できる。
でも、私がいない方がいいと思うの。
あと、息子のベッドでのアレコレが気になる。
「言い方は悪いですけど、お義母様がいてもいなくても、マゴイチは私たちが幸せにしますよ」
「ええ。そうでしょうね」
「それに、こちらだと、いろんなしがらみもなくなりますし」
女優観月ノゾミを演じ続ける必要もない。
「いいのよ。私にはこの生き方しかできない。だから、いいの」
孫一のために生きたくても、孫一のためにならない母親。それが私だ。
「私があちらに還ったら孫一に伝えてほしい。“貴方の幸せを願っています”と。あと、“愛しています”と」
この後、ユリアーナさんと孫一の恥ずかしい話で盛り上がった。
途中、どこかから呻き声が聞こえたのだけど、気のせいだったみたい。
「ねえ、お義母様。賭けをしない?」
そろそろ寝ようかと思った頃に、ユリアーナさんがイタズラ小僧みたいな顔で言った。
「孫一がお義母様に感謝の気持ちを伝えたなら、お義母様はこちらに残る」
それ、孫一にお礼を言うように言っておけば私が負けるんだろうけど……たぶん、ユリアーナさんはそんなことはしないわね。
「明日、二人で話せる時間を作るから」
「二人きりだと……なにを話せばいいか……」
「付き合いたてか?」
だって、母親らしいことをできてないのに、なにを話せばいいのよ。
「とにかく、二人で話すこと。あと、この賭けは私の勝ちだから、マネージャーさんにも話しておくこと」
えぇ……。負けが決まってるの?
応援ありがとうございます!
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