一人では戦えない勇者

高橋

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3章

17話 "ちゃんと"ってなんだろう?

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 すっかりお馴染みになった、足の指の湿った感触で微睡みから覚める。

 ベッドの上。
 視線を天井から足元へ向けると、メイドが二人、僕の足の指を丁寧に舐めていた。
 一人はマーヤ。
 これはもう、僕の中では異世界の朝の風物詩になっている。
 ただ、今日はもう一人いる。
 たまに、駄馬姉妹や緊縛エロフ母娘がマーヤと代わってることがあるけど、今日は違う。
 瞳子だ。
 マーヤの記憶が、こんな所でも悪影響を及ぼしている。

 僕の腕を枕にして両腕の血流を止めているイルムヒルデと鞘さんを起こす。
 手をグーパーして、指先の痺れが収まるまで待つ。

 足の指掃除が終わった二人が、僕に服を着せようとするのを止めて、出された服を自分で着る。
 ネクタイだけは、「妻の特権」と言って、毎日誰かがしてくれる。

 今日は瞳子の番。
 昨日の鞘さんと違って、一発で上手くいった。
 瞳子の淀みないネクタイ捌きを見て、鞘さんが「氷雨ちゃんで練習しよう」と呟いていたけど、知らないよ。嫉妬したストーカーの冷気で凍えても、僕は知らないよ。

 スーツを着たら、毎朝恒例のユリアーナによる朝稽古の時間だ。
 今日の獲物は斧。
 いつも通りボッコボコだ。
 そういえば、毎日獲物を変える理由を教えてもらった。
 使い方を知っておけば、その武器を使う敵と対峙した時に、攻撃方法を予測しやすくなるからだそうだ。ちゃんと考えてたんだね。
 でも、ボッコボコにする必要はないよね? 魔王戦に負けた腹いせだよね? いや、安定期までは魔王戦に参加しないって言ってたし、実際、参加してないから……なんでだ?

「参加できない腹いせよ」

 顔を赤くしながら言っても、夫をボコった後だと可愛く見えないよ。
 ボコられた後の素振りも終わって朝稽古終了。
 朝風呂で汗を流して朝食だ。

「昼前には終わらせて、ヴィンケルマンの村に向かいたいね」

 捕虜を説得したりするのは、移動しながらでもできる。むしろ、快適な馬車からうちの生活レベルの高さを知ってもらえれば、新団員獲得のための説得も捗ると思う。
 あ、人馬族の捕虜の移送はどうしよう。
 捕虜にして説得する予定の女戦士は二十人。
 人馬族の巨体を馬車に乗せるのは無理がある。
 かといって、自分の足で走らせるのは逃げられるリスクが……ないか。こっちは半分以上が神獣スレイプニルに騎乗してるんだから、逃げ切れるわけないな。

 無駄な心配を自己解決してしまった。

 食後のデザートを食べながら、無人機による偵察結果を聞く。
 どうやら、昨日の夕方に突然現れたこの砦に、どう対処するべきか両種族が話し合っているようだ。まあ、結論が出る前にこちらから動くんだけどね。



 そんなわけで、砦の前の平原に出る。
 全員ではない。
 僕とユリアーナと駄馬姉妹の四人だけ。見えてるのは。
 僕の後ろに、魔法で姿を消したマーヤがいるので、本当は五人だ。「護衛は不要」って言ったんだけどなぁ。
 まあ、僕らの正面に対陣しているヴィンケルマン士族、フーベルトゥス士族の混成軍からは、四人に見えているはずだ。

「旗は揚げないんだな」
「普通なら士族の旗を揚げるんだけど……どう考えても人数が多いヴィンケルマンの旗が多くなるから……どっちも揚がってないってことは、揉めたんでしょうね」

 揉めた結果、"両方揚げない"という答えを出したわけだ。
 けど、こっちは気にすることなく揚げる。

「団旗、帥旗」

 僕が跨がる松風の鞍の後ろから、二本の旗が飛び出し、風を受けてはためく。
 スレイプニルに跨がるユリアーナと、自分の馬体に鞍を着けたツェツィ、エッテの後ろからも団旗と部隊旗が飛び出す。続けてユリアーナの跨がる鞍から指揮官旗も出る。
 んー。一人から三本出すと、邪魔だなぁ。しかも、もう一本出るし。
 ま、この三人ならなんとかするでしょ。

「三人とも、準備はいい?」

 僕の質問にユリアーナは首肯で返し、駄馬姉妹は元気良く「はい!」と答える。

「ん。戦旗を揚げろ!」

 僕らの後ろに龍が描かれた紫の旗が揚がる。
 遅れて、僕らの戦意に気づいた混成軍からどよめきが聞こえる。
 どうも、数で押し包めば勝手に降伏すると思ったのか、だらけていた所に交戦の意思を示されたから混乱しているようだ。

 ユリアーナたちがゆっくり進む。
 混成軍の一部が混乱から立ち直り、剣を抜いて鼓舞しているように見える。
 その中の一人に、ロホス・ヴィンケルマンを見つける。

 これは嫉妬だ。幼い頃からユリアーナと同じ時間を過ごした男への醜い嫉妬だ。嫉妬していることに、ユリアーナも気づいていると思う。言ってこないけど。
 嫉妬であいつに殺意を向けるなら、ヴィンケルマンの男全てに殺意を向けるのが筋なんだろう。けど、僕はそこまで嫉妬深くない。いや、充分か? まあ、どちらでもいい。
 なにが言いたいかと言うと、ロホス・ヴィンケルマンの姿を見つけたら、なぜか僕はポケットから『偽ドラ』を出していた。
 そして今、まさにスコープ越しに嫉妬の対象を見ている。

 撃っちゃう?
 たぶん、ユリアーナは、自分の手であの男を殺して、過去と決別したいんだろうな。それを横取りするのはなぁ。夫として、一人の男として、どうなの?
 それでも、撃っちゃう?
 ……うん。撃っちゃおう。嫉妬とかどうでもいいや。
 ユリアーナの記憶にある、あいつのねちっこい視線がムカつくから、撃っちゃおう。ユリアーナの記憶に引っ張られてるだけだが、もういいや。撃っちゃえ。
 けど、その前に。

「ユリアーナ。ごめんね」

 正妻様に謝ってから引き金を引く。



 ザビーネをゆっくり歩かせる。
 風上から、聞いたことのある声がいくつか聞こえる。
 どうやら、混乱から立ち直りつつあるようね。
 自分の実力がどの程度かわからないから、万全な状態のヴィンケルマン戦士団と戦ってみたくてしばらく待っていたけど、そろそろいいだろう。
 そう思ってザビーネの脇腹を強めに蹴ろうとした時、後ろからそれが聞こえた。

「ユリアーナ。ごめんね」

 同時にプラーナが膨れ上がるのを感じ、マゴイチがなにをしようとしているのかを察する。

「ザビーネ!」

 ザビーネの脇腹を思いっきり蹴って、スレイプニルのトップスピードで平原を駆け抜ける。
 一拍遅れて、駄馬姉妹もフーベルトゥス戦士団へと走るのを気配で感じる。

 間に合うか?
 後ろからプラーナの弾丸が迫るのを感じる。
 たぶん、ギリギリ間に合わない。
 股の下のザビーネに強めの〈威圧〉を叩き込むと、スレイプニルの限界を越えて加速した。
 やればできるのなら最初からやれ。

 ロホスの前で急ブレーキをかけながら、彼に向かう魔力弾の弾道を逸らすため結界で弾く。
 まともに受けたら結界を貫通するので、弾に対して斜めに展開する。
 それでも、展開した二十枚の結界の内、十七枚が砕かれてしまった。
 けど、なんとか弾丸は逸らせた。威力有りすぎでしょ。

「おお! ユリアーナ、戻ってきてくれたん……へ?」

 うるさい声は、展開した『エクゼノフ』の魔力銃剣を心臓に突き刺して黙らせた。
 夫の嫉妬は嬉しいけど、私の獲物を横取りするのいただけないわ。これは今晩お仕置きしないと……いや、返り討ちに合うから……よし。私の代わりに、ロジーネ姉さんにお仕置きしてもらおう。



 スレイプニルの足って、あんなに速かったっけ?
 ザビーネが急加速してロホスの前に割り込み、ユリアーナが斜めに展開した積層結界で魔力弾を弾いた。危ないことするなぁ。
 ……危なかったのか? 普通なら妻を傷つけてしまったかもしれない状況だけど、相手は普通じゃない妻のユリアーナだ。

 あ、ザビーネの向こうでロホスの気配が消えた。
 あぁ、殺しちゃったかぁ。
 んー……まあ、いいか。
 僕のは、ユリアーナの記憶を見て、ユリアーナの不快感に共感したからこその殺意だ。だから、殺るんなら本人であるユリアーナが優先されるべきだ。

 しっかし、ユリアーナの記憶でさえこの有り様か。マーヤの記憶を見てしまった瞳子がああなってしまったのは、しょうがないのかもしれない。
 いや、その後の対処をした僕にも問題があったのはわかってるよ。責任を放棄する気はないし、責任取って幸せにするつもりだ。けどさぁ? 原因がデカすぎたんじゃね?
 割合で言ったら、マーヤの記憶が九割だと思う。

「マーヤの記憶は、もう、誰にも見せちゃダメだよ」

 後ろにいるであろうマーヤに言うと、「はい」という返事は斜め前から返った。〈気配察知〉が仕事しない。

 ボンヤリ見てる間に戦闘が終わりそうだ。
 『エクゼノフ』の使い勝手に問題はないようで、遠くの敵は射撃で、近くの敵は銃剣で敵兵を減らしていく。時々前に出てくる女性には、〈威圧〉を叩き込んでいるのか触れることなく倒れている。

「んー。ユリアーナより、駄馬姉妹の方が『エクゼノフ』を使いこなしてる?」

 フーベルトゥス士族の方が少ないのもあるし、二人がかりなのもあるだろうけど、駄馬姉妹の周りに立ってる者はなく、村に報告させるための逃亡兵を二人で見送っている。

「てか、フーベルトゥスの男は、容赦なく殺されたな」

 逃げた三人以外の男は、死んでるように見える。
 これ、戦闘時間より、捕虜を拘束する方が時間がかかるんじゃないか?

「マーヤ。狼面から何人か出して、拘束するのを手伝うように伝えて」

 気絶して倒れてる人馬族を拘束するのは、大変だろうな。人族と同じで、意識がないと重たい。ただでさえ重い人馬族がさらに重くなる。

「あ、『ハム糸』使っちゃダメだからね」

 これから傭兵団に入ってもらうよう説得するのに、亀甲縛りにしちゃったら、説得は確実に失敗する。……いや、案外、駄馬姉妹や緊縛エロフの同類がいるかも?

 あ、やだ。想像したらきつい。
 鞍を着けたプライドのない人馬族の部隊を率いる僕を想像してしまった。
 うん。想像が現実になったら、僕は『他力本願』を解散させるね。

「振りじゃないからね」

 釘を刺しておこう。最近は糠に刺すことが多いけど、刺さずに後悔するより、刺してガッカリする方がいい。まだマシだ。

 狼面を被った狼人族が僕を追い越し、気絶して倒れてる人たちを拘束していく。
 ユリアーナの方も、最後の一人の心臓に刺さった銃剣を抜いて、逃亡兵の背中を見送っている。
 あれ? 心臓付近に刺したのに、なんで血が噴き出さないの?
 傷口を焼いたの? けど、表面を焼いた程度では、まだ止まってない血流に負けて噴き出すと思うんだけど……凍らせた?

「刺しながら〈流体魔法〉で血流を止めただけですよ」

 僕の思考を正確に読んでくれるマーヤが、質問する前に答えてくれた。
 簡単そうに答えたけど、そもそも〈流体魔法〉ってなに? 液体とか気体に干渉する魔法? へぇ、〈水魔法〉とか〈風魔法〉とは別なんだ。
 マーヤが送ってくれた、縁が書いたらしい魔法の論文が仮面に流れるけど、半分も理解できない。

「あ、終わったみた……い?」

 睡眠導入剤になりつつある論文ファイルを閉じて、ユリアーナに視線を向けると、拘束されたヴィンケルマンの女戦士を連れてこちらに向かってきていた。

「あー、『ハム糸』使っちゃったかぁ」

 ん? 違うな。縄から魔力を感じない。普通の縄で亀甲縛りをしたのか。
 確かに、「『ハム糸』を使うな」と言ったけど、「亀甲縛りにするな」とは言っていない。
 だからって、亀甲縛りにする必要は?

 亀甲縛りの捕虜を引き連れて、ユリアーナが僕の前に戻る。

「貴様が大将か!」
「大将のくせに前に出ない臆病者め!」

 馬上のユリアーナにどういうことか目線で説明を求めると、捕虜の女性たちが騒ぎ始めた。
 あまり騒がないでほしいな。うちの狂信者が「殺りますか?」みたいな雰囲気を出してる。

「殺りますか?」

 いや、仮面を外して振り向き様に聞かれた。

「殺りませ」
「人族の男なんて、そんなもんでしょ」
「男の趣味悪すぎ」
「妖眼なんて飼ってる奴には碌なのがいない」

 僕の悪口は気にならないけど、マーヤの悪口は許さない。

 ヴィンケルマンの捕虜全員にパスを繋いで、ちょっと強めの性感強化を叩き込む。全力の五割くらい。
 駄馬姉妹ですら七割までしか経験していないのに、初見の相手に五割を使ったら、絶叫だ。絶叫に絶叫が重なり不協和音になる。耳が痛い。物理的に。

 その絶叫もすぐに収まり、一人、また一人と倒れていく。

「マゴイチ。どういうこと?」

 僕が聞きたかったことを、ユリアーナに聞かれた。

「マーヤの悪口は許さない」

 胸を張って答えると、呆れられた。

「緊縛エロフの同類になったら、どうするの? 下着の代わりに縄化粧させるの? "お父さん"って呼ばせたいの?」

 なんか僕が責められてるけど、そもそも、ユリアーナが捕虜を亀甲縛りにしなければ良かったのでは?

 それと、イヴェットも自分の中で父親とのことに整理がついたのか、最近は僕のことを時々だけど、ちゃんと"御主人様"って呼ぶよ。……あれ? "ちゃんと"ってなんだっけ? "御主人様"呼びは"ちゃんと"なのか? ……考えるのやめよう。

 ともかく、僕にはもう三十一歳の娘はいない。たまにいるけど。それももうしばらくの話だと思う。もう少ししたら、父親代わりもちゃんと卒業だ。……緊縛趣味は治らないけど。
 ほんと、"ちゃんと"ってなんだろう?

「大丈夫。この後、身の程を教えるんじゃなく、言葉で説得すれば問題ない」

 身の程を教えた結果、緊縛エロフが爆誕してしまったんだ。同じミスはしないよ。
 僕はちゃんと学習できる子なんだから。
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