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1章
36話 残念な妹にもトラウマがある
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目が覚めたらマーヤの膝枕で寝ていた。
「おはようございます。御主人様」
目が合っちゃったから、狸寝入りもできない。笑顔のマーヤに見下ろされながら頭を撫でられるのは、心地いいけどテレる。
しょうがない。起きるか。けど、心地いいなぁ。癒されるなぁ。……もう少し、このままでいよう。
「ああ、おはよう。どれくらい寝てた?」
昼過ぎから寝てたはず。
「もうじき夕飯です」
結構寝たな。
「パスの感覚からして、ユリアーナだけ戻ってないのか。ん? 縁もいない?」
「ええ。ユリアーナさんは、御主人様がお休みになってすぐに下の階層へ出かけました」
ユリアーナの性格なら無理はしないだろうけど……あの子、時々ポンコツになるから、ちょっと心配。
「ユカリ様は、例の農場魔道具の実験です」
実験できるレベルまで形になってるのか。
「暴走した時のために、上の階層の広い部屋で実験するそうです」
暴走する危険がある魔道具なの?
「あ、ユリアーナがこの階層に戻ったな。ん? 走ってる? 速いな」
〈気配察知〉の範囲内に、ユリアーナが入る。
「……なあ、マーヤ? ユリアーナと一緒にいるこの気配は……なに?」
ただならぬ気配だ。どこかこう……そう、松風の気配に似てるんだ。え? また神獣?
「あ、松風の気配もない。誰か乗ってったの?」
言ったものの、松風は、僕以外を背中に乗せようとしないので、"連れて行った"の方が正確だろう。
「ユカリ様が連れて行きましたよ。"人体実験は怖いから、モルモットになってもらう"と」
神獣をモルモットにするなよ。
「てか、松風は大人しく付いてったの?」
「ええ。ユカリ様が、"兄さんのためになるから付いて来て"と言ったら、大人しく」
健気! うちの愛麒麟が健気です。縁は戻ったら説教な。
縁はまだ動いてないっぽいけど、ユリアーナは、階層主がいた部屋の扉の向こうを真っ直ぐこちらに向かって走ってる。あ、扉が開いた。
「正妻様を出迎えようか」
起き上がり、ゆっくり立ち上がり、伸びをする。
ちょっと寝過ぎたかな?
結界の端まで行こうと思ったら、ユリアーナの方が早く、僕は体を向けるだけしかできなかった。
てか、ユリアーナの姿を見て固まった。
ユリアーナは、スレイプニルに乗っていた。長い銀髪を靡かせ、槍を肩に担いで片手で手綱を引く姿は、神々しさを感じる。そして、白いスレイプニルの足許には、大きな白い狼が二頭、従者のように控えている。
「オーディンになりたいの?」
思わず聞いてしまった。
「【戦乙女】よ。ジジィじゃあないわ」
けど、スレイプニルと槍と二頭の狼って、オーディン感が凄いよ。
「スレイプニルは、私の足にしようと思ってね」
君、麒麟になった松風と、並んで走ってたよね。
「この狼は、マゴイチの護衛に。飼い犬的な?」
鑑定した結果、フェンリルではない。ではないけど、種族が『狼神の眷属』となってる。うん。神獣だね。
「狼人族が大昔に信仰してた神様は、人の前に白い狼の姿で現れるって聞いたけど、違ったのね」
これは、神様そのものではないって考えればいいのか? わからん。わからんけど……いや、考えるのはよそう。
手前にいた狼の白い毛を撫でる。フワッフワだ。尻尾を振ってるから大丈夫そうだ。
首に抱きつく。モッフモフだ。
「……」
「……」
「……」
「なんだろう。夫の浮気現場を目撃した気分?」
お前が連れて来たんだよ。てか、ハーレムを勧めてんのも正妻様だろ?
「撫で方が、私を撫でる時より優しい気がする」
手招きして、狼越しにユリアーナを抱き寄せる。いつも以上に優しく撫でたら、機嫌を直してくれた。チョロい。
「で? この子たちの名前は?」
目を細めてアレな顔になってるユリアーナに聞く。
「ふぇ? ……ああ、マゴイチに任せるわ」
赤い首輪と青い首輪を受け取る。おい、マーヤ。首輪を見て期待するな。お前のじゃないよ。
「んー。もう、さ、オーディン感が拭えないから、フレキとゲリしか思い付かないよ」
今モフッてる方に、赤い首輪を着ける。
「君はフレキな」
残る一頭を呼び寄せ青い首輪を着ける。
「で、君がゲリな」
「ん。契約もマゴイチに移したから。……この子たちはメスなんだけどね」
あれ? オーディンの代わりに食事するフレキとゲリって、兄弟だったような……まあ、いいか。
「ついでに、スレイプニルにも名前付けたげて」
フレキとゲリの頭を撫でていたら、二頭の間に頭を捩じ込みながらユリアーナが言う。撫でろって意味?
んー。スレイプニルの名前か……縮めたらスル? 短いな。一文字足して……。
「スルメ!」
「自分で考えるわ。あと、子供が生まれても、名前は私が考えるから」
御影さんにも言われたけど、そんなに酷いかなぁ?
「んー、うん。あなたの名前はザビーネよ」
「なにか由来が?」
頭を撫でない僕に苛立ったのか、ユリアーナが僕の背中に腕を回し、僕の顎に耳を擦り付ける。こそばゆい。
「私をボコった連中のリーダー格。ザビーネ・ヴィンケルマンから」
うわー。こき使う気だ。
「走れなくなったら、馬刺しな」
ザビーネがビクッてなった。
「食べないであげて」
ほら、僕の後ろに隠れちゃったよ。デカいから、顔しか隠れてないけど。
「じゃあ、意味もなく鞭でシバく」
「意味があっても、神獣をシバいちゃダメだよ」
舌打ちしないで。女の子の舌打ちって、怖いんだよ。
「じゃあ、本人をシバくのは?」
「本人って、ザビーネ・ヴィンケルマン?」
「そう。シバいちゃ、ダメ?」
上目使いで可愛く言っても、内容の物騒さは消せないよ。
「彼女のお陰でユリアーナに出会えたとも言えるから……死なない程度で」
「ん。九割九分九厘殺しで」
エグい瀕死。
「せめて六割殺しで」
「九割九分」
「値引きじゃないんだから」
値引きでも、九割九分はエグいよ。
*
御影さんが夕食に呼びに来たから、ザビーネイジメは終わった。よかったね。もう大丈夫だよ。だからね、スーツの背中をハムハムしないでね。
「馬があると、確かに便利ね」
御影さんも、スレイプニルが欲しいそうだ。
まあ、暫く足止めだから、ユリアーナと一緒に愛馬を捕まえてくればいい。
ユリアーナは地下二十五階まで行ったそうだけど、単独でも戦闘に問題はないそうだ。戦闘に向かない性格の御影さんでも、逃げ続ければ大丈夫だろう。
「ん。縁も戻ったか……松風の気配がない」
「まさか、あの子、馬刺しに?」
後ろでザビーネがビクッてなった。
「あいつに限って、それはないと思うんだけど」
僕が本気で嫌がることはしないはず。……たぶん。ストーカーの心理はよくわからないからな。
拠点を照らす〈光魔法〉の範囲外から、一気に近づく。待て。どうやって結界をすり抜けた。
「驚きました。結界をあんな方法ですり抜けるなんて。さすが御主人様の妹様です」
だから、どうやってすり抜けたの? あれ? 御影さんも感心してる。わかってないの、僕だけ?
「ただいま帰りました。実験は成功ですよ」
「お帰り。松風は?」
僕の問いに、「ふふーん」と平坦な胸を張り、収納空間からど◯でもドアみたいな黒い扉を出す。
「これこそ、『試製異空間製造魔道具』です」
なんか、おかしなテンションになってるな。実験の成功でハイになってる?
「うん。それで、松風は?」
「この中です」
縁が扉を開く。
扉の向こうは、グニャっと歪んだ黒い空間があるだけ。そこからニュルっと松風が首を出し、キョロキョロする。僕の姿を確認すると、飛び出して駆け寄り、僕に額の一本角を擦り付ける。痛い。結構痛い。擦り付ける度にジリジリ押されるので、両足で踏ん張りながら松風を撫でる。
そのまま、松風が落ち着くのを待ってから、縁に問いかける。
「で? 縁は松風になにをしたの?」
「……尊い犠牲になってもらった?」
なぜ聞く。
ほら、松風が僕の後ろに隠れちゃったじゃん。まあ、ザビーネと同じで顔しか隠れてないんだけどね。あと、角が腰にグリグリ当たってる。
「生き物を入れる実験なら、その辺の魔物でいいだろ?」
なぜ松風にした。
「空気とか地面とか用意する時間がなくて、普通の魔物だと、なにもない空間では生きられないんですよ」
だろうね。
その点、麒麟なら、〈結界魔法〉を使えるから、空気を閉じ込めて生き存えるし、〈飛翔〉スキルがあるから地面がなくても平気。
「いや、平気なら、こんなに怯えてないよね?」
「技術の進歩に犠牲は付き物です」
反省してないな。
「……実験が成功したんなら、人間がその中に入っても大丈夫なんだよな?」
「うん? まあ、人体実験はしてないですけど、〈結界魔法〉さえ使えれば、命に問題はないですよ」
「そうか。それなら、縁で人体実験するのは問題なさそうだな」
「……え? いやぁ、まだ人で試すのは、ねぇ? 万が一ってありますよね?」
「大丈夫。俺は縁が作った物を信じてるから、可愛い妹に万が一はないって思ってるよ」
「か、可愛いかぁ。可愛い妹を信じてくれてるのかぁ」
「おう。信じてるぞ。可愛い妹だからな。可愛くて最愛の妹だから、人体実験、やってくれるよな?」
「はい!」
即答しやがった。妹の将来が心配です。
なんか妹が、「最愛って言われた。うへへぇ」って気持ち悪い笑い方をしている。
縁が開きっぱなしの扉を潜り、パタンと扉を閉める。
「「「あっ」」」
同時に声を挙げたのは、僕とユリアーナとマーヤ。パスが切れたらどうなるかを知っている三人だ。
そう。扉を閉めた途端、縁とのパスが切れた。
僕が動くより早いと思い、二人に頼もうとして横を見ると、マーヤはパスを切られた時のことを思い出したのか、真っ青な顔をして硬直していた。その隣のユリアーナも顔色が悪いけど、マーヤよりはましだ。
「ユリアーナ!」
ユリアーナは、僕の声にビクンとしたが、すぐに自分がすべきことを理解して扉に駆ける。
ユリアーナが扉を開ける。縁の姿は見えない。闇雲にでもパスを伸ばすべきか逡巡してる間にユリアーナが扉を潜り、縁の首根っこを掴んで引き摺り出す。
パスが切れて、唐突な孤独感を叩き込まれた縁は、丸まって泣きじゃくっていた。
急ぎパスを繋ぐと、縁の砲弾みたいなタックルで抱きつかれ、そのまま仰向けに倒れる。というか、吹っ飛ばされて後ろにいた松風を巻き込み倒れた。今日の松風はついてないな。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
壊れたように繰り返す縁を抱き締め、頭をソッと撫でる。しばらくサラサラの黒髪を梳くように撫でていると、次第に落ち着きを取り戻す。
「縁。もう大丈夫だよ」
「うん。ごめんなさい」
まだダメっぽい。
「俺の方こそごめんね」
マーヤも心配でそちらを横目で見ると、御影さんが抱き締めていた。
「松風も巻き込んでごめんね」
片手を縁から離して、僕の枕になっている松風の首を撫でる。
「……私ね。施設に引き取られるまで、虐待されてたの。"躾だ"って言われて、真っ暗な倉庫に押し込められたり、押し入れに閉じ込められたり」
初めて聞く妹の過去に、なにも言えなくなる。
「……それでね、今でも狭くて暗い場所がダメなの」
なにも言えない分、強く抱き締める。
それにしても、迂闊だったなぁ。松風のことで、「ちょっとお仕置きしてやろう」くらいの感覚だったのに、こんなことになるなんて予想できなかったけど、未完成の魔道具は、もっと慎重に扱うべきだった。
「兄さんが、そこまで気にする必要はないわよ。パスが切れるとどうなるかはマーヤ姉さんから聞いてたけど、まさか、あれで切れるなんて、誰にも予想できませんよ」
少し調子を取り戻した縁が、僕の胸でクスクス笑う。
「こうして、兄さんに包まれるご褒美にありつけましたし、私のトラウマも悪いことばかりじゃありません。いい機会ですし、ちゃんと、自分の過去と向き合うべきですよね」
妹はトラウマと向き合うつもりか。
……僕は……僕は、初恋の彼女に会ったら、向き合えるのだろうか。一緒に召喚されてたから、向き合う機会はあるかもしれない。けど、機会はあっても向き合えるかどうかは……うん。この課題は、未来の僕に丸投げしよう。
「縁は強いな」
「そんなこと。それに、この強さは、兄さんがくれたんですよ。兄さんを見続けて、兄さんの力になりたくて、兄さんに恋をして、兄さんのために努力したんです」
うん。ちょっと怖い。
「兄さんの〈支援魔法〉で、兄さんを守れる強さを手に入れたんです。私はまだまだこれからですよ」
「そか。縁は強くて可愛いな。けど」
けどなー。本当に残念だ。
「けどな、縁。どんないい話も、兄の股間をまさぐりながらだと、台無しだよ、愚妹」
ユリアーナが首根っこ掴んで引っぺがしてくれた。
「おはようございます。御主人様」
目が合っちゃったから、狸寝入りもできない。笑顔のマーヤに見下ろされながら頭を撫でられるのは、心地いいけどテレる。
しょうがない。起きるか。けど、心地いいなぁ。癒されるなぁ。……もう少し、このままでいよう。
「ああ、おはよう。どれくらい寝てた?」
昼過ぎから寝てたはず。
「もうじき夕飯です」
結構寝たな。
「パスの感覚からして、ユリアーナだけ戻ってないのか。ん? 縁もいない?」
「ええ。ユリアーナさんは、御主人様がお休みになってすぐに下の階層へ出かけました」
ユリアーナの性格なら無理はしないだろうけど……あの子、時々ポンコツになるから、ちょっと心配。
「ユカリ様は、例の農場魔道具の実験です」
実験できるレベルまで形になってるのか。
「暴走した時のために、上の階層の広い部屋で実験するそうです」
暴走する危険がある魔道具なの?
「あ、ユリアーナがこの階層に戻ったな。ん? 走ってる? 速いな」
〈気配察知〉の範囲内に、ユリアーナが入る。
「……なあ、マーヤ? ユリアーナと一緒にいるこの気配は……なに?」
ただならぬ気配だ。どこかこう……そう、松風の気配に似てるんだ。え? また神獣?
「あ、松風の気配もない。誰か乗ってったの?」
言ったものの、松風は、僕以外を背中に乗せようとしないので、"連れて行った"の方が正確だろう。
「ユカリ様が連れて行きましたよ。"人体実験は怖いから、モルモットになってもらう"と」
神獣をモルモットにするなよ。
「てか、松風は大人しく付いてったの?」
「ええ。ユカリ様が、"兄さんのためになるから付いて来て"と言ったら、大人しく」
健気! うちの愛麒麟が健気です。縁は戻ったら説教な。
縁はまだ動いてないっぽいけど、ユリアーナは、階層主がいた部屋の扉の向こうを真っ直ぐこちらに向かって走ってる。あ、扉が開いた。
「正妻様を出迎えようか」
起き上がり、ゆっくり立ち上がり、伸びをする。
ちょっと寝過ぎたかな?
結界の端まで行こうと思ったら、ユリアーナの方が早く、僕は体を向けるだけしかできなかった。
てか、ユリアーナの姿を見て固まった。
ユリアーナは、スレイプニルに乗っていた。長い銀髪を靡かせ、槍を肩に担いで片手で手綱を引く姿は、神々しさを感じる。そして、白いスレイプニルの足許には、大きな白い狼が二頭、従者のように控えている。
「オーディンになりたいの?」
思わず聞いてしまった。
「【戦乙女】よ。ジジィじゃあないわ」
けど、スレイプニルと槍と二頭の狼って、オーディン感が凄いよ。
「スレイプニルは、私の足にしようと思ってね」
君、麒麟になった松風と、並んで走ってたよね。
「この狼は、マゴイチの護衛に。飼い犬的な?」
鑑定した結果、フェンリルではない。ではないけど、種族が『狼神の眷属』となってる。うん。神獣だね。
「狼人族が大昔に信仰してた神様は、人の前に白い狼の姿で現れるって聞いたけど、違ったのね」
これは、神様そのものではないって考えればいいのか? わからん。わからんけど……いや、考えるのはよそう。
手前にいた狼の白い毛を撫でる。フワッフワだ。尻尾を振ってるから大丈夫そうだ。
首に抱きつく。モッフモフだ。
「……」
「……」
「……」
「なんだろう。夫の浮気現場を目撃した気分?」
お前が連れて来たんだよ。てか、ハーレムを勧めてんのも正妻様だろ?
「撫で方が、私を撫でる時より優しい気がする」
手招きして、狼越しにユリアーナを抱き寄せる。いつも以上に優しく撫でたら、機嫌を直してくれた。チョロい。
「で? この子たちの名前は?」
目を細めてアレな顔になってるユリアーナに聞く。
「ふぇ? ……ああ、マゴイチに任せるわ」
赤い首輪と青い首輪を受け取る。おい、マーヤ。首輪を見て期待するな。お前のじゃないよ。
「んー。もう、さ、オーディン感が拭えないから、フレキとゲリしか思い付かないよ」
今モフッてる方に、赤い首輪を着ける。
「君はフレキな」
残る一頭を呼び寄せ青い首輪を着ける。
「で、君がゲリな」
「ん。契約もマゴイチに移したから。……この子たちはメスなんだけどね」
あれ? オーディンの代わりに食事するフレキとゲリって、兄弟だったような……まあ、いいか。
「ついでに、スレイプニルにも名前付けたげて」
フレキとゲリの頭を撫でていたら、二頭の間に頭を捩じ込みながらユリアーナが言う。撫でろって意味?
んー。スレイプニルの名前か……縮めたらスル? 短いな。一文字足して……。
「スルメ!」
「自分で考えるわ。あと、子供が生まれても、名前は私が考えるから」
御影さんにも言われたけど、そんなに酷いかなぁ?
「んー、うん。あなたの名前はザビーネよ」
「なにか由来が?」
頭を撫でない僕に苛立ったのか、ユリアーナが僕の背中に腕を回し、僕の顎に耳を擦り付ける。こそばゆい。
「私をボコった連中のリーダー格。ザビーネ・ヴィンケルマンから」
うわー。こき使う気だ。
「走れなくなったら、馬刺しな」
ザビーネがビクッてなった。
「食べないであげて」
ほら、僕の後ろに隠れちゃったよ。デカいから、顔しか隠れてないけど。
「じゃあ、意味もなく鞭でシバく」
「意味があっても、神獣をシバいちゃダメだよ」
舌打ちしないで。女の子の舌打ちって、怖いんだよ。
「じゃあ、本人をシバくのは?」
「本人って、ザビーネ・ヴィンケルマン?」
「そう。シバいちゃ、ダメ?」
上目使いで可愛く言っても、内容の物騒さは消せないよ。
「彼女のお陰でユリアーナに出会えたとも言えるから……死なない程度で」
「ん。九割九分九厘殺しで」
エグい瀕死。
「せめて六割殺しで」
「九割九分」
「値引きじゃないんだから」
値引きでも、九割九分はエグいよ。
*
御影さんが夕食に呼びに来たから、ザビーネイジメは終わった。よかったね。もう大丈夫だよ。だからね、スーツの背中をハムハムしないでね。
「馬があると、確かに便利ね」
御影さんも、スレイプニルが欲しいそうだ。
まあ、暫く足止めだから、ユリアーナと一緒に愛馬を捕まえてくればいい。
ユリアーナは地下二十五階まで行ったそうだけど、単独でも戦闘に問題はないそうだ。戦闘に向かない性格の御影さんでも、逃げ続ければ大丈夫だろう。
「ん。縁も戻ったか……松風の気配がない」
「まさか、あの子、馬刺しに?」
後ろでザビーネがビクッてなった。
「あいつに限って、それはないと思うんだけど」
僕が本気で嫌がることはしないはず。……たぶん。ストーカーの心理はよくわからないからな。
拠点を照らす〈光魔法〉の範囲外から、一気に近づく。待て。どうやって結界をすり抜けた。
「驚きました。結界をあんな方法ですり抜けるなんて。さすが御主人様の妹様です」
だから、どうやってすり抜けたの? あれ? 御影さんも感心してる。わかってないの、僕だけ?
「ただいま帰りました。実験は成功ですよ」
「お帰り。松風は?」
僕の問いに、「ふふーん」と平坦な胸を張り、収納空間からど◯でもドアみたいな黒い扉を出す。
「これこそ、『試製異空間製造魔道具』です」
なんか、おかしなテンションになってるな。実験の成功でハイになってる?
「うん。それで、松風は?」
「この中です」
縁が扉を開く。
扉の向こうは、グニャっと歪んだ黒い空間があるだけ。そこからニュルっと松風が首を出し、キョロキョロする。僕の姿を確認すると、飛び出して駆け寄り、僕に額の一本角を擦り付ける。痛い。結構痛い。擦り付ける度にジリジリ押されるので、両足で踏ん張りながら松風を撫でる。
そのまま、松風が落ち着くのを待ってから、縁に問いかける。
「で? 縁は松風になにをしたの?」
「……尊い犠牲になってもらった?」
なぜ聞く。
ほら、松風が僕の後ろに隠れちゃったじゃん。まあ、ザビーネと同じで顔しか隠れてないんだけどね。あと、角が腰にグリグリ当たってる。
「生き物を入れる実験なら、その辺の魔物でいいだろ?」
なぜ松風にした。
「空気とか地面とか用意する時間がなくて、普通の魔物だと、なにもない空間では生きられないんですよ」
だろうね。
その点、麒麟なら、〈結界魔法〉を使えるから、空気を閉じ込めて生き存えるし、〈飛翔〉スキルがあるから地面がなくても平気。
「いや、平気なら、こんなに怯えてないよね?」
「技術の進歩に犠牲は付き物です」
反省してないな。
「……実験が成功したんなら、人間がその中に入っても大丈夫なんだよな?」
「うん? まあ、人体実験はしてないですけど、〈結界魔法〉さえ使えれば、命に問題はないですよ」
「そうか。それなら、縁で人体実験するのは問題なさそうだな」
「……え? いやぁ、まだ人で試すのは、ねぇ? 万が一ってありますよね?」
「大丈夫。俺は縁が作った物を信じてるから、可愛い妹に万が一はないって思ってるよ」
「か、可愛いかぁ。可愛い妹を信じてくれてるのかぁ」
「おう。信じてるぞ。可愛い妹だからな。可愛くて最愛の妹だから、人体実験、やってくれるよな?」
「はい!」
即答しやがった。妹の将来が心配です。
なんか妹が、「最愛って言われた。うへへぇ」って気持ち悪い笑い方をしている。
縁が開きっぱなしの扉を潜り、パタンと扉を閉める。
「「「あっ」」」
同時に声を挙げたのは、僕とユリアーナとマーヤ。パスが切れたらどうなるかを知っている三人だ。
そう。扉を閉めた途端、縁とのパスが切れた。
僕が動くより早いと思い、二人に頼もうとして横を見ると、マーヤはパスを切られた時のことを思い出したのか、真っ青な顔をして硬直していた。その隣のユリアーナも顔色が悪いけど、マーヤよりはましだ。
「ユリアーナ!」
ユリアーナは、僕の声にビクンとしたが、すぐに自分がすべきことを理解して扉に駆ける。
ユリアーナが扉を開ける。縁の姿は見えない。闇雲にでもパスを伸ばすべきか逡巡してる間にユリアーナが扉を潜り、縁の首根っこを掴んで引き摺り出す。
パスが切れて、唐突な孤独感を叩き込まれた縁は、丸まって泣きじゃくっていた。
急ぎパスを繋ぐと、縁の砲弾みたいなタックルで抱きつかれ、そのまま仰向けに倒れる。というか、吹っ飛ばされて後ろにいた松風を巻き込み倒れた。今日の松風はついてないな。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
壊れたように繰り返す縁を抱き締め、頭をソッと撫でる。しばらくサラサラの黒髪を梳くように撫でていると、次第に落ち着きを取り戻す。
「縁。もう大丈夫だよ」
「うん。ごめんなさい」
まだダメっぽい。
「俺の方こそごめんね」
マーヤも心配でそちらを横目で見ると、御影さんが抱き締めていた。
「松風も巻き込んでごめんね」
片手を縁から離して、僕の枕になっている松風の首を撫でる。
「……私ね。施設に引き取られるまで、虐待されてたの。"躾だ"って言われて、真っ暗な倉庫に押し込められたり、押し入れに閉じ込められたり」
初めて聞く妹の過去に、なにも言えなくなる。
「……それでね、今でも狭くて暗い場所がダメなの」
なにも言えない分、強く抱き締める。
それにしても、迂闊だったなぁ。松風のことで、「ちょっとお仕置きしてやろう」くらいの感覚だったのに、こんなことになるなんて予想できなかったけど、未完成の魔道具は、もっと慎重に扱うべきだった。
「兄さんが、そこまで気にする必要はないわよ。パスが切れるとどうなるかはマーヤ姉さんから聞いてたけど、まさか、あれで切れるなんて、誰にも予想できませんよ」
少し調子を取り戻した縁が、僕の胸でクスクス笑う。
「こうして、兄さんに包まれるご褒美にありつけましたし、私のトラウマも悪いことばかりじゃありません。いい機会ですし、ちゃんと、自分の過去と向き合うべきですよね」
妹はトラウマと向き合うつもりか。
……僕は……僕は、初恋の彼女に会ったら、向き合えるのだろうか。一緒に召喚されてたから、向き合う機会はあるかもしれない。けど、機会はあっても向き合えるかどうかは……うん。この課題は、未来の僕に丸投げしよう。
「縁は強いな」
「そんなこと。それに、この強さは、兄さんがくれたんですよ。兄さんを見続けて、兄さんの力になりたくて、兄さんに恋をして、兄さんのために努力したんです」
うん。ちょっと怖い。
「兄さんの〈支援魔法〉で、兄さんを守れる強さを手に入れたんです。私はまだまだこれからですよ」
「そか。縁は強くて可愛いな。けど」
けどなー。本当に残念だ。
「けどな、縁。どんないい話も、兄の股間をまさぐりながらだと、台無しだよ、愚妹」
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ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
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日本帝国陸海軍 混成異世界根拠地隊
北鴨梨
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太平洋戦争も終盤に近付いた1944(昭和19)年末、日本海軍が特攻作戦のため終結させた南方の小規模な空母機動部隊、北方の輸送兼対潜掃討部隊、小笠原増援輸送部隊が突如として消失し、異世界へ転移した。米軍相手には苦戦続きの彼らが、航空戦力と火力、機動力を生かして他を圧倒し、図らずも異世界最強の軍隊となってしまい、その情勢に大きく関わって引っ掻き回すことになる。
異世界帰りの底辺配信者のオッサンが、超人気配信者の美女達を助けたら、セレブ美女たちから大国の諜報機関まであらゆる人々から追われることになる話
kaizi
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※しばらくは毎日(17時)更新します。
※この小説はカクヨム様、小説家になろう様にも掲載しております。
※カクヨム週間総合ランキング2位、ジャンル別週間ランキング1位獲得
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異世界帰りのオッサン冒険者。
二見敬三。
彼は異世界で英雄とまで言われた男であるが、数ヶ月前に現実世界に帰還した。
彼が異世界に行っている間に現実世界にも世界中にダンジョンが出現していた。
彼は、現実世界で生きていくために、ダンジョン配信をはじめるも、その配信は見た目が冴えないオッサンということもあり、全くバズらない。
そんなある日、超人気配信者のS級冒険者パーティを助けたことから、彼の生活は一変する。
S級冒険者の美女たちから迫られて、さらには大国の諜報機関まで彼の存在を危険視する始末……。
オッサンが無自覚に世界中を大騒ぎさせる!?
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