161 / 218
11巻
11-1
しおりを挟むプロローグ
五代目マレビト風見心悟はつくづく思う。朝飯前なんて言葉は、この異世界ではなかなか馴染まない、と。
時季は冬。それも未明ともなれば、うんと冷え込む。体が温まる食事を取ろうと思うと、それなりの労働が不可欠だ。
風見が東国で女帝グローリアと決着をつけて、ここアウストラ帝国に戻った翌日。
風凪ぎ原と呼ばれる平原にある彼の屋敷では、ウェアウルフのリズと双子の妹であるサヤが、薪割りに勤しんでいた。
この二人は長らく東国の女帝の配下にあり、昨日、晴れて解放された。風見がずっと行動を共にしていたのは姉の方で、妹は人質として東国に囚われていたのだ。いろいろあったが、風見は二人をまとめて引き取り、面倒を見ると決めた。
再び共に暮らせるようになった妹に、リズは厳しく言う。
「サヤ、せかせかと働け。暖炉に、竈に、パン焼き用の窯。薪はいくらあっても足らんよ」
「……うぅー眠いよ、姉さん。ご主人ならメイドや執事を雇うか、さもなければグレンにでも任せればいいのに。か弱い私になんでこんなことをさせるんだか」
サヤはしょぼつく目を擦ってぼやく。
けれどその割に作業は手早い。斧係の彼女が薪を割ると、リズがすぐに次を補充する。薪割りは太い薪の山がなくなるまでさくさく進んだ。
しかし、一山分の薪を割り終えたところで、サヤは音を上げて斧にもたれかかる。
そして、薪の運搬係の三人に向かって手を伸ばした。その先にいるのは、風見、魔物娘のナトゥレル、隷属騎士団元副団長のグレンだ。
「ごーしゅーじーんー……。グーレーンー……」
手助けを求める声を撥ねつけられず、風見とグレンは仕方なく苦笑する。
そうして手を貸してやろうとしたところ、リズが切り株の作業台に薪をドンと置き、遮った。
「援護はなしだよ。仕事に縛りつけておかないと、サヤは朝餉まで眠りこけるからね」
「……姉さんみたいにご主人のベッドで寝ていたらぐっすり快眠ですぐに活動できたのにぃー」
何かしらの弱みでも突けると思ったのか、サヤはぼそっと呟いた。対してリズはそれがどうしたと言わんばかりの薄い反応を返す。
「そう思うならお前も勝手に押しかければいい。別に止めんよ?」
まったく、言い争ってばかりの姉妹だ。風見は息を吐く。
「ベッドを使うのはいいんだけど、下着くらいはつけて寝てくれよ。シーツを剥ぎ取ったら全裸でしたなんてのは、心臓に悪いから」
「ご主人のベッドのシーツは柔らかいでしょう。素肌の方が気持ちよさそうなんですよね」
「まあ、寒い時は着るよ。寒い時はね」
サヤとリズは、風見から顔を背けた。いつも何かしら言い合っているのに、この姉妹はこんなところだけ本当に似ている。しらっと視線を流して、彼女らは薪割りを再開した。
風見は拳をプルプルとさせた後、息を吐く。この姉妹はこうなのだと諦めて割り終えた薪を抱えた。その後はグレン、ナトゥレル――ナトと共に厨房に移動する。
厨房の設備はピザ窯に似たパン焼き用の窯と、二口の竈がある立派なものだ。火番兼調理係として、クロエとキュウビがそれぞれフライパンを振っている。
その他にクイナ、風見付きの隷属騎士として世話になっているライとシーズ、セラは、厨房と食堂を行き来している。彼女らの仕事はパンの焼き加減の確認や配膳だ。
セラは皿と料理を食卓に並べながら、傍にいるクイナに文句を言う。
「もうっ、なんでセラが配膳なんですかっ!? お姉様が二人! 二人分の包容力がそこにあるのにセラは間に挟んでもらえない! こんなの世界の大きな損失ですっ!」
リズをお姉様と呼んで慕っていたセラにとって、リズと瓜二つなサヤが仲間入りしたことは幸せが二倍になったようなものらしい。
「えぇ……。セラ、そういうのはあとでもいいし、今はご飯の用意……」
「クイナはずっと旅について回っていたんだから、お姉様欠乏症になってないじゃないですかっ! セラはお姉様成分が足りてないんです!」
「う、うん。わたしはそういう成分はいらないかなって思う」
そんなやりとりをする中、風見たちに気づいたセラはさっと皿を置き、向き直ってきた。
「あっ、来ました。ほら薪運びは交代です。こーたい!」
「うおっ、いきなりどうした!?」
セラは風見をバシバシと叩いて薪を奪うと、すぐに竈の脇に置いてリズらのもとに向かってしまった。
欲望に忠実な上にパワフルだ。風見は呆然として見送る。そうしていると、いつの間にか隣にいたクイナが風見の裾を引いてきた。
「シンゴ、ごめんね。セラの代わりにお皿を並べるのを手伝ってくれる?」
「俺の仕事を取られちゃしょうがないな。まあもう少しで朝食の準備も終わるだろ」
そうしてクイナと共に配膳をする――。緊迫した情勢にそぐわぬ平和な朝の光景だった。
先日、このラヴァン領の領主であるドニが、東国の女帝グローリアの策略によって命を落とした。その後風見は、女帝の奴隷だったリズの解放や石化病の解決、東国で不自由に暮らしていた魔獣カトブレパスの境遇改善、果ては伝説の武具と戦闘までしたのに、嘘のような和やかさである。
ドニの城では葬儀、領主権限の相続、正規騎士の責任問題などのせいで、まだごたごたしている。ちなみに、今日ここにいない皇族特務騎士のクライスは、そちらの対応に当たってくれていた。当分は任せきりになるだろう。
とてもではないが、こんな束の間の休息を得ていい状況ではない。サヤの奴隷契約は、契約主だった亡きドニに代わり、風見が主になるよう更新する予定なのだが、それもしばらく先送りとなる。
悩ましい問題は山積みにもかかわらず、ゆるい空気なのはメリハリというやつだ。
風見はアウストラ帝国と東国が、西国に対する共同戦線を張るための仲介役を頼まれている。
そもそも西国が増長したのは、そこで召喚されたマレビトが原因だった。同じマレビトの風見が無関係でいるなんて許されないだろう。
だからこそ、覚悟を決めるための休息を取っているのだ。
和食と洋食を軽く取り揃えた朝食がほどなく完成する。クロエを除いたメンバーはそれぞれ席についた。
ライたち隷属騎士の付き人と食事をするのは久々だ。特に十代後半という食べ盛りのライは、燻製肉や卵の品揃えに興奮していた。
「うおーっ、カザミの兄貴との朝食! 匂いだけで涎が止まんねえよ。早く食おう!」
「ライ君。はしたないから猊下の前でそういうのはやめてったら」
香ばしく焼かれた肉の匂いを嗅いだライは、ナイフとフォークを振り上げる。それを見咎めたシーズはなんとか腕を下げさせながら、風見に対して頭を下げた。
だが興奮しているのは彼ばかりではない。その隣の肉食系な兎もうずうずと震えていた。
「うっ。セ、セラはこんなもので懐柔されませんから。こーして一緒に食べる豪華なご飯が待ち遠しかったなんてことは、ありませんからっ」
そうは言うものの、セラは唾液を啜っている。肉の魅力に屈する時も近い。
そんな彼女を横目で見たグレンは、ため息をつく。
「何を言っておるのだか。お前は猊下殿がいない間、早く戻らないかだとか、クイナが羨ましいだとか言っておっただろうに」
「い、言ってないですぅー!? セラはお姉様が待ち遠しかっただけですから!」
チラとこちらを見た彼女は、風見と視線が合うなり目を逸らす。
まるで思春期の娘だ。そんな態度を取られると、少し辛い。風見は傷心気味だ。
セラはその様子も見ていたらしい。気まずそうにすると自らの言動に補足をした。
「言い訳ではなくですね、ほら、故郷のキツネ様でしたか。クイナがそんな人に見初められて羨ましいだけです。こんな身分のセラたちは戦う力が重要ですし。要点はそこですよ、そこ!」
彼女が見やるクイナは、キュウビとナトに挟まれて座っている。
クイナは以前からキュウビの稽古を受けていたが、最近はどうもナトまで一枚噛みはじめたようだ。竜種程度は平気で殴り倒す人外の師匠二人に挟まれ、クイナは身を縮こまらせている。
「だったらセラも一緒に訓練する……?」
クイナはセラに虚ろな目を向ける。
「そうそう、生きるためにもいっそ一緒に訓練を――へあっ!? ええっとぉ……」
これは藪蛇だったらしい。あらぬお誘いに、セラは言葉を濁らせた。
そんなセラが恐る恐る目を向けるのは、件のキツネ様ことキュウビだ。彼女は目を細め、にんまりと笑む。
「あらあら、楽しそうですわね。同年代での切磋琢磨。わたくしとしては手間でもありませんわ。ねえ、ナトゥレル。あなたはどうでしょうか?」
キュウビは美味しそうな獲物が自ら転がり込んできたことにご満悦だ。
水を向けられたナトも、特に嫌がる素振りを見せることなく頷く。
「今までは二対一だった。一人増えれば二対二でちょうどいい。ヴィエジャの樹海を散歩できるくらいまでは鍛えられる」
「そこ、魔境! 帝国の精鋭部隊でも調査不可能な未踏破地域ですからっ!?」
「大丈夫。一定以上に強い魔物は回避と創意工夫でしかどうにもならない。怖がる意味がない」
そんな返答を聞いたセラは、まずいことになったと視線を泳がせる。けれど助けはない。
そうこうしているうちに、クロエが焼き上がったパンを持ってきた。これでようやく面子が揃ったので、いただきますと手を合わせて食事を始める。
この穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに。そう思うところだが、次に控えるものがある。しばらくすると、風見は今後について切り出した。
「――食べながらでいいから聞いてくれ。戻ってくるなりこうして朝食に誘ったのは、一緒に食べたかっただけじゃなくて、今後についてお願いがあるからなんだ」
一同はそれまで旺盛な食欲を見せていたが、風見の真剣な声を聞いて動きが減る。
「ドリアードに会いに行く前にも言った通り、農業や医療についての土台作りは終わった。本来ならその発展に取り組みたかったけど、西国の情勢から目を逸らし続けるのはもう無理だと思う。関わったものが増えた以上、いずれ大なり小なり影響を受ける。好き勝手されないためにも、後手のままじゃいられない」
以前とは確実に異なる考えだ。それを自ら口にしたのは、風見がこの世界に少し順応したからだろう。
だが、それだけだ。自分の知識を有効活用できることは知っている。しかし、それをどうしたら最大限活かせるのか、活かした先で何が起こるのかを推測することはまだできない。
至らないから、信頼できる仲間に助けてもらいたいのだ。
「この先、俺は自分の分野でできることをするより、今あるものをなくさない努力を優先することになると思う。現状で言えば、戦争絡みのことで大きな問題が起こる前に対策を取るとかな。みんなには、その手助けをしてもらいたい」
状況によっては、元の世界では許されていない形で知識を利用する必要もあるかもしれない。それを考慮に入れても、関わった全てを守っていけるかどうか不確かだ。そうみんなに伝える。
風見としては忌避感を隠せないことであるが、選り好みできない。やっと覚悟を決めた、勇気のいる決断だった。
しかしリズらにしてみればようやくかとでもいうところなのか、驚きもなく受け入れる。
「別に汚れ仕事でもなんでもやるよ。今さらそんなものを嫌がるわけがないしね」
リズは事もなげに言う。そんなことよりもサヤと最後のソーセージを巡る争いをする方が重要らしい。フォークをかち合わせるばかりで、ほとんど視線もくれない。
それを咎めるのを諦めたクロエは、風見に視線を向ける。
「確かに技術の悪用かもしれません。でも風見様は何かを傷つける技術も、殺す技術も、誰かを生かすために活用してきました。だから私はその歩みがこれからも変わらぬよう、お助けします」
他のメンバーも似た意見らしい。クイナとキュウビは笑みを浮かべて風見を見つめ、ナトは無表情ながらも視線を送ってきた。サヤとグレン、セラ、ライ、シーズの五人も頷いてくれる。
全員が自らの意志で手助けしてくれるようだ。風見は胸に熱いものを感じて口元を緩める。
「ありがとう。それなら俺も、この後の会談で心置きなく発言できる」
この国の皇太子ユーリスと、東国の女帝グローリア。そして、ドニの息子であるカインらも参加すると聞いている。
どう転ぶかはわからないが、目指すべきものは定まっている。あとは会談に臨むのみだった。
第一章 これからを見据えます
朝食を終えて身支度を整えた風見は、仲間と一緒にアースドラゴンのタマや飛竜、馬に乗り、バルツィ砦に向かった。それには、東国での一件から行動を共にしているカトブレパスも同行する。彼の周囲を石化させる能力は、風見の霊核武装で無効化しないと、周囲に害がありすぎるからだ。
そんな大所帯で砦に近づくと、意外なものが目に入った。それは揃いのローブを羽織った集団である。
「あれはハドリア教の神官騎士ですね。白服も一部含まれています」
風見と一緒にタマに騎乗していたクロエには、遠方からでも判別がついたようだ。
想定していなかった事態に、風見は首を捻る。
「教会の行事でもないのに、なんで白服とかがここにいるんだ?」
「国際的な会議は軍事要素が絡まないよう、ハドリア教が取り仕切る場合があります。普通は宗教団体が割り込んでくるなと邪険にされますが、今回は事情が事情だからかもしれません」
クロエの答えは、実に腑に落ちるものだった。
要人には護衛が必ず同行するものだ。しかし護衛が幅を利かせて、脅しに走ったらどうだ。そんなものに国際会議が左右されるなら、最初から武力で争えばいいという話になってしまう。
だから、中立の立場であるハドリア教が場を取り仕切るのだ。彼らはこの大陸の第一宗教であり、国同士の仲裁まで担う。単なる宗教というより国連の役割に近いだろう。
そんな風に風見が納得しているうちに砦前に到着した。
するとハドリア教の神官騎士たちが、わらわらとタマに近寄ろうとする。ハドリア教の敬愛するマレビト風見がアースドラゴンと行動していることは周知の事実。マレビトとドラゴンを目の当たりにし、神官騎士たちは熱狂しているらしい。
タマにとっては迷惑なものだ。人が増えるにつれて嫌悪感が強まるのか、風見とクロエが降りるなり、カトブレパスと共にこの場から離れた。民衆からは惜しむ声が上がるが、仕方がない。
飛竜や馬から降りたリズらと合流していると、幾名かの白服が走ってくる。彼らは風見の前で頭を垂れた。
「お初にお目にかかります。猊下でいらっしゃいますね?」
久方ぶりのお堅い平伏に、風見は苦笑気味で返す。
「ああ、そうだ。クロエから聞いたんだけど、ここにいるのは会談の運営を任されたハドリア教の関係者ってことでいいのか?」
「相違ありません。大陸の平穏へのご尽力、心より御礼申し上げます」
白服の先頭にいる男性は、心から感服している様子だ。彼は片膝をつき、面を下げたままである。
「できる限りのことはしないと後味が悪いからな。ところで、そろそろ頭を上げてもらってもいいか?」
風見が頼むと、先頭の男性は逡巡した様子で仲間を振り返り、頷き合う。
「それでは失礼して。皇太子ユーリス様と東国のグローリア様は到着されています。猊下も会議場に向かってください。追って、今回の意見役としてドニ様のご子息が到着されるはずです」
風見はわかったと頷いた。すると神官騎士たちは一行の武器を預かってから、会議場へ先導してくれる。
砦には神官騎士が何十人といる。クロエは見知った面々が懐かしいらしく、隣で控えながらも周囲の人々に目をやりがちだった。
道中会話がないのも辛いところなので、風見は先導の白服の男性に問いかける。
「ところで、ここにいる白服はクロエと面識があるのか?」
「もちろん。もっとも、私などは彼女の後塵を拝するばかりでしたが」
「いいえ。先輩方は優れた素質をお持ちなので、私が学ぶべきものは今でも多いと思います!」
白服は神官騎士の中でも一部の者しかなれないエリートである。二十代半ばと見られるこの男性も、帝都の騎士団長や副団長を目指せるだけの逸材のはずだ。
彼はクロエから向けられる尊敬の念を、笑顔で受け取る。
「ありがとう。しかし女性統括官のライラ様が手塩にかけて育てた君に比べれば、私はまだまだだ」
「あ、あはは。ライラ様……」
ライラという名前が出た途端、クロエは怯えた表情になる。
そういえば、ラダーチの街でその女性統括官とやらの話をした時もこんな様子だった。
「ライラ様って、前にも聞いた覚えがあるな。どんな人なんだ?」
風見が尋ねると、クロエは体を縮こまらせる。
「厳しい方です。それだけに、指導について思い出したくないと言いますか……」
こんな風に言い淀むなんて珍しいことだ。その人物はよほど厳しかったに違いない。
その時、警備がより厳重な場所が見えてきた。指令室として使われることもあるバルツィ砦の屋上施設だ。どうもここが会議場となるらしい。
その警備の中に、一人だけ目を引く人物がいることに気づいた。
白服は肉体的に最盛期の二十代前後が多い中、白髪が交ざりはじめた四、五十歳と見える女性が立っている。背筋がピンと伸びていて、気の抜けた様子なんて微塵もない。
周囲の警備が緊張していることから、正体は予想できる。
「呼びましたか、クロエ?」
「ひゃひぃっ!?」
やはり、彼女が噂のライラであるらしい。
クロエは彼女の声を耳にした途端、飛び上がる。ライラの声には謹聴せよと軍隊じみた刷り込みでもあるかのようだ。
脂汗を流しながら狼狽するクロエ。彼女を鋭く見据えるライラの眼光は、まさに鬼教官のそれだ。そして、一つのため息と共に品評が下される。
「クロエ。そのように情けない姿を指導した覚えはありません。私は何を教えましたか?」
「かっ、風見様を誠心誠意お支えしていますが、その……。こっ、子作りはまだでっ――!」
付き人としての役割には子作りも含まれるという。クロエは苦しい報告のせいで、お叱りがあると身構えた様子だ。それを見たライラはまたもため息をつく。
何が悪いのかゆっくりたっぷりと自分で考えさせる間を挟む、絶妙な圧迫感だ。
「それは一部の枢機卿が命じたことでしょう。話を聞く限り、あなたが共にいる間に猊下が為された功績は恥じるものではありません。このまま精進しなさい」
「えっ。あ、はいっ。肝に銘じます……!」
思いがけず褒められて、クロエは面食らったようだが、すぐに頷いて返す。
「猊下、かねてよりのご活躍、お祝い申し上げます。私は白服の統括長で、ライラ・リスト・クローウェルと申します」
ライラはそのまま風見に視線を移し、改めて頭を下げた。マナー講座の女性講師のように優雅な振る舞いで言葉を続ける。
「付き人は、白服ならば誰もが望む栄誉。当然、優秀な者が選ばれますが、このクロエにはまだ至らぬ点があります。我が門下生の中に彼女より優れた者がいないとも申せません」
「うっ。うぐぅっ……!?」
冷静な言葉の一つ一つが刃となってクロエの胸に刺さり、彼女は呻く。そんな光景が隣で繰り広げられるものだから、風見はライラの話に集中できない。
だが、その直後に「ですが」と続いて、流れに変化が生じた。
「彼女は伸びしろを有しておりました。その点で言えば、他者に引けを取るものではないと、私は確信しています。許されるならばお聞かせを。猊下にとって、クロエは良き付き人ですか?」
核心を問う言葉だ。クロエの不安を払拭するためにも、風見は胸を張って答える。
「そうですね。クロエは能力が高いのはもちろんですが、近頃は精神面でとても頼りになっています。クロエが付き人でよかったと思っています」
「それはこの上ない返答です」
風見の返答にライラが頷く。同じく言葉を耳にしたクロエは震えるほど喜びを抱いている様子だ。
では、会場へご案内を、と事が運ぶと思った矢先、うぉぉーんと遠吠えが聞こえた。
タマの声である。遊びで小さな声を漏らすことはあっても、このように声を上げることは滅多にない。何か大事でもあったのかと、風見はそちらの空をばっと振り返った。
すると目に入ったのは、碧色の大翼だ。四肢に加えて翼を持つ竜――つまりドラゴンである。
その姿を目で追うと、旋回したドラゴンが砦の端に着地した。
吹き下ろしてくる強風に耐えながらなんとか目を開き、その姿を見る。
全長は二十メートルから三十メートルだろうか。溶岩を思わせるレッドドラゴンとは対極で、その竜鱗は海の色を投影したかのような色だ。
強靭さと身軽さを兼ね備えた火竜とも、強靭さを追求した地竜ともまた異なる。
尾はヒレに似て扁平で、前脚にはこれまたヒレとも飾り毛とも見える部位を持つことから、水に適応しているのだろう。
このドラゴンこそ、水竜の頂点、ブルードラゴンに違いない。
『よもやドラゴン以外の魔獣が外界を歩き回る姿を見る日が来ようとは。なるほど。今代のマレビトはいずれも特異よな。そちが妾の鱗を与えし白服が守護するマレビトか』
ブルードラゴンは、興味深そうに見つめてくる。けれど風見は驚きで言葉を失っていた。
ここはブルードラゴンの領域から千キロは離れている。魔獣が領域を離れるのは大きなリスクを伴うため、こんな遭遇はありえないはずなのだ。わざわざここまで来たことに疑問を抱かずにはいられない。
そこまで考えて、風見はもう一人のマレビトであるアカネや、エレインらのことを思い出した。
彼女らは武力侵攻を図る西国を止めるべく、魔獣に助力を求めていた。その次なる目標こそ、ブルードラゴンだったはずである。この来訪は、それに関連することだろうか。
予想は遠からずだったらしい。ドラゴンの背から見覚えのある女性が降りてきた。
彼女はよく梳かされた髪をなびかせて歩いてくる。その容姿や佇まいに確かな気品を感じさせる一方、そこらの冒険者に負けない芯の強さを瞳に秘めた女性だ。
記憶にも色濃く残っている。彼女はこの南の帝国における末席の姫、エレインである。
以前会った時に彼女と行動を共にしていたのは、西国で召喚されたマレビトのアカネ、ドニの息子であるカインと、侍じみた剣士のシギンだった。
けれどもエレインの後に続くのは見知らぬ男性一人だけだ。
見かけは三十代後半から四十代。頭は硬い毛質の短髪で、顎には無精髭が生えている。
彼はフルプレートの鎧ではなく、体の線に合う竜種か何かのスケイルアーマーを身につけている。
鎧からして動きやすさを重視しているのだろう。実用性を追求して鍛え上げたに違いない筋肉は無駄がなく、がっしりとした体つきだ。その佇まいを文字で表現するならば、武人の二文字以外にない。
そんな男性を後ろに率いて、エレインが近づいてくる。
「お久しぶりね、カザミ。大事はなさそうで何よりよ」
「あぁ、久しぶり。そっちはどうなんだ?」
行動を共にしているはずの仲間がいないから、悪い想像をしてしまう。
その勘は当たらずとも遠からずなのか、エレインは悩ましげな顔で答えた。
「平穏無事とは言い難いわね。だから私と彼だけで来たわけだし。でも安心していいわ。面倒な事態に見舞われているだけで誰かが欠けたわけではないから」
そう言ったエレインは、後ろに控える男性に手を向ける。
「紹介するわ。彼は北国のレギオニス中将。北国の軍事を束ねる総帥のご子息よ。北国内において対西国の軍事を統括している偉い人」
王族の次に偉いと言っていい人物だ。予定にないその登場に周囲はざわめく。
「それも過去の話だ。すでに軍も将来もあったものではない」
レギオニスと紹介された彼はエレインの話に首を横に振り、前に出てくる。彼は風見より頭一つ分は背が高い上、鍛え上げた体付きでかなり大柄だ。しかしながら脳筋という雰囲気はない。実力も込みでその地位についているのか、理知的な印象も感じられた。
「これから西国についての会談でしょう。それに関して彼からも話したいことがあるそうなのよ」
「え。でもいくらか前に北国は国境線で敗走して、西国に侵略されつつあるって……」
話を持ちかけてきても手遅れ。そんな考えを思わず口に出してしまい、風見は慌てて黙る。
レギオニスはそれに対し、静かに頷いた。
「確かに出鼻をくじかれた上に敗色が濃い。これから西国を押し返すのは難しいだろう。だが、それでもまだ全てが終わったわけではない。私には託された使命がある」
深刻な表情で語ったレギオニスには相当な決意が窺える。エレインもそれに頷いた。
「私にも彼にも、今日の会談ではすべきことがあるの。監督役のあなたたちもよろしく頼むわね」
エレインはまずライラたち白服に会釈した。
次に目をやったのは、風見の後ろに控えていたリズだ。
先日、リズはカインの父であるドニを刺殺した。そのことが伝わっているからに違いない。
風見は緊張の面持ちで二人のやりとりに注視する。
「そっくりさんがいるけれど、私が会ったことがあるのはあなたでいいのかしら?」
リズとサヤは双子だ。迷うのも無理はない。とはいえ、最後に会った時の容姿そのままなのはリズだ。それに意味ありげに視線をやっているのもリズなので、察したのだろう。
風見はせめてフォローしようかとリズに目配せをした。だが、彼女は首を横に振る。
「合っているよ。それから、私から言うことがある」
「お義父さんのことよね。わかっているわ。そのために私は一人で来たんだもの」
「おとうさん? ……えっと、それは皇帝じゃないよな。ドニさんのことか?」
エレインの言葉に違和感を覚えて、風見は戸惑う。それに対して彼女はしかと頷いた。
「ええ、ドニさんのこと。先日、カインと結婚したからドニさんは私にとって義理の父になったの」
「いやいやいや、そんな先日引っ越しましたみたいに軽く言われても!?」
先日と言うからにはひと月も遡らないことだろう。
驚くと同時に、疑問を抱く。いくら末席の姫でも、噂も気配もなくいきなり有力貴族と結婚することなんて、ありえるのだろうか。
1
お気に入りに追加
3,484
あなたにおすすめの小説
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
ギフト争奪戦に乗り遅れたら、ラストワン賞で最強スキルを手に入れた
みももも
ファンタジー
異世界召喚に巻き込まれたイツキは異空間でギフトの争奪戦に巻き込まれてしまう。
争奪戦に積極的に参加できなかったイツキは最後に残された余り物の最弱ギフトを選ぶことになってしまうが、イツキがギフトを手にしたその瞬間、イツキ一人が残された異空間に謎のファンファーレが鳴り響く。
イツキが手にしたのは誰にも選ばれることのなかった最弱ギフト。
そしてそれと、もう一つ……。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる
農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」
そんな言葉から始まった異世界召喚。
呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!?
そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう!
このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。
勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定
私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。
ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。
他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。
なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。
最強Fランク冒険者の気ままな辺境生活?
紅月シン
ファンタジー
旧題:世界最強の元Sランク勇者は、Fランクの冒険者となって今日も無自覚にチートを振りまく
書籍版第三巻発売中&コミカライズ連載中です。
史上最年少でSランクの称号を手にし、勇者と呼ばれた少年がいた。
その力によって魔王との長きに渡った戦争を終結へと導き、だがそれを見届けた少年は何も言わずに姿を消してしまう。
それから一年。
魔王ですら手を出すことを恐れたとされ、人類が未だその先へと足を踏み入れることを許されていない魔境――辺境の街ルーメン。
人類の最前線などとも呼ばれるそこに、一人の冒険者が姿が現した。
しかしその冒険者はFランクという最下位であり、誰もがすぐに死ぬだろうと思っていた。
だが彼らは知らなかったのだ。
その冒険者は、かつて勇者と呼ばれていた少年であったということを。
何だったら少年自身も知らなかった。
そう、少年は自分が持つ力がどれだけ規格外なのかも知らず、その場所にも辺境の街とか言われているからのんびり出来るだろうとか思ってやってきたのだ。
かくして少年は、辺境(だと思っている魔境)で、スローライフ(本人視点では確かに)を送りながら、無自覚に周囲へとチートを振りまくのであった。
※書籍版三巻発売に伴い、第三章と整合性が取れなくなってしまったため、取り下げました。
間違い召喚! 追い出されたけど上位互換スキルでらくらく生活
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
僕は20歳独身、名は小日向 連(こひなた れん)うだつの上がらないダメ男だ
ひょんなことから異世界に召喚されてしまいました。
間違いで召喚された為にステータスは最初見えない状態だったけどネットのネタバレ防止のように背景をぼかせば見えるようになりました。
多分不具合だとおもう。
召喚した女と王様っぽいのは何も持っていないと言って僕をポイ捨て、なんて世界だ。それも元の世界には戻せないらしい、というか戻さないみたいだ。
そんな僕はこの世界で苦労すると思ったら大間違い、王シリーズのスキルでウハウハ、製作で人助け生活していきます
◇
四巻が販売されました!
今日から四巻の範囲がレンタルとなります
書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
よろしくお願いします!
一応191話で終わりとなります
最後まで見ていただきありがとうございました
コミカライズもスタートしています
毎月最初の金曜日に更新です
お楽しみください!
ウロボロス「竜王をやめます」
ケモトカゲ
ファンタジー
100年に1度蘇るという不死の竜「ウロボロス」
強大な力を持つが故に歴代の勇者たちの試練の相手として、ウロボロスは蘇りと絶命を繰り返してきた。
ウロボロス「いい加減にしろ!!」ついにブチギレたウロボロスは自ら命を断ち、復活する事なくその姿を消した・・・ハズだった。
・作者の拙い挿絵付きですので苦手な方はご注意を
・この作品はすでに中断しており、リメイク版が別に存在しております。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。