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11巻

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 プロローグ


 五代目マレビト風見心悟かざみしんごはつくづく思う。朝飯前なんて言葉は、この異世界ではなかなか馴染なじまない、と。
 時季は冬。それも未明ともなれば、うんと冷え込む。体が温まる食事を取ろうと思うと、それなりの労働が不可欠だ。
 風見が東国で女帝グローリアと決着をつけて、ここアウストラ帝国に戻った翌日。
 風凪かぜなはらと呼ばれる平原にある彼の屋敷では、ウェアウルフのリズと双子の妹であるサヤが、まき割りにいそしんでいた。
 この二人は長らく東国の女帝の配下にあり、昨日、晴れて解放された。風見がずっと行動を共にしていたのは姉の方で、妹は人質として東国にとらわれていたのだ。いろいろあったが、風見は二人をまとめて引き取り、面倒を見ると決めた。
 再び共に暮らせるようになった妹に、リズは厳しく言う。

「サヤ、せかせかと働け。暖炉に、かまどに、パン焼き用のかままきはいくらあっても足らんよ」
「……うぅー眠いよ、姉さん。ご主人ならメイドや執事を雇うか、さもなければグレンにでも任せればいいのに。か弱い私になんでこんなことをさせるんだか」

 サヤはしょぼつく目を擦ってぼやく。
 けれどその割に作業は手早い。斧係の彼女がまきを割ると、リズがすぐに次を補充する。まき割りは太いまきの山がなくなるまでさくさく進んだ。
 しかし、一山分のまきを割り終えたところで、サヤはを上げて斧にもたれかかる。
 そして、まきの運搬係の三人に向かって手を伸ばした。その先にいるのは、風見、魔物娘のナトゥレル、隷属れいぞく騎士団元副団長のグレンだ。

「ごーしゅーじーんー……。グーレーンー……」

 手助けを求める声をねつけられず、風見とグレンは仕方なく苦笑する。
 そうして手を貸してやろうとしたところ、リズが切り株の作業台にまきをドンと置き、さえぎった。

「援護はなしだよ。仕事に縛りつけておかないと、サヤこれ朝餉あさげまで眠りこけるからね」
「……姉さんみたいにご主人のベッドで寝ていたらぐっすり快眠ですぐに活動できたのにぃー」

 何かしらの弱みでも突けると思ったのか、サヤはぼそっとつぶやいた。対してリズはそれがどうしたと言わんばかりの薄い反応を返す。

「そう思うならお前も勝手に押しかければいい。別に止めんよ?」

 まったく、言い争ってばかりの姉妹だ。風見は息を吐く。

「ベッドを使うのはいいんだけど、下着くらいはつけて寝てくれよ。シーツをぎ取ったら全裸でしたなんてのは、心臓に悪いから」
「ご主人のベッドのシーツは柔らかいでしょう。素肌の方が気持ちよさそうなんですよね」
「まあ、寒い時は着るよ。寒い時はね」

 サヤとリズは、風見から顔をそむけた。いつも何かしら言い合っているのに、この姉妹はこんなところだけ本当に似ている。しらっと視線を流して、彼女らはまき割りを再開した。
 風見はこぶしをプルプルとさせた後、息を吐く。この姉妹はこうなのだと諦めて割り終えたまきを抱えた。その後はグレン、ナトゥレル――ナトと共に厨房ちゅうぼうに移動する。
 厨房ちゅうぼうの設備はピザがまに似たパン焼き用のかまと、二口のかまどがある立派なものだ。火番兼調理係として、クロエとキュウビがそれぞれフライパンを振っている。
 その他にクイナ、風見付きの隷属騎士として世話になっているライとシーズ、セラは、厨房ちゅうぼうと食堂を行き来している。彼女らの仕事はパンの焼き加減の確認や配膳だ。
 セラは皿と料理を食卓に並べながら、そばにいるクイナに文句を言う。

「もうっ、なんでセラが配膳なんですかっ!? お姉様が二人! 二人分の包容力がそこにあるのにセラは間に挟んでもらえない! こんなの世界の大きな損失ですっ!」

 リズをお姉様と呼んで慕っていたセラにとって、リズと瓜二うりふたつなサヤが仲間入りしたことは幸せが二倍になったようなものらしい。

「えぇ……。セラ、そういうのはあとでもいいし、今はご飯の用意……」
「クイナはずっと旅について回っていたんだから、お姉様欠乏症になってないじゃないですかっ! セラはお姉様成分が足りてないんです!」
「う、うん。わたしはそういう成分はいらないかなって思う」

 そんなやりとりをする中、風見たちに気づいたセラはさっと皿を置き、向き直ってきた。

「あっ、来ました。ほらまき運びは交代です。こーたい!」
「うおっ、いきなりどうした!?」

 セラは風見をバシバシと叩いてまきを奪うと、すぐにかまどの脇に置いてリズらのもとに向かってしまった。
 欲望に忠実な上にパワフルだ。風見は呆然として見送る。そうしていると、いつの間にか隣にいたクイナが風見の裾を引いてきた。

「シンゴ、ごめんね。セラの代わりにお皿を並べるのを手伝ってくれる?」
「俺の仕事を取られちゃしょうがないな。まあもう少しで朝食の準備も終わるだろ」

 そうしてクイナと共に配膳をする――。緊迫した情勢にそぐわぬ平和な朝の光景だった。
 先日、このラヴァン領の領主であるドニが、東国の女帝グローリアの策略によって命を落とした。その後風見は、女帝の奴隷だったリズの解放や石化病の解決、東国で不自由に暮らしていた魔獣まじゅうカトブレパスの境遇改善、果ては伝説の武具と戦闘までしたのに、嘘のようななごやかさである。
 ドニの城では葬儀、領主権限の相続、正規騎士の責任問題などのせいで、まだごたごたしている。ちなみに、今日ここにいない皇族特務騎士のクライスは、そちらの対応に当たってくれていた。当分は任せきりになるだろう。
 とてもではないが、こんな束の間の休息を得ていい状況ではない。サヤの奴隷契約は、契約主だった亡きドニに代わり、風見があるじになるよう更新する予定なのだが、それもしばらく先送りとなる。
 悩ましい問題は山積みにもかかわらず、ゆるい空気なのはメリハリというやつだ。
 風見はアウストラ帝国と東国が、西国に対する共同戦線を張るための仲介役を頼まれている。
 そもそも西国が増長したのは、そこで召喚されたマレビトアカネが原因だった。同じマレビトの風見が無関係でいるなんて許されないだろう。
 だからこそ、覚悟を決めるための休息を取っているのだ。
 和食と洋食を軽く取り揃えた朝食がほどなく完成する。クロエを除いたメンバーはそれぞれ席についた。
 ライたち隷属騎士の付き人と食事をするのは久々だ。特に十代後半という食べ盛りのライは、燻製くんせい肉や卵の品揃えに興奮していた。

「うおーっ、カザミの兄貴との朝食! 匂いだけでよだれが止まんねえよ。早く食おう!」
「ライ君。はしたないから猊下げいかの前でそういうのはやめてったら」

 香ばしく焼かれた肉の匂いをいだライは、ナイフとフォークを振り上げる。それをとがめたシーズはなんとか腕を下げさせながら、風見に対して頭を下げた。
 だが興奮しているのは彼ばかりではない。その隣の肉食系な兎もうずうずと震えていた。

「うっ。セ、セラはこんなもので懐柔かいじゅうされませんから。こーして一緒に食べる豪華なご飯が待ち遠しかったなんてことは、ありませんからっ」

 そうは言うものの、セラは唾液をすすっている。肉の魅力みりょくに屈する時も近い。
 そんな彼女を横目で見たグレンは、ため息をつく。

「何を言っておるのだか。お前は猊下げいか殿がいない間、早く戻らないかだとか、クイナがうらやましいだとか言っておっただろうに」
「い、言ってないですぅー!? セラはお姉様が待ち遠しかっただけですから!」

 チラとこちらを見た彼女は、風見と視線が合うなり目をらす。
 まるで思春期の娘だ。そんな態度を取られると、少し辛い。風見は傷心気味だ。
 セラはその様子も見ていたらしい。気まずそうにするとみずからの言動に補足をした。

「言い訳ではなくですね、ほら、故郷のキツネ様でしたか。クイナがそんな人に見初みそめられてうらやましいだけです。こんな身分のセラたちは戦う力が重要ですし。要点はそこですよ、そこ!」

 彼女が見やるクイナは、キュウビとナトに挟まれて座っている。
 クイナは以前からキュウビの稽古を受けていたが、最近はどうもナトまで一枚みはじめたようだ。竜種程度は平気で殴り倒す人外の師匠二人に挟まれ、クイナは身を縮こまらせている。

「だったらセラも一緒に訓練する……?」

 クイナはセラにうつろな目を向ける。

「そうそう、生きるためにもいっそ一緒に訓練を――へあっ!? ええっとぉ……」

 これは藪蛇やぶへびだったらしい。あらぬお誘いに、セラは言葉をにごらせた。
 そんなセラが恐る恐る目を向けるのは、くだんのキツネ様ことキュウビだ。彼女は目を細め、にんまりと笑む。

「あらあら、楽しそうですわね。同年代での切磋琢磨せっさたくま。わたくしとしては手間でもありませんわ。ねえ、ナトゥレル。あなたはどうでしょうか?」

 キュウビは美味おいしそうな獲物がみずから転がり込んできたことにご満悦だ。
 水を向けられたナトも、特に嫌がる素振りを見せることなくうなずく。

「今までは二対一だった。一人増えれば二対二でちょうどいい。ヴィエジャの樹海を散歩できるくらいまではきたえられる」
「そこ、魔境! 帝国の精鋭部隊でも調査不可能な未踏破地域ですからっ!?」
「大丈夫。一定以上に強い魔物は回避と創意工夫でしかどうにもならない。怖がる意味がない」

 そんな返答を聞いたセラは、まずいことになったと視線を泳がせる。けれど助けはない。
 そうこうしているうちに、クロエが焼き上がったパンを持ってきた。これでようやく面子メンツが揃ったので、いただきますと手を合わせて食事を始める。
 この穏やかな時間が、ずっと続けばいいのに。そう思うところだが、次にひかえるものがある。しばらくすると、風見は今後について切り出した。

「――食べながらでいいから聞いてくれ。戻ってくるなりこうして朝食に誘ったのは、一緒に食べたかっただけじゃなくて、今後についてお願いがあるからなんだ」

 一同はそれまで旺盛おうせいな食欲を見せていたが、風見の真剣な声を聞いて動きが減る。

「ドリアードに会いに行く前にも言った通り、農業や医療についての土台作りは終わった。本来ならその発展に取り組みたかったけど、西国の情勢から目をらし続けるのはもう無理だと思う。関わったものが増えた以上、いずれ大なり小なり影響を受ける。好き勝手されないためにも、後手ごてのままじゃいられない」

 以前とは確実に異なる考えだ。それをみずから口にしたのは、風見がこの世界に少し順応したからだろう。
 だが、それだけだ。自分の知識を有効活用できることは知っている。しかし、それをどうしたら最大限かせるのか、かした先で何が起こるのかを推測することはまだできない。
 至らないから、信頼できる仲間に助けてもらいたいのだ。

「この先、俺は自分の分野でできることをするより、今あるものをなくさない努力を優先することになると思う。現状で言えば、戦争絡みのことで大きな問題が起こる前に対策を取るとかな。みんなには、その手助けをしてもらいたい」

 状況によっては、元の世界では許されていない形で知識を利用する必要もあるかもしれない。それを考慮に入れても、関わった全てを守っていけるかどうか不確かだ。そうみんなに伝える。
 風見としては忌避きひ感を隠せないことであるが、り好みできない。やっと覚悟を決めた、勇気のいる決断だった。
 しかしリズらにしてみればようやくかとでもいうところなのか、驚きもなく受け入れる。

「別に汚れ仕事でもなんでもやるよ。今さらそんなものを嫌がるわけがないしね」

 リズは事もなげに言う。そんなことよりもサヤと最後のソーセージを巡る争いをする方が重要らしい。フォークをかち合わせるばかりで、ほとんど視線もくれない。
 それをとがめるのを諦めたクロエは、風見に視線を向ける。

「確かに技術の悪用かもしれません。でも風見様は何かを傷つける技術も、殺す技術も、誰かを生かすために活用してきました。だから私はその歩みがこれからも変わらぬよう、お助けします」

 他のメンバーも似た意見らしい。クイナとキュウビは笑みを浮かべて風見を見つめ、ナトは無表情ながらも視線を送ってきた。サヤとグレン、セラ、ライ、シーズの五人もうなずいてくれる。
 全員がみずからの意志で手助けしてくれるようだ。風見は胸に熱いものを感じて口元を緩める。

「ありがとう。それなら俺も、この後の会談で心置きなく発言できる」

 この国の皇太子ユーリスと、東国の女帝グローリア。そして、ドニの息子であるカインらも参加すると聞いている。
 どう転ぶかはわからないが、目指すべきものは定まっている。あとは会談にのぞむのみだった。



 第一章 これからを見据みすえます


 朝食を終えて身支度を整えた風見は、仲間と一緒にアースドラゴンのタマや飛竜、馬に乗り、バルツィとりでに向かった。それには、東国での一件から行動を共にしているカトブレパスも同行する。彼の周囲を石化させる能力は、風見の霊核武装で無効化しないと、周囲に害がありすぎるからだ。
 そんな大所帯でとりでに近づくと、意外なものが目に入った。それは揃いのローブを羽織はおった集団である。

「あれはハドリア教の神官騎士ですね。白服しろふくも一部含まれています」

 風見と一緒にタマに騎乗していたクロエには、遠方からでも判別がついたようだ。
 想定していなかった事態に、風見は首をひねる。

「教会の行事でもないのに、なんで白服とかがここにいるんだ?」
「国際的な会議は軍事要素が絡まないよう、ハドリア教が取り仕切る場合があります。普通は宗教団体が割り込んでくるなと邪険にされますが、今回は事情が事情だからかもしれません」

 クロエの答えは、実にに落ちるものだった。
 要人には護衛が必ず同行するものだ。しかし護衛が幅を利かせて、おどしに走ったらどうだ。そんなものに国際会議が左右されるなら、最初から武力で争えばいいという話になってしまう。
 だから、中立の立場であるハドリア教が場を取り仕切るのだ。彼らはこの大陸の第一宗教であり、国同士の仲裁までになう。単なる宗教というより国連の役割に近いだろう。
 そんな風に風見が納得しているうちにとりで前に到着した。
 するとハドリア教の神官騎士たちが、わらわらとタマに近寄ろうとする。ハドリア教の敬愛するマレビト風見がアースドラゴンと行動していることは周知の事実。マレビトとドラゴンをの当たりにし、神官騎士たちは熱狂しているらしい。
 タマにとっては迷惑なものだ。人が増えるにつれて嫌悪感が強まるのか、風見とクロエが降りるなり、カトブレパスと共にこの場から離れた。民衆からは惜しむ声が上がるが、仕方がない。
 飛竜や馬から降りたリズらと合流していると、幾名かの白服が走ってくる。彼らは風見の前でこうべを垂れた。

「お初にお目にかかります。猊下げいかでいらっしゃいますね?」

 久方ぶりのお堅い平伏に、風見は苦笑気味で返す。

「ああ、そうだ。クロエから聞いたんだけど、ここにいるのは会談の運営を任されたハドリア教の関係者ってことでいいのか?」
「相違ありません。大陸の平穏へのご尽力、心より御礼申し上げます」

 白服の先頭にいる男性は、心から感服している様子だ。彼は片膝をつき、おもてを下げたままである。

「できる限りのことはしないと後味が悪いからな。ところで、そろそろ頭を上げてもらってもいいか?」

 風見が頼むと、先頭の男性は逡巡しゅんじゅんした様子で仲間を振り返り、うなずき合う。

「それでは失礼して。皇太子ユーリス様と東国のグローリア様は到着されています。猊下げいかも会議場に向かってください。追って、今回の意見役としてドニ様のご子息が到着されるはずです」

 風見はわかったとうなずいた。すると神官騎士たちは一行の武器を預かってから、会議場へ先導してくれる。
 とりでには神官騎士が何十人といる。クロエは見知った面々がなつかしいらしく、隣でひかえながらも周囲の人々に目をやりがちだった。
 道中会話がないのも辛いところなので、風見は先導の白服の男性に問いかける。

「ところで、ここにいる白服はクロエと面識があるのか?」
「もちろん。もっとも、私などは彼女の後塵こうじんを拝するばかりでしたが」
「いいえ。先輩方は優れた素質をお持ちなので、私が学ぶべきものは今でも多いと思います!」

 白服は神官騎士の中でも一部の者しかなれないエリートである。二十代半ばと見られるこの男性も、帝都の騎士団長や副団長を目指せるだけの逸材のはずだ。
 彼はクロエから向けられる尊敬の念を、笑顔で受け取る。

「ありがとう。しかし女性統括官のライラ様が手塩にかけて育てた君に比べれば、私はまだまだだ」
「あ、あはは。ライラ様……」

 ライラという名前が出た途端、クロエはおびえた表情になる。
 そういえば、ラダーチの街でその女性統括官とやらの話をした時もこんな様子だった。

「ライラ様って、前にも聞いた覚えがあるな。どんな人なんだ?」

 風見が尋ねると、クロエは体を縮こまらせる。

「厳しい方です。それだけに、指導について思い出したくないと言いますか……」

 こんな風に言いよどむなんて珍しいことだ。その人物はよほど厳しかったに違いない。
 その時、警備がより厳重な場所が見えてきた。指令室として使われることもあるバルツィとりでの屋上施設だ。どうもここが会議場となるらしい。
 その警備の中に、一人だけ目を引く人物がいることに気づいた。
 白服は肉体的に最盛期の二十代前後が多い中、白髪しらがが交ざりはじめた四、五十歳と見える女性が立っている。背筋がピンと伸びていて、気の抜けた様子なんて微塵みじんもない。
 周囲の警備が緊張していることから、正体は予想できる。

「呼びましたか、クロエ?」
「ひゃひぃっ!?」

 やはり、彼女が噂のライラであるらしい。
 クロエは彼女の声を耳にした途端、飛び上がる。ライラの声には謹聴きんちょうせよと軍隊じみた刷り込みでもあるかのようだ。
 脂汗あぶらあせを流しながら狼狽ろうばいするクロエ。彼女をするど見据みすえるライラの眼光は、まさに鬼教官のそれだ。そして、一つのため息と共に品評が下される。

「クロエ。そのように情けない姿を指導した覚えはありません。私は何を教えましたか?」
「かっ、風見様を誠心誠意お支えしていますが、その……。こっ、子作りはまだでっ――!」

 付き人としての役割には子作りも含まれるという。クロエは苦しい報告のせいで、お叱りがあると身構えた様子だ。それを見たライラはまたもため息をつく。
 何が悪いのかゆっくりたっぷりと自分で考えさせるを挟む、絶妙な圧迫感だ。

「それは一部の枢機卿すうききょうが命じたことでしょう。話を聞く限り、あなたが共にいる間に猊下げいかされた功績は恥じるものではありません。このまま精進しなさい」
「えっ。あ、はいっ。きもめいじます……!」

 思いがけず褒められて、クロエは面食らったようだが、すぐにうなずいて返す。

猊下げいか、かねてよりのご活躍、お祝い申し上げます。私は白服の統括長で、ライラ・リスト・クローウェルと申します」

 ライラはそのまま風見に視線を移し、改めて頭を下げた。マナー講座の女性講師のように優雅な振る舞いで言葉を続ける。

「付き人は、白服ならば誰もが望む栄誉。当然、優秀な者が選ばれますが、このクロエにはまだ至らぬ点があります。が門下生の中に彼女より優れた者がいないとも申せません」
「うっ。うぐぅっ……!?」

 冷静な言葉の一つ一つがやいばとなってクロエの胸に刺さり、彼女はうめく。そんな光景が隣で繰り広げられるものだから、風見はライラの話に集中できない。
 だが、その直後に「ですが」と続いて、流れに変化が生じた。

「彼女は伸びしろを有しておりました。その点で言えば、他者に引けを取るものではないと、私は確信しています。許されるならばお聞かせを。猊下げいかにとって、クロエは良き付き人ですか?」

 核心を問う言葉だ。クロエの不安を払拭ふっしょくするためにも、風見は胸を張って答える。

「そうですね。クロエは能力が高いのはもちろんですが、近頃は精神面でとても頼りになっています。クロエが付き人でよかったと思っています」
「それはこの上ない返答です」

 風見の返答にライラがうなずく。同じく言葉を耳にしたクロエは震えるほど喜びをいだいている様子だ。
 では、会場へご案内を、と事が運ぶと思った矢先、うぉぉーんと遠吠えが聞こえた。
 タマの声である。遊びで小さな声を漏らすことはあっても、このように声を上げることは滅多めったにない。何か大事でもあったのかと、風見はそちらの空をばっと振り返った。
 すると目に入ったのは、碧色あおいろの大翼だ。四肢に加えて翼を持つ竜――つまりドラゴンである。
 その姿を目で追うと、旋回したドラゴンがとりでの端に着地した。
 吹き下ろしてくる強風に耐えながらなんとか目を開き、その姿を見る。
 全長は二十メートルから三十メートルだろうか。溶岩を思わせるレッドドラゴンとは対極で、その竜鱗りゅうりんは海の色を投影したかのような色だ。
 強靭きょうじんさと身軽さを兼ね備えた火竜とも、強靭きょうじんさを追求した地竜ともまた異なる。
 尾はヒレに似て扁平へんぺいで、前脚にはこれまたヒレとも飾り毛とも見える部位を持つことから、水に適応しているのだろう。
 このドラゴンこそ、水竜の頂点、ブルードラゴンに違いない。

『よもやドラゴン以外の魔獣まじゅうが外界を歩き回る姿を見る日が来ようとは。なるほど。今代のマレビトはいずれも特異よな。そちがわらわうろこを与えし白服が守護するマレビトか』

 ブルードラゴンは、興味深そうに見つめてくる。けれど風見は驚きで言葉を失っていた。
 ここはブルードラゴンの領域から千キロは離れている。魔獣まじゅうが領域を離れるのは大きなリスクをともなうため、こんな遭遇はありえないはずなのだ。わざわざここまで来たことに疑問をいだかずにはいられない。
 そこまで考えて、風見はもう一人のマレビトであるアカネや、エレインらのことを思い出した。
 彼女らは武力侵攻を図る西国を止めるべく、魔獣まじゅうに助力を求めていた。その次なる目標こそ、ブルードラゴンだったはずである。この来訪は、それに関連することだろうか。
 予想は遠からずだったらしい。ドラゴンの背から見覚えのある女性が降りてきた。
 彼女はよくかされた髪をなびかせて歩いてくる。その容姿やたたずまいに確かな気品を感じさせる一方、そこらの冒険者に負けない芯の強さを瞳に秘めた女性だ。
 記憶にも色濃く残っている。彼女はこの南の帝国における末席の姫、エレインである。
 以前会った時に彼女と行動を共にしていたのは、西国で召喚されたマレビトのアカネ、ドニの息子であるカインと、侍じみた剣士のシギンだった。
 けれどもエレインの後に続くのは見知らぬ男性一人だけだ。
 見かけは三十代後半から四十代。頭は硬い毛質の短髪で、あごには無精髭ぶしょうひげが生えている。
 彼はフルプレートのよろいではなく、体の線に合う竜種か何かのスケイルアーマーを身につけている。
 よろいからして動きやすさを重視しているのだろう。実用性を追求してきたえ上げたに違いない筋肉は無駄がなく、がっしりとした体つきだ。そのたたずまいを文字で表現するならば、武人の二文字以外にない。
 そんな男性を後ろにひきいて、エレインが近づいてくる。

「お久しぶりね、カザミ。大事はなさそうで何よりよ」
「あぁ、久しぶり。そっちはどうなんだ?」

 行動を共にしているはずの仲間がいないから、悪い想像をしてしまう。
 その勘は当たらずとも遠からずなのか、エレインは悩ましげな顔で答えた。

「平穏無事とは言いがたいわね。だから私とだけで来たわけだし。でも安心していいわ。面倒な事態に見舞われているだけで誰かが欠けたわけではないから」

 そう言ったエレインは、後ろにひかえる男性に手を向ける。

「紹介するわ。彼は北国のレギオニス中将。北国の軍事を束ねる総帥そうすいのご子息よ。北国内において対西国の軍事を統括している偉い人」

 王族の次に偉いと言っていい人物だ。予定にないその登場に周囲はざわめく。

「それも過去の話だ。すでに軍も将来もあったものではない」

 レギオニスと紹介された彼はエレインの話に首を横に振り、前に出てくる。彼は風見より頭一つ分は背が高い上、きたえ上げた体付きでかなり大柄だ。しかしながら脳筋という雰囲気はない。実力も込みでその地位についているのか、理知的な印象も感じられた。

「これから西国についての会談でしょう。それに関して彼からも話したいことがあるそうなのよ」
「え。でもいくらか前に北国は国境線で敗走して、西国に侵略されつつあるって……」

 話を持ちかけてきても手遅れ。そんな考えを思わず口に出してしまい、風見は慌てて黙る。
 レギオニスはそれに対し、静かにうなずいた。

「確かに出鼻をくじかれた上に敗色が濃い。これから西国を押し返すのは難しいだろう。だが、それでもまだ全てが終わったわけではない。私には託された使命がある」

 深刻な表情で語ったレギオニスには相当な決意がうかがえる。エレインもそれにうなずいた。

「私にも彼にも、今日の会談ではすべきことがあるの。監督役のあなたたちもよろしく頼むわね」

 エレインはまずライラたち白服に会釈えしゃくした。
 次に目をやったのは、風見の後ろにひかえていたリズだ。
 先日、リズはカインの父であるドニを刺殺した。そのことが伝わっているからに違いない。
 風見は緊張の面持おももちで二人のやりとりに注視する。

「そっくりさんがいるけれど、私が会ったことがあるのはあなたでいいのかしら?」

 リズとサヤは双子だ。迷うのも無理はない。とはいえ、最後に会った時の容姿そのままなのはリズだ。それに意味ありげに視線をやっているのもリズなので、察したのだろう。
 風見はせめてフォローしようかとリズに目配せをした。だが、彼女は首を横に振る。

「合っているよ。それから、私から言うことがある」
「お義父とうさんのことよね。わかっているわ。そのために私は一人で来たんだもの」
「おとうさん? ……えっと、それは皇帝じゃないよな。ドニさんのことか?」

 エレインの言葉に違和感を覚えて、風見は戸惑う。それに対して彼女はしかとうなずいた。

「ええ、ドニさんのこと。先日、カインと結婚したからドニさんは私にとって義理の父になったの」
「いやいやいや、そんな先日引っ越しましたみたいに軽く言われても!?」

 先日と言うからにはひと月もさかのぼらないことだろう。
 驚くと同時に、疑問をいだく。いくら末席の姫でも、噂も気配もなくいきなり有力貴族と結婚することなんて、ありえるのだろうか。

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100年に1度蘇るという不死の竜「ウロボロス」 強大な力を持つが故に歴代の勇者たちの試練の相手として、ウロボロスは蘇りと絶命を繰り返してきた。 ウロボロス「いい加減にしろ!!」ついにブチギレたウロボロスは自ら命を断ち、復活する事なくその姿を消した・・・ハズだった。 ・作者の拙い挿絵付きですので苦手な方はご注意を ・この作品はすでに中断しており、リメイク版が別に存在しております。

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