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5巻
5-1
しおりを挟むプロローグ
竜の巣の頂で、彼は眠っている。この地を統べる魔獣として挑戦者を待つ一方、彼――レッドドラゴンは遠い過去を夢に見るために、多くの時間を費やしていた。
夢の中にいるのは、自分の他に二人。一人は人間で、もう一人は化け物混じりの半人半魔だ。
寝そべる自分の頭上に半人半魔の少女がうつぶせで四肢を広げている。それだけならまだしも、足をバタつかせたり頭を叩いてきたりと好き放題だ。人間のように眉があったら、ひそめて眉間のしわを深めたところである。
人間の男はそれを見てかっかと笑い、さも愉快そうにするだけだ。
竜の身に比べれば虫のように小さな彼らは、まさしく羽虫並みに鬱陶しかった。
人も魔物も畏怖して見上げるはずの自分に対し、この二人はなんの遠慮もない。
旧知の友の如くからかってくるし、全幅の信頼を置いて背を任せてくるし、当たり前のように傍らにいる。こんな存在に出会うドラゴンなど、数えるほどもいないだろう。
ドラゴンとは本来、孤高な存在だ。それは何物にも勝る力を持つが故に。そしてなにより、己の肉体が、この世界に存在する全ての他者を拒むが故に。
それが天に与えられた祝福であり、呪いなのだ。
にもかかわらず、このように接してくる存在に出会ったのは幸か不幸か。
彼らと共にいるうちに、煩わしさがいつしか別の感情に変わっていた。その理由を、どう言葉にすればいいだろう。情にほだされたという言葉のみでは足りない。
思い返せば、彼らは忌々しくも懐かしく、そして尊い存在だった。この世に生まれ落ちてから幾星霜が過ぎたが、まともに背を許したのはこの二人くらいなものだろう。
けれども種族の違いは大きい。三者はそれぞれ、生きる時間が違いすぎた。
あの人間と過ごせたのはたった数十年で、もう二度と声を聞くことも触れることもできない。
そのためドラゴンは、彼らに再会できるこの泡沫の時間を大事にしていた。
だが、夢は何者かに土足で踏み込まれ、邪魔される。
「ハチ。ハーチィー? これほど呑気に寝るのは不用心がすぎると思うのだけれど」
静かに目を開けると、眼球の間近に非常識な者がいた。
どうも、曲者は頭の上からこちらを覗き込んで、この行為に及んでいるらしい。曲者の長い髪がカーテンのように視界を遮り、その隙間から光が入ってくるので、目がちかちかして実に不愉快だ。
『慎め、小娘が。目障りこの上ない』
「あらあら、懐かしいものですわ。そういえばこんな風にたしなめられたこともあったかしら」
一思いに振り落としてやろうかと思ったが、ドラゴンはやめた。
やろうと思えば人間程度の体なんて石ころのように飛ばせてしまえる。しかしこの身軽な女狐にそんなことをしても意味がない。今、目の前で彼女がやってみせた通り、ひらりと着地されるのがオチである。
そう、女狐だ。狐の耳と九つの尾を持ち、亜人種ウェアフォックスとも異質な、半人半魔。
かつては二代目マレビトの娘だと知る者も多くいたが、今はもう少ない。名前はココノビ――いや、最近はキュウビと名乗っていただろうか。
自分も彼女もあのマレビトに名を付けられたという点では同じだが、彼女は下手な輩に呼ばれたくないとその名を後生大事に隠しているらしい。彼の命名を嫌っている自分とは大違いである。
『貴様がこの場に足を運ぶことなど久しくなかったであろう。何用だ?』
「少し興味をそそられたことがあったから、買い物ついでに遠出をしてみようかと思ったの」
さっさと本題を言えばいいものを、キュウビはふふと口元に笑みを作ってもったいぶった。
記憶の中では無邪気な少女だったのに、千年も経てばこんな女になる。七面倒くさい限りだ。ドラゴンは彼女を強く睨み、話の続きを急かした。
「五代目のマレビトがここを目指して旅をしていると聞いたわ。以前、ここにいたアースドラゴンも今は彼と共にいるそうよ。面白いと思わない? 最初は興味を持っていなかったのだけれど、関係者に話を聞いたら会ってみたくなってしまったわ」
『ほう。あやつめ、いつまでも戻らぬと思えばそのようなものに出くわしていたか』
「あなたも感慨深いでしょう、ハチ?」
『黙れ。その名を口にするな』
牙を剥き、キュウビを威嚇する。普通の人間なら卒倒しそうなものだが、彼女は平然と笑って鼻先を撫でてくるだけだった。
この血縁は本当に忌々しい限りだと鼻を鳴らす。
ともあれ、彼女がもたらした情報は有益だ。近頃はこの頂まで到達できる冒険者も少なく、暇を持て余していたところである。ドラゴンは体を起こし、双翼をはためかせた。
「もしかすると、会いにいくつもりかしら?」
『行かぬわけにもゆくまい。マレビトなどどうでも良いが、あやつは捨て置けぬ。少なくとも、我らの責務を伝えるまではな。貴様はどうする。必要ならば、背を貸すが?』
「遠慮しておくわ。わたくしはもうしばらく、飛竜の上から彼らの姿を眺めておきたいの」
『勝手にするがいい』
見ればこの場の片隅で縮み上がっている飛竜がいた。
人を丸呑みにしてしまえそうな巨躯の成熟個体とはいえ、レッドドラゴンからすれば自分の三分の一の大きさにも満たない小物だ。ギロリとひと睨みしただけで、飛竜は岩陰に隠れてしまった。
今はこれが彼女の翼らしい。竜を名乗るには、これもまた学びが足りないようだ。
「ハチ、彼らに変なことはしないでね?」
『無論だ。この場以外で人間と語らうわけがない』
眠りを邪魔された苛立ちの腹いせくらいはするだろうが、死者を出すつもりは毛頭ない。
さて、ついでに此度のマレビトの顔を拝んでおこうかと、レッドドラゴンは飛び立つのだった。
第一章 自慢の息子さんらしいです。
スシーバの街を出てから二日目の昼。
風見心悟たちはドラゴンレイクという集落を経由して竜の巣目前の高原に到達していた。
並の山なら見下ろせそうな標高まで登ってきたので絶景を期待したのだが、残念ながら当てが外れた。どうやらここは、岩壁に挟まれた草原地帯らしい。起伏はとても緩やかで、今まで岩だらけの登り坂を歩いてきていたのが嘘のようである。
目的の竜の巣は、このだだっ広い草原からさらに数キロ先だ。
そこの岩壁には石窟のようなものがあるという。それが竜の巣の外面だそうだが、中は見かけから想像できないほど入り組んでいるらしい。
なにしろ、竜の巣は古い遺跡と魔物が掘った洞窟、さらには山を真っ二つに裂くような峡谷が交ざった複雑なダンジョンなのだそうだ。行き止まりやモンスターハウスの存在を考えたら、どうしても攻略に時間がかかる、とリズはため息をついていた。
一方の風見は獣医の彼らしく、そんな穴を掘れる固有種が見られるかも、と目を輝かせていたが。
彼らはダンジョンで夜を明かすという愚を犯さないよう、早朝から草原に足を踏み入れた。
しかし、事は上手く運ばず、すぐに足止めを食らった。いや、彼らだけではない。竜の巣に挑戦する冒険者は皆、一度はここで歩みを妨げられる。
原因は草原を闊歩する生物にあった。
ここは全長三メートルにもなる牛頭人身の怪物、ミノタウロスの生息地なのである。
彼らの外見を簡単に例えると、二足歩行する牛を鍛え上げて作ったマッチョだ。
大胸筋はこれでもかというほど膨れ上がっているし、剛体から伸びる二本の腕もまた太い。折り重なった筋隆起は遠目でも鍛えっぷりがうかがえる。
こんな上半身だけでもお引き取り願いたいのだが、巨木のような大腿部といい、大地をしっかりと掴む大きな蹄といい、下半身も、重量級の上半身を支えるにふさわしい引き締まり方だ。
何もしていないのに『ゴゴゴゴゴ』とか『メキメキィ』といった擬音が聞こえてきそうである。
ほとんどの魔物には無警戒に近付く風見も、ミノタウロスとの触れ合いだけは拒否した。彼は冷や汗を流し、ハグしたら絶対死ねると呟いている。
「シンゴ、あまり離れすぎるな。もしもの時に私たちの手が届かなくなる!」
「そんなこと言ったって――危なっ!? 近くにいると岩の破片が飛んできて援護どころじゃないんだよ! クロエ、リズを頼む!」
「あのっ、外皮が分厚すぎて攻撃が通っている気がしないのですが!」
ぎゃあぎゃあと喚く三人は、ミノタウロス一体と対峙していた。
なんの冗談か、彼の筋肉はクロエの拳を通さない。リズの律法すら弾く。ついでに刃も押し留めてしまうのだ。筋肉のロマンを理解している風見も、これには目を疑う。
さらに悪いことに、筋肉を覆う赤黒い体皮にはごわごわとした毛が生えている。
解剖の経験上、風見はこういうものの厄介さを熟知していた。
弛んだ皮膚や羽毛、分厚い脂肪は刃物の天敵なのだ。グニグニと動く皮膚は刃を拒み、毛は密集すればするほど鎖帷子のように機能する。脂肪は刃にべったりとこびりついて、鋭利さを奪うのだ。
そんな皮膚にも、風見の矢だけは突き立つ。グランドオークとゴーレムという二種の付加武装による強化は、一射をライフル銃の一撃にも等しいものに高めてくれていた。
だが――
「浅いな。筋肉に達するかどうかってところで止まってる……」
刺さるものの、この巨体である。矢の一本なんて針の一刺しのようなものだろう。
ならば急所だと風見は目を狙った。しかしそれも、ミノタウロスがちょっと上体を動かせば空を切ったり、額などの特に硬い部分に当たったりして有効打になる気配がない。
「ダメだ、これじゃ意味がないな。ちょっと俺は観察に徹する。対応は二人に任せたっ」
「任せてください!」
「そーだね。弱点の一つでも探してくれた方が助かる」
声をかけると二人は即座に答えてくれる。
風見は本来、弓ではなく知識で戦う人間だ。薬を用意したり、身体的弱点を突いたりすることで戦力差を補っている。下手な支援射撃で前衛の動きを制限するくらいなら、ミノタウロスの身体的特徴から弱点を見極める方が有益だろう。
「さて、背中を撃たれる心配はなくなったね」
「風見様は誤射なんてしませんっ。無駄口を叩いていると前から攻撃されますよ!」
はいはいと肩を竦めるリズに無数の石が殺到する。
二人は上手く立ち回るが、ミノタウロスの殴打は直撃しなくても脅威だ。なぜなら彼らの蹄による殴打は道に転がる大岩を抉り、破片を飛ばしてくるのである。
ミノタウロスはゴーレムと違い、これといった弱点が知られていない。その上に攻撃範囲が広く、素早いために律法を使う暇も与えてくれない。だから多くの冒険者が苦戦させられるのだ。
とはいえミノタウロスは所詮、中級上位程度の実力。リズとクロエならば交戦経験や武器次第ですぐに圧倒できる相手である。あと数戦も経験すれば、きっと状況は変わってくるだろう。
「もういい、一旦退くよ。一体でこの調子なら進むのは無謀だ」
「いえ、待ってください。今度は鎖で――」
「体格差がありすぎるし、失敗した時にフォローしきれない。それに私たちは騒ぎすぎた。じきに他のミノタウロスも駆けつけるだろうから却下だ。もっと早く仕留めんと話にならんよ」
早々に諦めたリズはクロエと前衛を交代すると短く詠唱し、岩石の飛礫を放つ。大したダメージにはならなくても、目くらましにはなるだろうと踏んでのことだ。
けれど暴れ出したミノタウロスはその程度では止まらない。
『ヴォォォォォォーーっ!!』
喉を震わせる大絶叫と共に、ミノタウロスは両手を勢いよく地面に叩きつけた。
隕石を思わせる一撃は硬い地面を楽々と砕き割る。それは土埃を上げるだけに留まらない。同時に、茶色い幻光が地面を走って煌めいた。
「ちっ。クロエ、跳べっ!」
「はいっ」
リズはクロエに指示し、自分はバックステップで茶色い幻光の範囲外へと逃げた。地属性の律法なので、どんな攻撃が来るか事前に察知できたらしい。
直後、幻光の軌跡は爆破されたかのように吹き飛んだ。
ひび割れ、土砂を巻き上げた地面は、巨大なクレーター状に陥没する。もしも巻き込まれていたなら、足を取られて大きな隙を作っていたことだろう。
宙にいたクロエはリズに鎖を投げ、引いてもらって危機を脱した。だが、ミノタウロスはそれにもすぐに追いついて蹄を振り上げてくる。
彼女らは逃走にも苦戦している様子だ。
しかしそうして稼いでくれた時間のおかげで、風見の観察結果が出ようとしていた。
よくよく見れば、このミノタウロスはギリシャ神話の牛頭人身の怪物とは似て非なるものだ。
例えば上顎に歯が存在しないし、四肢は全てが偶蹄。大腿二頭筋は浅殿筋と癒合しており、反芻類や豚と同じように特徴的な形の隆起を作っている。つまり直立こそしているものの、特徴は全て牛だった。ならば牛と同じ弱点を突く価値はあるかもしれない。
風見は二人に向かって叫ぶ。
「距離を取るな! 多分そいつは距離感覚が甘いからギリギリで躱した方がいい。あと左の体側に岩の塊をぶつけてくれ!」
「信用できるんだろうね!?」
「多分!」
明瞭な指示の割に、この一言である。リズは喉元まで出かかったため息を堪えた。
ずがずがと走って地面を揺らす巨体を前に気を引き締める。リズはミノタウロスの蹄の振り上げ方や体勢からその軌道を見極めると、体一つ分だけ横に移動した。
そんな彼女の横髪を掠め、ずむん! とミノタウロスの蹄が地面に沈む。蹄に当たっていたら頭から足まで潰されていただろう。どうやら風見の言葉通りだったらしい。
「Eu escrevo isto Elevacao」
今度はリズが律法を発動させ、岩塊をミノタウロスの左脇腹に叩きつける。
今まで何度か他の部位にぶつけたが、その時はよろけさせるのが精一杯だった。しかし今回は明らかに反応が違う。ミノタウロスはゴアッと呻き、僅かに怯んだ。
牛は複数の胃を持つ。
そのうちの第一胃はいつも膨れていて腹腔の四分の三――つまり左体側のほとんどを埋めている。膨れた胃を圧迫すれば苦しいのは生物共通だ。岩塊の衝撃はちゃんと胃に届いたらしい。
外面だけではなく内部も牛に似た作りのようだとわかって、風見は安心した。
「まったく、ようやくか……!」
この隙に仕留めようとリズは一気に踏み込み、頚動脈を狙ってサーベルを振るう。
だが、刃はひゅんと空を切った。ミノタウロスがダメージから回復し、皮一枚で届かなかったのだ。しかもミノタウロスは失敗を学習し、これ以上は近寄らせまいと腕を大きく振り払う。
後退を強いられて、リズはちぃっと舌を打った。
彼女がミノタウロスの気を引いているうちに、風見は次の指示を飛ばす。
「クロエ! 牛の胴締め、覚えているな? どうにかしてあれをできないか!?」
「あっ、はい。では手をお借りします!」
すぐさま風見のもとに駆けつけたクロエはグランドオークの腕輪に触れる。
「Eu escrevo isto Acelere De excesso Ligacao!」
細胞分裂を早める詠唱と、その強化の呪文だ。けれどそれに続く四節目に風見が聞き覚えのない言葉が追加されていた。そういえば以前、オーヴィルもこのような四節の律法を唱えていただろうか。
白い幻光が地面を駆け、ミノタウロスを囲む。
すると周囲の草が一斉に伸長し、四方八方からミノタウロスに襲いかかった。カウボーイの投げ縄のように絡みついた草は、脇の下と太ももの付け根をギチギチと強く締め上げている。
しかし、たったそれだけだ。腕には一切草が絡んでいないし、足も自由に動く。拘束には程遠い縛り方である。
こんなものでミノタウロスの動きを止められるのだろうかとリズは疑わしげに顔をしかめ、サーベルを構えていたのだが――。数秒も経つと、ミノタウロスはこてんと地面に転がってしまった。その気になれば草なんて引き千切れるだろうに、暴れもしない。
「また怪しげな。なんでこんなものでミノタウロスが倒れるかな……」
リズは心底不審がった。
自分なら脇の下と太ももの付け根なんて、いくら締められても立ち上がれる。にもかかわらず、ミノタウロスは息を荒くするだけで起き上がれないなんて、奇妙以外の何物でもない。
彼女はありったけの疑惑を込めた視線で風見を見つめる。すると彼は困ったように苦笑した。
「理屈は俺もよく知らない。調べても結局わからなかったことなんだけど、牛を暴れさせずに寝転がす技術といえば、この胴締めって教えられてきたんだ」
脇の下と、太ももの付け根にロープをかけて締めるように引っ張るだけなのだが、不思議とこれで牛は寝転がる。胃を圧迫するから、筋肉が弛緩するポイントを押さえるから……などなど、それらしい理屈は思い付くけれど、正確なところは不明だ。
特定のことをするとぴたりと動きが止まる習性を持つ動物は、意外と多い。
例えば母獣に首筋を噛まれて運ばれる間、子供が大人しくなることは有名だろう。他にも、羊を羽交い締めするようにして腰で座らせたり、発情期の動物の太ももの付け根を押さえたりすれば動きが止まる。
今回の風見の指示はそれらを応用したものである。魔物といえども、動物と全く異なる存在ではないのだ。
ひとまずこれで安心かと三人は息をついた。
しかし、休む暇はないらしい。かなりの速度で近づいてくる足音が耳に届く。そちらに目をやると、遠方から複数のミノタウロスが向かってきているのが確認できた。
闘牛に似た、四足歩行で突進してきているのが三体。加えて中央には、後ろ足二本で陸上部のスプリンターのような走りをするミノタウロスが一体、という団体さんである。
「こわっ! なんかすごいのが混じってる!?」
速度以上に怖いものを感じ、風見は早く逃げるべきだと二人に視線を投げた。
「言わんこっちゃないね。今日の戦闘はこれで切り上げだ。シンゴとクロエは先に行け」
無論、反対する気などないリズはクロエに風見を任せ、詠唱を開始する。これだけ距離が開いていれば、攻撃法はいくらでもあるのだ。
彼女はミノタウロスの周囲に大量の石槍を出現させる。
一個や二個では平気で突進してくるだろうが、波濤のような物量はさすがに突破できなかったらしい。ミノタウロスたちは勢いを削がれ、やがて立ち止まった。
追跡がなくなったことを確認し、リズはすぐに風見らのあとを追う。
彼らは平原を戻り、大岩だけでなく大小の石も転がる坂道までやって来ると、ようやく息をついた。この辺りは、足を取られたり体がつっかえたりするせいか、ミノタウロスは滅多に出現しないエリアらしい。
「はぁー。あと何度か戦って慣れないと、ここの突破は無理か。クイナのところに十日で戻るのは難しそうだな」
「はい。突発的な事態が怖いので、せめて私とリズで一体ずつ押さえられるくらいになるまでは、この辺りで肩慣らしが必要ですね」
「タマの力ばっかりに頼ってもいられないしな」
タマは単なる魔物とは桁違いの強さを誇るアースドラゴンだ。文字通り蹴散らしてくれるだろうが、武器代わりにするために仲良くなったわけではない。そんな役目を押し付けるのは不本意である。
それに、理由はわからないが、竜の巣付近に来てからのタマは変だった。先に進もうとすると帰宅を嫌がる犬のように前脚を突っ張らせ、歩みを止めてしまうのである。加勢してくれるどころかついてくる気もなさそうだったので、仕方なくこの辺りで待ってもらうことにしたのだ。
きっとここにいるだろうと、風見は周囲を見回す。
アースドラゴンであるタマの鱗は水晶によく似た形状のため、このような岩の群れによく溶け込む。まったく知らない人が遠目に見ただけでは、変な形の岩としか思わないだろう。しかし慣れた目ならば、全長四十メートルにもなる巨大さ故にすぐ見つけられる。
タマはどうやら、半身が埋まる程度の穴を掘って擬態していたようだ。巨体の割にハリネズミのような隠れ方である。
「やっぱりここで待ってたか。それにしても、本当に元気がないな」
岩をぴょんぴょんと跳んで近付き、風見はタマの鼻先を撫でる。タマは体調が悪いわけではなさそうだが、身を低くしたまま、ぐるぅ……と小さく唸るだけであった。
判然としないものの、タマの不調の原因は『空にある』らしい。元気がなくなったあたりから、どうも空を気にして見上げることが増えていた。
この晴天だ。原因は天候ではないだろう。風見はタマに問いかける。
「どーしたんだ、タマ。やっぱりこの辺りはドラゴンの臭いがするから気になるのか?」
レッドドラゴンが棲むという竜の巣なので、それもありそうだ。しかし同じく臭いに敏感なリズに目を向けてみると、首を振って返された。
「そんな特別な臭いはせんよ。それに臭いだけじゃ相手の姿形はわからん。そうやって空を気にするってことは、空に何かあるか、空から何か来る気がするのかな?」
と、その時。突然びくりと体を震わせ、タマは空を見上げる。
それにつられて顔を上げた風見は、遠くの空で動く物体を目に捉えた。
それは分厚い雲を掻っ切って現れると、二枚の大翼を広げ、猛烈な速度でこちらへ飛んでくる。まだ高く遠い場所にいるはずなのに、形まではっきりとわかった。それは、四肢と翼を持つ紅い何かだ。
竜の巣目前のここでそんな姿を持つ者は、ただ一つだろう。
もしかして、あれが……?
呆気に取られていると、ぐいと体を持ち上げられた。タマが風見の後ろ襟を咥え上げたのだ。しかも何を思ったのか、タマは跳ねてそこから逃げ出す。
まさに脱兎の如き反応だ。
「うおっ!?」
「シンゴっ!」
「風見様っ!?」
リズとクロエを置き去りに、タマは岩石地帯を一気に飛び越える。
山のうねも翼を使って越えようとするのだが――猛烈な吹き降ろしの風が目の前に叩きつけられ、それと共に降り立った何かに行く手を阻まれた。
風が過ぎ去り、ようやく目を開けることのできた風見は言葉をなくす。
そこにいたのは、紅いドラゴンだ。
かつてのヒュドラのように実用と芸術の両方を突きつめた竜鱗が見える。だが、その輝きはまったく別種のものだ。
陽光を反射し、赤く燃えるほどの輝きを放つ鱗の一枚一枚は、伝説の金属ヒヒイロカネを思わせる。
そう、まさにヒヒイロカネの鎧だ。
竜鱗はただ体を覆うだけではなく、鋭く攻撃性の高い部位もあり、爬虫類の鱗とは一線を画している。尾は地竜のものとは違って特殊な形状をしていないが、これもまた凶器だと思わせるだけの重厚感があった。
そして力強く隆起した筋肉と、黒に染まった鉤爪もまた武器だろう。そんじょそこらの武具など容易に裂いてしまいそうな力強さは、アースドラゴンのそれにもひけを取らない。
なにより、双翼を広げた姿からひしひしと伝わる迫力といったらどうだ。魔獣の王たる風格を感じさせる。
目の前に存在しているのは、誰しもが思い浮かべる形のドラゴンだ。
ああ、これこそまさに幻想の極致。
生物学者として、そしてファンタジーを夢見る男として、風見は感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。
「お、おおおっ……。ドラゴン……! しかも、真っ先に思い浮かべる形の、紅い竜かっ!!」
タマほどではないが、このレッドドラゴンの大きさも凄まじい。尾まで合わせれば三十メートルはあるだろうか。これがぐるぐると唸っていたなら風見も腰を抜かしただろうが、相手は理性的で、襲いかかってくる気配は感じ取れなかった。
そこにようやくリズとクロエが追い付いてくる。ドラゴンはその存在を確かめるように一人一人順に視線を向けていった。その視線に、リズとクロエは反射的に身構えてしまう。
ドラゴンは最後にタマが咥えたままの風見を見つめ、目を細める。
『そういう貴様はマレビトであろう。珍しさならば大差ない』
「おお。話には聞いていたけど、本当に喋れるやつもいるんだな!」
『人間の言語は理解しているが、声を口に出しているわけではない。小間使いの魔物が律法で代弁しているに過ぎぬ』
ブルードラゴンはサトリという魔物を介して会話をすると聞いていたが、それと同様らしい。このドラゴンとの会話でも、言葉に不自由することはなさそうだ。
そう思い至り、風見はハッとする。そもそもこの旅は、レッドドラゴンにタマやマレビトという存在について聞くためのものだ。言葉を交わせるこの機会はまたとないものだろう。
「そうだ、こんな質問をしてる場合じゃない。俺たちはいろいろと教えてもらいたくてここまで来たんだ。まずなにより聞きたいことがある!」
『ほう、よかろう。我もすべきことがある。ならば互いに一つずつだ』
やはり彼にも、このように降り立った理由があるらしい。
しかし、許された質問は互いに一つ。心を落ち着けるために深呼吸して、風見は何を問うべきか熟考する。
やはりこれしかない。問いが定まった風見はレッドドラゴンを見上げた。
「あんな速度で空中ブレーキをかけたのに、翼は痛くないのか!? ほら、関節炎的な!」
「……シンゴ。あとで反省会」
「あ、はい」
ガッと握り拳を作って質問した風見の頬を、リズがサーベルの柄尻でぐりぐりと抉る。
見れば、彼女は目が笑っていない笑みを向けていた。きっとその〝反省会〟では正座させられた上で、また同じ顔を向けられるに違いない。
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高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
勇者のその後~地球に帰れなくなったので自分の為に異世界を住み良くしました~
十一屋 翠
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長く苦しい戦いの果てに、魔王を倒した勇者トウヤは地球に帰る事となった。
だがそこで予想もしない出来事が起きる。
なんとトウヤが強くなりすぎて元の世界に帰れなくなってしまったのだ。
仕方なくトウヤは元の世界に帰るアテが見つかるまで、平和になった世界を見て回る事にする。
しかし魔王との戦いで世界は荒廃しきっていた。
そんな世界の状況を見かねたトウヤは、異世界を復興させる為、ついでに自分が住み良くする為に、この世界の人間が想像も付かない様な改革を繰り広げてしまう。
「どうせいつかは地球に帰るんだし、ちょっとくらい住み良くしても良いよね」
これは故郷に帰れなくなった勇者が気軽に世界を発展させてしまう物語である。
ついでに本来勇者が手に入れる筈だった褒美も貰えるお話です。
※序盤は異世界の現状を探っているので本格的に発展させるのは10話辺りからです。
おかげさまで本作がアルファポリス様より書籍化が決定致しました!
それもこれも皆様の応援のお陰です! 書き下ろし要素もありますので、発売した際はぜひお手にとってみてください!
オタクおばさん転生する
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マンガとゲームと小説を、ゆるーく愛するおばさんがいぬの散歩中に異世界召喚に巻き込まれて転生した。
天使(見習い)さんにいろいろいただいて犬と共に森の中でのんびり暮そうと思っていたけど、いただいたものが思ったより強大な力だったためいろいろ予定が狂ってしまい、勇者さん達を回収しつつ奔走するお話になりそうです。
投稿ものんびりです。(なろうでも投稿しています)
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