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第1章 少々特殊なキャンパスライフ

第14話 臨床系研究室 ①

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 先週の基礎系研究室訪問では、生理学研究室が最もヘビーだったかもしれない。

 例えば微生物学講座では細菌の表面構造を精査したり、その感染の影響を血液生化学的に調べたり。
 生体ではなくシャーレや機器との睨めっこが多く、新鮮ではあるものの四人の中で琴線に触れる人はいなかった。

 衛生学は畜舎環境や肺炎について調べたり、大腸菌等の培養をおこなったりと微生物と似ているが少し現場も視野に入ってくる。

 寄生虫学は寄生虫自体や感染ルートを探すだけではなく、消化管に寄生した際に起こる腸表面構造の変化や、免疫応答の仕組みまで研究していた。
 これに関して朽木はほうと新たな興味を発見した様子で目を光らせていたのが印象的だった。

 その他感染症系の研究室は近年耳にした重症熱性血小板減少症候群SFTSやジカ熱を研究するために虫から遺伝子抽出などをおこなっていた。
 テレビで見聞きする先端医療や疾病の研究ができる研究室を選ぶ人もいるらしい。

 そうして基礎系の研究室巡りをひととおり終え、今週は臨床系と言われる分野の研究室巡りとなった。
 行先は臨床繁殖、放射線、外科、内科――そして外科でも内科でもない麻酔や眼科などを専門とする動物病院講座。これらがこの大学の臨床系研究室らしい。

「さあ、私のターンだね!」

 自分の番と動きを兼ねて言っているのか、渡瀬はその場でくるりと体を回転させた。
 基礎系研究室訪問の時ほどでないにしろ、朽木も拳を突き上げて、おー! と同じ勢いに乗っている。

 その一方で男性陣のノリが悪めだ。
 彼女らに合わせようと、日原が「お、おー……!」と遅れて拳を上げるくらいで、鹿島も腕を組んでいる。

 渡瀬は意外そうな顔で目を向けた。

「あ、あれ。二人とも、まさに動物病院内の仕事で、獣医の花形だよ? 興味ない!?」

 なんで!? と表情で疑問を呈する渡瀬を前に、日原は未だに苦笑気味だ。
 鹿島はそんな日原に目を向けた後、腕を組んで唸る。

「臨床系はなぁ、代表的なだけにもう想像に難くないと言うか……。俺的には薬理学や生化学の方が面白かった。興味を持てばそのまま大学での研究路線、臨床への応用の研究、製薬会社への就職。未知のものに挑戦しつつ、選択肢が多そうだしな」
「なるほど。鹿島君は確かにそういう白衣が似合いそうだね!」

 強く肯定する渡瀬に、鹿島もふふんと鼻が高そうだ。
 開示された入学試験結果では下限ギリギリだった上に犬猫、大動物への興味も少なめ。だというのに鹿島は彼なりの進路が見えている様子だ。

 それを見て、日原は何故かちくりと胸が痛むのを感じた。

 この反応を鹿島は先程から見ていたらしい。
 彼は胸を張るのもやめ、目を向けてきた。

「日原はまさか先週の栗原先輩が言っていたことをまだ気にしているのか?」
「あ、うん。そんなとこ、かな。はは……」

 なんだろうか。誰にとも言えないが、後ろめたい気持ちに苛まれ、日原は苦笑を浮かべてしまう。
 自然と集まる彼ら三人の視線を受けると、より一層胸の痛みは増した。

「僕は動物を飼ったことがなかったし、獣医を目指したのも親の勧めが強かった。熱心に目指した人より志が低いからさ、皆が迷いなく進むのを見て驚いているのかもね」

 高倍率の試験を乗り越えてきた。
 だからこそこんな差を目の当たりにすると、惜しくも受からなかった人に対して悪気を感じるのかもしれない。

 自分でも言語化しにくいことを横から見抜く鹿島の目には特別なものを感じた。
 彼は意味ありげに息を吐く。

「確かにこんな学科に来るのはハムスターやら犬猫やらを飼って、治療に強い意欲を持った人間だろうな。だがそれと違って、医学部崩れもいるみたいだぞ?」
「えっ、この偏差値で!?」
「医学部を狙うラインなら滑り止めに考えるのもいるんだろ。贅沢な悩みだけどな」

 驚きはしたが、日原は同時に納得していく。

 確かに獣医学科は偏差値的に医学部と同じか僅かに下だ。
 医者家系で、医者になれと強く言われる家でも、同じ医療系の獣医ならば面目は保たれるのだろう。

「動物に対する関心で言えば、日原と同じかもっと低いレベルなんじゃないのか? 実際にアンケートを取ったわけじゃないから知らないが」
「……その人たちってさ、その後、どうしたんだろ」

 周囲の志の高さを思えば、途中でついていけなくなることもあるかもしれない。
 そんな気持ちでぼやくと、後ろ向きなことを察した渡瀬や朽木が心配の表情を向けてきた。

 鹿島はその辺りを気にせずに答える。

「転学した先輩もいるし、面白さを発見してこの業界にのめり込んだ人もいると聞いた。あとはとりあえず卒業までと続けた人もいたかもしれん」
「のめり込んで……?」

 その言葉に、日原は少しだけ期待を抱いた。
 鹿島も前もって調べたわけではないらしく、これ以上の説明はできずに肩を竦める。

「まあ、日原は転学をする人よりよっぽど動物に向き合っているだろ。勉強も真面目にしているし、猫のことだって常々気にしている。恋って何なんだろうって憂いている乙女みたいなもんじゃないのか? 思春期だな。現役合格の十八歳だもんな」
「いやいや、乙女って!?」

 動物の死に目などをきっかけに、自分が抱いた気持ちの多寡に気付くのが獣医の志に繋がるのなら、恋心に気付く過程と似ているとも言えるかもしれない。
 だが、眼鏡を光らせ、それをせせら笑われると妙に癪に障るものだ。

 とはいえ空気の変化は望ましいものだった。
 日原のみならず渡瀬と朽木もそう感じていたのか、心配の表情が移ろいでいた。

 鹿島の表情を変えてやろうと日原は掴みかかったのだが、彼の言葉は続いた。

「日原がいないと俺たちの単位にも障りそうだからな。卒業まで付き合ってもらうぞ?」
「いや、もうちょっとマシな言い方をしろってば!?」

 そうは言ってみるものの、はははと笑われるだけだ。
 身長差もあるので力尽くで言うことを聞かせるのは断念する。

 まあ、これも戯れだ。
 顔を上げると、渡瀬は楽しそうな表情をしていた。

「うんうん、桃園の誓いみたいなものだよね。我ら生まれし時は違えど~的な?」
「我ら生まれし時は違えど、同じ会場で受かったので助け合い、同年、同月、同日に卒業せん……!」

 聞きかじったことを渡瀬がおぼろげに口にすると、朽木はそれを綺麗に取り繕った。
 珍しい趣味を持つ彼女は三国志に関しても手を伸ばしていたのかもしれない。

 得意げな朽木な表情を笑いつつ、四人は改めて明るい気持ちで研究室に向かう。

 最初の目的地は獣医学部棟近辺に建てられた畜舎だ。
 そこでは二頭のホルスタインと、四頭の黒毛和牛が飼育されている。
 見たところ、全頭を牧場外のスタンドに繋ぎ、直腸検査をしているところらしい。

 それを監督しているのが、ツナギ姿の大柄な男性だ。
 五十歳に差し掛かったところと見られる、臨床繁殖学の教授である。

 彼は遠巻きに見つめるこちらに顔を向けた。

「あぁー、時間が取れなくて申し訳ない。まあ、基本を見せると、この講座は名前の通り、牛を中心とした繁殖に関する講座だ。そのための繁殖周期の見極めや、繁殖障害の原因や治療法の研究、そして繁殖成績改善のための技術開発をおこなっている」

 教授の言葉に従い、注目する。
 研究室の生徒と思われる面々が、肩まで長さがある直腸検査用の手袋をつけて牛の尻にぐいぐいと手を入れていた。
 牛もこんなことをされて気分は良くないらしく、足踏みと一緒に身じろいでいる。

「解剖学的に、膣や子宮、卵巣は腸の真下に当たる。腸壁越しに卵巣を触って卵胞や卵黄の成長具合を確かめて、黄体遺残等の繁殖障害が見つかれば治療。大規模農場がするようにホルモンによって全ての牛が同じ時期に発情するようにするとか、凍結精子のストローを注入機にセットして人工授精とか、とことんまで繁殖に携わることになる」

 まさに産業動物に関わるならば王道と言える研究室だ。

 生体内では性周期がホルモンによって支配されているという話は高校生物ですでに学んでいる。
 それを商業的に応用するための研究なのだろう。
 生理学といい、臨床繁殖といい、高校生物での基礎が先に広がっていることがよくわかる。

「この研究室に入った人はどこに就職しているんですか?」

 元から実家で和牛の繁殖を見ていたという渡瀬は興味ありげに質問した。
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