金平糖の箱の中

由季

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その後の朝

ある街角の茶屋の、ある男の話。

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「それでよ、夢みてえな話なんだがな」

 山道を行っていたとき、足を踏み外しちまって、崖から落ちたんだよ。そりゃあもう、天地無用、どっちが地面だが、どっちがお天道様がわかんねえくらい転がった。

 ぐわんぐわんと回るのが治ったとえば地に背中を叩きつけられんだ。枝に引っかかってアチコチはいてぇし、目だって霞んだ。

「あの青空を見上げたとき、ああ、死んじまうなって思ったんだよ」
「にしては、元気だぁな」
「まあまあ、聞け聞け」

 なにしろ、人気のねえ山奥で、こんななっちまったら気づかねえだろう? ああ、こんな、山奥で死んだら熊にでも食われんのかなあと思ったのよ。ああ、こんなことなら、あれも食べてぇ、あれがしてぇって欲望が出て来るもんだね。

 日が沈みかけ、足音が聞こえてきたのよ。ああ助かったって思ったね。でも、山賊だったらどうしようって思ったのさ。ろくなもんはもっちゃあいなかったが、身ぐるみ剥がされたら、今度こそ死ぬ。

『うわ、人が転がってらぁ』
『死んでる?』

 男と女の声だったのさ。声を聞きゃあ山賊じゃねえ、普通の男と女の声よ。もう、これ通り過ぎたら本当に死ぬなと思って。いてえ胸を我慢しながら、絞り出したわけ。

『い……生きてら……』
『どっから落ちてきたんだ?』
『う……うえ……から……』
『上だぁ?  ……うわ!  あんなとこから落ちてきたのか』
『よく死ななかったなぁ』

 少し笑いながら言うわけ。こっちは死にかけてるのに、なんて野郎だと思うだろう?少しイラつきながら、目を開いたんだ

「そしたらだ」
「……そしたら?」

 そりゃあもう、えらい美人だったんだよ。

「なんだぁ、そんな話かい。きいて損した」
「いやぁ聞け聞け!  ここらへんじゃお目にかかれねえくらい、大層なべっぴんだった」

 俺はもう、死んだと思ったね。天女が迎えにきたって。
 赤い夕焼け、照らされる白い肌……つぶらな大きい目が俺を覗いてるんだ。そりゃ、死んだと思うだろう?

『て……天女様かい……』
『ふ、ふはは!  きいたかい、天女だってさ!』
『笑ってないで、助けておやりよ』

 そんで遅れてきたのが、これがまあ美男子で!  一眼見りゃあ、女と間違うくらいだ。でもしっかり髪は剃ってる。美しさって、男女関係ねえんだなあと思ったよ、俺は。

「おめえとは正反対だな」
「うるせえなあ」

 水を飲ませてくれたんだ、川から汲んできたやつだって言ってよ。あれほどうまかった水はねえな。
 少し落ち着いたら、周りが見えてきて。2人は笠被ってんだ。まるで俗世から姿を隠すみてえに。ほら、まんま天女だろ?

『小屋に連れて行こう』
『ええ、引き戻すのかい?  今日出るつもりだったんだろう』
『今日も明日変わらない、一日一善っていうだろ……歩けるかい?』
『あ……ああ……すまねえ……』

 男の肩を借りて、小屋まで歩いたんだ。細いけどしっかりしている肩だった。ああ助かったって安心したね。

「それで、見えてきたのはボロ小屋だ」
「ボロ小屋ぁ?」
「山奥の捨ててあるような小屋だった」
「おめぇそれ、罪人かなにかじゃねえだろうな」
「いいや違う。お前はほんと、曲がった見方しかできねえな」
「それが妥当だろう」

 そのお方たちは、笛吹いて歌歌って渡り歩いてるんだって言ってたよ。宿がないときは、苦肉の策でこういうところに泊まるんだ、って。少し掃除すれば囲炉裏も使えるし、少しの間だけだからと笑ってた。
 持ってた着物を布団にしてくれて、寝かしてくれた。粥も作ってくれたよ。いやぁ、旨かった。

『いやぁ、本当に助かった』
『あんな高い所から落ちて骨折ってねえあんたもすごいよ』

 女の方は、男勝りなくちぶりでさ。でもべらぼうに美人なんだよ。
 きりりと上がった眉に通った鼻筋、口調は男勝りだが声も透き通ってやがる。なにもないってわかってる、分かりきってはいるがそわそわしちまったよ。

『運が良かったんだ……打ち身で痛いだろうが、今晩寝れば歩けるだろう』

 男の方はさ、優しく微笑んで、男だけど天女みてぇだっておもったね。囲炉裏の火を浴びて、男前ったら。同じ男とは思えねぇ肌で……伏し目がちな目なんか色っぽくて。その目で笛なんて吹いたら、きっとたちまち町娘の話題だ。

『お前さんたちがきたとき、本当に天国に逝っちまったのかと思ったよ』
『はは、変なこと言いやがる』
『本当だ、今見ても天女みてえで……天国のようだ』
『天国?』

 そう言うと、2人、目見合わせて切なげに笑うんだよ。それで、女が頭でも打ったんじゃないか、なんて言うんだ。なんだぁ、こんな美人ともなると、褒められても喜ばねえんだなと思ったね。

『2人は夫婦かい?』
『いいや』
『恋仲でも?』
『……詮索が好きなお方だ』
『へへ、すまねえ、あんまり綺麗だから気になっちまって』

 そういと、男の方は困ったように笑ったんだ。女の方はさ、囲炉裏の火を手を当てながら、歌を口ずさんでんだ。
 ああ、金でも取られないといいなと思うくらいの歌声だったよ。いつのまにかうとうとしてしまって、もう起きたら朝。
さみぃなと思って起きたら、囲炉裏はもう火は消えてんだ。

「なんだ、身ぐるみ剥がされてたってか?」
「いいや、それが」

 枕元にひとつ、握り飯が置いてあったんだよ。その脇に、木のかけらを紙代わりにして 食べてください 先に行きます って。達筆で綺麗な字だったぁ。
 一瞬、狐に化かされたと思ったぜ。けど、握り飯は泥団子にならねえし、手紙は木の葉にならねえ。

 いやぁほんとに、天女に助けられたって話で

「なんとか生きて帰ってこれたってわけよ」
「ほう、それで……落っこちる時に頼んだ酒を割ったって」
「そうそう……」
「……そんな物語みてえな話信じるかい!」
「信じてくれよ、後生だよ……あ、呉服屋の旦那だ、ほら見てみろ」
「話を逸らすな!」

 ぎゃあぎゃあと喚く友人を横目に、立派な着物の旦那を見た。ああ、生地が分厚くって、なんていったって老けても凛々しい顔に渋い色があってら。

 ああ、あそこまでの大店の旦那になりゃあ、あんな美女をはべらせるんだろうなぁ。

「おい!  聞いてんのか!」



街角の茶屋の、傷だらけの男の話。
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