上 下
4 / 101
1章 最強中年は敗北を求める

第4話 最強中年は挫折する

しおりを挟む
 一週間後の土曜日。
 今日は念願のロードバイクが納車される日だ。
 店主のシゲさんから納車の説明の後、ブレーキのかけ方と変速のやりかたを習った。
 特に念入りに習ったのが、『ビンディングシューズ』というペダルに固定出来るシューズの取り外し方だ。
 シューズをペダルに取り付けるのは、足裏のパーツの先端をペダルに引っ掛けた後に踏み込むだけだから簡単だ。
 でも外す方はなれない動きだからなかなか難しい。
 でも練習していないと、停車する時に転んでしまうから危険だ。
 ロードバイクを購入して最初に行うのが、シューズの取り外しの練習になるとは思いもよらなかった。
 一通り練習が終わった後、練習に付き合ってくれたシゲさんに別れを告げて店を出た。
 私の傍らには青色のロードバイクがあるーー我が愛車『ディープ・シー深海』だ!

 *

 翌日の早朝、西野と約束したヤビツ峠に向かって走る。
 待ち合わせ先は西野がサイコンに登録してくれているから、案内に従って走るだけだ。
 待ち合わせより30分早い5時30分を少し過ぎた所で、サイコンが目的地に着いた事を告げる。
 だが、約束していた『』という地名が見つからない。
 サイコンに案内された目的地の周辺を走りながら『』を探すが見つからない。
 途方に暮れてコンビニで立ち尽くしていると、全身茶色のジャージを着たガタイがいい男性に声をかけられた。

「お困りですか?」
「実は待ち合わせ場所の『』が見つからなくて困ってるのですよ。場所を知ってますか?」

 ボディービルダーの様な圧巻の体格だが、身に纏った雰囲気が落ち着いていて優しそうだったので『』の場所を聞いてみた。
 男性はすっと信号機の上の看板を指差した。
『名古木』……『なこぎ』がどうしたのだろう?

「あれで『名古木ながぬき』って読むのですよ」

 これは恥ずかしい事を聞いてしまったのだろうか。
 でも初めてで『名古木アレ』を『ながぬき』と読める人はいないと思うけど……

「げっ、何で南原なんばらいるの? 猛士の知り合いだった?」

 待ち合わせ相手の西野がスッと来て、ガタイがいい男性に話しかけた。

「待ち合わせ相手は西野でしたか。見るからに始めたばかりの初心者をヤビツ峠に連れてくるなんて、初心者狩りですか?」
「失礼ね! 後輩の指導、し、ど、う、よっ!」

 西野が男性をパシパシ親しげに叩く。
 南原と呼ばれた男性が西野の知り合いだった事も驚いたが、西野が知り合いに『ノノ』と呼ばれていない事に驚く。
 もしかして西野の事を『ノノ』って呼んでるのシゲさんだけだったのか?

「大変だと思うけど、頑張って下さい。それじゃお先に!」

 南原さんが僕に手を振り峠を上っていった。

「さて、私達も上りましょ? 私について来て?」

 信号が変わるのを待った後、西野に続いて坂を上り始める。
 結構キツイな。
 サイコンを覗くと時速12kmと表示されている。
 ロードバイクってこんなに遅いものなのか?
 右カーブに差し掛かた所で、だんだん西野との距離が開いていく。
 さらに先の左カーブに消えた西野を追って、私も左カーブを曲がって西野を探した。
 だが、眼前に広がったのは見通せない程に真っすぐに伸びる坂道。
 西野の姿は全く見えない。
 ペダルが更に重くなる……徒歩で登る様に右、左と交互にペダルを踏みしめる。
 これじゃ歩いた方がロードバイクの重量が無い分早いのではないだろうか?
 時速8kmを維持するのが限界だ。
 時速8kmより早く走れないし、時速8kmより遅くなれば転ぶと思う。
 体が重い、熱が逃げない、腰が痛い。
 ハッハッハッハァ! 不整脈の様に呼吸が乱雑になる。
 ーーそういえば子供の頃、鬼ごっこで塀の上によじ登って逃げられるのが近所の子供の勲章だったな。
 私も皆に自慢したくて必死に上り続けたよな。
 今思えばくだらない事だけど、あの頃は必死で毎日が輝いていたなーー
 まずい、走馬灯のように過去の努力の思い出が噴き出してくる。
 気は紛れたけど、ボケっとしていたら危険だ。
 歩く様にゆっくり走っているとはいえ、ここは公道なんだ。
 必死に耐えて上り続けると、道路の真ん中に鳥居がそびえ立っているのが見えた。
 脇には停車している西野いる。
 スタートから20分が経過したが、ここがゴールか!
 疲れ切った体に鞭を打ち、西野の隣まで登り切った。

「やっと追いついた。結構大変だったけど何とか登りきれたよ」
「何言ってるの? まだ全体の1/6くらいよ。先に道が続いているのが見えないの? 」

 ゴールの様にそびえ立つ鳥居のせいで勘違いしたが、西野の言う通り道は続いている。
 気づけなかったのではない……これ以上登らなければならない事を認めたくなかったのだ。
 西野に促されて再び上ろうと思ったが坂道発進が出来ない。
 西野に手伝ってもらっても足が動かない。
 情けないがこれ以上登れそうにもないから、仕方なく入口のコンビニまで下りた。
 疲れ切って座り込みながら西野に話しかける。

「すまないな。折角誘ってくれたのに無理そうだ」
「嫌になった?」

 西野がサングラス越しでも分かるくらいに不安そうな顔で私を見ている。
 私は自身の疲れと西野の不安を吹き飛ばす様に明るく振る舞う。

「次は何とかしてみるさ。手ごわい分、長く楽しめそうだしな」
「登り切れず挫折したのに、どうしてそんなに楽しそうなの?」

 私は西野になら、ロードバイクを始めた理由を教えても良いと思った。
 色々世話になった相手で、気が許せる相手だと感じ始めていたから。

「この年になるとさ、全力で挑んでくれる相手がいなくなるんだよ。『社会人として』とか適当な事を言ってはぐらかす。道『徳』とか美『徳』とか言うけどな、それはアンタにとって『得』なだけだろって思ってるよ。だから負けても全力で挑めるのは楽しい。西野は何で峠が好きなんだ?」
「峠が好きなんて一言も言ってないわよ」
「でも、好きだろ?」
「ーーそうね、私くらい可愛いと仕事でも助けてくれる人が沢山いるの……でもね、チヤホヤされてるんじゃないの。何もさせてもらえないだけ」
「つまらないか?」
「えぇ、でも峠は違う。峠の厳しさは誰に対しても平等なの。私だって猛士と同じでヒルクライムは苦しいのよ……だから好き」

 どうやら私と西野は同類のようだな。

『私は強さ故に仕事で戦う相手を失った』
『西野は可愛さ故に仕事する機会を失った』

 そして二人共、仕事の不満を解消する手段としてロードバイクを選んだのだ。

「待ってたのに、登ってこないから心配しましたよ」

 坂を下ってきた南原さんが僕達に声をかけてきたので、西野が南原さんに疲れ切った私が無事帰れるか不安だと相談した。
 親切な南原さんは家が近いからとの理由で、私と一緒に帰ってくれる事になった。
 名古木の交差点で西野と別れて南原さんと一緒に帰路についた。
 別れ際に連絡先を交換して次の土曜日に南原さんと走りに行く事となったーー
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

天下

かい
青春
小学校から野球を始めた牧野坂道 少年野球はU-12日本代表 中学時代U-15日本代表 高校からもいくつもの推薦の話があったが… 全国制覇を目指す天才と努力を兼ね備えた1人の野球好きが高校野球の扉を開ける

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

混浴温泉宿にて

花村いずみ
青春
熟女好きのたかしが経験したおばさん3人との出会い

自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話

水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。 そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。 凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。 「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」 「気にしない気にしない」 「いや、気にするに決まってるだろ」 ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様) 表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。 小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。

お試しデートは必須科目〜しなけりゃ卒業できません!〜

桜井 恵里菜
青春
今から数年後。 少子高齢化対策として、 政府はハチャメチャな政策を打ち出した。 高校3年生に課せられた必須科目の課外活動 いわゆる『お試しデート』 進学率トップの高校に通う結衣は、 戸惑いながらも単位の為に仕方なく取り組む。 それがやがて、 純粋な恋に変わるとは思いもせずに… 2024年5月9日公開 必須科目の『お試しデート』 結衣のペアになったのは 学年トップの成績の工藤くん 真面目におつき合いを始めた二人だが いつしかお互いに惹かれ合い 励まし合って受験に挑む やがて『お試しデート』の期間が終わり… 𓈒 𓂃 𓈒𓏸 𓈒 ♡ 登場人物 ♡ 𓈒𓏸 𓈒 𓂃 𓈒 樋口 結衣 … 成績2位の高校3年生 工藤 賢 … 成績トップの高校3年生

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

努力の方向性

鈴ノ本 正秋
青春
小学校の卒業式。卒業生として壇上に立った少年、若林透真は「プロサッカー選手になる」と高らかに宣言した。そして、中学校のサッカー部で活躍し、プロのサッカーチームのユースにスカウトされることを考えていた。進学した公立の中学校であったが、前回大会で県ベスト8まで出ている強豪だ。そこで苦悩しながらも、成長していく物語。

処理中です...