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5.愛してるわ、クロード

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ティアはすぐに侍女を呼びドレスに着替え、部屋を飛び出した。
 簡素なグリーンのドレスに猛スピードで着替えさせられる。一分一秒さえも惜しい。
 裏庭に辿り着くと、息を切らしながらクロードの姿を探す。が、そこに人影はない。

 真紅の薔薇に慎ましげな紫陽花、それから雪のような純白の椿が咲きほこる。どれもお父様の趣味で人間界から取り寄せたものだ。クロードも薔薇が気に入っているらしく庭にいる時に振り返るといつも見つめていた。
 目が合わないのが寂しかったけれど、その横顔が凛々しくて好きだった。
 そんなクロードはここにはいない。約束したというのに、やっぱりあれは私の都合のいい妄想だったのだ。

 無性に泣きたくなる。妄想に妄想して涙するなんてなんて情けないんだろう。
 部屋に帰ろうと踵を返す。ざあっと強い風が吹いてティアの真紅の髪を靡かせた。
 伸びてきた長い指がそれを絡めとる。風が連れきた香りに思わずティアは振り返った。

「ティア」

 名前を呼ばれる前にティアはその胸に飛びついていた。

「遅れて申し訳ありません。部屋を出たところで国王から火急の用件を承ってそれを片付けておりました」

 いつもきちんと整えられ後方に流されている髪が若干乱れて前髪の束が落ちてきている。
 お父様からの用件を急いで片付けて約束通り駆けつけてくれたのだ。何も知らずに勝手に絶望していた自分が情けない。大きな瞳に溜めていた涙は嬉し涙に変わってぽろっと零れる。

「いいえ。私こそ何も知らずにまた悲観的に……夢じゃなかったのね! 嬉しい!」

 抱きついたままクロードを見上げると、なまじりの滴を拭うような口付けが落とされる。
 クロードは今までだったら人目を気にして……その前にティアの侍従として振る舞うことを最優先していたためキスなんてするはずがなかった。目が合っただけて奪ってしまいたくなる衝動にかられても、ティアによく似た薔薇の花を代わりに見つめてなんとか自分の気持ちを誤魔化していた。

「ねえ、クロード」

 クロードが短く返事をしてティアをみる。ティアの心臓はいつもよりずっと穏やかで揺るがない気持ちを後押ししてくれた。

「私、あなたが大好き。あれが夢でなくて本当によかった。クロードは私を太陽だなんて言ったけど、私にとってあなたこそまるで月光だわ。闇を照らす……静かで優しい光だもの」

 照れるように眉を顰めて、喉をグッと鳴らした表情がちょっと子供っぽくて可愛い。
 背伸びしてクロードの頬に手を伸ばす。触れた頬は血の気のない見た目より随分熱を持っていて無性に愛おしくなる。

「だから何度だって言います。私はクロードが大好き。たとえクロードが私を主人として慕って、応えてくれているだけだとしてもこの気持ちは変わらないから……絶対に振り向いてもらうわ」

 もう最後の方は告白というよりも宣言だ。クロードの目が丸くなって、ふっと喉で笑う。色気があって思わずどきりとした。

「なっ、なんで笑うの!」
「だって、あれだけのことをされておいてまだ俺があなたを主人として好きだと思っているんですか?」
「え?」

 クロードがティアの頭を撫でる。こうされていると自分が三つも年上だということを忘れてしまいそうになる。

「いくら主だからとはいえ、あんなこと……好きでもない相手にしませんよ」

 好き。クロードのその一言にティアの顔がじわじわ赤くなる。好き。好き。何度も頭の中で繰り返してしまう。

「クロードが……私のことを好き……? 主としてでも王女としてでもなくて?」

 熱い自分の両頬を抑えてティアはたじろぐ。ずっと自分の片思いだと思っていた。クロードに恋愛感情がなくてもいつかきっと振り向いてもらおうと意気込んだばかりだから、まさかそのいつかが今きてしまうなんて思ってもいなかったのだ。

「ひとりの女性として貴女を愛しています。初めてあなたと目が合ったあの日からずっと」

 もうティアは真っ赤な顔ではくはくとクロードを見上げることしか出来なくなっていた。
 クロードの言葉も声色までも甘い。いつも炎のように深く鮮やかな赤い眼が、ベリーをたっぷりの砂糖で煮つめたジャムのようにさえ思えてくる。
 まさかこんな夢のようなことがおこるなんて。

 愛している。ティアの胸のなかにずっとある想いを伝えたい。けれどティアにはそれよりも先にクロードに言わなければならないことがあった。
 クロードの顔を改めてみる。首も、手も、傷一つない。
 ほっと息を吐いてティアはクロードの胸に寄り添った。

「私、クロードに直接謝りたかったの……。教会へ行ったあの日、刺客を倒してくれていたのでしょう? そんなことも知らずにあなたに当たるような真似をして……本当にごめんなさい」

 侍女から聞いて初めて知った。
 夢で謝るのは違うと思ったのだ。直接、クロードに伝えたかった。
 クロードは小さく首を振って、ティアを宥めるように「俺の方こそ……」と続けた。

「魔術師と竜人の歴史はご存知の通りです。それでも俺はあなたに伴侶に選ばれたことがこの上なく嬉しかった。ですが竜人のなかには過去をよく思わないものも少なからずいます。だからこそ先日の教会のような場所には王族に手をくだす好機を狙っているようなものもいる……不安で、あなたの真っ直ぐな信念を疑うような発言をしました」

 クロードがティアと距離をとって頭を下げる。
 私は甘かった。いや、まだ甘いのだ。
 普通の恋人同士や婚約者のようでありたいと理想を口にして、竜人と魔術師が平等に共存できる未来を望みながら結局クロードに護られてばかりいる。

 ティアは小さな体で体当たりするようにクロードに飛びついた。クロードは容易く抱きとめたが、ティアがまだクロードの胸を押すのでそのまま後ろ手に倒れてみる。
 クロードを押し倒す体制になったティアを太陽の光が照らす。眩しくて目を細めたクロードにティアが花のように笑った。

「私もクロードを護ってみせるわ。あなたの主として。婚約者として。強い王女になってみせるから、みていてね」

 えへへ、と笑う姿がクロードの目にこの上なく愛しく、そして強かにうつる。命に変えても守り抜くと決めている存在が自分を守ってみせると言ったのだ。これほど心強く頼りになるものはない。
 四季の庭が風に揺られて、七色の花びらが二人を包む。

「愛してるわ、クロード」

 クロードは目頭が熱くなるのを感じた。
 正式な婚姻まであと一年。あまりに長い。今すぐにでも彼女を自分のものにしたいと思う。
 箍が外れぬよう冷静を装って目を合わせることも、名前を呼ぶことも避けていたというのに、それがティアを長年不安にさせていた。たった一言、胸の内にある一欠片を口にしただけで抑えが効かなくなる。
 愛しい。もっと触れたい。そう思うのは自然なことなのではないだろうか。愛しい女性を前にして、それも思いが通じあっている状態で、触れないでいるという方が無理な話ではないか。

 今だってティアの柔らかな白い胸がクロードの上に乗せられている。立っているときはまだ気をそらすことも出来たが、一度意識してしまうと気になってしまう。
 クロードは胸に乗っているティアの項に指先で触れる。

「ひゃっ」

 驚いたティアがぴくりと肩を震わせる。
 クロードは無意識に喉を鳴らす。ドレスから微かに覗くティアの肌が余計艶めかしくみえる。
 だめだ。こんなことろで。正式な妻となったときに触れると決めていただろう。
 なんとか理性を保とうとするクロードを見上げる大きな瞳が潤む。

「クロード……? 夢の、続き……?」

 期待するような台詞を吐く小さく艶やかな唇が濡れる。

「夢の中でも素肌に触れることは耐えたんです……これ以上は――」

  間に皺を寄せて顔を背けたクロードの言葉を遮ったのは小さな唇だった。
 細い指でクロードの頬を掴み、自ら口付けている。
 驚いて目を閉じることも忘れていたクロードはゆっくりと離れたティアと目が合った。

「じゃぁ、一年後、妻になるときは……夢よりずっとクロードにも気持ちよくなってもらえるよう頑張るから、楽しみにしててね」

 項に回していた手を掴んだティアが自ら自分の胸に手を置く。ふにっとした柔らかい感触に、ふにゃっとした悪戯で無邪気な笑顔がなんともアンマッチで。

「――ッ! ティア……あなたという人は……」

 クロードは愛しい婚約者の悪戯にまんまとのせられ動揺を隠せない。眉間に寄ったシワが深くなる。
 重ねた我慢が水の泡にならないよう、あと一年この人の隣で耐えられるのか、そんな不安に頭を悩ませるクロードとは裏腹に一年後が余計楽しみになったティアはクロードの胸の中で幸せそうに笑う。

 魔術師のティアと竜人のクロードの結婚がこの国にとって希望となりますように。おこがましいかしらと頬を染める王女を肯定するように始終はそっとキスをした。
 この世に二つとない黒いベールを纏うまで、あと少し。
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