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26.「ニーナ、君を愛している」

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 村民に別れの挨拶をして、馬を走らせ城に着いてふたりでシャワーを浴びた。

 お互いロルフが竜の姿になったことに直接は触れない。けれど、行き場のない気持ちを共有しあうように互いを求めあい、何度も何度も口づけていたらそれだけでのぼせそうになってしまった。
 別れの挨拶の際に、少年にこっそり耳打ちされた言葉を思い返す。

「おねえちゃんはロルフ様が好きなんだね」
「なっ、えっ」
「大丈夫。気づいてるのは僕だけだよ。他の人は大人でもロルフ様に会ったことがないんだって。だからずっと僕も怖い人だと思ってたんだ。でも、違ったんだね」
「……うん。そうなの。とっても優しくて、でも不器用で、素敵な王子様。私の、好きな人なの」

 ロルフの真の姿を見てくれている人がいる嬉しさも相まって、つい告白してしまった。まだ本人にも言っていないのに。


 そんなロルフはニーナの世話をいつも以上に焼きたがった。有無を言わせず、ふわふわのタオルでニーナの身体を包み、脱がせる手順と逆なだけだと体中に口づけを落としながらワンピースを着せていく。
 恥ずかしくてたまらないが、拒否権ははなか与えられていないのだから従うしかない。それに全く嫌ではないのだ。ただ自分だけがしてもらっているのは申し訳ないので、今度ロルフの髪を乾かしてみたいなんて思う。濡れた白銀の髪はとても綺麗だから。

「……ニーナ、なにを考えている?」

 ロルフが乾かしてくれた髪を今度は櫛で丁寧に梳いてくれる。時折頭を撫でられるのが気持ちいい。ぼうっとしたまま、ニーナは思ったことをそのまま口にする。

「私はロルフ様が好きなんだなって……」

 口に出し終えてから、もう遅いことに気付く。ロルフの手が静止して、呼吸が止まった気配がした。言ってしまった。よりによって、こんなタイミングで。

「そ、その、今のは……その……」

 振り返ることもできずにいると、背中からぎゅっと抱きしめられた。

「今のは冗談なんて言わないでくれ」

 縋るような声だ。冗談なわけがない。ニーナは精一杯小さく首を横に振る。

「あの日、市場で君を一目見た瞬間、十三年前の君だと気付いた。まさかと、最初は信じられなかった。君の記憶を消してほしいと願った以上、関わるべきじゃなかった。自分の命が短いと分かっていながら君に触れるのはあまりに利己的だ」

 まるで懺悔だ。ニーナを抱きしめる腕が震えている。服を脱げば逞しく人知れず国と人々を護ってきたそれが、まるで小さな子供のようだ。ニーナはそっと手を重ねた。

「……だが、俺は君に触れた。君は十三年前と変わらず真っすぐで優しくて……どうしても君に側にいてほしかった……君を失いたくないと思った」

「私も、ロルフ様の側にいたいです。ずっと」

 ニーナはそっと、後ろを振り返る。碧い瞳が、うっすらと張った涙の膜で濡れている。
 視線が重なると、彼は眉間にしわを寄せて目を瞑った。そして、しっかりと新緑色の瞳を見据える。

「ニーナ、君を愛している。心から。君だけが、俺を光の中に連れ出してくれた。君は十三年前のあの日から僕の全てだった。愛している。どうか俺と生きてほしい」

「はいっ……」

 どちらともなく、またキスをした。今度は触れあうだけの優しいキスだ。けれど今までのどんなキスより甘くて、切なくて、まるで神様に誓うような、そんな意味をもっていた。


 ――私はロルフ様が好き。

 そう言葉にできる。本人に伝えられることがこんなに幸せなことだなんて。
 甘い気持ちで胸がいっぱいになる。まるでフローラル系の香水を思いっきり嗅いだときみたいに満たされた気持ちだ。

(まだロルフ様にお聞きしたいことはあるけれど……それよりまずは)

 ニーナが向かったのは、王の寝室だった。
 数種類の香水を豪華なトレーに乗せ、準備は万全だ。

「お前、そこでなにをしているの?」

 ノックをする前に声をかけてきたのは真っ赤なドレスを纏った美しい王妃だった。
 ニーナは恭しく挨拶をした後、早速本題に入る。

「国王陛下の体調が優れないと伺っております。ロルフ様が揃えてくださった材料はどれも一級品です。それらを使って少しでも癒やしになる香水を作らせてはいただけないでしょうか。王妃様もご看病の合間のひとときを彩れるような……」

「結構よ。王も私も贔屓にしている香水店がありますから。それに調香師ごときが直接お会いしようだなんて厚かましい。……あなたはロルフの香水でも作っていればいいのよ。汚らわしい者同士ね」

 吐き捨てる王妃の言葉に、ニーナはただ黙って頭を下げていた。なにも感じないわけではないが、これは予想の範囲内だ。それに、王妃の言う通り数日前に一度、王の従者に香水を試していただけるようお願いしてみたが一蹴されてしまったのだ。

(従者の方に渡しても、まさかその場で処分されるのは予想外だったけれど)

 ――あの呪いの真実について、王様ならなにかご存じのはず。

「お前、そんなことよりミカエルを見なかった? 今日まだ一度も顔を見ていないの。もうこんな時間だというのに」

 王妃は視線を切なげに落とす。こんな時間とはいってもまだ昼前で、成人した王太子の姿が見えないのを心配するような時間ではない気がする。ニーナが見かけていないことを伝えると王妃は「使えない子ね」と吐き捨てて王の寝室に閉じこもってしまった。

「国王様、王妃様……」

 重圧な扉の前で立ちすくむニーナに咳払いと迷いのない声が返された。

「……私には小娘の香水など不要だ。私は王妃以外には会わぬ。二度と私の寝室を訪れるな。次はない」

 初めて耳にした声は扉越しにもはっきりと響いた。
部屋の前に控える従者に走った緊張感にその声の主が国王であることを認識させられる。
 ニーナも項に冷たい汗が伝うのが分かった。けれどここで怖じ気付いてはいられないと、何とか声を振り絞る。

「差し出がましいようですが、この香水はロルフ様が陛下のために考案されたレシピです。ロルフ様は陛下のご体調を心配されて……」
「黙れ小娘! 彼奴の名前など聞きとうないわ!」

  びくっとニーナは言葉を飲み込んだ。怒鳴り声の後、噎せるような咳が扉越しに響く。追いかけて王妃が寄り添うような声が聞こえてくる。

(国王陛下にとってロルフ様は血の繋がった我が子なのに……不義の子だなんて、有り得ない。だって、ロルフ様は竜化できるんですもの)

 ロルフの汚名返上のため、今すぐここで真実を話してしまいたい。けれど、呪いの原因が王にあると疑っている以上、ロルフはまだ今まで通りを装う必要がある。
 ふわり、と爽やかな香りが漂ってきて、ニーナの顔を覗いたのは金髪の男だった。

「やあ、ニーナちゃん。僕たちよく会うねえ」

 人懐っこく、美しく微笑む王太子の声に、話しかけられたニーナより先に反応したのは扉の奥の王妃だった。

「ミカエル……!」

 固く閉ざされていたはずの王の寝室は簡単に開かれて飛び出てきた王妃がミカエルに抱きついた。その光景は、義理の親子というよりも恋人同士が再開したかのようだ。
 先程ロルフを不義の子と罵った人と同一人物とは思えない。
 義理の親子であることは、ミカエル様もロルフ様も同じなのに。

「ミカエル、どこにいたの? 旦那様の体調が相変わらず良くなくて……私不安なのですよ。旦那様になにかあったら私……その時はミカエル、貴方しか頼れないんですもの。旦那様もそれを望んでいらっしゃいますわ」

 うっとり、とミカエルを見つめる王妃の目にニーナは逸らしたくなる感情を覚えた。あの目には見覚えがあった。そうだ、父を見る時の継母の視線にそっくりなのだ。
  一方、ミカエルはニーナと同じ気持ちのようで王妃の視線と腕を自然に振りほどいて凛とした姿勢になおる。

「心配しなくても大丈夫ですよ。父はきっと、良くなります。薬でも香水でも、隣国からも輸入させているのでしょう? 隣国の新種の植物は気から来る病に大変よく効くとか。僕も母上の従者と共に手配を手伝いますよ」

 ミカエルの言葉に王妃の目の色が変わった。甘い視線を逸らし、べったり張り付けたような笑みを浮かべる。

「ああミカエル……なんて優しい心を持っているのでしょう。気持ちは嬉しいわ。でも旦那様のことは私がやりたいの。だから、貴方は貴方のお仕事を……それから、万が一の時に私を支える準備をしていてくれたらいいわ」

 そう言い残すと、王妃はまた王の寝室へ戻っていった。
 ニーナは結局、国王に香水を渡せないままミカエルに促されその場を後にした。
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