上 下
22 / 39

22.「ロルフ様には生きて頂かないと困ります」

しおりを挟む


「君があんな香水を作るとは意外だったな」

 媚薬……香水の効果が完全に抜けたのはバスルームからベッドに移動してもう一度体を重ねた後だった。ロルフは隣で立ち上がれないニーナに意地悪な笑みを向ける。ロルフからはニーナが先日作ったラベンダーの香りがするから嬉しいのか恥ずかしいのか感情が忙しない。

「た、たまたま出来てしまったんですっ」

 ニーナはシーツに包まり赤い顔を隠した。ロルフのために作った香水だったなんて口が裂けても言えない。男が上機嫌に喉を鳴らす音が聞こえて余計に恥ずかしさが募った。

「だめだな……あんなことをされるとまだ生きていたくなる」

 冗談のような口調で笑うロルフにニーナはシーツからバッと顔を出す。出さずには、言わずにはいられなかった。

「ロルフ様には生きて頂かないと困ります」

 真剣な顔と瞳で告げたニーナにロルフは少し目を瞠ってから微笑んだ。

「それは俺が君の雇い主だから? それともキスも、それ以上も奪った男だからか?」
「そ、それは、そうですけど……! そうではなくて……」

 そうだけれど、そうじゃない。ニーナはただロルフに生きていて欲しいだけだ。
 赤い満月の夜の呪いなんかに、ロルフを渡したくない。それだけだった。

「君は優しいな」

 ニーナの言いたいことを察してか、ロルフがニーナをそっと抱き寄せる。優しい声で耳を擽られてニーナは思わず背中を震わせてしまう。

「優しいから、十三年も前に会ったきりの男を忘れられず、俺ですら受け入れてしまうんだろう。きっと銀髪で碧眼の男が物珍しかっただけだ。だから全て終わったそのときは、全て忘れてしまっていいんだ。王家の加護は調香師としての君のこれからを必ず護るから」

 ロルフの言葉にかっと頭に血が上った。怒りと絶望が同時に襲ってきたような感覚にニーナは気付けば抱きしめられていた胸を押し返し、声を張っていた。

「私の……っ、私の恋を馬鹿にしないでくださいっ! 忘れろなんて……忘れられるわけないじゃないですか……っ! 絶対に忘れてなんかあげませんっ! 私はロルフ様に生きていて欲しいんです……っ……王家の加護なんてどうでもいいです……だって私はあなたが……、あなたの専属調香師ですもん……」

 消え入ってしまいそうな最後は無理矢理言葉を付け加えた。思わず『あなたが好きだから』なんて言ってしまいそうだったのを寸前で飲み込んだ。
 ロルフに生きていて欲しいニーナの気持ちを理解した上でロルフはその事実を否定し、さらには初恋もロルフを自ら求めたことも否定した。
 仕方なく受け入れただけで、自らの意思がそこにはなかったかのように。

(私はロルフ様が好きだから触れあいたくて求めたのに)

 言葉にしていないのだから伝わらなくても当然だ。それでも、胸が詰まるような気持ちは抑えられず涙に変わる。悔しくて、ぐっと押し殺してまたシーツに潜った。まるで拗ねる子供だ。

「ニーナ」

 ロルフが何度かニーナの名前を呼んでいる。戸惑うその声に「ロルフ様のばか」とそれも心の中で返して膝を抱えて狸寝入りに徹する。それでも側からロルフの気配が消えないことにほっとしている自分はもっとばかだなと思う。しばらくすると泣き疲れてベッドに身体が沈んでいく感覚がした。どこでも、どんな状況でも眠れてしまうのはネコ族の特権だ。
 ロルフの言葉が頭のなかでこだまする。

(銀髪で碧眼が珍しかっただけって……そんなのロルフ様しかこの国にはいないじゃない……)

 ――あれ?

 忘れかけていた記憶がふわふわと蘇る。いつだって、初恋の彼を思い出すときは記憶が抜き取られたみたいに靄がかかって掴めない。
 優しい木漏れ日。空を見せてくれるなんてへんてこな約束。深い空みたいな蒼い瞳。なにかを渡したような気がする、曖昧な記憶。いつだってこれだけだった。はずなのに。

 ――どうして、ロルフ様は『初恋の彼』のことを銀髪だと言ったの?

 記憶と記憶が結びつくように、何年も靄が掛かっていたものが鮮明になる。

 ――そうだ。私が彼に渡したのはネコと竜の伝説を真似た《香玉》

 それは、十三年前の当時、同い年の娘達の間で流行していたもので、小粒のビーズに香りを閉じ込めるものだった。香水と同じように魔力と香りを閉じ込め楽しむことができるが、単体では無臭で魔力だけを込めると香りを持つまで、持ち主の香りを全て包み隠す特性をもつおもちゃだ。
 ロルフは、初めて会ったときからずっと香りがしなかった。偶然にしてはあまりにもできすぎている気がする。

 ――どうしてこんな大切なことを忘れてしまっていたんだろう。そうよ。おかしいわ。だってあの頃の他のことは覚えているのに『彼』に対する記憶だけが酷く曖昧なんて。

 無理矢理記憶を手繰り寄せるニーナは、突然糸が切れたように意識を手放した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

黒豹の騎士団長様に美味しく食べられました

Adria
恋愛
子供の時に傷を負った獣人であるリグニスを助けてから、彼は事あるごとにクリスティアーナに会いにきた。だが、人の姿の時は会ってくれない。 そのことに不満を感じ、ついにクリスティアーナは別れを切り出した。すると、豹のままの彼に押し倒されて―― イラスト:日室千種様(@ChiguHimu)

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

異世界転移したら、推しのガチムチ騎士団長様の性癖が止まりません

冬見 六花
恋愛
旧題:ロングヘア=美人の世界にショートカットの私が転移したら推しのガチムチ騎士団長様の性癖が開花した件 異世界転移したアユミが行き着いた世界は、ロングヘアが美人とされている世界だった。 ショートカットのために醜女&珍獣扱いされたアユミを助けてくれたのはガチムチの騎士団長のウィルフレッド。 「…え、ちょっと待って。騎士団長めちゃくちゃドタイプなんですけど!」 でもこの世界ではとんでもないほどのブスの私を好きになってくれるわけない…。 それならイケメン騎士団長様の推し活に専念しますか! ―――――【筋肉フェチの推し活充女アユミ × アユミが現れて突如として自分の性癖が目覚めてしまったガチムチ騎士団長様】 そんな2人の山なし谷なしイチャイチャエッチラブコメ。 ●ムーンライトノベルズで掲載していたものをより糖度高めに改稿してます。 ●11/6本編完結しました。番外編はゆっくり投稿します。 ●11/12番外編もすべて完結しました! ●ノーチェブックス様より書籍化します!

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

冷酷無比な国王陛下に愛されすぎっ! 絶倫すぎっ! ピンチかもしれませんっ!

仙崎ひとみ
恋愛
子爵家のひとり娘ソレイユは、三年前悪漢に襲われて以降、男性から劣情の目で見られないようにと、女らしいことを一切排除する生活を送ってきた。 18歳になったある日。デビュタントパーティに出るよう命じられる。 噂では、冷酷無悲な独裁王と称されるエルネスト国王が、結婚相手を探しているとか。 「はあ? 結婚相手? 冗談じゃない、お断り」 しかし両親に頼み込まれ、ソレイユはしぶしぶ出席する。 途中抜け出して城庭で休んでいると、酔った男に絡まれてしまった。 危機一髪のところを助けてくれたのが、何かと噂の国王エルネスト。 エルネストはソレイユを気に入り、なんとかベッドに引きずりこもうと企む。 そんなとき、三年前ソレイユを助けてくれた救世主に似た男性が現れる。 エルネストの弟、ジェレミーだ。 ジェレミーは思いやりがあり、とても優しくて、紳士の鏡みたいに高潔な男性。 心はジェレミーに引っ張られていくが、身体はエルネストが虎視眈々と狙っていて――――

オオカミの旦那様、もう一度抱いていただけませんか

梅乃なごみ
恋愛
犬族(オオカミ)の第二王子・グレッグと結婚し3年。 猫族のメアリーは可愛い息子を出産した際に獣人から《ヒト》となった。 耳と尻尾以外がなくなって以来、夫はメアリーに触れず、結婚前と同様キス止まりに。 募った想いを胸にひとりでシていたメアリーの元に現れたのは、遠征中で帰ってくるはずのない夫で……!? 《婚前レスの王子に真実の姿をさらけ出す薬を飲ませたら――オオカミだったんですか?》の番外編です。 この話単体でも読めます。 ひたすららぶらぶいちゃいちゃえっちする話。9割えっちしてます。 全8話の完結投稿です。

従者♂といかがわしいことをしていたもふもふ獣人辺境伯の夫に離縁を申し出たら何故か溺愛されました

甘酒
恋愛
中流貴族の令嬢であるイズ・ベルラインは、行き遅れであることにコンプレックスを抱いていたが、運良く辺境伯のラーファ・ダルク・エストとの婚姻が決まる。 互いにほぼ面識のない状態での結婚だったが、ラーファはイヌ科の獣人で、犬耳とふわふわの巻き尻尾にイズは魅了される。 しかし、イズは初夜でラーファの機嫌を損ねてしまい、それ以降ずっと夜の営みがない日々を過ごす。 辺境伯の夫人となり、可愛らしいもふもふを眺めていられるだけでも充分だ、とイズは自分に言い聞かせるが、ある日衝撃的な現場を目撃してしまい……。 生真面目なもふもふイヌ科獣人辺境伯×もふもふ大好き令嬢のすれ違い溺愛ラブストーリーです。 ※こんなタイトルですがBL要素はありません。 ※性的描写を含む部分には★が付きます。

絶対、離婚してみせます!! 皇子に利用される日々は終わりなんですからね

迷い人
恋愛
命を助けてもらう事と引き換えに、皇家に嫁ぐ事を約束されたラシーヌ公爵令嬢ラケシスは、10歳を迎えた年に5歳年上の第五皇子サリオンに嫁いだ。 愛されていると疑う事無く8年が過ぎた頃、夫の本心を知ることとなったが、ラケシスから離縁を申し出る事が出来ないのが現実。 悩むラケシスを横目に、サリオンは愛妾を向かえる準備をしていた。 「ダグラス兄様、助けて、助けて助けて助けて」 兄妹のように育った幼馴染であり、命の恩人である第四皇子にラケシスは助けを求めれば、ようやく愛しい子が自分の手の中に戻ってくるのだと、ダグラスは動き出す。

処理中です...