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22.「ロルフ様には生きて頂かないと困ります」
しおりを挟む「君があんな香水を作るとは意外だったな」
媚薬……香水の効果が完全に抜けたのはバスルームからベッドに移動してもう一度体を重ねた後だった。ロルフは隣で立ち上がれないニーナに意地悪な笑みを向ける。ロルフからはニーナが先日作ったラベンダーの香りがするから嬉しいのか恥ずかしいのか感情が忙しない。
「た、たまたま出来てしまったんですっ」
ニーナはシーツに包まり赤い顔を隠した。ロルフのために作った香水だったなんて口が裂けても言えない。男が上機嫌に喉を鳴らす音が聞こえて余計に恥ずかしさが募った。
「だめだな……あんなことをされるとまだ生きていたくなる」
冗談のような口調で笑うロルフにニーナはシーツからバッと顔を出す。出さずには、言わずにはいられなかった。
「ロルフ様には生きて頂かないと困ります」
真剣な顔と瞳で告げたニーナにロルフは少し目を瞠ってから微笑んだ。
「それは俺が君の雇い主だから? それともキスも、それ以上も奪った男だからか?」
「そ、それは、そうですけど……! そうではなくて……」
そうだけれど、そうじゃない。ニーナはただロルフに生きていて欲しいだけだ。
赤い満月の夜の呪いなんかに、ロルフを渡したくない。それだけだった。
「君は優しいな」
ニーナの言いたいことを察してか、ロルフがニーナをそっと抱き寄せる。優しい声で耳を擽られてニーナは思わず背中を震わせてしまう。
「優しいから、十三年も前に会ったきりの男を忘れられず、俺ですら受け入れてしまうんだろう。きっと銀髪で碧眼の男が物珍しかっただけだ。だから全て終わったそのときは、全て忘れてしまっていいんだ。王家の加護は調香師としての君のこれからを必ず護るから」
ロルフの言葉にかっと頭に血が上った。怒りと絶望が同時に襲ってきたような感覚にニーナは気付けば抱きしめられていた胸を押し返し、声を張っていた。
「私の……っ、私の恋を馬鹿にしないでくださいっ! 忘れろなんて……忘れられるわけないじゃないですか……っ! 絶対に忘れてなんかあげませんっ! 私はロルフ様に生きていて欲しいんです……っ……王家の加護なんてどうでもいいです……だって私はあなたが……、あなたの専属調香師ですもん……」
消え入ってしまいそうな最後は無理矢理言葉を付け加えた。思わず『あなたが好きだから』なんて言ってしまいそうだったのを寸前で飲み込んだ。
ロルフに生きていて欲しいニーナの気持ちを理解した上でロルフはその事実を否定し、さらには初恋もロルフを自ら求めたことも否定した。
仕方なく受け入れただけで、自らの意思がそこにはなかったかのように。
(私はロルフ様が好きだから触れあいたくて求めたのに)
言葉にしていないのだから伝わらなくても当然だ。それでも、胸が詰まるような気持ちは抑えられず涙に変わる。悔しくて、ぐっと押し殺してまたシーツに潜った。まるで拗ねる子供だ。
「ニーナ」
ロルフが何度かニーナの名前を呼んでいる。戸惑うその声に「ロルフ様のばか」とそれも心の中で返して膝を抱えて狸寝入りに徹する。それでも側からロルフの気配が消えないことにほっとしている自分はもっとばかだなと思う。しばらくすると泣き疲れてベッドに身体が沈んでいく感覚がした。どこでも、どんな状況でも眠れてしまうのはネコ族の特権だ。
ロルフの言葉が頭のなかでこだまする。
(銀髪で碧眼が珍しかっただけって……そんなのロルフ様しかこの国にはいないじゃない……)
――あれ?
忘れかけていた記憶がふわふわと蘇る。いつだって、初恋の彼を思い出すときは記憶が抜き取られたみたいに靄がかかって掴めない。
優しい木漏れ日。空を見せてくれるなんてへんてこな約束。深い空みたいな蒼い瞳。なにかを渡したような気がする、曖昧な記憶。いつだってこれだけだった。はずなのに。
――どうして、ロルフ様は『初恋の彼』のことを銀髪だと言ったの?
記憶と記憶が結びつくように、何年も靄が掛かっていたものが鮮明になる。
――そうだ。私が彼に渡したのはネコと竜の伝説を真似た《香玉》
それは、十三年前の当時、同い年の娘達の間で流行していたもので、小粒のビーズに香りを閉じ込めるものだった。香水と同じように魔力と香りを閉じ込め楽しむことができるが、単体では無臭で魔力だけを込めると香りを持つまで、持ち主の香りを全て包み隠す特性をもつおもちゃだ。
ロルフは、初めて会ったときからずっと香りがしなかった。偶然にしてはあまりにもできすぎている気がする。
――どうしてこんな大切なことを忘れてしまっていたんだろう。そうよ。おかしいわ。だってあの頃の他のことは覚えているのに『彼』に対する記憶だけが酷く曖昧なんて。
無理矢理記憶を手繰り寄せるニーナは、突然糸が切れたように意識を手放した。
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