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17.「ロルフ様のことを知りたいんです」

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「ここが調香室だ。君の好きなように使ってくれて構わない。足りないものがあれば取り寄せる」

 湿気も埃もない管理の行き届いた部屋には、見たことも無い花や果実が高度な魔法により香料にするのに最も適した品質が保たれていた。 
 実際に見るまでは想像もできなかったほど豪華な調合道具の全てに王家の紋章が刻まれていて、どれほど高価なものなのかと触れることを躊躇ってしまう。

 目に入る全てのものが、調香師にとって垂涎ものだった。が、ニーナは好奇心をぐっと堪えて男の腕のなかでソファーを指さした。

「いくら立派な調香室だからって誤魔化されませんよ。話してくださるんですよね?」

 男は少し目を伏せた後、ニーナをソファーの上におろす。その手つきはまるで割れ物に触るように優しく戸惑いがちだった。

 植物園での行為の後、ニーナが泣いているのに気付いたロルフは、それを破瓜の痛みからだと判断したらしく酷く狼狽した。実際は念入りに解されていたからか、はたまた魔力の相性がいいからなのか少し違和感がある程度で痛みは殆どなかったため、大丈夫だというニーナにどこからか用意した青いドレスに着替えさせると寝室で少し休むよう提案した。ニーナは本当に大丈夫だと何度も伝えたが、ロルフの狼狽ぶりはそれを受け入れようとしなかった。

 それはもう、ニーナを抱き上げて、自ら歩くことを許さないほどの過保護っぷりだった。
 だからニーナはそれを利用したのだ『あなたのことを教えてくださるなら、ご命令通り休ませて頂きます』と。
 そして今に至る。
 ソファーで隣に腰を下ろしたロルフにニーナは向き直る。

「ロルフ様のことを知りたいんです。香水を作るためにも、私にはその権利があるはずです」

 話す価値がないと思われているのかもしれない。でも、その不安を今悟られる訳にはいかなかった。
 ロルフは目を伏せて、眉間に皺を寄せた。少し考えるような表情のあと、諦めたように彼は口を開いた。

「俺が持たざる王子と呼ばれているのは知っているだろう?」

 ニーナは小さく頷いた。

「その通り、俺は竜族でありながら魔力を持たずに生まれた。だが、やはり竜族の血のせいか満月の夜になる度不調に襲われるんだ。……赤い満月の日が近づく最近は特にな」

 碧い瞳が優しく向けられる。ニーナの手にロルフの手が重ねられる。

「君の香水と魔力に出会って、その苦しみが癒やされたんだ」

 ニーナはかつて、ロルフに攫われ始めて触れられた時を思い出した。
 欲情に駆られたような行為の中で、香りと魔力に執着し、苦しげな表情をみせるロルフの体調が気になった。昨日の夜だってそうだ。ここでようやく、ロルフの不調を癒やしていたためだったのだと結びつく。

「……話さないでいることのほうが無理があったな」

 ロルフは空いている自分の手のひらを見つめ、ぎゅっと握った。悔しげなそれをニーナは黙って目で追いかける。

「俺は赤い満月の夜に生まれたんだ。なんの悪戯かミカエルの誕生日と同じ日にな。赤い満月の夜は二十五年に一度。二度目の満月の夜、二十五歳になる。そして……」

  新緑色の瞳がロルフを見上げる。表情は変わらないまま、碧い瞳が悟ったように遠くを見つめた。

「その日、俺は死ぬ」

 ロルフの告白に、ニーナは言葉を失った。今までこの男の言動に言葉を失うことは多々あったものの、今回はそれの比ではない。

――『次の赤い満月の日よ。第一王子のお誕生日と重なるんですって。その日に第二王子の悪行が裁かれるって話しなの』
 リリィが言っていた言葉が頭を過る。辻褄があってしまう。揃って欲しくないパズルのピースがどんどん集まって疑問の隙間を埋めていく。

「そんな、ロルフ様っ、なにを仰っているんですか」

 またからかわれているのだ。そう思いたくて、ニーナは薄く笑ってみた。けれど、それが紛れもない事実のようにロルフも微笑む。

「ニーナは現王妃以外の王妃を知っているか?」
「えっ、はい……実際お目に掛かったことはございませんでしたがお話としては」

 確か前王妃はニーナが生まれた頃には既に亡くなっていた。

「現王妃は父の三人目の妻だ。最初はミカエルの生母、そして次が俺の母だった。ふたりとも他国の猫族だったらしい。母は身体が弱く出産と同時に亡くなった」

 今まで第二王子の生誕が大々的に祝われなかったのはあることが同時に起こったからだった。
 それがロルフの生母である前王妃が亡くなったからだ。当初からあまり話題に出すのも憚られていたため今になって思い出す。

「あの女……現王妃は元メイドだったが母と随分仲か悪かったらしい。そのうえ生まれたのは竜化もできないもたざる王子ときた。今でも随分嫌われていている」

 はっと鼻で笑うロルフに、選抜試験の時に『不義の子』と蔑まれたことを思い出した。
 嫌悪と憎悪で刺すような視線の痛みをニーナも知っている。
 幼い頃からあの視線に晒されていればどれだけ心が荒むのか。幸いニーナには母との記憶があり、今は友達のリリィもいる。でも、もしふたりがいなかったとしたら。
 想像しただけで背筋が冷たくなる。視界が暗くなるほど恐ろしい。

「えっ、ロ、ロフル様……?」

 ロルフは突然シャツを脱ぎ捨て、ニーナに背中をみせた。
 ニーナは目を見張った。美しく鍛え上げられた白い肌に、大きな痣のようなものが浮き上がっている。まるで、翼をむしり取られたようにもみえる、酷い怪我だった。

「これは俺の母が無能を産んだ罪として、呪ったものだ。歴代の竜族で魔力を持たずに生まれる者はいなかった。だから、母は不義を疑われたんだ。王は……父は、瀕死だった母の僅かな魔力と命を使って、償いとして呪いをかけさせた。『次の赤い満月の日、死ぬように』と……さぞ憎かっただろうな」

 自傷気味にロルフが吐き捨てる。
 呪いにより確実に迫り来る死を完全に受け入れている様子がニーナには耐えられない。

「いやです、ロルフ様がいなくなるなんて……っ、どうにか、なにか方法が……」
「俺の噂を知っているだろう? この国にとってはそれが一番都合がいい。それにもう散々足掻いたんだ。こうして君にも出逢えた。もう十分だ」

 その美しい瞳はもう涙が一滴も出ない気がして、ニーナは胸が潰れるようだった。なにも知らなかった。子供のように駄々を捏ねて無理やり聞きだした重い真実にかける言葉が見つからない。
 蔑まれ、罵られ、信じることを諦めてしまう悲しさを誰よりも知っているつもりでいたのに。

「……ロルフ様」

 
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