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11.「どうか俺の調香師になってほしい」

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 木の上から落ちたのに全く痛くない体。なにかに受け止められたような感覚。

瞬時に状況を理解し、少年を抱いて慌ててその場から退いた。
あろうことか、ニーナは第二王子・ロルフの上に落ちたのだ。

「もっ、申し訳ありませんっ!」

 第二王子は服の土を払いながら立ち上がり、少年に目を向ける。

「……野良猫が二匹もいたとはな」

 ニーナはハッとして素早く少年にケガがないか確認するとこの場から逃げるように促す。

「ケガがなくてよかった。さあ、もう大丈夫よ。帰り方は分かる?」
「――うんっ」

 ニーナは少年の後ろ姿を見送り、改めてロルフに向き直った。

「大変失礼いたしました。私がどんな処分でもお受けいたします」

 恭しく頭を下げたニーナに男の視線が刺さる。
 つい先ほど、強制退場させられたというのに、まだ城内をうろつき、さらには木に登って王族の上に落ちたのだ。極悪と呼ばれるこの男からどんな罰が与えられるのか想像もできないが、この状況では受け入れるしかない。
 だが、男の口から出たのは予想外のことだった。

「あの少年は知り合いか」

 まさか、子供にまで手を出そうというのか。
 ――確かに、どこかで見たことがあるような気はするけれど……ニーナは否定した。

「……そうか。……ニーナ、だったな」

 こほんっと咳払いをした男がニーナに頭を下げた。想像もしていない展開に一瞬、状況が飲み込めなくなる。

「先ほどは悪かった……君を物扱いするような言い方をした」

 ――うそ、でしょ? な、なに?

「ニーナ。どうか俺の調香師になってほしい」

 男は、動揺して固まっているニーナの手を優しくとると、長身を屈めて手の甲に唇を落とした。
 拍子もない依頼を受け、衝撃に言葉を失う。
 神に祈るような美しい所作と、必死さが顰められた眉と蒼い瞳から伝わってくる。
 自惚れかも知れないけれど、本心から求められている。そんな気がした。

 ――な、なんで? なにが起こっているの……? 

 状況を飲み込めないニーナを、いつのまにか集まった数人の使用人が取り囲みあっという間に専用の部屋を用意されてしまった。

 ニーナがようやく言葉を発したのは部屋でロルフと二人きりになってからだった。
 それも、ベッドの上で。

「ちょ、ちょっと待ってください……! なぜ急にこんな……っ」

 動揺が隠せないニーナに対して目の前の男は相変わらず凛とした佇まいだ。

「君がベッドに逃げるからじゃないか」
「それはそうですが……」

 距離を詰めてくる男から離れようと後ずさり、いつの間にかベッドの上にいたのだ。ベッドの上と分かってもシーツの中に逃げ込んでしまうくらい、ニーナは困惑していた。

 当然のことのように言われるとニーナはまた言葉に詰まってしまう。
 つい先ほど自分のことを『愛人にする』と吐き捨てた人物から『調香師になってほしい』と言われているのだ。もはや決定事項のようだが、どうしても素直に喜べない。

 なにか裏があるのではないか。そう疑うのは当然だった。
 そんなニーナの心中を察してか、男はベッドの隅までニーナを追い詰めると逃げられないよう囲うように壁に手を突いて話し始める。

「どうやら俺と君は魔力の相性がいいらしい。先日君に触れた時確信した。……君には謝らなければいけないことが多すぎるな」

 バツが悪そうに視線を下げた男だが、先日の行為がよぎったニーナが顔を赤くしたのに気づき話を続けた。

「……もし君が試験を受けに来てくれれば……また会えたら、必ず俺の調香師になってもらうと決めていたんだ」

 まんまと罠にかかった子猫のような気持ちになる。試験を受けに来たのは事実だが、この男に会うためではない。

「別に、あなたに会いたくて来たわけではありません」

「だが、現に君は俺のもとに帰ってきてくれた」

 なぜか嬉しげに蒼い瞳を細める男からニーナは絆されまいと目を反らす。

「りょ、両親に挨拶もしていませんので今日のところは……」
「ああ。君の両親へ従者に使いを頼んだ。支度金を渡したら快諾だったそうだ。なんでも隣国に移住するだとか……」

 ああ。あの父と継母ならやりそうだと思った。
 支度金を受け取って上機嫌に準備する姿が目に浮かぶ。もう気分次第で殴られずに済むのは嬉しいが、母の疑惑を晴らしていないのにいなくなれると思うと納得いかない。ますます《真実の愛》の香水を完成させなければという思いになる。

「っ、なにより、私は試験に不合格でした。それなのにこんな……許されるのですか」

 試験の意味が無いのだから、許されるはずがない。まるで不正だとやるせないニーナは自分を見下ろす男をにらみつける。
 意外なことに、男はニーナの視線を素直に受け止め、目を伏せた。

「……君には悪いが表向きは愛人に見せかけておく必要があるだろう」

 そして、ニーナの栗色の髪をひと房すくい、恭しく口付ける。

「この香り……やはりそうだ。君は、本当に……ニーナ、俺には君が必要なんだ。どうか俺の……調香師になってほしい」

 ――なんて身勝手なんだろう。でも、なんでこんなに胸が苦しくなるんだろう。

 ニーナが今つけているのは、目の前のロルフを想って作った香水だ。それを認めて貰えるような言葉をもらって、嬉しくないはずがない。

 これは自分にとって最後のチャンスだ。ここで彼の要求を拒めば、一方的に蔑まれ、笑われ、そんな日々
に戻るしかない。そんなのはもう、いやだった。

「分かりました。どうか宜しくお願い致します。ロルフ様」

 愛人のフリ、専属調香師、もうこうなったらなんでもどんとこいだ。この男にどう扱われようと、逆に利用してみせる。

 普段の日常に戻れば絶対に触れることもできない材料を使って、香水を――≪真実の愛≫を完成させてやると。それに、王族であれば猫族の男性ひとりを探し当てることなど造作もないかもしれない。
 香水を完成させて、初恋の彼を探し出して、告白する。
 想いを告げたらあとはどう処分されても構わない。
 
ニーナが内心決意を固めていると、目の前の蒼い瞳が色っぽく歪む。
 先日触れられた時と同じように。

「君の香りはどうも、もっと触れたくてたまらなくなる」

 ――もっと打算的に生きてやるわ。

 そう自分に誓って、ニーナは重ねられた唇を受け入れた。
 だが、柔らかい唇は重なるだけでそれ以上のことは起こらない。

「……抵抗しないのか。君は俺が好きではないだろう」

 目を開けるとロルフが苦笑していた。勝手にはじめておいて、抵抗しないのかなんて意味がわからない。
 ベッドでキスをしているこの状況で、これからなにが始まるのか分からないほどニーナも純朴ではなかった。それにもちろん、ニーナが好きなのは思い出の中の『彼』だけだ。それも理解したうえで、目の前の男を受け入れようとしている。
 自分でも一番理解できないのは、ロルフの熱っぽい視線が全く嫌では無いことだ。

 ――ロルフ様は雇用主として私の魔力が欲しい、ただそれだけ。私も仕事だから嫌じゃないのよ。

 なにか勘違いしそうになっている自分に気付いて慌てて冷静さを引き戻す。

「……直接魔力を取り込むということですよね……だ、だいじょうぶですっ、できます」
「……そうか。王子の手つきになれば安泰……あの噂は事実だ。安心してくれ」

 なぜか、彼のほうが傷ついたような顔をしてみえた。

 ――なんで、あなたがそんな顔をするの……?

 胸のボタンが外され、背中のリボンも解かれると、シーツの上にドレスが抜け落ちる。
 ひんやりとした空気が直接肌に触れるとニーナの細い肩が小さく震えた。男の長い指が白い肌の上を慈しむように這う。
 窓の外では、赤い満月がゆっくりと顔を出し始めていた。

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