皇帝の寵愛

たろう

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57 北へ

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※今回次回と面白みに欠ける話が続きます。すみません
※イラスト更新しました。今回は主上です。

 茫漠とした草原の中を一本の道がまっすぐに北へと続いている。青い空の高いところを白い雲がゆったりと流れていく様子は、とても長閑な眺めではあるけれど、そんな眺めすらますます今の私の憂鬱な気持ちに拍車をかけるだけだった。
 この国の北部、干涸州は内陸にあって雪はさほど多くはないが、冬の到来は早く寒さも厳しい。秋は短く、皇都はまだ吹く風にわずかに冷気を孕んでいることが分かる程度で秋はまだ始まったばかりという頃合いであったが、こちらではもう秋半ば過ぎといった風情だった。
 旱涸州は標高の高さも相まって、夏は皇都と変わらない気温だが、冬はとんでもなく寒くなる。さらに、一日の中でも寒暖差が大きい土地柄に加えて、雨は少なく土地も空気も乾いている。やろうと思えば農業もできなくはないが、すぐに土地がやせ細ってしまうのだという。だから、そこに暮らす住民たちは家畜と共に移動を繰り返す遊牧を生業としている。ここでは定住する者がほとんど居ないために、町もなく、大きな町もないために恒常的な人の流れも生まれない。こういった一つ一つの要因がここでの暮らしをますます難しくしていた。
 けれど、こんな何もないような場所にも人は住み、日々を営み、何世代も続いてきたのかと思うと、自然畏敬の念を抱かずにはいられない。日々の営みが過去から未来へと、私の死んだ後まで連綿と続いていく、その不思議で胸がいっぱいになる。

 今目の前は、辺り一面色の褪せた草が大地にしがみつき、その草ももうあとは枯れるのを待つばかりというありさまで、それがどこまでもどこまでも、世界の果てまで続いているようだった。
 青空を背景に、背の高い薄がところどころで風にゆれている。それが一層寂寥感を強める。
 見渡す限りの平原には、高い木がほとんどなく、散見される樹木と呼べるものは背の低い灌木の茂みばかりだった。その多くはない灌木の茂みや茶色く変わり始めた草を家畜の一群がゆったりと食んでいるのだろう。視界の端に白や黒や茶の毛皮がぼんやり見える。時折かすかに山羊特有のいななく声も響いてきていた。
 もちろん干涸州の全土がそうなのではなく、高い木々が密集する地域もあるようだが、私たちが通ってきた道の途中に見かけることはなかった。
 どこまでも青い空の下、どこまでも広がる茶色い大地を走る道を、私たちは馬車に揺られて進んだ。前回来た時よりも往来が増えたのだろう。以前はどこが道なのかの判別が私には難しかったように記憶しているが、今ははっきりと轍が刻まれている。

 私たちを先導するために延家より遣わされた一団は、勿論この厳しい土地に暮らす者たちだ。案内役の彼らが逞しい馬にまたがり、私たちの長い行列を誘導する。
 彼らの後には、私の乗る馬車、紅花とその子らが乗る馬車、そして私たちを世話するもの達を乗せた馬車、旅のための必需品や燃料食料を積んだ荷馬車に加え、向こうへの手土産品を積んだ荷車までが等間隔に並び、その馬車の一群を挟むようにして前に後ろに並び護衛する兵たちが続き、私たちは一路北へと進む。大所帯での移動かつ、女子供を帯同した旅は、比較的ゆっくりとしたものだった。
 長い旅程の中、侠瞬を含めた主要な者たちと綿密に打ち合わせをしてきたが、さすがに暇を持て余した私は、案内役たる彼らの様子を何とは無しに観察してきた。
 彼らと私たちの護衛をする兵たちの間では小さな衝突が起こる場面が何度かあったらしいが、厳しい環境で培われたその強靭な肉体や馬を操る巧みな技術、陽気な態度、細かな礼儀の違いなどに表れる文化の違いが私には面白かった。

 彼らは私たちとは違う神話を信仰している。
 それを如実に表しているのが毎朝の神への祈りだった。こんな不毛の土地に見える場所に一生を暮らす彼らは、今日一日を無事に送れるようにと、家畜の乳や酒を天に向かって振り撒くのだという。
 初めてその光景を見かけたとき、すぐには何をしているのかわからなかった。ただ当たり前のこととして、些細な一日の始まりに行われるそれが、まさか神への祈りなのだと気づいたのは旅半ばになってからだった。
 旅の途中、私が夜明けとともに起きて身支度をし、冷たい空気を吸うために外にでるたびに見かけた光景だった。彼らは、私が見ているのに気付くとそそくさといなくなってしまうので、翌朝からは見ていることを気取られないようにもした。一国の王がただの一般兵に気を遣うなどおかしな話だろう。
 けれど、そこにはそれに見合うだけの価値が、荘厳さがあった。朝の静謐な時間。全てがまだまどろみの中に沈んでいるそんな時間に、祈りを捧げる彼らの真摯な姿を見かけるたびに、彼らなりの理の中で精一杯に生きているという事実をとても愛おしいと思っている自分に気付かされた。

 干涸州。枯れ果てた何もない大地と名付けられた地。北夷州。野蛮人と倣い称される久族。その頭領の延一族。
 この国の最北。北方の好戦的な異民族との境界。
 この国の要所の一つ。
 この最も危険な土地の一つを守るのが、延一族だ。延紅花の故郷。
 かつて一度は大陸をその手に収めた一族の末裔。その誇りを今尚忘れない民族。
 けれど、かつての栄光はすっかり失われ、今ではこの乾いた大地へと閉じ込められている。過去彼らの侵略を阻むために築かれた大陸を横たわる城壁が、今度は彼らの退路を断ち、異民族の攻撃から逃げることを許さない。
 咥えて干涸州は厳しい土地のため、大地から得られる恵みは十分ではなく、家畜以外にめぼしいものがないために人の往来も少なく、生まれてくる子供らが七歳まで無事に育つ可能性も比較的低い土地である。さらに、数百年前に明国の一地方領土として取り込まれて以降、毎年の税の徴収と、軍役による中央への若者の出向と国境の警備充当による強制的な戦力の分散故に、徹底的にその牙と爪とをもがれてしまった。長い時間の中で、ゆっくりと歴史の表舞台から消えていく運命だった。

 けれど今は……。

「主上、よろしいですか?」
 車窓から外を眺めていた私に侠舜が声を掛けてきた。私は夢から覚めたような気分で視線を車内に戻す。
 かなり広く作られた車内には、私と侠舜、護衛の墨羅漢、そして、延家からの使者の一人欧陽善がひざを突き合わせている。後数刻もしないうちに目的地に到着する。事前に到着後の予定を確認するために、私たちは車内を同じくしているという状況だったことを思い出す。
「ああ、すまない。少し呆けていた。続けてくれ」
「欧陽善、主上に説明を」
「はい。先程先触れとして遣わした者が戻って参りました。到着は予定通り日没頃です。到着後、延家当主との食事会となります。長旅でお疲れでしょうから、格式張らないささやかなものを予定しております。これに関しては侠舜さまよりそのようにとご指示を頂き、我が主が同意しております」
「明日は?」
「明日は日中はお寛ぎいただき、旅の疲れを癒していただきたいと思います。夕方からは晩餐会の予定です。出席予定となっている者は、主上を筆頭に延家一族から当主夫妻をはじめとして数人と、その縁者。それから、久族を代表とする家々から当主および、高齢や病気を理由に当主代行の者たちが参上いたします。総勢四十を少し下回る人数となる予定です」
「分かった」
「明後日は秋祭りにご参加いただきます。主上がいらっしゃるとのことで、今年は時期もずらしまた例年にないほど盛大に執り行う予定です。その際、昨年の戦における褒章の授与式も一緒に執り行う手筈になっていると伺っております」
「相違ないです。あくまで祭の余興として行う授与式では、褒章の目録を主上より手渡す予定です。そのさいに必要な書類の準備も済んでおり、当日は調印をするのみという状態となっています。到着し次第、保管場所を私に知らせてください」
「調印はこちらでなさる予定なのですか?」
 わずかに上ずった欧陽善の声がした。
「ええ、前回の戦での目覚ましい働きに敬意を表して、表彰時に調印をすべきだという結論になりました。主上が久族を蔑ろにしていないという表明でもあります」
「……主上からの高い評価に、当主もさぞお喜びになられることでしょう。進行役には私のほうからその旨を申し伝えておきます」
「よろしくお願いします」
「それから当日は、様々な催しも行われます。主上におかれましては、是非ともご高覧賜りたく。さぞ出場する者たちも奮い立ちましょう」
「あぁ。もとからそのつもりだ。手紙にもそのように書いて寄越して来ていた。こちらも断る理由はない。是非とも武勇に優れた者たちの雄姿を観戦させてもらおうと思う」
「ありがとうございます。当日は弓、剣、乗馬の勝ち抜き戦が行われます。書状にて前もって奏上させていただいておりました出場される方々の一覧をいただきとうございます。先日侠舜さまにお伺いしたときには、まだ選定が終わっていない旨を窺っておりました故」
「侠舜」
「はい。遅くなりました。これは私が参加者を取りまとめ、作成した一覧です。確認ください。それともう一つの書類は、主上から各競技の優勝者に贈る品の一覧となります。内訳はそちらで良いように取り計らってください。延家当主のご用意された品との兼ね合いもあるでしょうから。それから、後ほど一覧と実物との照らし合わせもいたしますので、私に声をかけてください」
「ありがとうございます。確かに頂戴いたしました。参加する者が喜びましょう。何分旱涸州は辺境の地ですので、外から入ってくるものは皆にとってとても珍しいのです。それに、この地に暮らす者の数も多くはないので、毎年似たり寄ったりの出場者となります。主上配下の実力ある者たちと手合わせできるまたとない機会でもありますし、さぞ盛り上がることでしょう」
 そう言いながら欧陽善が受け取った書類を丁寧に文箱へしまう。
「そちらの要望には応じた。今度はこちらの番ということになるが……」
 欧陽善がしっかりと封をするのを見届けてから私が声を掛けると、その顔が曇る。
「と仰いますと、視察の件でございますね」
 言いにくそうに一度言葉を区切る。
「先ほど戻ってきた者に確認をとりました。誠に申し訳ございません。先触れの者が当主より言付かった返事によりますと、申し上げにくいことですが、やはり主上の身の安全を考慮して視察はお控えくださいとのことです。何分、北からの挑発行動や威嚇行動が以前より活発になっておりまして、安全の確保が難しいと。いつ銃弾や砲弾が飛んでくるかも分かりません。どうか御身を一番にお考え下さい、と」
 窺うようにこちらを窺い見る視線の先で、険しくなった私の表情に気付いた欧陽善が取り繕うように言葉を紡ぐ。
「お怒りはごもっともなことと思いますが、どうぞお気持ちをお沈めいただきますよう、何卒。恐れながら申し上げます。正当な皇族は今や主上だけとなっております。まだ皇太子が定まっていない現状で、万が一が起きた場合を考慮致しますと、危険に過ぎるとの当主の判断です。それに加えまして、もしも何か起きた際に私どもでは責任を取ることができません。御身の安全が久族の安寧でございます。どうか平にご理解賜りますようお願い申し上げます」
 そう言って深く頭をさげる。それは形だけのものではなくて、本心からそうしているとわかる動作だった。
「言いたいことは分かる。だが、私は久族もまた大切な国民だと思っている。その久族に危険な仕事を一任しているからこそ、現状を正確に把握し支援していきたいと思っている。それを示すための視察でもあるのだが、理解を得られてはいないようだな」
 思案しているように見えるよう、右手を口元へ持ってくる。
「お前は向こうからの返答を持ってきたにすぎない。故にお前を罰するつもりもないから、そう畏まる必要もない。それでも、やはり……。仕方がない。到着後、私から延大毅に直接話すことにしよう」
 これで話は終わりだという合図に私は深く腰掛け、再度窓の外へ視線を流す。目の前の景色は先ほどと全く変わらない。ただただ開けた大地が広がっている。
 そうしてぼんやりと変わり映えのない景色を見ながら延大毅に話を切り出すきっかけについて考えを巡らせる。そのまましばらくの時間自分の考えに耽っていると、不意に車が振動する音にかき消されそうなほど微かな声で、主上と呼ばれた気がした。
 私が思いがけない声に顔を戻すと、零れてしまった自分の言葉に驚く欧陽善の顔があった。侠舜や墨羅漢もその使者の方を向いている。やはり耳に届いた声は聞き間違いではなかった。
「何だ?」
 そう問うてみると、はっとした表情の後、見つめられていることに気付いて身を竦ませた欧陽善が動揺したようにその目を左右に泳がせた。
「いえ、あの……。何でもございません。許しも得ず声をお掛けてしまった非礼、深く謝罪いたします」
 そう言って、頭を下げる。かなり長い間その伏せられた顔が上げらることはなかった。


※延家攻略編始まりました。
※かなり初期の段階でここまで話を考えていたのですが、連載開始から1年かかってやっとここまでこれました。長かった……。
※できるだけ早く次の話も更新したいとは思っていますが、文章に起こすのが難しくて……。言葉遣いとかもわからないし、身分の高い人同士のやり取りの常識も分からないしで、一行書くごとに分からないことが出てくるんです。なので変なところが多くても見逃してもらえると嬉しいです。

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