皇帝の寵愛

たろう

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前段

15 主上とお茶を飲む

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 久しぶりに綺麗に晴れた日だった。
 ちょっとずつ空気が冷たくなってきて、朝布団からでるときにちょっとした決意が必要になって、空がちょっとだけ遠くに見えるようになった。
 その日は午前中に二つ授業があって、午後からの授業が二つ急遽取りやめになったせいで、突然することが無くなってしまった日だった。急に空白の時間ができて、何をしたらいいのかわからなくて、でもこんなのびのびした日は多くなくて、僕は人に頼んで卓を窓際に移動してもらうと、とりあえずいつも世話をしてくれる桂雨が淹れてくれたお茶を飲むことにした。
 窓から見えるのは綺麗に整備された庭だった。この前まで僕の目を楽しませてくれていた緑豊かな庭はもうその面影がない。立ち枯れ始めた草花は前日綺麗に刈り取られ、赤く黄色く色づいた木々の葉は毎日庭を汚し、庭師のおじいさんがせっせと掃き掃除をしていた。
 時々庭の手入れをしている姿を僕はこの窓から見ているけれど、話をしたことは一度もない。話しかけてはいけないのだと侠舜に言われていた。彼らの仕事には宮殿にいる者と話をすることが含まれていないからだそうだ。それに話をできるような教養がないからとも言われた。言葉遣いができていないから、と。
 別にそれは差別とか下々の者が高貴な者に話しかけることが単純に無礼だからということではなくて、話し方が粗雑であるために、貴人と話をしたときにそのせいで不敬とみられて処罰されるのを避けるためだった。
 僕もあの日宮殿の宴会で給仕として働く際に、三日ほど言葉遣いの講習を受けていた。

 お茶を淹れてくれた桂雨とは客がいないときはよく話をする。最初のうちは年齢も性別も違うので何を話したらいいのかわからなくて、当たり障りのないことを二言三言交わすだけだった。
 それでも徐々に気心が知れてきて、だいぶ彼女の人となりが分かった。
 一月ほどかけて仲良くなって、もっと気さくに話そうと持ち掛けたけれど、それはできませんと言われた。立場が違うからだそうだ。僕も彼女も平民だったけれど、僕は特別だからと。

 ぼんやり窓の外を眺めてどれほどの時間がたったのか、ふと気付くと入口に主上が立っていた。また先触れをださなかったのだ。しかもこっそり入ってくるなんて人が悪い。
 もちろん主上はこの国で一番高貴であり全ての者が彼の臣下であるため、そういう振る舞いも許される。別に僕もそんな主上を責めるつもりはない。もちろん普段はちゃんと礼儀を守っている立派な人だ。こういうおふざけをするのは他に僕しかいない場合だけだとわかっているから、少しも不快ではない。かわいいなと思うだけだ。
 主上は入ってすぐのところで何をするでもなく立っていた。いつもならすぐに近寄ってきて同じ卓を囲むのに、その日ばかりはいつもと様子が違うようだった。疲れているのだろうか。
「お掛けにならないのですか?少し前に桂雨がお茶をいれてくれたんです。面白いんですよ。花のお茶なんですけど、湯の中に花が丸々浮いているんです。」
 すると夢から覚めたように目を瞬いて、はっと気づいたような顔をすると、頂こうと一言発して僕の隣の椅子まで大股でやってきて腰かけた。
 桂雨はしばらく前に用事があるからと部屋を出て行ったきりなので、今は僕と主上の二人だけだ。
 僕は卓の脇に置かれていた台車から湯呑と皿を取り上げ、卓に置くと急須からお茶を注ぐ。薫り高い湯気が立ち上って鼻孔をくすぐった。そのまま主上の前にお茶を置くと僕も席に戻った。
 主上はありがとうと一言言ってから湯呑に手を伸ばすが、もてあそぶように器をなでるだけで飲む気配がない。
 お嫌いだったかと思ったけど、ほかのお茶は今はなく、どうしようもないので何も言わなかった。
 主上のめずらしくぼんやりした顔を見ながらお茶を一口飲んだ。冷たくなってしまっていた。
「すみません、主上。ずいぶん前に入れてもらったお茶なので、温くなってしまっていると思います。おいしくないので飲まれないほうが良いですよ。」
 僕が気を利かせて声をかけると、主上は思い出したようにお茶を飲みだした。嫌いなお茶ではなかったようだ。
 主上は人がいないときは細かいことにはこだわらない。特に二人きりのときはそうだった。ただし僕が人前で恥となるようなことをしてしまったときは、きちんと注意してくれる。だからお茶がわずかに温い程度で気分を害したりはしない。

 以前主上と私的なお茶会をしたときのことだ。偶然通りかかった僕に主上が声をかけて、一緒に私室に行ってお茶を飲んだ。そのとき、侍女が湯呑を倒してしまい、零れたお茶が主上のお召し物をぬらしてしまったことがあった。
 侍女は青ざめて、叩頭して謝罪した。僕はその光景に少なからず動揺してしまい、何も言えずにただ成り行きを見ていた。主上が怒って厳しい罰が下されることを恐れたのではなくて、侍女がそんな些細な事で必死に謝る姿を目の当たりにしたせいだった。
 側にいた侠舜が即座に火傷の有無を確認し、問題ないとわかるとお召し替えをと主上を促した。主上は一言侍女に良いとだけ言って彼女を下がらせ、自分は立ち上がって隣室へと消えていった。
 それからすぐに侍女の上のさらに上の者、つまり宮殿内の人事を司る部署の官が走ってやってきて、部下の不始末についての謝罪を述べた。主上はただ聞いて分かったとだけ言った。
 主上は基本的に末端の者をしかったりしない。以前教えてくれたのだが、主上が粗相をしてしまった者に直接処罰を下すと命令系統が混乱してしまうからだそうだ。
 下級の官の監督は上級の官がするのが普通だ。その仕事を奪うことになるのだそうだ。
 それに、と主上は教えてくれた。主上の父上は短気を起こしやすい人だったらしく、機嫌が悪いと些細なことでも叱りつけ、そのせいでいらぬ時間がかかることがあったそうだ。
 それを見て育った主上は、自分が関わらないほうが事態は短時間で収束することを学び、些細なことには口を出さないことに決めたのだとか。
 しかしこのせいで、宮殿に務めるものたちからは慈悲深い皇帝だと見做されているらしい。ただ合理的判断をしただけで慈悲深いわけではないのだが、と主上は何とも言えない顔で言っていた。

 僕はそこまで思い出して、さらに冷たくなったお茶を捨てると新しく注いで一口飲んだ。やはり急須の中のお茶も温くなってしまっていた。
 そんな僕を見ながら、主上は窓から何をみていたのだと聞いてきた。
「庭師の仕事ぶりをみていました。」
「何ぞ面白いものでもあったのか。」
「いえ。面白いわけではないのですが、あの年老いた庭師は僕の近所のおじいさんによく似ているんです。でも話をしたことはないので、中身まで似ているかはわかりません。仕事も違いますしね。ただ、仕事をしているのが見えると、なんとなく目で追ってしまうんです。」
「そうか。」
「主上は何か御用でしたか?」
「いや、近くを通ったので寄ってみただけだ。」
「それはありがとうございます。午後の授業が二つともなくなってしまい、暇を持て余していたのです。来てくださってとてもうれしいです。ですが、お時間は大丈夫ですか?」
 僕がそう聞くと、思い出したように主上が立ち上がり、見送ろうとする僕を制して部屋を大股に出ていった。

 それから時々主上を授業の合間に、わずかな時間ではあるが見かけるようになった。主上が僕の授業を見に来るのは、たまたま外で馬や弓の練習をしていたときを除いては、ほとんどないことだった。先生方も色めきたっていた。理由を問われたけれど僕自身もあずかり知らないことだった。
 あとで自室でくつろいでいるときに侠舜に、主上は今お仕事がお暇な時期なのかと尋ねると、あれも仕事のうちなんですよと言われた。
 それからしばらく主上のお姿が見えなくなって、久しぶりに僕の部屋で顔を会わせた。
 開口一番一緒にでかけようと言われた。
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