上 下
150 / 171
3年目 スフラル編

1. 好物より大事なもの

しおりを挟む
 初夏の日差しの中、トゥレボルからスフラルへと南下していくと、見覚えのある街道に出た。
 二年前、オレを取り上げようとする代官から逃げた道で、この先には騎士が待っていた街がある。

『教会近くの屋台のチョモが美味しかった街だよね! 今夜はあの街に泊まろうよ』
「食べ物に関することは覚えているんだな」

 何そのオレが食べ物以外のことは覚えていなさそうな言い方。ちゃんといろいろ覚えてるよ。記憶力いいよ。自分に必要のないことは忘れるようにしているだけで。必要なことが食べ物にちょっと偏ってるかもしれないけど。

 今まではマイナーな道を通っていたけど、ここはマトゥオーソからスフラルへと向かう道だから、行きかう馬車が多い。
 前の馬車に続いて進み、街に入るための列に並んだけど、前のほうで時間がかかっているのか、馬車の列はなかなか進まない。前回は飛ばして入れてもらったから、これがいつもなのか、今が特別なのかは分からない。

 オレたちの前は、野菜を運んでいる農家さんの馬車だ。野菜と一緒に荷台に乗っている子どもがオレに気付いて、オレを指さしながら父親に報告している。野菜を売りにきたお手伝いかな?

「犬! お父さん、犬がいる」
『ワン』
「ミル、あれは狐さんだよ」
『コン』

 子どもがオレに手を振ってくれたので、尻尾を振り返して気付いた。その子の足には足首から上に包帯がまかれているけど、見えている足の甲の色がどす黒く腫れている。

『ウィオ、あの子の足……』
「ダメだ。ここはオルデキアではないから、教会がどう出るか分からない」

 でも、あの子の足は放っておくと歩けなくなる。魔物に傷つけられたのを放置したのだろう。ちゃんと見ると、包帯をしているところに瘴気が見える。
 傷がなかなか治らなくて治療に連れてこられたのだと思うけど、あの瘴気を浄化して怪我を治すには中級以上の魔法が必要だ。その魔法を使える人がこの街の教会にいるかどうか分からないし、あの子の家族がその費用を払えるのかも分からない。払えるなら、あんなに酷くなる前に治してもらっている気がする。
 だからせめて、簡単な魔法を使ってもらえれば後遺症が残らなくなるくらいまでにはしてあげたい。

『じゃあ、この街には入らずに、次の街に行こうよ』
「チョモはいいのか?」
『王都の屋台で食べるからいいよ』

 ウィオはため息を吐きながらも治癒の許可をくれた。
 王都の屋台のチョモも美味しかった。それに、教会の人に追いかけられることになっても、王都に逃げ込めばあの騎士さんが助けてくれそうだという期待もあるから、きっと大丈夫だろう。
 そんな心配は現実になってからすればいいので、まずは子どもの足を治そう。
 ルジェ先生、患者さんを見つけたので往診にいきまーす。

「お父さん、きつねがきた」
「狐、野菜は売り物だから、傷つけないでくれよ」
『キャン』

 荷台に飛び乗ると注意をもらったけど、オレはお利口で美味しいものが大好きな狐なので、食材がダメになるようなことはしないよ。安心して。
 まずは子どもの足を治してしまおうと、子どもに近づこうとしたら、思わぬ妨害を受けた。

「きつね、だめ。このけがには、ちかよっちゃだめなんだよ」
『キューン』

 穢れているから、家族や友達が触らないように注意しなさいと言い含められているようだ。
 近寄らなくても治癒はできるんだけどどうしようかなと、子どもの前でうろうろしていたら、ウィオが馬車を降りて近づいてきた。

「私の使役獣が邪魔をして悪いな」
「いえいえ。可愛い子ですね」
「ああ。ところでこの野菜は売り物か? 買いたいんだが」

 ウィオが荷台に乗っているジャガイモみたいな野菜を買うと言いだした。食い倒れツアー最初の年、オレが芸を披露したお祭りで、早むき大会に使われていた野菜だ。時期が違うから、種類が違うのかもしれない。買ってもウィオは料理できないと思うんだけど、どうするんだろう。
 ウィオの意図が分からずに見守っていると、ウィオは一箱受け取ってオレたちの馬車の荷台に乗せると、父親に硬貨を渡した。

「申し訳ないのですが、おつりがありません」
「私も持っていない。それで子どもの足を治療してやれ。私の使役獣が心配している」
『キュウ』
「ルジェ、時間がかかっているから、次の街へ行くぞ」
「あの、だったら野菜を全部もらってください」
「馬車に入らない」

 こんなにもらえないという父親の言葉をバッサリと切り捨て、ウィオは自分の馬車の御者台に戻った。
 そのやりとりにみんなの意識が向いている間に、オレは子どもの足の瘴気を少し残して浄化した。これでもし教会に浄化してもらえなくても、瘴気はいずれ消える。
 ウィオが渡したお金があれば、足の機能に問題なく傷が治るように治療してもらえるだろうから、そのうち元気に走りまわれるようになるだろう。

 オレが御者台に飛び乗ると、ウィオが馬車を動かし、街に入る列から外れた。このまま隣の街に向かおう。
 父親が頭を下げているのが目の端に見えたけど、ウィオは振り返りもしなかった。貴族にとっては大した金額ではないのだろうけど、オレの気持ちをくんでくれたのが何よりうれしい。

『ウィオ、ありがとう』
「いや、ルジェがやりたいことをやりたいようにしていいんだ。止めて悪かった」

 ウィオがオレを止めるのは、オレに面倒が降りかかることが分かっている場合だ。
 今回だと、オレが浄化したことを知ったら、この国の教会がどう出てくるかが分からない。場合によっては別の人の浄化を頼まれるかもしれない。それに付き合うと食い倒れツアーが進められないし、教会にいいように使われるのも気に入らない。そういう隙を作らないように、ウィオはいつも気を遣ってくれている。

 きっとあの子と父親は、教会に行って包帯を外しても、瘴気が軽くなっていることには気付かないだろう。以前の傷を見ていなければ、教会の人たちにも気付かれないはずだ。治療費を出したのが銀髪の冒険者で狐を連れていたと知れたら、教会はオレたちの関与に感づくかもしれないけど、ただお金を渡しただけと思ってくれるはず。多少は疑われても、確証は得られない。
 それもこれも、ウィオが治療費を出してくれたからできたことだ。でなければ、オレが怪我も後遺症が残らないところまで治していた。そうなれば、不自然さに気付かれる。

『面倒が起きないように気を配ってくれてるって分かってるよ。ありがとう』
「ルジェが、チョモを諦めてでもやりたいことだからな」
『キュゥーン』

 それって冗談だよね? 本気で思ってないよね?
 好物と子どもの将来、天秤にかけるまでもないと思うんだけど、ウィオにはオレはそこまで食い意地が張っていると思われているんだろうか。記憶力の件といい、ウィオの中でオレがどういうふうに捉えられているのか、ちょっと心配になってきたぞ。
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!


処理中です...