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十八歳 春~愛縁機縁
4. 孤児院訪問
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令嬢としての勉強に、目覚まし時計の魔法陣を刻む作業もあるが、今日は貴族としての義務の日、孤児院訪問だ。義務だが、エリサはこの時間が嫌いではない。
子どもたちは正直だ。男爵家ごときに媚びを売ったところで、自分の境遇が改善しないことは百も承知している。けれど毎回商会の商品を持ってくるエリサは、嫌われてはいなかった。
昨年の春、婚約破棄された直後に訪問した際は、子どもたちに無邪気に慰められたが、「こんやくはきされたんだってね」「げんきだしてね」とかけられた言葉のストレートさに傷をえぐられたのは、忘れられない記憶だ。
今回は、伯爵令嬢として初めての訪問だ。
だが、モルビエ伯爵夫人エレオノールと、クレッソン男爵夫人のナタリー、二人の母とともに現れたエリサに、子どもたちは変わらず容赦なかった。
「おねえさん、すごいしゅっせしたね」
「たまのこしー」
「いいだんなさん、つかまえられて、よかったねー」
「おめでと」
「それよりべんりなまどうぐ、ちょうだい」
エレオノールとナタリーには行儀よく控えめに挨拶した後の、エリサへの遠慮ない言葉と要求に、エレオノールも伯爵家の使用人も苦笑している。この場面を見るだけで、今までの子どもたちとエリサの関係性が見て取れる。
孤児院の責任者は、伯爵令嬢になんてことをと慌てている。だが子どもたちにとっては、変わった身分よりも今までのエリサとの関わりのほうが優先されるようだ。大人たちの感情に敏感な子たちだから、きっとこの程度でエリサが怒ることはないと分かっているのだろう。別の言い方をすれば、なめられている。まあ、それでもいいか、とエリサが流してしまうのもその要因だ。
「はいはい。ありがとうございます。でも、魔道具はあげません。大人になって稼いでから買ってください」
「えー、けちー」
「世の中そんなに甘くないの」
孤児院が必要とするなら寄付するが、子どもたち個人に渡すつもりはない。世の中の子どもたちに広く行き渡っているものではないのだ。それに品薄でなかなか手に入らないものが孤児院にあると知れたら、盗難の恐れもある。
目の前の子どもたちも、もらえたら儲けものという感じで言っているのだ。だから、文句を言いながらもすぐに引き下がった。
今日は、伯爵家の料理人が作ったお菓子でお茶会だ。クレッソン男爵家は食べものよりも商会の日用品を寄付することが多かったが、伯爵家は毎回季節のものを使ったお菓子を持参する。
今回は春の野菜を使ったカップケーキだ。栄養が取れるように、果物ではなく野菜を多く使っている。
「みどりのは、にがいからいや」
「苦くないよ。だまされたと思って、食べてみて」
「えー」
「こんな美味しいケーキは、なかなか食べられないよ」
「きぞくでも?」
男爵家と伯爵家を同じに考えてはいけない。男爵、子爵と、それより高位には、大きな隔たりがある。クレッソン男爵家は大手商会なので、その辺の高位貴族よりもよっぽどお金持ちではあるが、それでもいい料理人や素材を揃えられるわけではない。能力がある人は、より高位の家に雇われたがるし、同じ食材を求める人がいれば高位の家が優先される。お金があればなんでも手に入るわけではないのだ。
エリサの気安い雰囲気に文句は言えるが、やはり貴族とあって言われたことは聞かなければならないと思っている子どもたちは、言うことを聞いて、ひとかけら口に入れた。食べてみると子どもの口に合ったようで、美味しそうに食べ始めた。
栄養があり、かつ子どもが喜ぶような甘いケーキを作れるのはさすがだと、伯爵家の料理人を内心で褒め称えながら、エリサもカップケーキを頬張った。
子どもたちと同じテーブルにつき、同じものを食べ、同じ目線で話すからこそ、エリサは子どもたちに懐かれているのだが、エリサは自分が他の令嬢と違う行動を取っている自覚がない。そんなエリサだからこそ、好き嫌いを諫める言葉を子どもたちが大人しく受け入れたことにも気づいていない。それに孤児院の大人たちが感謝していることも。
エレオノールはそれを知らせて、エリサと子どもたちの関係が変わるよりはこのままのほうがいいと判断して、黙って見守ることに決めた。
「エリサ、新しい生活には慣れた?」
「どうでしょう。披露パーティーが終わって、少し落ち着きました」
孤児院の訪問後、ナタリーも一緒に伯爵家でお茶をしている。ナタリーと話すのは久しぶりだ。
いろいろなことが大きく変わり、慣れる暇も、慣れたと実感する暇もなかった。けれど余計なことを考えずにすむ状況が、よかったように思う。
「お父様とアンリはお元気ですか?」
「貴女のおかげで大忙しよ」
父ジャンは、目覚まし時計のヒットで忙しかったところに、辺境伯家との縁にあやかりたい人たちからのお誘いや商売の提案で、ゆっくりする時間も取れないそうだ。
弟アンリも、繋がりを作りたい人たちから、多くのお茶会に招待されていて、選んで出席しているらしい。アンリの婚約が決まっていてよかった。でなければ、とんでもない争奪戦が繰り広げられたはずだ。それほど、高位貴族との繋がりは価値がある。
アンリはそんな騒動の愚痴を、婚約者であるミレーユに聞いてもらっているに違いない。花の妖精のような可憐な少女が、にこにこと話を聞いてくれるなら、日々の煩わしさも忘れられるだろう。
二人の間のほのぼのとした雰囲気に、久しぶりに触れたいなと、エリサは思った。少しホームシックになっているのかもしれない。
子どもたちは正直だ。男爵家ごときに媚びを売ったところで、自分の境遇が改善しないことは百も承知している。けれど毎回商会の商品を持ってくるエリサは、嫌われてはいなかった。
昨年の春、婚約破棄された直後に訪問した際は、子どもたちに無邪気に慰められたが、「こんやくはきされたんだってね」「げんきだしてね」とかけられた言葉のストレートさに傷をえぐられたのは、忘れられない記憶だ。
今回は、伯爵令嬢として初めての訪問だ。
だが、モルビエ伯爵夫人エレオノールと、クレッソン男爵夫人のナタリー、二人の母とともに現れたエリサに、子どもたちは変わらず容赦なかった。
「おねえさん、すごいしゅっせしたね」
「たまのこしー」
「いいだんなさん、つかまえられて、よかったねー」
「おめでと」
「それよりべんりなまどうぐ、ちょうだい」
エレオノールとナタリーには行儀よく控えめに挨拶した後の、エリサへの遠慮ない言葉と要求に、エレオノールも伯爵家の使用人も苦笑している。この場面を見るだけで、今までの子どもたちとエリサの関係性が見て取れる。
孤児院の責任者は、伯爵令嬢になんてことをと慌てている。だが子どもたちにとっては、変わった身分よりも今までのエリサとの関わりのほうが優先されるようだ。大人たちの感情に敏感な子たちだから、きっとこの程度でエリサが怒ることはないと分かっているのだろう。別の言い方をすれば、なめられている。まあ、それでもいいか、とエリサが流してしまうのもその要因だ。
「はいはい。ありがとうございます。でも、魔道具はあげません。大人になって稼いでから買ってください」
「えー、けちー」
「世の中そんなに甘くないの」
孤児院が必要とするなら寄付するが、子どもたち個人に渡すつもりはない。世の中の子どもたちに広く行き渡っているものではないのだ。それに品薄でなかなか手に入らないものが孤児院にあると知れたら、盗難の恐れもある。
目の前の子どもたちも、もらえたら儲けものという感じで言っているのだ。だから、文句を言いながらもすぐに引き下がった。
今日は、伯爵家の料理人が作ったお菓子でお茶会だ。クレッソン男爵家は食べものよりも商会の日用品を寄付することが多かったが、伯爵家は毎回季節のものを使ったお菓子を持参する。
今回は春の野菜を使ったカップケーキだ。栄養が取れるように、果物ではなく野菜を多く使っている。
「みどりのは、にがいからいや」
「苦くないよ。だまされたと思って、食べてみて」
「えー」
「こんな美味しいケーキは、なかなか食べられないよ」
「きぞくでも?」
男爵家と伯爵家を同じに考えてはいけない。男爵、子爵と、それより高位には、大きな隔たりがある。クレッソン男爵家は大手商会なので、その辺の高位貴族よりもよっぽどお金持ちではあるが、それでもいい料理人や素材を揃えられるわけではない。能力がある人は、より高位の家に雇われたがるし、同じ食材を求める人がいれば高位の家が優先される。お金があればなんでも手に入るわけではないのだ。
エリサの気安い雰囲気に文句は言えるが、やはり貴族とあって言われたことは聞かなければならないと思っている子どもたちは、言うことを聞いて、ひとかけら口に入れた。食べてみると子どもの口に合ったようで、美味しそうに食べ始めた。
栄養があり、かつ子どもが喜ぶような甘いケーキを作れるのはさすがだと、伯爵家の料理人を内心で褒め称えながら、エリサもカップケーキを頬張った。
子どもたちと同じテーブルにつき、同じものを食べ、同じ目線で話すからこそ、エリサは子どもたちに懐かれているのだが、エリサは自分が他の令嬢と違う行動を取っている自覚がない。そんなエリサだからこそ、好き嫌いを諫める言葉を子どもたちが大人しく受け入れたことにも気づいていない。それに孤児院の大人たちが感謝していることも。
エレオノールはそれを知らせて、エリサと子どもたちの関係が変わるよりはこのままのほうがいいと判断して、黙って見守ることに決めた。
「エリサ、新しい生活には慣れた?」
「どうでしょう。披露パーティーが終わって、少し落ち着きました」
孤児院の訪問後、ナタリーも一緒に伯爵家でお茶をしている。ナタリーと話すのは久しぶりだ。
いろいろなことが大きく変わり、慣れる暇も、慣れたと実感する暇もなかった。けれど余計なことを考えずにすむ状況が、よかったように思う。
「お父様とアンリはお元気ですか?」
「貴女のおかげで大忙しよ」
父ジャンは、目覚まし時計のヒットで忙しかったところに、辺境伯家との縁にあやかりたい人たちからのお誘いや商売の提案で、ゆっくりする時間も取れないそうだ。
弟アンリも、繋がりを作りたい人たちから、多くのお茶会に招待されていて、選んで出席しているらしい。アンリの婚約が決まっていてよかった。でなければ、とんでもない争奪戦が繰り広げられたはずだ。それほど、高位貴族との繋がりは価値がある。
アンリはそんな騒動の愚痴を、婚約者であるミレーユに聞いてもらっているに違いない。花の妖精のような可憐な少女が、にこにこと話を聞いてくれるなら、日々の煩わしさも忘れられるだろう。
二人の間のほのぼのとした雰囲気に、久しぶりに触れたいなと、エリサは思った。少しホームシックになっているのかもしれない。
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