魔法陣に浮かぶ恋

戌葉

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春~婚約破棄

2. クレッソン男爵家

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 卒業パーティーの会場まではロベールの馬車でともに来たので、エリサには帰る足がない。見かねたルイーズの婚約者であるギヨームが、友人のルイーズとともに、屋敷まで送ろうと申し出てくれた。
 ロベールのこの振る舞いには、さすがに非難が上がっている。婚約破棄は当事者同士の話だが、帰る足を持たない令嬢を放置するのは紳士的な振る舞いでない、馬車を手配すべきだということらしい。
 気軽にタクシーが呼べないということをすっかり忘れて、早めに帰りの手段を手配しなかったエリサの落ち度でもあるのだが、無事に帰れることになったので気にしないことにした。

「お帰りなさい、エリサ。パーティーはどうでした?」
「殿下がマルスラン公爵令嬢に婚約破棄をすると宣言されました」
「なんと! エリサちゃん、パパに詳しく聞かせて。どうなったの?」
「ロベール様が私に婚約破棄をしたいとおっしゃったことで、うやむやになりました」
「ちょっと待って! エリサちゃんに婚約破棄って、どういうこと?!」
「旦那様、落ち着いてください。エリサ、貴女の話は簡潔すぎます。ちゃんと順を追って説明しなさい」

 詳しくも何も、あの状況を説明するにはこの二文で足りると思うのだけど。
 エリサは心の中でそう呟きながら、王子のいきなりの宣言から、ジャンの商売に関係しそうな高位貴族の動向を中心に説明していく。特にマルスラン公爵の派閥に属していない侯爵家や伯爵家の子息令嬢の反応を。王家と公爵が対立するなど、内乱が起きる可能性だってある。その可能性がありそうなのかどうか、あるいはその可能性を感じて動く貴族がいるのかどうか。

「そちらも一大事だけど、どうしてロベール様からエリサちゃんが婚約破棄されることになるのかな?」
「愛に生きたいのだそうです」
「それで、エリサはなんと答えたのですか?」
「答える前に殿下からお声がかかり、ロベール様が公表されました。先立つものがなければ、愛に生きるのも大変でしょうに」
「公表って、そんな勝手に……」
「エリサちゃん、ロベール様の心配をするなんて……。こんな優しい子に、ロベール様はなんて仕打ちを」

 心配しているわけではなくて、単なる感想だ。お坊ちゃまは愛でお金が湧き出るとでも思っているのだろうか。それとも恋人がお金持ちなのか。現実的なことを考えてしまうが、他人の心配をしてもしょうがないと気持ちを切り替えた。まずはぐらついている自分の足元を固めてしまわなければ、と気を引き締める。

「お父様、お母様、守銭奴の男爵令嬢などとあだ名をつけられて、婚約破棄もされ、これ以上この家にご迷惑をかけるわけにはいきません。どうぞ、家から除籍をしてください」
「エリサちゃん、そんなこと言わないで。エリサちゃんは商会のお手伝いもしてくれる心優しく優秀なだけだよ」
「旦那様、うそ泣きにだまされないでください」

 エリサは涙を流して見せたものの、やはりナタリーはエリサの芝居にだまされはしなかった。
 エリサの継母であるナタリーは大手商会の娘で、父ジャンの後妻としてクレッソン男爵家に嫁ぎ、跡継ぎである弟アンリを産んだ。エリサは新しい母に打ち解けようと努力したころもあったが、二人は根本的に性格が合わない。

 エリサの父の父、初代クレッソン男爵家当主は、息子であるジャンの妻にはなんとしても貴族の娘を迎えると決め、ジャンは今の母ナタリーを思いながらも別れ、子爵家からエリサの生みの母エレーヌを迎えた。エレーヌはとても大人しく、気が弱い人だった。エリサには、暖炉の前で椅子に座っていたエレーヌと、その体調を気遣うジャンの記憶がうっすらと残っている。初代当主が亡くなってすぐに、エレーヌも病気でこの世を去った。
 その後、エリサに母親が必要だろうと説得されて、ジャンがナタリーを後妻に迎えた。ナタリーはこの家に来た当初、エリサをかわいがろうと努力した。
 平民出身の後妻が、必死に血のつながりのない子どもを愛そうとしている。ここはいい子になって、その努力に答えるしかない。そのときのエリサは間違った方向に決心を固めてしまった。ことあるごとにお母さん大好きアピールをしたのだ。今まで誰にもしたことがない、ハグやキスも多用して。
 おかげでエリサは、ジャンからは生みの母を失って情緒不安定なのではないかと心配され、ナタリーからは何かを企んでいるのではないかと警戒された。今ならエリサも根本から作戦を間違えていると分かるのだが、あのときはそれが最善だと思ってしまったのだ。思い込みの激しい子どもの思考は予測がつかない。
 そんなことがあったので、ナタリーはエリサを娘ではなく、一人の女性として扱っている。もしかしたらナタリーは、小さいころからエリサの中の前世の人格の存在を感じ取っていたのかもしれない。

 そのナタリーは、思ったことをはっきりと口に出す。

「エリサ、身分はあっても邪魔にならないのだから、この程度で手放すのはやめなさい」
「平民になって仕事に励みます」
「それは後日冷静になってから考えなさい。貴女は新しい婚約者を探すためにお茶会に出るのが嫌なだけでしょう。そのような怠慢、許しません」
「私はただこれ以上この家に迷惑をかけないように」
「仕事上で身分が必要になったときに、やっぱり貴族に戻りたいと言ってもできないの。貴族でいることの特典のほうが大きいの。仕事をしたいのだったら、先を見通して考えなさい」

 商売を身近に見て育った影響なのか、ナタリーは損得勘定で物事を考えがちだ。
 そして前世の社会人経験から、エリサは効率やコストパフォーマンスを重視しがちだ。
 つまり、二人とも似ているのだ。だからこそ、ぶつかる。どう見てもエリサがナタリーの実の娘で、おっとりした弟アンリが、エリサの実母である子爵家令嬢の息子だろう、とよく言われる。

 ナタリーが言っていることは正論だ。だから、エリサは言い返せない。貴族の身分がわずらわしいというだけの理由では、説得が難しい。

「二人とも、今日はその話はやめよう。まずはゆっくり休もう、ね。エリサちゃん、お風呂に入っておいで。新作の入浴剤があるよ」
「旦那様、旦那様がそうやって甘やかすから、エリサは貴族の義務から逃げようとするのですよ」
「ハニー、明日エリサちゃんと話すから、今は娘が婚約破棄されて傷ついている父親をなぐさめてほしいなあ」
「……分かりました。エリサ、貴方も今日は何も考えずに、とにかく休みなさい。疲れたでしょう」

 この家の一番の曲者はジャンだろう。後妻であるナタリーを溺愛して頭が上がらず、前妻との間の娘エリサと後妻の間にはさまれている気弱な父と見せかけ、実は手のひらの上で家族を転がしている。
 アンリはこのやり取りの間、余計な口を出して火の粉が降りかからないように空気になっている。こちらも大人しいと見せかけて要領よくちゃっかりしている。

 ナタリーの言葉に疲れを自覚すると、一気に身体が重くなった気がした。今日はお風呂に入って、寝てしまいたい。
 こういうときに、お金持ちの家に生まれてよかったと思う。子爵、男爵ともなれば、貴族であっても毎日お風呂に入れる家ばかりではない。
 いるのかどうか分からない転生の神様に感謝しながら部屋を出たが、部屋の中でジャンとナタリーが話している会話が、開いたドアから廊下まで聞こえた。

「旦那様、こちらが了承していないのですから、宣言は無効なのでは?」
「王族もいらっしゃるところで公表されてしまった以上、こちらからは覆せないよ」
「あちらが希望した婚約でしたのに」
「伯爵家相手に私たちにできることはない」
「でしたら、エリサの将来に傷をつけたのですから、それなりに弁償していただきましょう。その持参金があれば、いいお相手が見つかるかもしれませんし。しっかり払っていただいてくださいね」

 なんだかんだで、クレッソン男爵家は愛情深く仲の良い家族だ。
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