16 / 42
三冊目 赤い記憶
赤い記憶―2
しおりを挟む*
そのまた翌日。物書き屋には変わらず、静かでゆったりとした時間が流れている。柳は店にいるが、桜子は自室で暇を持て余していた。
「うむ。やはりこれは、さわり心地がよいな」
桜子の部屋には、ぬいぐるみも同居していた。可愛らしいクマ、うさぎ、招き猫、ウシ、ブタ、もう一つクマ。桜子は小さい手のひらで、それらと戯れている。
「ふにふに具合は、うさぎが一番じゃな。いや、ウシもなかなか……」
桜子は、うさぎをお供に柳の部屋に入ってみる。部屋の主は、一階にいて、おそらく気づかない。
「何か面白いものないかのう~」
勝手に物色を始めた桜子は、愉快そうに鼻歌を歌っている。が、そもそも物が少ない柳の部屋は、早々に見るものがなくなってしまった。ふと、桜子の頭にあるものが思い浮かんだ。
「紅茶帳は、机の引き出しかのう? ……おっ、あった」
桜子が見ようとするたびに、何気なく柳に阻止されていた。本人がいない今なら、見ることが出来る。わくわくしながら、桜子は紅茶帳を開いた。
「うーむ」
そこには、紅茶の銘柄、等級、味、淹れ方、特徴などがこと細かに記されていたが、桜子にとっては、そう興味があるものではなかった。飲むことは、好きなのだが。
見慣れない単語が目に入った。
「ごーるでんどろっぷ?」
整った柳の字で書かれたメモによると、ティーポットからティーカップへ紅茶を注いだときの最後の一滴のことをゴールデンドロップというらしい。紅茶の美味しさが凝縮されているという。
「ほぉー、面白いのう。今度淹れてるところも見てみるかのう」
桜子はパラパラと紅茶帳のページをめくっていく。ふいにその手が止まる。
「む?」
桜子の視線は、ピンク色で書かれている小さな文字を見つけていた。よくよく見ると、それは<桜子さんのお気に入り>とあった。
「や、柳のやつ……」
何かからかう材料を見つけようと物色したというのに、逆にしてやられたような気分だった。お供のうさぎに顔をうずめて、頬の赤みが落ち着くのを待った。
唐突に、大きな音が響いた。一階、店の方からだった。続けて、柳の声が聞こえる。
店の引き戸が荒々しい音を立てて来客を知らせた。静かな朝を吹き飛ばすような音に驚きながらも、柳はいつものように笑顔で出迎えた。
「ようこそ、物書き屋へ」
「ここが噂の、物について話を書くという店か」
スーツ姿の男が、周りの本には目もくれず、柳に問いかけた。マスクをしているため、その声は少し聞こえにくかったが、会話には問題ない。
「ええ。ご依頼ですか?」
二階から、桜子が足音を弾ませて降りてきた。久々の客が、暇を追い払ってくれるだろうと期待の表情を浮かべている。
「これを頼む」
男は、紙袋ごと柳に差し出してきた。書類を書いてもらうために、テーブルへと案内しようとする。
「どうぞ、こち――」
「急ぐから、これで」
それだけ言うと、止める間もなく踵を返して店を出てしまった。
「……行ってしまいましたね」
「せわしないやつじゃのう」
「お名前も連絡先も分からないですね。どうしましょう」
「まあ、そのうち取りに来るじゃろう。で、なんじゃこれは」
桜子に促されて、柳は紙袋の中から依頼の物を取り出す。丁寧に布で包まれていたそれをテーブルの上に置き、まじまじと見る。
「少し、欠けてますね……。使い込んだ物なんでしょうか」
桜子もその横でじっと見つめている。桜子が見ているのは、物そのものではなく、傍にいるツボミ。桜子は目線を動かさないまま、柳に声をかけた。
「柳、すぐに書くのじゃ。今、すぐに」
「え?」
柳もツボミに視線を移すと、身振り手振りで必死に何かを訴えている。切羽詰まった様子で、尋常ではない。
柳がツボミの声を聞くことが出来るのは、万年筆を持ち、集中している時だけだった。今この場では声は聞こえない。だから、桜子は早く書け、と言っているのだ。
「急いだらどれくらいじゃ?」
「全速力ですれば、明日には」
「今日中じゃ」
「そんな」
無茶なことを言っているのは、桜子自身も分かっているはずだった。だが、それほどこの物には“何か”あるのだろう。折れるのは柳の方だった。
「分かりました。今日中に」
「うむ」
「では、名無しさま、そして桜子さんからの至急でのご依頼、物書き屋が店主、柳が――」
「それはよいから、早くするのじゃ!」
桜子に背中にぐいぐいと手のひらで押されて、執筆室に押し込まれた。
「えぇー、それくらい言わせてくださいよー」
「ほら、書くのじゃ」
軽口を口にした柳だったが、それは緊張をほぐすため。そして、桜子が柳の冗談を流すほどに、時間が惜しいというのが、不安を煽る。
「では、始めましょうか」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
作ろう! 女の子だけの町 ~未来の技術で少女に生まれ変わり、女の子達と楽園暮らし~
白井よもぎ
キャラ文芸
地元の企業に勤める会社員・安藤優也は、林の中で瀕死の未来人と遭遇した。
その未来人は絶滅の危機に瀕した未来を変える為、タイムマシンで現代にやってきたと言う。
しかし時間跳躍の事故により、彼は瀕死の重傷を負ってしまっていた。
自分の命が助からないと悟った未来人は、その場に居合わせた優也に、使命と未来の技術が全て詰まったロボットを託して息絶える。
奇しくも、人類の未来を委ねられた優也。
だが、優也は少女をこよなく愛する変態だった。
未来の技術を手に入れた優也は、その技術を用いて自らを少女へと生まれ変わらせ、不幸な環境で苦しんでいる少女達を勧誘しながら、女の子だけの楽園を作る。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
『元』魔法少女デガラシ
SoftCareer
キャラ文芸
ごく普通のサラリーマン、田中良男の元にある日、昔魔法少女だったと言うかえでが転がり込んで来た。彼女は自分が魔法少女チームのマジノ・リベルテを卒業したマジノ・ダンケルクだと主張し、自分が失ってしまった大切な何かを探すのを手伝ってほしいと田中に頼んだ。最初は彼女を疑っていた田中であったが、子供の時からリベルテの信者だった事もあって、かえでと意気投合し、彼女を魔法少女のデガラシと呼び、その大切なもの探しを手伝う事となった。
そして、まずはリベルテの昔の仲間に会おうとするのですが・・・・・・はたして探し物は見つかるのか?
卒業した魔法少女達のアフターストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる