14 / 42
二冊目 助演の誇り
助演の誇り―7
しおりを挟む*
一週間ほど経ったある日、菫が物書き屋に訪れた。少し疲れた様子で、目にも力がない。
「お待ちしていました、園田さま。お忙しい中、ありがとうございます」
「ええ」
桜子は少し離れたところから様子を窺っていたが、目が合っても前ほどの勢いはない。心配になったらしく、桜子は柳の隣に並んだ。そして、柳の手から本と鏡を引き取り、菫の前に持っていった。
「ほら、依頼した本と、預かっておった鏡じゃ」
「ありがとう、桜子さん」
菫は、受け取った本の表紙に視線を落とし、そこに記された文字をそっと指でなぞった。『助演の誇り』とある。
「どうぞ、読んでみてください」
菫は椅子に座り直して、表紙をめくった。その手は緊張からか、力が入り過ぎているようにも見える。
~・~・~・~・~・~・~・~
あたしは、目の前を通っていく人たちの真似をするのが好きだったの。嬉しそうな人、悲しそうな人、怒っている人、怒られている人。色んな人が色んな表情をしているのが面白くて、真似して遊んでた。
ある日、あたしを見つけた綺麗な子が、他に目移りすることもなく、笑顔を浮かべて言ったの。
「これにするわ」
それから、ほぼ毎日あたしに向かって、色んな表情をしていた。一瞬で変わる彼女の顔は、見ていて全然飽きなくて、すごく美しいと思ったの。
そのうち、彼女が女優を目指しているのだと知った。手伝いがしたいなって思った。輝く彼女の姿を見てみたくて。
「違う! こんなのじゃないのよ!」
思ったような表情が出来ないと、彼女は怒りをあらわにした。それは、自分自身への怒り。手伝いなんて、生易しいものじゃだめだって、そう感じたの。あたしが、彼女のライバルになる。
猛特訓の末、女優を名乗るようになっても、彼女はあたしでの稽古を欠かさなかった。本番の直前まで、あたしを相手にしてる。そして、口癖のようにこう言うの。
「まだまだ、これからよ」
そう。あなたは、まだ途中なの。ちゃんと、分かってるでしょう。あたしというライバルを踏み台にしていくんだから。
あたしに、その先の景色を見せなさい。あたしを、連れていきなさい、すみれ!
~・~・~・~・~・~・~・~
途中を飛ばしつつも、読み進めていたすみれは、冷水を浴びせられたかのように背筋を伸ばした。そして、居ても立っても居られないというように、立ち上がった。
「私、行かなきゃ、言わなきゃならないわ」
バタバタと店を出ていこうとするすみれに、柳は落ち着いた声音で語りかけた。
「園田さま、いえ、御園さまの物語の続きが、輝くものであると願っています」
すみれは、深くお辞儀をしてから、物書き屋をあとにした。その目は力強く、前を向いていた。
「あいつに前を向かせるために、わざと厳しい台詞を選んだか。さすがは女優の鏡じゃのう」
「そうですね」
物書き屋の二人は、穏やかな表情で、今回の客を見送った。
*
物書き屋を出たすみれは、すぐに相馬に電話をかけた。
『はい、もし――』
「今、どこにいるの?」
『え? 今は、この間待ち合わせしたあの駅のホームに』
「すぐに行くわ、待ってて」
返事を待たずに電話を終わらせると、すみれは駅のホームに向かった。言われた所に着いたはずなのに、相馬の姿が見当たらない。すると、電話が着信を告げる。
『こっちだ。反対側』
その声の言うように反対側のホームに視線を移すと、電話片手に手を振っている相馬が見えた。すみれが気づいたのと同時に、相馬はこちら側に来ようとしたが、それを止めた。
「このままで」
『分かった。……もう会わないんじゃなかったのか』
「雪さんから、どう聞いたの」
『練習の相手として不十分。もう会う必要もない、会わない。そう聞いた。園田からの伝言だと』
内容はだいたい予想していたが、相馬の強張った声を聞いて、喉の奥が締め付けられるような感覚になった。が、いっそこのまま嫌われた方が楽かもしれない、とすみれは考えていた。その思考を遮るように、でも、という声が聞こえてきた。
『でも、園田が言ったわけじゃないだろ』
「え」
『園田は、自分が言い出したことを、他の人からの伝言で終わらせるようなやつじゃない』
一点の曇りもなく、信じてくれることがどれほど嬉しいことか、言葉に出来るほど、すみれは余裕がなかった。
「ええ。そうよ。ありがとう。……でも、もう会わないのは、本当」
『そうか』
線路を隔てた向こう側にいる相馬の表情は、よく見えなかった。すみれはそれに少しほっとしていた。顔を見てしまったら、決心が鈍るかもしれない、と。
「私は女優なの」
『ああ』
周りの騒音は不思議と聞こえず、相馬とすみれ自身の声だけがクリアに届いていた。
「私を“園田”と呼んでくれる人がいるのなら、私はこの先も女優の“御園すみれ”として進んでいける。……私は、御園すみれよ」
一方的で身勝手なことを言っていると、すみれは分かっていた。その罪悪感から、言い終わると同時に背を向け、相馬を見ることが出来なかった。そのまま、通話を切ろうとしたとき、優しい声が耳朶に触れた。
「…………がんばれ、園田」
弾かれたように振り返った途端、目の前を電車が通過した。再び向こう側が見えたときには、相馬の姿はなかった。目の奥が熱くなり、視界がぐにゃりと歪み出した。が、すみれは自らの手のひらで頬を叩き、それを無理やり止めた。
――今、ここで、私が、泣く資格はない。
すみれは、しっかりと前を見つめる。前だけを見つめる。
*
たくさんの照明がセットを照らし、輝く虚構の世界を作り上げている。その世界で生きる、多くの人がその出番を待っている。
長い黒髪を一本の三つ編みにして、肩に流している彼女もその一人。これから、初めて恋に落ちる女性の人生を生きる。彼女は、紫色の鏡を手に最終確認をしている。
「御園さん、出番です!」
「はい」
1
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
作ろう! 女の子だけの町 ~未来の技術で少女に生まれ変わり、女の子達と楽園暮らし~
白井よもぎ
キャラ文芸
地元の企業に勤める会社員・安藤優也は、林の中で瀕死の未来人と遭遇した。
その未来人は絶滅の危機に瀕した未来を変える為、タイムマシンで現代にやってきたと言う。
しかし時間跳躍の事故により、彼は瀕死の重傷を負ってしまっていた。
自分の命が助からないと悟った未来人は、その場に居合わせた優也に、使命と未来の技術が全て詰まったロボットを託して息絶える。
奇しくも、人類の未来を委ねられた優也。
だが、優也は少女をこよなく愛する変態だった。
未来の技術を手に入れた優也は、その技術を用いて自らを少女へと生まれ変わらせ、不幸な環境で苦しんでいる少女達を勧誘しながら、女の子だけの楽園を作る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる