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第三章 東宮女御と斎宮女御
東宮女御と斎宮女御 -11
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宵子は、宴の準備の量に圧倒されていた。衣装の生地選び、色合わせ、会場に置く花の種類やそれを飾る花瓶など、細部まで決めなくてはならないことがたくさんあった。
どれも初めてのことで、戸惑いつつも仲子や他の女房たちと一緒に、作業をするのは楽しい。
それでも、少し疲れてきた頃、桐壺に遣いがやってきた。
「斎宮女御様から、藤壺へのお招きでございます」
またいらっしゃい、というのが社交辞令でなく、呼んでもらえたことが素直に嬉しかった。だが、準備も進めなければならない。
「女御様、どうぞ行ってくださいまし。ずっと作業のし通しでお疲れでしょう」
「息抜きも必要でございますよ」
周防たちがそう言ってくれる。女房たちの方が疲れているだろうに、気を遣ってくれている。申し訳なく思っていると、仲子がそっと耳打ちしてきた。
「女房たちにも休憩を取らせるために、行ってもよろしいかと思いますよ」
「そうね。わたしが動きっぱなしだと、皆も休めないものね」
背中を押される形で、宵子は藤壺へ向かった。
藤壺へ着くと、嬉しそうな淑子の笑顔に出迎えられた。
「ねえ、あなた源氏物語にも詳しいと聞いたのだけれど、本当?」
「一応、全て読んではおります」
「本当! わたくし、源氏物語が大好きなの。それでね、物語に出てくる女性で、誰が好きか、憧れるか、をお話ししたいと思っていたの。でも、皆まだ全部読めていないから、と断ってしまうんですもの。悲しくて」
源氏物語は、かなりの長編だ。全巻を揃えることも大変なので、誰かから借りて読むことがほとんど。読破するにはかなりの時間がかかる。宵子も老師からの課題で渡されていなければ、こんなに早く全て読むことは出来なかっただろう。
「お話し相手がわたしでよろしければ」
「もちろん。あなたとお話するのはとても楽しかったもの」
今回は菓子を用意出来なかったが、藤壺側からお茶が用意されていた。宵子と淑子、仲子も一緒にお茶を飲みながら源氏物語談義が始まった。
「好きな女性を聞く前に、聞いてみたいことがあるの。光源氏の最愛の人は、誰だと思うかしら」
「それは、やはり紫の上ではございませんか。幼少期から光源氏と暮らし、正妻格の女性で、生涯のほとんどを共に過ごしておりますし」
「でも、紫の上を迎えたのは、藤壺の御方に似ていたからでしょう。ずっと追いかけた理想の人、最愛の人は、藤壺の御方ではなくて?」
そう、紫の上は光源氏がはじめに恋をした女性、藤壺の御方の姪にあたり、その事実を知って光源氏は彼女を引き取った。藤壺の御方は、光源氏の父である帝の妃、つまり義理の母親にあたる。歳の差は五歳でどちらかと言えば姉弟に近い年齢だ。
「本当に愛しているのなら、不義の子を生ませるなんてあんまりです。地獄に引きずり込んだようなものでございます」
藤壺は、光源氏との一夜の過ちで子を宿してしまう。帝の妃という立場で別の男性との子を宿すのは不義そのもの。藤壺を生涯苦しめることになる。
「そうねえ。若気の至り、と言ってはあまりに代償が大きいものね。でも、そこまで深く愛されているとも言えると思うわ。想いが深く激しい恋、素敵だわ」
「斎宮女御様は、藤壺の御方がお好きでございますか」
「好きだけれど、一番は朧月夜の君ね」
「朧月夜の君、でございますか……!」
宵子は驚きの声を上げてしまった。仲子も横で驚いていて思わず顔を見合わせた。
朧月夜の君は、光源氏の政敵の娘で、しかも兄帝に入内が決まっている女性である。いわゆる禁断の恋、である。
「あら、変だったかしら?」
「い、いえ。少し意外だったものですから……」
まさか、帝の妃である淑子が、政敵との禁断の恋を選ぶとは思わなくて、つい驚きを隠せずそのまま出してしまった。
「もちろん、そうなりたいというわけではないわよ。主上はわたくしを大切にしてくださるし、わたくしも主上がこの世で一番大切ですもの。この気持ちは揺らぐことはないわ」
「では、なぜ朧月夜の君をお選びに」
「純粋に、わたくしにはあり得ない恋だから、憧れるのよ。だって物語ですもの」
楽しそうに物語について話すが、現実とははっきり区別した上で楽しんでいる。ふわふわと可愛らしい人だが、思慮深いところがある。『妃』の手本を見たような気がした。
「あなたの番よ。どの女性に憧れるかしら」
宵子は、宴の準備の量に圧倒されていた。衣装の生地選び、色合わせ、会場に置く花の種類やそれを飾る花瓶など、細部まで決めなくてはならないことがたくさんあった。
どれも初めてのことで、戸惑いつつも仲子や他の女房たちと一緒に、作業をするのは楽しい。
それでも、少し疲れてきた頃、桐壺に遣いがやってきた。
「斎宮女御様から、藤壺へのお招きでございます」
またいらっしゃい、というのが社交辞令でなく、呼んでもらえたことが素直に嬉しかった。だが、準備も進めなければならない。
「女御様、どうぞ行ってくださいまし。ずっと作業のし通しでお疲れでしょう」
「息抜きも必要でございますよ」
周防たちがそう言ってくれる。女房たちの方が疲れているだろうに、気を遣ってくれている。申し訳なく思っていると、仲子がそっと耳打ちしてきた。
「女房たちにも休憩を取らせるために、行ってもよろしいかと思いますよ」
「そうね。わたしが動きっぱなしだと、皆も休めないものね」
背中を押される形で、宵子は藤壺へ向かった。
藤壺へ着くと、嬉しそうな淑子の笑顔に出迎えられた。
「ねえ、あなた源氏物語にも詳しいと聞いたのだけれど、本当?」
「一応、全て読んではおります」
「本当! わたくし、源氏物語が大好きなの。それでね、物語に出てくる女性で、誰が好きか、憧れるか、をお話ししたいと思っていたの。でも、皆まだ全部読めていないから、と断ってしまうんですもの。悲しくて」
源氏物語は、かなりの長編だ。全巻を揃えることも大変なので、誰かから借りて読むことがほとんど。読破するにはかなりの時間がかかる。宵子も老師からの課題で渡されていなければ、こんなに早く全て読むことは出来なかっただろう。
「お話し相手がわたしでよろしければ」
「もちろん。あなたとお話するのはとても楽しかったもの」
今回は菓子を用意出来なかったが、藤壺側からお茶が用意されていた。宵子と淑子、仲子も一緒にお茶を飲みながら源氏物語談義が始まった。
「好きな女性を聞く前に、聞いてみたいことがあるの。光源氏の最愛の人は、誰だと思うかしら」
「それは、やはり紫の上ではございませんか。幼少期から光源氏と暮らし、正妻格の女性で、生涯のほとんどを共に過ごしておりますし」
「でも、紫の上を迎えたのは、藤壺の御方に似ていたからでしょう。ずっと追いかけた理想の人、最愛の人は、藤壺の御方ではなくて?」
そう、紫の上は光源氏がはじめに恋をした女性、藤壺の御方の姪にあたり、その事実を知って光源氏は彼女を引き取った。藤壺の御方は、光源氏の父である帝の妃、つまり義理の母親にあたる。歳の差は五歳でどちらかと言えば姉弟に近い年齢だ。
「本当に愛しているのなら、不義の子を生ませるなんてあんまりです。地獄に引きずり込んだようなものでございます」
藤壺は、光源氏との一夜の過ちで子を宿してしまう。帝の妃という立場で別の男性との子を宿すのは不義そのもの。藤壺を生涯苦しめることになる。
「そうねえ。若気の至り、と言ってはあまりに代償が大きいものね。でも、そこまで深く愛されているとも言えると思うわ。想いが深く激しい恋、素敵だわ」
「斎宮女御様は、藤壺の御方がお好きでございますか」
「好きだけれど、一番は朧月夜の君ね」
「朧月夜の君、でございますか……!」
宵子は驚きの声を上げてしまった。仲子も横で驚いていて思わず顔を見合わせた。
朧月夜の君は、光源氏の政敵の娘で、しかも兄帝に入内が決まっている女性である。いわゆる禁断の恋、である。
「あら、変だったかしら?」
「い、いえ。少し意外だったものですから……」
まさか、帝の妃である淑子が、政敵との禁断の恋を選ぶとは思わなくて、つい驚きを隠せずそのまま出してしまった。
「もちろん、そうなりたいというわけではないわよ。主上はわたくしを大切にしてくださるし、わたくしも主上がこの世で一番大切ですもの。この気持ちは揺らぐことはないわ」
「では、なぜ朧月夜の君をお選びに」
「純粋に、わたくしにはあり得ない恋だから、憧れるのよ。だって物語ですもの」
楽しそうに物語について話すが、現実とははっきり区別した上で楽しんでいる。ふわふわと可愛らしい人だが、思慮深いところがある。『妃』の手本を見たような気がした。
「あなたの番よ。どの女性に憧れるかしら」
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