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第三章 東宮女御と斎宮女御
東宮女御と斎宮女御 -6
しおりを挟む高坏からも、菓子が零れ落ちた。先ほどは彰胤の背中に隠れていて見えていなかったが、転がり落ちた菓子に目が向いた。それが粉熟であることは、形から分かった。だが。
「なんだ、この色は」
五色になぞらえているはずの粉熟の一つが、どれでもない色をしている。ぱっと見ただけでは分かりづらいが、普段から菓子を作る宗征には一目で分かった。
「ほう……お前、も、毒が、分かるか……」
「毒!?」
菓子に気を取られている場合ではなかった。彰胤が、苦しそうに胸のあたりを押さえている。宗征はすぐに倒れ込む彰胤を支えて起こした。
「どうして毒と分かって口にしたのですか!」
「毒、と確信が、あったわけ、じゃな、い。違和感が、あった、から念の、ためだ」
「苦しい最中に話をさせてしまい、申し訳ございません。すぐに医師を呼んで参ります」
宗征は、慌てて足がもつれながらも立ち上がった。言葉は何とか取り繕っても、とてもじゃないが、平静ではいられない状況だ。東宮が、毒にあたるだなど、非常事態だ。
「待て」
毅然とした声が、宗征の足を止めさせた。毒に侵された者とは思えないほど凛とした声に息を飲んだ。
「医師は、呼ぶな」
「しかし」
彰胤は、手近にあった布へ、粉熟を吐き出した。乾いた咳と共にほとんどが体の外に出された。
「菓子の、全て飲み込、んだわけじゃ、ない。すぐ引く」
「ですが」
「言うな、公にするな」
公という言葉を聞いて、宗征ははっとした。元々、この菓は帝に献上されるものだった。つまり、帝に毒を盛ろうとしたのだ。この国の頂点にいる者へ向けての明確な悪意。そんなことが広まれば、内裏が大混乱となる。
「理解が、早くて、助かるよ」
彰胤はそう言って笑ってみせた。苦しさに耐えてなお、笑った。
その瞬間、宗征は冷水を浴びせられたような心地になった。この人の笑顔は、武器なのだ。立場も状況も押し殺して、何もないかのように笑う。帝、そしてこの国のために。それが、どれほどの精神力を要するものか。
「わたしは、なんて愚か者だ」
宗征の口から零れた声は小さく、彰胤は聞こえていないようだった。
「お前は、主上に仕え、たかったのだろう。口添えしておく、よ」
なおも笑顔でそう言う彰胤に、別の意味で苛立ちを覚えた。毒に侵されているのだから、大人しく寝ていて欲しい。宗征はてきぱきと寝床を整えると、彰胤の手を引いて、そこへ寝かせた。
「水は必要になるでしょうから、持って参ります。東宮様はお休みになっていてください」
「助かるよ」
「それから――」
宗征が今から口にすることは、自分自身の人生を左右するものだった。だが、そこに迷いはなかった。
「主上への口添えは必要ありません。私は、東宮学士でございますから」
「……! 苦労、するぞ」
「心からあなたにお仕えしたいと、思ったのでございます。ついでに申しますと、わたしは菓子が作れます。信ずるに足ると思ってくださった時には、菓子作りをお命じください」
「そうか、それは楽しみだ」
彰胤は目を閉じて、眠りについた。少し呼吸が浅いものの、寝息は安定している。宗征はその傍で、彰胤の様子を見守っていた。
***
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